髑髏島の巨神 (一)
『キングコング:髑髏島の巨神』(ワーナー・ブラザース配給) を観てきた.
キングコング映画といえば,私が東宝の怪獣映画『キングコング対ゴジラ』を観たのは中学一年生,昭和三十七年の夏だった.この作品はゴジラ映画の中で歴代最高の観客動員数を記録したことで知られる.
(Wikipedia【キングコング対ゴジラ】から引用;パブリックドメイン画像である)
当時,北関東の片田舎の前橋市あたりでは洋画上映館は確か一つしかなく,邦画館はいくつもあった (70mmフィルムの上映館もあった.どや!) が,もちろん大人の鑑賞に耐える邦画の名画を上映する映画館は,中学生なんかが入れば不良の烙印間違いなしであり,子供向け映画は東宝の怪獣映画くらいなもんだったのである.
しかし実をいうと私は,怪獣映画を観に行くと親を騙して,洋画を観始めたのが中学一年生になってからだった.同じ中学で一学年先輩の糸井重里さんは早熟で,前衛的な洋画を観て書いたレビューを自分でガリ版印刷のパンフレットにして校内で配っていた記憶がある.栴檀は双葉より,である.
そんなこんなで,昭和三十七年は私の映画鑑賞歴中で思い出が深い年だ.
『キングコング対ゴジラ』を観たのは記憶しているが,米国メジャー映画会社RKOが配給した本家初代の『キングコング』(1933年) は,リバイバル上映館で父親に連れていかれて観たのだろうが,クライマックスのエンパイア・ステート・ビルの場面をうっすらと覚えているだけだ.
(Wikipedia【キングコング(1933年の映画)】から引用;パブリックドメイン画像である)
Wikipedia【キングコング (1933年の映画)】には次のように書かれている.
《当時はターザン映画を始めとする「ジャングルを舞台とした秘境冒険映画」や「実写の猛獣映画」が盛んに作られており、本作でもその趣向が大いに取り入れられた。本作でのコングも兇暴な猛獣として描かれており、敵対するものは容赦なく葬る。アンの衣服を剥がしてその臭いをかぐシーンなど、まさに「美女と野獣」のイメージで描かれている》
だが女性の《衣服を剥がしてその臭いをかぐ》のは野獣のイメージなのだろうか.
諸兄も大いに納得することと思うが,女性の衣服の匂いをかぐという行為の底に,その女性に対する特別な感情が存在することがある.犬が飼い主の匂いをかぐのとは少し区別されねばならないのだ.
「女性の衣服の匂いをかぐ」のは文学的な象徴であり,たとえば小学生だった貴女が,ある日の放課後,教室に置き忘れたハンカチを取りに戻ったとしよう.
廊下側の窓から教室の中を覘くと,クラスの女子の憧れの的で中島健人によく似た同級生の少年A君が,貴女のハンカチを鼻に当てて物思いに沈んでいるのが見えた.貴女は,A君がそのハンカチをずっと持っていて欲しいと思いつつ,くるりと踵を返して教室を後にするであろう.
だがまた別の日,下校しようと校舎玄関の靴箱のところに行ったら,高須クリニック院長に似ていると言えなくもない少年B君が貴女の靴の臭いをかいでいたとする.
その光景を目撃した貴女は,恐怖にかられて絶叫しながら,廊下の掃除道具ロッカーからモップを取り出し,B君を「死ねこの野獣っ」とばかりに殴りまくり蹴りまくるであろう.どっちが野獣だよ.(ちなみにこのように絶叫する女を映画ではスクリーミング・ヒロインという)
ハンカチの匂いをかぐのも靴の臭いをかぐのも似たような行為であるが,一方は少年のほのかな恋情を意味し,もう一方は変態性欲と見做される.
私はどちらかというと靴の臭いのほうが
初代コングは果たしてただの野獣だったのか,ヒロインのアンをどう思ったのか,DVDを買って確かめてみようかと思ったが,よく考えるとくだらないのでやめた.
ところでリメイク作品であるパラマウント配給『キングコング』は,Wikipedia【キングコング (1976年の映画)】に下のように記述されている.
《アンを単なるスクリーミング・ヒロインに終わらせず(悲鳴の回数は3作中最も少ない)、コングの優しさに気付いて心を開く女性として描く試みは、東宝の『キングコングの逆襲』 (1967年) の先例はあるものの、本国アメリカではこの1976年版が最初であり、コングが高層ビルに登って以降のショットのいくつかが2005年版に引用されている。》
つまりコングと人間の女性との感情の交流は,東宝『キングコングの逆襲』にオリジナリティがあるという.
私はパラマウント版『キングコング』も『キングコングの逆襲』も観ていないので,上に引用した記述を読んで「へえ~」と驚いた.
さて『キングコング:髑髏島の巨神』だが,これはシリーズ三部作の第一部なんだとか.
私が先日いつもの辻堂のテラスモールでこれを観たとき,上映の終りにクレジットタイトルが延々と続いている最中,何人もの観客が席を立って出ていった.
ところがクレジットが終ったところからラストシーンが始まったのである.こういうことがあるから,そのあと急ぎの用事がないのであれば,シアター内照明が点灯するまでシートに腰かけているのがいい.
で,ラストシーンでは,このシリーズにゴジラ,モスラ,キングギドラが続いて登場することが示唆される.(ちなみにこのラストシーンで本作品の監修者が町山智浩だと明かされる)
つまりこのシリーズは『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』にキングコングが加わったようなものになるらしい.
大変に豪華で結構なことであるが,今作『キングコング:髑髏島の巨神』を観た限りの感想では,次作以降もありきたりの怪獣映画になるのではなかろうか.
そのことについて次回の稿で少し説明をする.
(《髑髏島の巨神 (二)》へ続く)
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