髑髏島の巨神 (二)
前稿《髑髏島の巨神 (一) 》の続き.
映画『キングコング:髑髏島の巨神』は,伏線らしい伏線がない非常に単純なストーリーである.ある一つのシーンが暗喩するものが何であるかについて考察したり,巧妙に隠されたオマージュを探し出したりする必要はない.観客はコングの戦闘アクションを手に汗握って観ていればいいだけである.つまり有体に言えば,凡庸な映画作品である.
ではこれが,根底からダメな,箸にも棒にもかからぬ駄作かというとそうではなく,きちんとしたシナリオでちゃんとした監督が撮れば,よい作品になったかも知れないのである.て,全然だめじゃん.
以下の文章に関して参考までに「あらすじ」は Wikipedia【キングコング:髑髏島の巨神】 を,映像については《映画『キングコング:髑髏島の巨神』予告編》を参照して頂きたい.
『キングコング:髑髏島の巨神』には暗喩はないが,誰でもすぐわかるオマージュはいくつも出てくる.
この映画のネタバレサイトが揃って指摘しているのが,『地獄の黙示録』へのオマージュだ.ただし,オマージュというのは,過去の別作品に対する映画監督の敬意を表すものであるから,ただ単に似たようなシーンがあったり,映像表現の模倣が行なわれているだけでは,オマージュとは言い難い.
そのような本来の意味でのオマージュではないと私は思うが,まず《映画『キングコング:髑髏島の巨神』予告編 》に,米軍戦闘へり UH-1 の編隊飛行の映像,とりわけスタートしてから三十六秒後 (0:36/2:23) 近辺で,夕日を背にして編隊の行く手にコングが立ちふさがるシーンがある.
次に尺が二分二十二秒の《地獄の黙示録特別完全版 日本版予告編 Apocalypse Now Redux Japan Trailer》の,スタート後一分二十六秒 (1:26/2:22),画面に原題 "Apocalypse Now Redux" が浮かび出るシーンを見て頂きたい.
明白に前者は後者を意識したものであることがわかる.
つまり『キングコング:髑髏島の巨神』は,『地獄の黙示録』と同じベトナム戦争の末期に時代を設定しているので,とりあえず『地獄の黙示録』を想起させるシーンを撮ってみましたということだろう.
しかし,ただそれだけなのである.私たちが『キングコング:髑髏島の巨神』を観て困ってしまうのは,この作品に『地獄の黙示録』と似たような戦闘ヘリ編隊の飛行シーンがあるというだけで,それ以外に,共通の世界観とか,そういったものが欠片もないことである.
『地獄の黙示録』はベトナム戦争の暴力の中で壊れた人間の精神を描いた作品ということに一応なっている.「一応なっている」というわけは,否定的な見解があるからだ.例えば村上春樹は次のように述べている.
《公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」》 (Wikipedia【地獄の黙示録】から引用)
この村上春樹の見解に私は同意する.今は『地獄の黙示録』を米国映画史上で重要な作品とする人も多いだろうが,公開当時は,見終わったあと,「で,ベトナム戦争の,何を描きたかったんです?」との評価がほとんどだったと記憶している.ストーリーは「反戦」とは無関係であり,別にベトナム戦争を背景にする必然性はないかと思われたからである.
『地獄の黙示録』には狂気の軍人,カーツ大佐が登場するが,『キングコング:髑髏島の巨神』でも,髑髏島調査団を島へ輸送する任務を受けたヘリ部隊の指揮を執るパッカード大佐という人物が重要な役割を担う.
パッカード大佐は,ヘリ部隊がコングのために壊滅したあと,コングに復讐するとして生き残った兵士と民間人を,私たちからみると無意味な対コング復讐戦闘に巻き込もうとする.
ここがどうにも観客には理解できない点だ.
映画中でパッカード大佐は「部下を殺された復讐だ」と語るのだが,そういうのは下士官の発想ではないのか.大佐という階級は上級の士官であるからして,戦闘においては,兵員を無駄に損耗することなく,最終的に勝利を収めるよう行動するのが任務ではなかろうか.
例えば髑髏島から基地への帰還を支援する部隊が到着するのを待ち,軍上層部に怪獣の存在を報告し,キングコング打倒作戦を進言するなどすれば軍人として正しいであろう.
ところがパッカード大佐は自分勝手な行動で兵士と調査団一行を危機に陥れながら,怪獣たちに手傷を負わせることもできずにあっけなく死んでしまうのである.
観客としては,なんだよバカじゃないかこいつ,こんなやつに感情移入はできないよと思わざるを得ない.このバカみたいなパッカード大佐に比べると,髑髏島調査団の案内役として雇われた元英国特殊空挺部隊隊員のコンラッドのほうが余程軍人らしい冷静さを保って行動しているのである.
ではパッカード大佐は本当にバカなのか.私は違うと思う.バカなのは脚本を書いたやつなのである.
(《髑髏島の巨神 (三) 》へ続く)
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