NHKの新朝ドラ『ひよっこ』が第三週に入った.
この稿は《NHKの時代考証力を見るのも一興であろうから,暫く朝ドラを視聴してみようか》と書いて始めたものだ.第一週の放送に関しては時代考証が変だと異議を申し立て,第二週の内容については,ヒロイン矢田部みね子の家庭,矢田部家の飯についての疑義を述べた.
先週 (第二週) の終りあたりで,みね子の父,実が出稼ぎ先の簡易宿泊所から失踪したことが判明し,ドラマは導入部が終ったところだ.
みね子の母,美代子が常磐線に乗って上野駅に到着したシーンでは,当時の上野駅のモノクローム動画がテレビ画面に映し出された.私の記憶にもある懐かしい映像であった.
それはいいのだが,画面が上野駅のセット撮影のシーン (これは上野駅の実際とかなり雰囲気が異なっていたが,上野駅をセットで作るのは無理というものだから仕方ない) に切り替わったとき,駅構内に浮浪者 (註) と思しき人が一人歩いていた.私はこのシーンに違和感を覚えたので,以下の (註) にそのことを書く.
(註) 今の言葉では「ホームレス」だが,当時は報道でも「浮浪者」と呼んだので本稿でも,時代背景を反映させるために「浮浪者」と書いておく.
Wikipedia【ホームレス】には,
《かつては乞食・ルンペンなどと呼ばれており、特に日本では浮浪者という名称が定着していたが、差別用語との指摘を受けて放送禁止用語となったことにより、海外での同様な状況を指す英語の the homeless に由来する「ホームレス」という呼称がマスメディアを中心に外来語として定着した。》
と書かれているが,これは正しくない.
平成十三年 (2001年) 一月に実施された中央省庁再編により,旧厚生省と旧労働省を廃止統合して厚生労働省が発足したちょうどその頃だと思うが,平成十四年公布の「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(平成十四年八月七日法律第百五号) の検討に入っていた厚労省が,《かつては乞食・ルンペンなどと呼ばれており、特に日本では浮浪者という名称が定着していた》ことに鑑み,行政上の用語としてより適切な言葉はないかと考え,有識者等の意見を入れた結果「ホームレス」を採用したのであった.ちなみに同法の定義は以下の通りである.
《(定義)
第二条 この法律において「ホームレス」とは、都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者をいう。》
「乞食」「ルンペン」「浮浪者」が差別用語であるとしてメディアから排除されたのはもっと前のことで,それ以後から「ホームレス」が一般化する前までは,新聞社,テレビ局により多くは路上生活者,まれに無宿者 (むしゅくしゃ) 等色々な呼び名が使用されていた.しかし厚労省が採用した用語にメディアも倣って,これ以後「ホームレス」が定着したのであった.
ただし法律と行政の用語である「ホームレス」は極めて限定的であり,実際に私たちの周りの路上生活者やそれに近い人々は意図的に網羅していない.そのためメディアでは「ホームレス状態にある方」と呼ぶことが多い.
ちなみにバブル経済崩壊後,東京都では青島都知事が都庁周辺から「ホームレス状態にある方」を徹底排除した.
新宿駅から都庁への道路で,貧困者支援団体のデモが抗議する中,「ホームレス状態にある方」を引きずるようにして警視庁機動隊がどこかへ連れて行くのを,私も現地にいて見た.その光景を今も忘れない.
JRも夜間は入口にシャッターがある駅ビルではこれを閉めて「ホームレス状態にある方」を追い出した.これがために真冬の東京 (同じ施策をやった大阪も同様) では,夜が明けると「ホームレス状態にある方」の凍えた遺体が通勤客に発見されるということが起きた.その状況を報道するテレビの報道番組を私は今でも思い出す.
さて私の記憶では,ドラマ『ひよっこ』の時代の少し前に,上野駅構内から浮浪者が排除された.日本と東京はこの頃,終戦直後の貧しい雰囲気を都内から一掃しようと躍起になっていたのである.
私は昭和三十五年の秋,小学校の東京修学旅行で上野駅に着いた.
この時は駅舎の外に,少ないながらもまだ戦災孤児がいたのを記憶している.担任の先生が戦災孤児の説明してくれたのだった.しかしこの頃はもう大部分の浮浪者や孤児は上野公園にいたのだろうと思う.
当時は,東京オリンピックを観にやってくる海外からの観光客らに,復興成った日本を見せることが国と都の至上命題であった.
都内を流れる生活廃水で汚れた河川を暗渠化したのと同じ発想で,浮浪者と戦災孤児は人の目に触れぬよう繁華地帯から追い出されたのであった.
閑話休題.
矢田部美代子が実の失踪届を出しに赤坂の警察署を訪れたとき,ナレーション (増田明美) が「この頃,東京にやってきて行方不明になる人を蒸発者ということがあり,年間一万人近くになった」旨のことを語った (録画を消去してしまったので正確ではない).
昭和中頃の行方不明者の状況を Wikipedia【失踪者】から一部抜粋する.
年度 総数 男性 女性 成人 少年 所在確認数
1966(昭和41)年 91,593 46,144 45,449 46,783 44,810 63,667
1970(昭和45)年 100,753 49,195 51,558 55,761 44,992 74,218
1980(昭和55)年 101,318 48,398 52,920 55,206 46,112 88,821
上の表から,東京オリンピックのあと,昭和四十一年の数字では大雑把に男性/女性/成人/少年の各セグメント比率が同じくらいなので,失踪届出の総数から所在確認数を引いた二万八千人のうちの七千人が成人男性失踪者と見做していいだろう.これはおそらく農村からの出稼ぎ労働者で失踪した人の数に近いのではないか.
これに対して Wikipedia【蒸発】を見ると,
《その他の用法
人に関して
液体で可視物として存在していたものが気体という不可視のものになってしまうことから転じて、人が突然行方不明になって (失踪して) しまうことにも「蒸発」を用いる。
1960年代には集団就職で上京した若者による失踪事案が多く、1967年 (昭和42年) に公開された今村昌平監督の映画『人間蒸発』や、1968年 (昭和43年)に矢吹健が歌唱した『蒸発のブルース』により流行語となる。
1970年代には約9,000名もの蒸発者が生じ、社会問題にもなった。》
と書かれている.しかしこの《約9,000名もの蒸発者》が単年度のおよその蒸発者なのか,《1970年代に》蒸発した人の合計なのかが不明だ.
不明ではあるがしかし,『ひよっこ』のナレーションから推測すれば,これは単年度の蒸発者ではなかろうか.
私が出稼ぎ労働者の失踪と推定した七千人に,少年の失踪事案を足せば,ほぼ『ひよっこ』のナレーションの「年間一万人」に近くなるのではないかと想像する.
交通事故死者数の推移に関するデータによると,昭和三十九年 (1964年) には死者約一万三千人であったが,現在 (2016年) は大きく減少し,四千人を下回っている.
これに対して年間失踪者の実数も平成二十五年 (2013年) に約千八百人で,高度成長期に比較して激減している.
半世紀,遥けくも来つるものかは.感慨深いものがある.
最近のコメント