髑髏島の巨神 (三)
前稿《髑髏島の巨神 (二) 》の続き.
インドシナの地に米国がゴ・ディン・ジエムを大統領として傀儡政権を樹立したのが1955年,南ベトナム解放民族戦線の結成が1960年,これに対抗したケネディ政権が南ベトナム派遣軍事顧問団を大幅に増強して戦争が泥沼化していく様相を見せ始めたのが1961年.
トンキン湾事件 (1964年8月) のあと,ケネディ政権を引き継いだジョンソン大統領は,北ベトナムとの戦闘に関する無制限の指揮を執る権限につき議会の承認を得た.そしてジョンソン大統領は陸軍を戦争に投入するなど大規模な介入を開始し,結果,アメリカは泥沼のベトナム戦争に突入していった.
このような経過で,宣戦布告なしに,いつ始まったのかあいまいな戦争が始まった.
しかし南ベトナム解放民族戦線の結成を起点に取れば十三年後の1973年 (昭和四十八年) 1月23日,北ベトナムのレ・ドゥク・ト特別顧問とヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官は,和平協定案を仮調印した.
同27日,南ベトナムのチャン・バン・ラム外相,アメリカのウィリアム・P・ロジャーズ国務長官,北ベトナムのグエン・ズイ・チン外相,南ベトナム共和国臨時革命政府のグエン・チ・ビン外相の四者間でパリ協定が調印された.
パリ和平協定への調印を行うアメリカのロジャーズ国務長官
(Wikipedia【ベトナム戦争】から引用;パブリックドメイン画像である)
同29日,ニクソン大統領は米国民に「ベトナム戦争の終結」を宣言した.
戦争が最も激しかった時に五十四万人に達したアメリカ軍は,終結宣言の時点で二万四千人になっていたが,宣言後に軍の撤退を開始し,二ヶ月で撤退を完了した.
しかし軍事顧問団は引き続き南ベトナムに駐留したままであり,ベトナム戦争の完全な終結には,まだ1975年4月30日のサイゴン陥落まで待たねばならなかった.陥落の前日29日から30日まで,南ベトナムのラジオから季節外れの「ホワイト・クリスマス」が流れる中 (ブログ筆者註;《私のクリスマスソング 》),在留アメリカ人1373名と南ベトナム人その他の5595名が撤退する作戦が完了した旨の報道を,学生時代に東京におけるベトナム反戦運動を目にした私は感無量で聞いたことを思い出す.
さて『キングコング:髑髏島の巨神』は,映画中で明示されていないが,ニクソン大統領の戦争終結宣言の日から始まる物語である.
特務研究機関モナークの一員であるウィリアム・ランダは,前年に打ち上げられた地球観測衛星ランドサット1号 (ランドサット計画初号機) が太平洋上に発見した未知の島・髑髏島の資源開発のための地質調査を行いたいとしてウィリス上院議員を説得し,協力を得ることに成功した.
しかし実は資源開発調査とは真っ赤な嘘であった.ランダは髑髏島の地底は空洞になっていて,そこに太古からの生物が棲息しているとの仮説を立てており,それを証明する調査をしたかったのであった.これは十九世紀以来の疑似科学「地球空洞説」を疑わせるチープな設定だが,疑似科学がどうのこうのと目くじらを立てたのではそもそも怪獣映画は成立しないので,これは問題ない.『キングコング:髑髏島の巨神』に限らずすべてのファンタジーは,私のような頭の中が子供の大人向けなのである.おい.
さて,ランダはウィリス上院議員を騙して,軍の協力を取り付けた.南ベトナムから撤退中の戦闘ヘリ部隊に,ランダらの調査団一行を髑髏島へ輸送してもらい,さらに偽りの「調査」に協力をしてもらうのである.
その戦闘ヘリ部隊に指名されたのが,プレストン・パッカード大佐の部隊であった.
パッカード大佐は調査団輸送任務の前に,彼の個室で物思いに耽る.
私は前回の記事の最後に《ではパッカード大佐は本当にバカなのか.私は違うと思う.バカなのは脚本を書いたやつなのである》と書いた.
物思いに耽るパッカード大佐の姿に観客が期待する人間像は様々であろうが,例えば次のような設定はどうだ.
長きにわたったベトナム戦争の体験が,パッカード大佐を戦闘マシーンに変えた.敵を殺すことが自分の存在価値と化したのである.
そんなパッカードは本国への帰還を前にして自己喪失感を抱く.戦場こそが俺の居場所だ.帰国して,本国で死んだように生きるのは嫌だと.
こうした思いのパッカードは,髑髏島でヘリ部隊が壊滅したとき,至福の高揚感を覚える.俺は,神の如き巨大なコングと戦って,この島で死ぬ.死に花を咲かせる.散華.それが自分の生き方なのだと決意する.
例えばであるが,パッカードを上記のように性格設定し,丁寧に心理描写をすれば,今作『キングコング:髑髏島の巨神』と全く別の作品になったであろう.
あるいは大佐にまで昇った優秀な軍人としてパッカードを描いてもいい.コングと自分の部隊の戦力差を正確に判断し,緻密な作戦計画を立て,母艦の米軍本隊の救援の元に,最後にコングに勝てぬまでも,調査団と残存部隊全員を母艦へ生還させるとしてもよい.それも一つの物語となるだろう.
ところが本作におけるパッカード大佐は,軽火器とナパーム弾でコングに勝てる気になっている.
私たち日本人は,ゴジラを頂点とする巨大怪獣の装甲の堅さを知っている.昭和二十九年のゴジラ初登場以来,陸自61式戦車の90mmライフル砲はゴジラの皮膚にかすり傷すらつけることができなかった.空自の戦闘機に搭載の空対地ミサイルも,陸自の地上発射型各種ミサイルもゴジラの敵ではなかった.
最近ようやく『シン・ゴジラ』において,米軍爆撃機が放った大型貫通弾で初めてゴジラに傷を負わせることに成功するも,その直後に爆撃機隊はゴジラのレーザー光で全滅したのである.
かつてその無敵無敗のゴジラを海に沈め,悠々と南海の彼方に泳ぎ去ったキングコングを相手にほとんど丸腰で立ち向かうパッカード大佐の姿を見て私たちは,前のめりの姿勢でスクリーンを凝視するのではなく,「あーあ,そんなんじゃ勝てねーよ」と呆れてシートに背を預けるしかないのである.
案の定,パッカードはいとも簡単に死ぬ.愚かすぎて観客は全然同情できない.(笑)
話を,スクリーンに描かれた南ベトナムの米軍基地 (たぶん現タンソンニャット国際空港の辺りだろう) に戻す.
パッカード大佐役で名優サミュエル・L・ジャクソンが,撤退作戦でごった返す基地のシーンに登場した時,観客は何を思ったか.
多くのサミュエル・ジャクソンのファンは,紫色のライト・セイバーを振るってクローン大戦を生き抜いたジェダイ最強の戦士,メイス・ウィンドゥとパッカード大佐とを重ね合わせるのではないだろうか.
しかし凡庸な脚本家と映画監督は,パッカード大佐を道化師にしてしまった.この一点だけでも,『キングコング:髑髏島の巨神』は凡作怪獣映画と呼ばれて然るべきなのである.
(《髑髏島の巨神 (四) 》へ続く)
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