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2017年4月25日 (火)

昭和の時代考証 (五)-3

 先週の『ひよっこ』は,大晦日になっても正月を迎えても,矢田部みね子 (有村架純) の父,実 (沢村一樹) が出稼ぎ先の東京から戻らなかったところで終わった.
 年末に,みね子の母,谷田部美代子 (木村佳乃) は仏壇の引き出しに入れてある現金を数えて思案に耽る.夫が行方不明になってから送金が途絶え,家計が逼迫していたからである.
 そこへ,近所の農家で美代子の幼馴染である助川君子(羽田美智子)がやってくる.
 君子は矢田部家の困窮を案じており,美代子に現金を渡そうとするが,美代子はそれを押し戻して受け取らない.
 そこで君子はいったん家に戻るが,再び来る.そして背中の竹籠一杯の食料を持ってきて美代子に「これはお歳暮だ」と言う.
 美代子とみね子は,君子の親切に感謝して「歳暮」をありがたく受け取るのであった.

 という先週のストーリーをわざわざ紹介したのは,君子の歳暮の中に肉があったからである.
 包の大きさからすると豚肉 (北関東では牛肉を食べることは希であった) 五百グラム程であろうか.
 若い人には信じがたいことだろうが,昭和三十九年当時の豚肉五百グラムは,なかなかの贈り物であった.
 この頃,私の育った家では,一家五人がカレーライスを作って食べるときに使う豚肉の小間切は百グラムであった.食い盛りの子ども三人を抱える家庭で,大鍋に投入された百グラムの豚小間切は,注意深く探さないと見つからないのであった.(北関東の庶民の食事が如何に食肉から縁遠かったかは,戦後の少年時代を栃木県で過ごした東海林さだおがエッセイに「肉なしカレー」の思い出として何度か書いている)
 一方,『ひよっこ』の中で描写されていたのだが,矢田部家五人のカレーライスには,魚肉ソーセージ一本が用いられた.農村に肉屋はないから,魚肉ソーセージのカレーは普通のカレーであったろう.
 余談だが,実を言うと,私の父は歴とした国家公務員 (刑務官) であったが,その年収は,『ひよっこ』中で説明された矢田部家の年収を下回っていたのである.奥茨城村で一番貧乏な矢田部家は,私の家よりは良い暮らしであったのだ.(泣)
 このように貧しい矢田部家 (しつこいようだが,私の家よりは貧乏ではない) に,助川君子はど~んと豚肉をプレゼントする.これは脚本家が,奥茨城村で矢田部家だけが貧しいことを描写するためのエピソードに違いない.このことが,みね子が集団就職することの伏線なのだろう.

 話かわって,少し前まで私は,テレビ東京系列で放送されている『昼めし旅~あなたのご飯見せてください~』を毎日観ていた.今はもう飽きたのでやめたが.
 どんな番組かというと,同局サイトの番組紹介に次のようにある.

番組内容
毎日食べる「ご飯」、おいしいお店を紹介するグルメ番組は沢山あるけど、実際は一体どんな人がどんなものを食べているのでしょうか?
毎日愛妻弁当の店長…漁が終わった後の早めの昼食…有名店のまかない飯は?
ニッポンの「リアルなご飯」にスポットをあて、「あなたのご飯見せて下さい」を合い言葉に「昼めし旅」を敢行!
時には観光スポット、時には田舎、そして地元の駅前や商店街など、芸能人や番組スタッフが様々な場所へ旅をしながら、その土地ならではのお昼ご飯や人気店、魅力的なご飯をご紹介!
さらに、「ご飯」を通してのそこに住む人の人生や物語(ドラマ)を描いてゆきます。

 これは月曜から金曜までオンエアしているテレ東の主力番組で,上の惹句にあるように《時には観光スポット、時には田舎、そして地元の駅前や商店街など、芸能人や番組スタッフが様々な場所へ旅をしながら、その土地ならではのお昼ご飯や人気店、魅力的なご飯をご紹介!》するわけだが,何年かこの番組を観続けた印象でいうと,レポーターが取材する対象の半分が《時には田舎》の農家や漁師の家庭だった.
 例えばの話であるが,典型的な内容は次のようなものである.
 レポーター (テレ東の若いAD) が,辺り一面に水田や畑や果樹園が続く田舎道を歩いていると,農作業している老人がいる.「何を作っているんですか」と声をかけて,作業を見せてもらったり,土地の話を聞いたりする.そしてやおら「あなたのご飯見せて下さい」と言うと,老人は快諾し,レポーターを軽四輪トラックに乗せて家に戻る.
 老人の自宅に着くと,そこにあったのは,大豪邸だった.
 見かけは昔風の農家だが,中に入るとリフォーム済みである.息子夫婦のために手を入れたとかで,十二畳のDKは,若い女性が見たらため息をもらすような,高価なシステムキッチンである.思わずレポーターが「すごいお家ですねー」と感嘆すると,老人は「農家はみんなこんなもんだ」と事も無げに言う.
 都会のマンションのように六畳間に家具がいくつも押し込まれているなんてことはない.老人の家は,十二畳とか十八畳間が一階と二階に全部で六部屋あるという,都市部勤労者世帯の人々が唖然呆然とするような間取りなのである.しかもその豪邸に住んでいるのは老人夫婦と息子夫婦の家族四人だという.
 『昼めし旅』は,まあ,ざっとこんな番組である.
 上に書いたのは田舎での取材だが,そうではないこともある.毎回の放送の半分は芸能人がレポーター役で,地方都市のありふれた商店街を旅することも多い.
 再び例えばの描写をすると,一人暮らしのお婆さんがやっている雑貨屋をレポーターが訪ねる.店の奥が台所と四畳半の狭い住居スペースで,「あなたのご飯見せて下さい」と言うと,お婆さんは四畳半の小さなテーブルで,「いっつも残りもんだよ」と言いながら朝飯の残り物を食べるのであった.
 以上が『昼めし旅~あなたのご飯見せてください~』の番組内容概略である.私は一年以上もこの番組を観てきたが,現代日本の貧富格差があまりにも赤裸々に描かれるところが辛くて,もう最近は観ていない.

 ところで,現代日本における貧富の格差についていえば,ワーキングプアのことがある.
 この間の日曜日,朝六時十五分から《もっとNHKドキュメンタリー 高校生ワーキングプア 》が放送された.
 これを観た私は朝から泣いた.おそらくこの番組に出てくれた三人の高校生は特殊ではない.「貧乏が見えにくくなっている」と言われる現在,彼らは貧しいが,しかしまたどこにでもいる少年たちだと思うと,泣けたのである.(ちなみに私は「再放送希望」をポチッとした)
 子供の六人に一人が貧困状態にあると言われる現在,週刊文春のテレビ批評コラムに亀和田武が能天気に

日本中が浮かれまくり、会社員と公務員の大半は、自らを中産階級と信じて疑わなかったあの時代、恩恵に浴せない人々がいた。
 遠い東北だけではない、東北にほぼ隣接する北関東でも、過疎の村に暮らす住民は高度成長を享受するのでなく、むしろ出稼ぎという形で、時代の繁栄を支えた。
 みね子の家も、父の実 (沢村一樹) が東京にでている。こめ作りだけでは、家族を養えないからだ。奥茨城に戻れるのは、稲刈りや田植えなどの繁忙期だ。
(…中略…)
 東京のすぐ隣に「貧しさ」が、まだあった。そして、そこに暮らす人々は、小金持ちを羨むことなく、つましく支えあって生きている。

と,見てきたような嘘を書いたその農村は,今どのような状態になっているか.
(この項続く)

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