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2017年4月 9日 (日)

香り穏やかな酒

 私は若い頃の一時期,社会人枠で静岡大学農学部に在籍していたことがある.所属していたのは,現在は名称が変わってしまっているが,当時は農産製造学研究室といった.
 その研究室の少し先輩の卒業生で,いささか古めかしいお名前であるが,河村伝兵衛さんというかたがおられた.勤務先は県の工業試験場であった.
 河村さんをよく知る人たちは,河村さんとも河村伝兵衛さんともいわず,ただ単に通り名の伝兵衛さんと彼を呼んだが,私はほんの少し会う機会があっただけなので,以下は河村さんと書く.
 河村さんは,その性狷介にして孤高といったらいいのか,組織人としては不遇であったが,のちに静岡県の清酒業界に大きな影響を及ぼし,清酒業界にとどまらず県内の食品業関係者で河村の名を知らぬ者は一人としていないといわれるほど著名な研究者となった.
 河村さんの業績は,別名静岡酵母とか河村酵母とか呼ばれる酵母を分離確立したことである.
 その結果,かつて全国水準からすると低レベルと言わざるを得なかった静岡県の酒は,全国区の水準にまで押し上げられた.今では静岡県の清酒の銘柄を一つも知らない愛飲家はいないのではなかろうか.

 昭和五十三年,河村さんは掛川の土井酒造場の杜氏であった故波瀬正吉氏と協同して,同酒造場の銘柄「開運」大吟醸の醪 (もろみ) から,一株の酵母を分離した.
 この酵母を用いた大吟醸酒は,土井酒造場と満寿一 (静岡市) の二蔵で試験醸造が行なわれ,昭和五十五年 (1980年) に国税庁醸造試験所全国新酒鑑評会で金賞を受賞する成功を収めた.
 この後,この酵母を河村さんは HD-1 (H は杜氏波瀬正吉氏,D は土井酒造場からとったものとされている.これが静岡酵母第一号である) と命名し,県内の多くの酒造会社に広めた.そして昭和六十一年 (1986年) の前記全国新酒鑑評会において,静岡県内から二十一蔵が出品したが,十七蔵が入賞し,その内の十蔵が金賞を受賞するという快挙を成し遂げた.
 これで静岡県の吟醸酒は一気に全国に知られるところとなったのであるが,その原動力は河村さんの酵母研究であった.
 ところが静岡県の酒造会社は恩人とも言うべき河村さんに正当に報いることがなかった.
 県内の有力蔵である土井酒造場磯自慢酒造は,公式サイトに河村さんの特設ページを作って顕彰しても良いくらいのものであるが,ここに河村さんの名は見えない.また静岡県酒造組合のサイトでは,静岡酵母が,河村さんが不遇の技術者人生を過ごした静岡県工業試験場の業績であるかのように記載されている.
 このような有様では,やがて河村伝兵衛さんの名は忘れ去られるのだろう.いつの時代でも技術者は縁の下の力持ちで終わるのがお約束なのであろうか.
 上のようなことを記したのは,昨日,河村さんの訃報を見逃していたことを知って驚いたからである.河村さんは昨年十二月六日に亡くなっていた.享年七十三.

 以上は長い前置きである.
 孤高の技術者河村さんを思い切り持ち上げておいてこう言うのはなんだが,実を言うと私は大吟醸酵母 HD-1で醸した酒が好きでない.一言で言うと,その果実様吟醸香は華やかすぎる.淡白な酒肴より存在感が勝ってしまうのでは,清酒として如何なものかと思うのである.
 その点で,私が気に入っているのは,会津の末廣酒造嘉永蔵の大吟醸「」である.
 この酒の穏やかな香りは,余計な主張をすることなく,例えばほうれん草のおひたしとか赤身とか,そんな肴の友にまことに適任である.震災後,私は酒を福島に出かけて買い込んだり,通販で取り寄せたりしているが,銘柄は暫くは「舞」でゆこうと思っている.

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