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2017年3月13日 (月)

ビジネスマンが書く日本史とは (十)

 藤枝静男によれば,志賀直哉は昭和天皇を《天皇制の犠牲者として、自由にものを云うことを奪われた、残念ではあるが気が弱い、人間的には好い人》と見ていたという.
 しかし昭和五十年十月に行われた天皇記者会見は,このような昭和天皇観を木端微塵にした.
 藤枝静男が生涯の師と仰いだ志賀直哉は (のみならず多くの国民は),昭和天皇が作った虚像に騙されていたのだった.藤枝静男の怒りは,このことについての怒りであったろうと私は思う.
 記者会見に際して日本記者クラブ側は事前に質問事項を宮内庁に提出していたが,しかしそれ以外の質問ができないわけではなかった.TBSテレビ『報道の日 2015 ニッポン・ゼロからの70年』の中で日本記者クラブ関係者 (総務部・桂敬一氏) が述べているように,先の戦争に関する質問がなされることは不可避だと予想されていた.
 記者会見の当日,天皇と皇后の席に近い前列の記者席は,宮内庁記者会の記者十四人 (現在の宮内庁記者会は〈読売新聞社,朝日新聞社,毎日新聞社,産経新聞社,日本経済新聞社,東京新聞社(中日新聞社),北海道新聞社,共同通信社,時事通信社,日本放送協会,日本テレビ放送網,TBSテレビ,フジテレビジョン,テレビ朝日,テレビ東京〉の十五社であるが当時の構成を私は知らない) が占め,その後ろに,抽選で選ばれたその他の日本記者クラブ加盟二十七社が並んだ.残りは日本外国特派員協会五人と日本記者クラブ代表四人であった.(出典;『陛下、お尋ね申し上げます 記者会見全記録と人間天皇の軌跡』,文春文庫)
 宮内庁記者会と日本記者クラブ加盟社側が当たり障りのない質問を終えたあと,日本外国特派員協会の中村譲二記者 (ザ・タイムズ) が,以下のように戦争責任についての質問を行った.

陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるということですか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか。》 (出典;『陛下、お尋ね申し上げます 記者会見全記録と人間天皇の軌跡』,文春文庫)

 記者クラブ側が予想した通りの質問が出たのである.
 当然,昭和天皇と側近たちは,戦争責任に関する質問にどのように答えるかを事前に検討していたはずであるが,天皇の回答は次のように,報道各社も国民も唖然とするものであった.

そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。》 (出典同上)

 戦後もこの頃になると,昭和天皇が《天皇制の犠牲者として、自由にものを云うことを奪われた、残念ではあるが気が弱い、人間的には好い人》 (←志賀直哉の昭和天皇観) ではなく,戦争指導を行っていたことが国民に知られるようになっていた.
 ザ・タイムズ中村記者の質問は,昭和天皇の実像を問うものだったのである.
 しかし,昭和天皇が用意した答えは,質問者をせせら笑うような「戦争責任は言葉のアヤ」「戦争責任は文学方面のこと」だった.
 戦争責任というのは《言葉のアヤ》に過ぎない,実態の存在しないものだと言い切ったのであるが,その上さらに,言う必要もないのに,文学は言葉のアヤだと言ったのである.
 藤枝静男が,随筆ではなく文芸時評として昭和天皇批判を書いたのは,《言葉のアヤ》発言が文学を侮辱するものであったからだ.
 次に RCC中国放送の秋信記者が関連質問を行った.

陛下は、これまでに三度広島へお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、どうお受止めになりましたのでしょうか。

 この質問には,戦後の昭和天皇巡幸のときのように,広島の受けた災禍に対しては同情に耐えない,と答えれば何の問題もなかったろう.今後の広島県の発展を祈っているとでも言えばよかったのである.肩透かしのようではあっても,これに質問者が食い下がることは考えられなかったからである.
 ところが,昭和天皇は,それまで言わなかった文言をこの会見で加えた.

原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。

 この,原爆投下は《やむを得ないこと》発言が被爆者団体に与えた衝撃は大きかった.
 宮内庁に抗議した被爆者団体に対して,宇佐美宮内庁長官は釈明せざるを得なくなった.(以下は Wikipedia【宇佐美毅】 から引用)

1975年10月31日の日本記者クラブの際に昭和天皇が「この原子爆弾が投下されたことの対して遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから広島市民に対して気の毒であるが、やむをえないことと思います。」と述べた。この反響は大きく、抗議声明を出した広島県原水禁 (森滝市郎代表委員) に対し宇佐美は補足として『天皇が原爆投下を肯定する意味あいのご発言ではない。ご自身としてはそれを止めることが出来なかったことを遺憾に思われて、「やむを得なかった」のお言葉になったと思う。第二次大戦の犠牲となった人々、今なお原爆の災禍に苦しむ広島、長崎両市民に心を砕かれておられる両陛下のご真情を理解してほしい』と回答した。宮内庁は以後かなり取材などに対しては事前に厳しい措置をとるようになった。

 宇佐美長官の釈明《ご自身としてはそれを止めることが出来なかったことを遺憾に思われて、「やむを得なかった」のお言葉になった》は,「やむを得ない」の意味が普通ではない.日本語になっていない.ここはやはり《やむを得ないこと》発言は,昭和天皇の発言を素直に解釈し,うっかり本音を失言してしまったものと理解するのが妥当である.
(続く)

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