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2017年4月23日 (日)

昭和の時代考証 (五)-2

 テレビ番組批評というのは書評と同じだ.本を読まずに書評は書けないし,観てもいないドラマの番組批評は書けないはずである.
 しかし亀和田武は,昨日の記事に書いたように,『ひよっこ』の筋書きを全く知らないのに週刊文春のコラム『テレビ健康診断 624回』に「一九六九年の奥茨城にじんわり『ひよっこ』」を書いた.
 普通の神経の持ち主なら恥ずかしくて連載コラムの執筆者から降りるところだが,亀和田に「そのコラム,間違ってますよ」と親切な指摘をしてやる読者はいないだろうから,これまでと同じに,これからも『テレビ健康診断』を書き続けていくのだろう.
 亀和田がトンチンカンな『ひよっこ』批評を書いたのは,頭の中に〈出稼ぎ=貧乏な村〉という幼稚な図式があるせいだと思われる.
 だから,みね子の父が出稼ぎに出たのは農協から借りた金を返済するためなのに,奥茨城村は貧乏な村だと決めつけてしまったのだ.
 たぶん亀和田武は,自分が生まれ育った北関東の風土に無関心なのだろうし,おまけに「出稼ぎ」という言葉を抽象的に知っているだけで,それがどんな地理的歴史的な意味を持っているかを知ろうともしないから,こんな恥を晒してしまったのである.

 それでは,Wikipedia【出稼ぎ】をみてみよう.

日本における出稼ぎ
日本における出稼ぎは、戦前は農村や山村などにおいて製炭などに従事する労働力を他村から受け入れることがあった。戦後の高度成長期 (1970年代まで) に顕著となり、主に東北地方や北陸・信越地方などの寒冷地方の農民が、冬季などの農閑期に首都圏をはじめとする都市部の建設現場などに働き口を求めて出稼ぎに行くことが多かった。出稼労働者の所得確保の一方で、高度成長に伴う旺盛な需要により労働者不足に悩む都市部への重要な供給源となった。また出稼ぎを題材にした映画や楽曲が多数作られた。(ああ野麦峠や吉幾三の津軽平野など)
新潟県出身の田中角栄が首相になると、出稼ぎをしなくても雪国で暮らせるようにしようにと日本列島改造論が唱えられ、全国で公共事業が増えた。その結果、出稼労働者は、1972年度の54万9千人をピークに次第に減少している。
2003年8月に独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した「出稼労働者就労実態調査票」によると、北海道、青森県、岩手県、秋田県、山形県、新潟県、石川県、兵庫県、長崎県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の12道県のハローワークが作成した「出稼労働者台帳」 (2003年3月末現在有効なもの) に記載された出稼労働者数は41,620人であった。
2010年度は1万5千人にまで減少し、出身地域別の内訳は、北海道32.0%、東北60.7%、九州・沖縄4.7%、その他2.6%である。
2011年度には送出地の北海道・青森・岩手・沖縄のハローワークに出稼労働者就労支援員 (送出地担当) が配置されていた。その目的は「地元における安定した就労を促進しつつ、やむを得ず出稼就労する者に対しては職業相談員によるきめ細やかな職業相談を実施するとともに、受入事業所の指導等を実施」することであり、2015年度も北海道・青森・岩手等に配置されている。

 上の記述に明記されているように,大規模な「出稼ぎ」は戦後の一時期に発生した現象である.
 戦前あるいはそれより以前のことについていうと,人間の移動が制限されていた江戸時代には珍しく富山藩主が薬売りを他領へ商売に出ることを奨励した例 (これは産業規模に成長した) とか,やはり江戸時代に全国各地に発生した職能集団「杜氏」が代表的であるが,これらは近代以降の「出稼ぎ」が単純労働力であったのとは質的に異なるものであった.
 明治以降では,ノンフィクション文学作品『あゝ野麦峠』を原作とする同名の映画 (Wikipedia【あゝ野麦峠(1979年の映画)】参照) によって広く知られたが,戦前に岐阜県飛騨地方の農家の娘たちが,野麦峠を越えて長野県の製糸工場へ働きに出た.明治の中頃には,全国に六百五十五あった器械製糸場のうち三百五十八工場が長野県に集中していたのである.彼女らは「出稼ぎ工女」と呼ばれたが,実際には,彼女らはいわゆる出稼ぎではなく製糸工場に就職したのであった.
 このような例について一つ一つ述べるのは省略するが,一般的な意味での「出稼ぎ」は季節労働 (Wikipedia【季節労働】) であった.上に示した Wikipedia【出稼ぎ】に,

戦後の高度成長期 (1970年代まで) に顕著となり、主に東北地方や北陸・信越地方などの寒冷地方の農民が、冬季などの農閑期に首都圏をはじめとする都市部の建設現場などに働き口を求めて出稼ぎに行くことが多かった。出稼労働者の所得確保の一方で、高度成長に伴う旺盛な需要により労働者不足に悩む都市部への重要な供給源となった。

とある通りである.
 冬でも積雪がないため園芸農業ができる地方は出稼ぎをする必要がなく,また出稼ぎにでる余裕はなかった.(例えばドラマ中の奥茨城村)
 しかし上の引用にあるように,東北,北陸,信越地方などの寒冷地方では冬は全くの農閑期になってしまうため,男手は出稼ぎに出て都市部における労働力となり得たのである.
 Wikipedia【出稼ぎ】に,2003年の出稼ぎ労働者の送り出し地方のハローワークとして

北海道、青森県、岩手県、秋田県、山形県、新潟県、石川県、兵庫県、長崎県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の12道県

が挙げられているが,これは高度成長期の職業安定所から継続しているのであろう.
 出身地域は北海道,東北,北陸でほとんどを占め,残りわずかが地元で労働力を吸収できない沖縄県からの労働者だったと考えられる.

 ところで Wikipedia【出稼ぎ】には,田中角栄の日本列島改造論に基づいて全国各地で公共事業が行われるようになり,出稼ぎが終焉を迎えたことは書かれているが,なぜ戦後の高度成長期に出稼ぎが甚だしくなったのかという前史は明記されていない.次はそれについて.
(この項続く)

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