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2017年3月

2017年3月23日 (木)

シドモア桜

 先日 (3/18) のTBSテレビ『日立 世界 ふしぎ発見!』は《第1429回 花見が100倍楽しめる! 桜をめぐる物語 》を録画しておいたのを観た.
 いつもは楽しく鑑賞するだけであるが,今回の放送は「ほお~」と感心する内容だった.

 一つは,桜の名所として全国に知られる弘前公園では,公園内の桜に強い剪定を行い,これが大成功をおさめているという話.
 昔から「桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿」といい,桜は剪定してはならぬとされてきたことはよく知られている.
 これは,桜 (種類によりけりだとは思うが) が病害に弱く,剪定するとその切断面から木材腐朽菌が侵入し,やがて枯死するからであるという.
 ところが弘前公園では,県内に昔から蓄積されてきたリンゴ果樹栽培における剪定技術を適用して,桜にも剪定が可能なことを示した.というより,むしろ積極的に剪定すべきであるとしている.
 しかしこれは何処の桜名所でもできるというものではないだろう.桜の剪定には優れた技術者が必要だということが放送内容からも伝わって来た.
 ちなみに,弘前公園の桜に関する幾つものウェブサイトでは,桜に対してリンゴの剪定技術を適用したことを「桜もリンゴもバラ科であるから」としている.《第1429回 花見が100倍楽しめる! 桜をめぐる物語》でもそのように解説していた.
 しかしこれはおかしい.このように聞くと,サクラとリンゴが種として近い関係にあると思ってしまいそうだが,私たちに親しい多くの花木類,果実が食用になる樹木類は大抵バラ科なのである.
 だから「桜もリンゴのバラ科であるから」はいかにもアトヅケくさい.
 弘前公園の桜を剪定して成功したのは,他に何か理由があったか,あるいは偶然の大成功であったか,これは青森県の試験場とか弘前大学とかの関係機関が調査公表して欲しいところである.
 この疑問が「ほお~」の一つで,それもあって今年は弘前公園に観桜に行ってみたいと思った.

 もう一つは,ワシントンD.C. のポトマック河畔に桜並木を作ることを提案した人物として知られるエリザ・シドモア女史の業績がこの放送で紹介されたこと.
 彼女の生涯については,Wikipedia【エリザ・シドモア】Wikipedia【全米桜祭り】を併せ読むことであらかた理解できるが,Wikipedia に書かれていないのは,彼女の晩年である.
 Wikipedia がエリザ・シドモアの晩年について触れない理由は不明だが,彼女の逝去の四年前,米国議会が日本人の移民を禁止する「排日移民法」を通過させると,これに対する抗議の意を込めてワシントンを去り,スイスに移住したのであった.(これを「スイスに亡命した」と書いているサイトがあるが,嘘である)
 ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事であった彼女には,自由の国アメリカの狭量な変質が許せなかったのであろう.
 「ほお~」の二つ目だが,それはシドモア女史の名を冠した「シドモア桜」のことである.
 スイスでなくなったシドモア女史の墓は横浜の外人墓地にある.
 その墓の横に一本の桜が植えられている.これは,昭和五十六年 (1981年) に,財団法人日本さくらの会などによって,ポトマック河畔の桜から採られた苗木百本が日本に「里帰り」したのであるが,その中から横浜市に届けられた五本のうちの一本である (三本は枯死).
 この墓の横に植樹された桜をシドモア桜と呼ぶ人がいるが,この桜から接ぎ木で増やされた桜をシドモア桜というのであるとする人もいる.
 前者は横浜市港北区のサイトが典型.
 後者は,東京新聞の記事である.
 この記事に次のようにある.

二十五年前、横浜市職員として桜の里帰りに携わった樹木医の池本三郎さん(76)=港北区=は、シドモアが日米友好に尽くしたことを初めて知った。退職後の二〇〇一年、墓碑横の桜から枝を採取して増やした苗木を「シドモア桜」と名付け、全国に広める活動を始めた。

第1429回 花見が100倍楽しめる! 桜をめぐる物語》では後者の立場を取っていた.
 どちらが正しいのか私には何とも判断がつきかねるが,桜はそれほど樹齢が長い花樹ではないから,シドモア女史の墓の横の桜は,いつかは枯死する.
 であるとするならば,エリザ・シドモア女史の業績を後世に伝えていくのには,里帰りした桜の子孫を接ぎ木で増やして,これをシドモア桜と呼ぶのがよい考えであるように思われる.
 とまれ,日系移民を排除せんとする法の成立に抗議して祖国を捨てたシドモア女史の,日本に対する愛に思いをはせることのできた番組であった.

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2017年3月22日 (水)

玉石混淆NHK (1)

(現在旅行など多忙につき,連載中の記事の更新は明日以降になるが,以下はそれまでのツナギである m(__)m)

 NHKのEテレに『モーガン・フリーマン 時空を超えて』(毎週金曜放送) というシリーズ番組がある.
 同局ウェブサイトに掲載されている番組紹介は以下の通り.

ハリウッド映画でおなじみの俳優モーガン・フリーマンがエグゼクティブ・プロデューサーと案内役を務める、大人の知的エンターテインメント番組。一緒に未知の世界に挑みませんか?だれもが疑問に思っているけれど、だれも明確な答えは出せていないテーマについて第一線の研究者らが持論を展開。様々な角度から掘り下げます。目からウロコの説の数々…深く考え始めると眠れなくなるかも!?ようこそ、思考のワンダーランドへ!

 これだけでは皆目わからぬが,NHKが米国から買い付けたテレビ番組に日本語ナレーションを付けて,日本向けに編集したものと思われる.
 で,この一週間というもの極めて多忙でブログ更新ができなかった私であるが,忙中閑あり,先週の金曜日に放送された『時空を超えて』の再放送「宇宙は生きているのか?」を録画しておいたので,これを鑑賞した.
 ちなみに,この番組のサイトにある過去放送分の内容紹介は次の通りである.

3月17日金曜 午後10時00分~午後10時45分
「宇宙は生きているのか?」
宇宙はひとつの生命体なのか?心臓のように膨張と収縮を繰り返す、量子コンピュータでものを考える、ブラックホールで子孫を生むなど、奇想天外な諸説に科学的に迫る。
宇宙は「巨大な生命体」なのか?生命体に必要な心臓の鼓動に関しては、宇宙はニュートリノの力によって膨張と収縮を行っているという説もある。これは宇宙の心臓の鼓動のなのだろうか。また、ブラックホールによって新たな宇宙が生みだされているという説を紹介。また、宇宙は、巨大なコンピュータによる計算であり、生命はそこから生み出された偶然の産物だという説など、宇宙の謎に大胆に迫る。(2016年7月初回放送)

3月10日金曜 午後10時00分~午後10時45分
「パラレルワールドは存在するのか?」
今回のテーマは「パラレルワールド」。現実と同じような、もうひとつの世界は存在するのか?自分と同じような人間はいるのか?最新の科学がミクロとマクロの視点から迫る。
地球と違う運命の地球が存在する?自分の“コピー”が別の世界に生きている?私たちの住む宇宙以外に宇宙が存在する?衝突したら何が起こる?いわゆる「パラレルワールド」の存在の謎を解き明かそうとする学説を紹介。鍵を握るのは「粒子が複数の場所に同時に存在することが可能」だとする量子力学。小さいものが同時に存在することが可能なら、より大きな「人間」も「宇宙」も同時に存在しうるのか?(2016年5月初回放送)

3月3日金曜 午後10時00分~午後10時45分
「海は思考するのか?」
私たちは人間以外の知的生命体を宇宙に探し求めてきたが、実は私たちの住む地球上に存在する可能性がある。それは、広大な海。海は思考するのか、その可能性を探る。
ある科学者は、水の分子の動きを研究。シンクロの選手にたとえながら、水は生きていると言えるのかを探る。「代謝」に着目し、海を巨大な生命体と考える生物学者もいる。もし海にも免疫システムがあれば、生き延びようという意思の元に、きわめて恐ろしい事態が引き起こされる可能性を指摘する。海に潜むさまざまな謎と絶大な影響力を探る。

 先週の「宇宙は生きているのか?」を観ながら私は爆笑したので,なんだこのしょーもない番組は,と思ってNHKのEテレのサイトを覗いてみた.すると上のように書かれていたのである.
 上の引用を読めばもう十分であるが,紛れもなくこの番組は,いわゆるトンデモである.疑似科学以前のガラクタである.
 例えば,前々回放送「海は思考するのか?」の《ある科学者は、水の分子の動きを研究。シンクロの選手にたとえながら、水は生きていると言えるのかを探る》は,総理大臣夫人にして森友学園の元名誉校長である安倍昭恵氏の長年の友人である江本勝が書いた有名なトンデモ本『水からの伝言』と同じオカルト思想に立つものだ.安倍昭恵夫人は,教育者を騙る詐欺師だけでなく,オカルト分野のペテン師にも交友関係があるようだ.

 前回放送「パラレルワールドは存在するのか?」の《鍵を握るのは「粒子が複数の場所に同時に存在することが可能」だとする量子力学。小さいものが同時に存在することが可能なら、より大きな「人間」も「宇宙」も同時に存在しうるのか?》に至っては,量子力学と正反対の大嘘である.これは百年も前の古典的SFのアイデアである.(笑)

 そして先週の「宇宙は生きているのか?」では,デール・モール人工知能研究所 (スイス) のコンピューター科学者であるユルゲン・シュミットフーバー (日本語版 Wikipedia【多元宇宙論】に彼の名があり,英語版 Wikipedia へのリンクが設定されているが,英語版 Wikipedia を参照してもその名前の項目だけが立てられていて記述はない) が登場し,

自らを複製し,時と共に進化するものといった説明が一般的でしょう

と述べた.
 ここで私は大爆笑した.そんな定義は初めて聞いたからである.《といった説明が一般的でしょう》はどこから出てきたのだ.全く一般的ではない.

 「一般的な説明」はどうかというと,「生命とは何か」に関する思想的側面はさておいて,生物学上の生命観について,Wikipedia【生命】に次のようにある.

生物学における生命
……生命現象には様々な側面があるが、一般に生物学では、根本的な生命の定義に関わる部分は、その内部での物質交換と外部との物質のやりとり (代謝)、および同じ型の個体の再生産 (遺伝と生殖) にあると考えられている

 しかしこれは生命の性質を記述しているのであって,数学的な意味での「定義」ではない.
 だからそもそもこの「定義」に当てはまる存在があったとしても,その存在と,それが生命であるか否かということは無関係な問題である.その存在が生命であるかどうかは,「定義」との合致ではなく,科学的検証手段によって行われる.生命科学は言葉遊びではないのである.
 そしてこの Wikipedia【生命】の《生物学における生命》に書かれていない嘘を,シュミットフーバーは語った.それが

時と共に進化するものといった説明が一般的でしょう

の箇所である.
 後述するが,この部分はシュミットフーバーという人物が,進化の概念も理解していないことを示しているのである.
 このように,一見もっともらしい話の中に巧妙に嘘を混ぜるのが疑似科学だ.
 Wikipedia【多元宇宙論】におけるシュミットフーバーの名も,疑似科学の文脈で語られているのである.
(続く)

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2017年3月13日 (月)

ビジネスマンが書く日本史とは (十)

 藤枝静男によれば,志賀直哉は昭和天皇を《天皇制の犠牲者として、自由にものを云うことを奪われた、残念ではあるが気が弱い、人間的には好い人》と見ていたという.
 しかし昭和五十年十月に行われた天皇記者会見は,このような昭和天皇観を木端微塵にした.
 藤枝静男が生涯の師と仰いだ志賀直哉は (のみならず多くの国民は),昭和天皇が作った虚像に騙されていたのだった.藤枝静男の怒りは,このことについての怒りであったろうと私は思う.
 記者会見に際して日本記者クラブ側は事前に質問事項を宮内庁に提出していたが,しかしそれ以外の質問ができないわけではなかった.TBSテレビ『報道の日 2015 ニッポン・ゼロからの70年』の中で日本記者クラブ関係者 (総務部・桂敬一氏) が述べているように,先の戦争に関する質問がなされることは不可避だと予想されていた.
 記者会見の当日,天皇と皇后の席に近い前列の記者席は,宮内庁記者会の記者十四人 (現在の宮内庁記者会は〈読売新聞社,朝日新聞社,毎日新聞社,産経新聞社,日本経済新聞社,東京新聞社(中日新聞社),北海道新聞社,共同通信社,時事通信社,日本放送協会,日本テレビ放送網,TBSテレビ,フジテレビジョン,テレビ朝日,テレビ東京〉の十五社であるが当時の構成を私は知らない) が占め,その後ろに,抽選で選ばれたその他の日本記者クラブ加盟二十七社が並んだ.残りは日本外国特派員協会五人と日本記者クラブ代表四人であった.(出典;『陛下、お尋ね申し上げます 記者会見全記録と人間天皇の軌跡』,文春文庫)
 宮内庁記者会と日本記者クラブ加盟社側が当たり障りのない質問を終えたあと,日本外国特派員協会の中村譲二記者 (ザ・タイムズ) が,以下のように戦争責任についての質問を行った.

陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるということですか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか。》 (出典;『陛下、お尋ね申し上げます 記者会見全記録と人間天皇の軌跡』,文春文庫)

 記者クラブ側が予想した通りの質問が出たのである.
 当然,昭和天皇と側近たちは,戦争責任に関する質問にどのように答えるかを事前に検討していたはずであるが,天皇の回答は次のように,報道各社も国民も唖然とするものであった.

そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。》 (出典同上)

 戦後もこの頃になると,昭和天皇が《天皇制の犠牲者として、自由にものを云うことを奪われた、残念ではあるが気が弱い、人間的には好い人》 (←志賀直哉の昭和天皇観) ではなく,戦争指導を行っていたことが国民に知られるようになっていた.
 ザ・タイムズ中村記者の質問は,昭和天皇の実像を問うものだったのである.
 しかし,昭和天皇が用意した答えは,質問者をせせら笑うような「戦争責任は言葉のアヤ」「戦争責任は文学方面のこと」だった.
 戦争責任というのは《言葉のアヤ》に過ぎない,実態の存在しないものだと言い切ったのであるが,その上さらに,言う必要もないのに,文学は言葉のアヤだと言ったのである.
 藤枝静男が,随筆ではなく文芸時評として昭和天皇批判を書いたのは,《言葉のアヤ》発言が文学を侮辱するものであったからだ.
 次に RCC中国放送の秋信記者が関連質問を行った.

陛下は、これまでに三度広島へお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、どうお受止めになりましたのでしょうか。

 この質問には,戦後の昭和天皇巡幸のときのように,広島の受けた災禍に対しては同情に耐えない,と答えれば何の問題もなかったろう.今後の広島県の発展を祈っているとでも言えばよかったのである.肩透かしのようではあっても,これに質問者が食い下がることは考えられなかったからである.
 ところが,昭和天皇は,それまで言わなかった文言をこの会見で加えた.

原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。

 この,原爆投下は《やむを得ないこと》発言が被爆者団体に与えた衝撃は大きかった.
 宮内庁に抗議した被爆者団体に対して,宇佐美宮内庁長官は釈明せざるを得なくなった.(以下は Wikipedia【宇佐美毅】 から引用)

1975年10月31日の日本記者クラブの際に昭和天皇が「この原子爆弾が投下されたことの対して遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから広島市民に対して気の毒であるが、やむをえないことと思います。」と述べた。この反響は大きく、抗議声明を出した広島県原水禁 (森滝市郎代表委員) に対し宇佐美は補足として『天皇が原爆投下を肯定する意味あいのご発言ではない。ご自身としてはそれを止めることが出来なかったことを遺憾に思われて、「やむを得なかった」のお言葉になったと思う。第二次大戦の犠牲となった人々、今なお原爆の災禍に苦しむ広島、長崎両市民に心を砕かれておられる両陛下のご真情を理解してほしい』と回答した。宮内庁は以後かなり取材などに対しては事前に厳しい措置をとるようになった。

 宇佐美長官の釈明《ご自身としてはそれを止めることが出来なかったことを遺憾に思われて、「やむを得なかった」のお言葉になった》は,「やむを得ない」の意味が普通ではない.日本語になっていない.ここはやはり《やむを得ないこと》発言は,昭和天皇の発言を素直に解釈し,うっかり本音を失言してしまったものと理解するのが妥当である.
(続く)

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2017年3月11日 (土)

いじめ防止のために

 昨日放送されたNHK『15歳、故郷への旅 福島の子どもたち』の冒頭で,一人の少女がこう語った.

いじめ あってから なんか全部どうでもよくなって 一種の逃げなんですけど 別に逃げたって誰も怒んないですし いいですよね》 (ブログ筆者註;「いいですよね」は「逃げてもいいですよね」の意)

 先月の二日,政府は,今国会に提出する「福島復興再生特別措置法の改正案」に,東電福島第1原発の事故のために福島県から避難した子供へのいじめ防止を明記する方針を決めた.
 この法案に関連して復興庁が作成した予算関連法案資料「福島復興再生特別措置法の一部を改正する法律案について」に次のようにある.

〈5. その他の改正事項〉
  ……
  2. いじめ防止のための対策支援
    福島県内外へ避難している子どもに対するいじめへの対応が必要。
     → 避難している子どもに対するいじめの未然防止や早期発見、いじめへの対処 (心のケアを含む) のため、教育委員会や学校が行なう取組を支援する旨を法律に位置付け。

 この資料にある法案は,改正前の法第五十八条に下記の下線部を追加することで行われる.

第五十八条 国は、原子力災害による被害により福島の児童、生徒等が教育を受ける機会が妨げられることのないよう、福島の地方公共団体その他の者が行う学校施設の整備、教職員の配置、就学の援助、自然体験活動の促進、いじめの防止のための対策の実施その他の取組を支援するために必要な施策を講ずるものとする。

 この法改正で,福島県から避難してきた児童生徒に対するいじめが減るのだろうか.かなり難しいと私は思う.
 なぜなら,この法改正に基づいて行われる措置は予算措置だからである.残念ながら復興庁にはそれ以外のことはできない.
 言うまでもなく,いじめ防止に取り組むべきは復興庁ではなく文科省であるが,文科省所管の「いじめ防止対策推進法」が,東日本大震災の二年後にできたのにもかかわらず,以来,我々国民の目から見て全く効果を上げていないように見える.
「福島復興再生特別措置法」を改正する前に,「いじめ防止対策推進法」の見直しが必要なのではなかろうか.

 異論があるのを承知で言うが,いじめ撲滅のために決定的に重要なのは,教員の質である.
 自分の子がいじめられた私の実体験からすると,そして我が子がいじめられた親たちに,その通りだと肯定してもらえると信じるが,教員の中に「いじめは,いじめられる子に原因がある」という思想を持つ教員がいて,そのまた中に,教員自らいじめに積極的に加担する者がいるのである.
 ところが「いじめ防止対策推進法」は,いじめを「他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為」と定義している.
 教員のことは全く考えられていないのだ.
 教員による消極的いじめ,そして許しがたい積極的いじめ.これにどう対処するかを「いじめ防止対策推進法」に盛り込まぬ限りは,いじめ防止の実は上がらぬと私は思うのである.

 あとそれから,福島の子がいじめられるとき,いじめの口実に「放射能がうつる」というのがある.
 くわばたりえ の口調を借りれば,

〈テレビ番組で福島から避難してきた子のことばっかりやってると,さらに「福島の子に近づかんとこ」と思う.でもその反面、放射能はうつりませんと言われると,そうなんやと思うけど,でも「福島の子には近づかないひとの方が多いんや」と思うと「あ,じゃあ…」ってなる自分がいたりとか.〉

である.福島からの避難生徒児童に対するいじめは,福島県産品の風評被害と全く同じものなのである.すなわち福島県産品の風評を消極的にでも支持する者は,福島からの避難生徒児童を消極的にいじめるであろう.
 テレビに出演して福島県産品に関する風評を肯定してみせた くわばたりえ は三児の母である.自分の発言をはずかしいと思わぬのであろうか.

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2017年3月10日 (金)

炎上捏造メディア J-CAST

 昨日付けの J-CASTニュース (3/9 15:46) に《くわばたりえ「福島米食べてます、って言えない自分」 NHKで本音連発に複雑な反応 》が掲載された.

 上の記事にあるように,お笑いタレントの くわばたりえ は,東日本大震災による風評被害を特集したNHK『あさイチ』(3/8 放送) に出演し,彼女がそれまで日常的には消極的にであるが風評の流布に加担してきたとの趣旨の発言を行い,またこの発言によって くわばた は積極的な風評拡大者の立場に立った.
 J-CASTニュースの記事から,くわばた の発言を引用する.

さらにくわばたさんは、「どうしたら (福島産の米を) 何の躊躇もなく買えるのかな」との悩みを打ち明け、福島産食材が風評被害で「売れていない」ことを伝えるメディアの報道が問題なのではないか、という持論を次のように述べた。
「(テレビ番組で) そういうのばっかりやってると、さらに『食べんとこ』と思う。でもその反面、検査したら基準値は全然大丈夫ですって、そうなんやと思うけど、でも『食べない人の方が多いんや』と思うと、『あ、じゃあ...』ってなる自分がいたりとか」

 『あさイチ』は客観報道番組ではない.エンタメである.
 玉石混淆のNHKの番組のうち,視聴するに値するものは報道とドキュメンタリである.
 エンタメは,大河ドラマ時代劇と朝ドラをゴミ (時代考証がデタラメ) とするなら『あさイチ』はクズだ.(『あさイチ』のMCは,NHKに就職してテレビに出始めた当時はスポーツニュース担当だったが,高校受験程度の地名人名を誤読してばかりいて天下に恥を晒していた人物だった.それがいつの間にかMCだ.最近も日本語の誤りを笑われていたが)
 その『あさイチ』は,報道ではないから,客観性はない.番組制作責任者の意図に従って作られている.つまり,くわばた のような愚か者をわざわざ選んで出演させ,ギャラを払ってまで《メディアの報道が問題なのではないか》と語らせたのは,「風評被害の責任はメディアにある」が『あさイチ』制作責任者の意見であることを示している.

 言うまでもなく,福島県産品に風評被害が今も続いていることの責任は,まず第一にその風評を信じて福島県産品を敬遠している消費者にある.公共放送が,くわばたりえ のような主婦層にある程度の影響力を有するタレントを出演させて,風評被害の真の責任の所在を隠蔽し,責任をメディアの報道に押し付けたことに私は怒りを覚えるが,それはここでは横に置く.問題は,J-CASTニュースの次の記述である.

では、今回の意見について「当事者」である福島県内の生産者はどう考えるのか。福島県二本松市で野菜を生産している「二本松農園」の担当者は3月9日のJ-CASTニュースの取材に対し、
「くわばたさんの意見は率直だけど、そういう状況があることは確かです。むしろ、その意見を批判している人の方が、いま福島の農家が置かれている現状をあまり理解して頂けていないのかもしれません」と話す。

 これは事実だろうか.(反語的表現)
 捏造報道で知られる J-CASTニュースだから毎度のことではあるが,今回の記事には「またか」として見過ごせないものがある.
 数年前だったか,テレビの報道番組で J-CAST が取り上げられたことがある.テレビカメラに映された社内の様子は,二,三十人の若い連中がデスクに並び,身じろぎもせずひたすらPCの画面を眺めている異様な光景だった.
 この社員 (かどうかは保証の限りではなく,非正規雇用かも知れない.公表全従業員でもわずか四十三人である) たちが何をしているかというと,ネット上に流れるネタを集めて編集し,それをまたネットに流す作業をしているのであった.
 つまりどういうことかというと,J-CASTニュースはニュースの加工をしているのであって,事実を取材し,その結果に基づいて行われる客観報道とは無縁のサイトなのである.
 従って J-CASTニュースは必然的に,恣意的なニュース,捏造ニュースが多発する.
 Wikipedia【ジェイ・キャスト】を見てみよう.

特徴
コンテンツの特徴は、第一に“一・五次情報”である。 「一次情報」である新聞・ニュースをもとに、二次情報である週刊誌的な切り口で記事を作成する方法と称していおり、自らの調査報道は殆どないが、独自コンテンツもある。第二はインターネットから各種メディアまで幅広いソースのメディア・ウォッチである。一般のメディアが取り上げないような新聞や週刊誌のスクープ記事、テレビのワイドショー、ブログや2ちゃんねるなどネット上の「炎上」「祭り」も記事として取り上げている。 これらの特徴から、ミドルメディアと評されることもある。
基本的に取材は電話取材のみで運営は低コストである。当初は記者が3〜4人、コンテンツマネージメントシステムはMovable Typeを改良してスタートした。Movable Typeを大規模に使った実績が高く評価されており、記者会見オープン化の対象にも指定され、会見取材も行っている。

炎上メディア問題
J-CASTニュースは2ちゃんねるやブログをニュースソースとし、テレビのワイドショーの感想や、取材もせずにコピー・アンド・ペーストで軽いネタをそのまま報道する、“ゴミカスのようなメディア”という意味で「Jカス」、また、“炎上”している話題を報道して騒動を煽るメディアという意味で炎上メディアと呼ばれることもある。

 ここで上に挙げた引用

では、今回の意見について「当事者」である福島県内の生産者はどう考えるのか。福島県二本松市で野菜を生産している「二本松農園」の担当者は3月9日のJ-CASTニュースの取材に対し、
「くわばたさんの意見は率直だけど、そういう状況があることは確かです。むしろ、その意見を批判している人の方が、いま福島の農家が置かれている現状をあまり理解して頂けていないのかもしれません」と話す。

に戻ってみる.
 この文章は,風評を是認する くわばたりえ の発言を批判している人々,すなわち福島県産品を購入して福島県の生産者を応援している人々は《福島の農家が置かれている現状をあまり理解して》いないという意味である.
 そうだろうか.
 私は福島の農家が置かれている現状を理解しているから,福島県産品を通販で購入し,あるいは出かけて行って買い物をしているつもりだ.

 J-CASTニュースは 《福島の農家が置かれている現状を》理解していないからこそ,福島の産品を購入していると《「二本松農園」の担当者は》《J-CASTニュースの取材に対し》て話したというのである.
 《くわばたさんの意見は率直だけど、そういう状況があることは確かです》は,くわばた の発言は確かである,つまり福島県の産品の実態を知れば,福島の産品は買わないほうが正しいという意味である.
 だがしかし「うちの米や野菜は買わないほうがいいです」などと福島の生産者が言うわけがないではないか.仮にもし二本松農園関係者の発言が事実なら,金輪際誰も二本松農園から生産物を購入することはないからである.
 この引用箇所は,おそらく二本松農園関係者の発言を恣意的に切り取って福島県の生産者に対する反感を煽るものであり,J-CASTニュースによる明らかな捏造歪曲記事である.

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2017年3月 9日 (木)

ビジネスマンが書く日本史とは (九)

 藤枝静男は静岡県藤枝の人.明治四十年生まれであるが作家活動は戦後になってからである.文学雑誌『近代文学』を創刊した平野謙,本多秋五とは八高時代以来の友人であった.
 私はいわゆる団塊の世代の最後尾にいる人間 (昭和二十五年の早生まれ) だが,その私が昭和四十三年に大学に入った頃,理系の学生でも純文学をよく読んだものだ.
 明治大正時代の作家については,高校の教科書や副読本で,代表的作品にどんなものがあるかは知っていたが,昭和,それも戦後に登場した作家たちに関しては全く知識がないというのが実際のところであった.
 それなのに,大学に入って,生協の書籍部に行くと,棚に並べられたアンソロジーや全集,あるいは平台に積み上げられた新刊単行本はほとんど私たちが読んだことのない戦後派作家の作品なのであった.
 このような状況の中で,私たちは一体何をどのように読めばいいのか.それが皆目わからない私たちに飛ぶように売れたのが,昭和四十二年から四十四年にかけて學藝書林から出版されたアンソロジー『全集 現代文学の発見』(大岡昇平・平野謙・佐々木基一・埴谷雄高・花田清輝の五氏による編集) であった.
 私は,藤枝静男の名をこの全集の第10巻『証言としての文学』に収められた「イペリット眼」で知った.(現在も『証言としての文学』は復刻版が入手可能.また「イペリット眼」は『戦後占領期短篇小説コレクション 4 1949年 (4)』〈藤原書店刊〉にも入っている)
 しかし私は藤枝静男の作品にそれ以上触れることなく時が過ぎた.そして昭和五十年の秋,藤枝静男が東京新聞と中日新聞に掲載していた文芸時評で公然と昭和天皇批判をしたことを私は知った.昔のことで少し曖昧なのだが,本多秋五が朝日新聞に寄稿した文芸批評で藤枝の時評を紹介したのを読んだのであったと記憶している.
 この藤枝静男の天皇批判は,戦後生まれ世代に感銘を持って受け止められた.
 藤枝の文章に即しては,青木鐵夫というかたが管理運営されている《藤枝静男 Fujieda Shizuo 年譜・著作年表》と題した個人サイトに記述がある.
 このサイトに掲載されている《怒り (「藤枝静男のこと・ 15 」藤枝文学舎ニュース第 61 号/ 2007 年7月)》という文章に私は全く同感するので,同趣旨のことをここに繰り返すことはせず,この文章の中から注釈のために一部を引用するにとどめる.

藤枝はこの文芸時評に先立つ「文藝」七月号に、「志賀直哉・天皇・中野重治」を書いている。平野謙も高く評価したこの評論のなかで、志賀と中野の天皇観を藤枝は次のように解明している。
 「志賀氏が、天皇を天皇制の犠牲者として、自由にものを云うことを奪われた、残念ではあるが気が弱い、人間的には好い人と」「見ていたことは」「明白である。中野氏の『五尺の酒』を読めば」「あの繰り人形さながらの動作とテープ録音そっくりのセリフを棒たらに繰り返す天皇への憐れさへの何とも処理しがたい心持ちと焦立ちを」「描いていることもまた明白である」。

 この引用中の中野重治の言葉《あの繰り人形さながらの動作とテープ録音そっくりのセリフを棒たらに繰り返す天皇への憐れさへの何とも処理しがたい心持ちと焦立ちを》について少し補足しておかねばならない.
 というのは,現在,ウェブ上にある昭和天皇関連の動画で,昭和二十一年から昭和二十九年までに行われた昭和天皇の巡幸の様子を近接して撮影した画像はないと思われるのだが,中野重治の言葉は,その天皇巡幸の実態を書いたものであるからだ.
 昭和天皇は,巡幸先で日の丸を振って出迎えた国民群衆に対して,被っていた帽子を取り,肩あたりの高さで小さく二,三度振って応えた.これは探せば映像があるかも知れない(巡幸を撮影した映像は昭和三十年代のテレビの終戦懐古番組でよく流された) のだが,いつどこでもこの動作を機械的に繰り返した.その様子を中野重治は《あの繰り人形さながらの動作》と表現した.
 また昭和天皇は,巡幸に付き従った各県の要人たちが地方の状況について何を説明しても無表情に「あ,そう」としか言葉を発しなかったとされる.私はこのことを周囲の大人たちの話で聞いて知った.天皇のその様子を中野は《テープ録音そっくりのセリフを棒たらに繰り返す天皇》と書いたのであった.
 もちろん巡幸先の各地で,天皇のこの有様は国民に知れ渡ることとなり,「あ,そう」は昭和天皇を嘲笑する流行語の一つとなったのであった.
(続く)

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2017年3月 7日 (火)

ビジネスマンが書く日本史とは (八)

 前々稿《ビジネスマンが書く日本史とは (六) 》の終りに次のように書いた.

こうして国民の持つ昭和天皇のイメージが「平和を求めた悩める天皇」と「戦争指導者=大元帥」に分裂したとき,他ならぬ昭和天皇自身の口から,昭和天皇の本心が明らかになってしまった.
 それは,昭和天皇と皇后が米国訪問から帰国した昭和五十年十月三十一日,午後四時から約三十分間,初めての公式記者会見を行った時の天皇の発言であった.

 この昭和五十年十月に行われた天皇記者会見には,記者と昭和天皇の間で二件の重大な質疑応答があった.
 この重大な二件の質疑応答を両方とも撮影した記録映像は,数年前まではネット上にいくつも存在していたのであるが,私が検索した限りであるが,現在は次のウェブページ (動画投稿サイト Dailymotion) だけであるように思われる.他は二件のうちの片方 (広島への原爆投下に関する質問と答え) のみを記録したものである.

[動画タイトル]
昭和天皇初めての記者会見_ニッポン・ゼロからの70年

 この動画にはかなりややこしい事情があると考えられ,これを紹介するに際しては少し説明が必要と思われる.
 まず「報道の日」の説明から.
 Wikipedia【報道の日】にある記述は以下の通り.

『報道の日』(ほうどうのひ)とはTBS系列で、2011年より毎年12月下旬に生放送されている長時間報道特別番組である。

 この番組は過去に六回放送されている.第五回の内容を Wikipedia【報道の日】から引用する.

第5回『報道の日 2015 ニッポン・ゼロからの70年』
5回目にして初の単独構成。また、初めて日曜以外の放送となる。
司会:関口宏、雨宮塔子(フリーアナウンサー)
進行アシスタント:皆川玲奈(TBSアナウンサー)
ゲスト:恵俊彰、本上まなみ(女優)、岸井成格
JNNニュース(11:40 - 11:50) キャスター:蓮見孝之(TBSアナウンサー)
JNNニュース(17:10 - 17:30) キャスター:蓮見孝之・水野真裕美(共にTBSアナウンサー)
天気キャスター:河津真人(気象予報士)

 上に紹介した動画は,このTBSテレビの番組『報道の日 2015 ニッポン・ゼロからの70年』をそのままネットに上げたものである.
 テレビ番組を「正当な引用」として動画に編集使用することは,色々と複雑な問題はあるが,可能な行為であろう.
 しかしこの動画の投稿者が動画に付けたキャプションは極めて短いもので,しかも番組あるいは天皇記者会見に対するその人の意見は全く書かれていない.投稿者はこれで違法性を排除できると考えたようだが,常識的に考えて,これでは「正当な引用」とは認め難い.というか,「正当な引用」どころか,引用の体すらなしていない.
 つまりこの動画は著作権法違反の疑いが濃厚であり,TBSテレビに知られたら削除を求められること必至である.すなわち将来,リンク切れになる可能性がある.
 そのような問題がある動画ではあるが,この動画の中身であるTBSテレビの番組『報道の日 2015 ニッポン・ゼロからの70年』自体は,貴重な記録映像を放送したものであり,そのことを記したいがために,敢えてこの違法と思しき動画を紹介した次第である.

 さて本題に戻る.
 上述のように昭和五十年十月に行われた天皇記者会見では,記者たちと昭和天皇の間で二件の重大な質疑応答があった.その二件の質疑を,高橋紘著『陛下、お尋ね申し上げます 記者会見全記録と人間天皇の軌跡』(文春文庫;1988年3月10日 第一刷) から引用すれば次の通りである.(引用部分は《》内;ただし実際の発言そのままではなく,著者は言い回しを微妙に修正している.個人的意見としては,この本はレファレンスとして引用元になる可能性が高いので,会見における発言をそのまま記載して欲しかった)

(1).
中村譲二記者 (ザ・タイムズ) 《陛下は、ホワイトハウスの晩餐会の席上、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言をなさいましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるということですか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか。
天皇《そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
(2).
秋信利彦記者 (RCC中国放送) 《陛下は、これまでに三度広島へお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当たって、原子爆弾投下の事実を、どうお受止めになりましたのでしょうか。
天皇《原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。

 昭和天皇が本心を赤裸々にした上の発言に,日本国民の多くが呆然とする中,激怒の文章を公表した人物がいた.藤枝静男である.
(続く)

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2017年3月 6日 (月)

校閲のプロ

 一昨日放送の日本テレビ『世界一受けたい授業』に,校閲専門会社「鷗来堂」の代表役員である栁下恭平というかたが出演した.
 テレビドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』を監修したのはこの人であるという.

 その栁下氏の話の中に担々麺が出てきた際に,校長役の堺正章が,汁なし担々麺が好物だと言うと,栁下氏は次のように語った.

汁なし担々麺は,若干ちょっと校閲的には違和感を感じる表現であったりしてですね……

 つまり担々麺は,本来は汁なしであったのだから,わざわざ「汁なし」とことわるのは変だというわけである.
 それはそれでいいのだが,問題は栁下氏の発言中の《違和感を感じる》である.
 それを言うなら「違和感がある」「違和感を覚える」に決まっている.実際に上の《汁なし担々麺は……》の前に氏は一度「違和感」を使っていて,その時はちゃんと「違和感がある」と話した.
 これでわかるのは,プロの校閲者である栁下氏は,校閲のプロであるにもかかわらず,日常では無頓着に「違和感がある」と言ったり「違和感を感じる」と言ったりしているということである.

 付け加えると,栁下氏が《違和感を感じる表現》と言ったとき,画面には正しく《違和感がある》との文言が示されていた.日テレのスタッフが氏の発言を校閲したのであろう.栁下氏は恥をかいたわけであるが,校閲の実力は疑問符がつくけれども人物はおもしろそうなので,再登場が楽しみである.

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2017年3月 5日 (日)

藤沢 近江堂の団子

 藤沢駅の北口を出るとすぐにビックカメラのビルがあり,その横に「遊行通り」という道の入口があって,その先は藤沢橋交差点方向に続いている.
 ビックカメラのビルの東側,遊行通りに面して近江堂という和菓子屋さんがある.藤沢駅北口が現在のような姿に再開発されるずっと前からある古い店の一つだ.
 その近江堂に,先日の朝の十時少し過ぎ,銀行へ行く用事があったついでに何の気なしに入ってみた.この辺りは私が若かった頃からの馴染みの通りであるのに,どういうわけかこれまで近江堂に入ったことがなかったからである.
 それに,去年であったかテレビ東京で,人気のお笑いコンビ「さまぁ~ず」の二人が湘南を散歩するという番組があり,そのときに近江堂に立ち寄って菓子を買っていたのを思い出したこともあった.

 朝の十時過ぎに,開けたばかりの店に入り,壁際の棚と店内中央のテーブルに並べられた品をざっと見渡すと,この店の売り物は和菓子といっても高級な生菓子とか干菓子などではなく,いたって庶民的な菓子を商っているようだった.
 そして店の奥,入り口のドアの真正面にガラスの商品ケースがあり,大福や団子の類が置かれていた.直感的にこれはおいしそうだと感じられたので,粒餡の草餅と道明寺の桜餅を二つずつ注文した.
 ついでに「みたらし団子を三本ください」と言ったら「五本だとお得ですよ~」と言われたので,こうなりゃもう今日の飯は甘いものだと決めて,団子を五本買った.

 さてその日の昼飯と夕飯に,買ってきた餅と団子を食った.特にほめておきたいのだが,初めて買った近江堂の草餅は,蓬の香りが立っていておいしいものだった.蓬はもしかしたら今年採れたものかも知れない.
 余談だが,日本全国で食べられている草餅 (京都の生八つ橋や大宰府の梅ヶ枝餅など類似の菓子も含めて) は大変な量になるに違いない.それに使用する蓬も大量であろうと想像されるが,それは果たして自生しているのを採集したものだろうか,それとも畑で栽培したものであろうか.これについて Wikipedia には記載がない.
 調べがまだ行き届いていないのであるが,少なくとも回転焼きで知られる「御座候」のウェブサイトには,

「安全な原料を調達できないか?」
始まりは平成18年。もともと自生しているものが原料となることの多いよもぎでしたが、栽培工程のわかる安全な原料を調達できないものかと相談を受けたのがきっかけでした。
しかしよもぎは農作物として栽培されている事例がほとんどなく、何もかも手探りの状態で栽培に向けた調査、試験をスタートしました。

とあり,蓬は《自生しているものが原料となることの多い》こと,そして同社では原料蓬の一部を農家に栽培委託していることが書かれている.この記述からすると,おそらく個人商店の和菓子屋が使う蓬は,自生のものを地産地消しているのではないだろうか.

 で,その日の昼飯も夕飯も餅と団子を食ったのだが,食べきれないみたらし団子が二本余ってしまった.
 団子を入れてあるパッケージには「本日中にお召し上がりください」と書いたシールが貼ってあったが,すぐ腐敗するとかカビが生えるとかは考えにくいので,まあ大丈夫に違いないと食卓に置いておいた.
 翌日の昼,前日に食べ残したみたらし団子を食べて私は「おお」と感心した.
 というのは,前夜に食べたときにはちゃんと柔らかくおいしかった団子が,翌日にはデンプンが老化して明らかに固くなっていたからである.シールに「本日中にお召し上がりください」と書いてあった通りの品質であったから,「やるやるとは聞いていたがなかなかやるな近江堂」(←寛平ちゃんとか高田の純ちゃんが今でも言う半分死語化した昭和感溢れる台詞) というわけなのであった.

 近江堂の団子が,一日で味が落ちてしまったのに,私がなぜ感心したかというと,これが本来の団子だよな,と思ったからである.
 セブンやローソンはどうか知らないが,私の家の近くのファミマでは,山崎製パンの団子が定番になっている.
 ちなみに同社の商品情報ページをみると,

串団子 (たれ・あん・三色)
自慢のたれ・あん・三色、3本パックの団子
サッと程よく焼き目をつけた団子にとろりとしたタレをからめた「串団子 (たれ)」、あんの甘味がおいしいハーモニーを奏でる「串団子 (あん)」、彩りと香りのバラエティを楽しめる「串団子 (三色)」を取りそろえました。今日の好みで選んで、煎れたての緑茶といっしょに召し上がれ!

となっているが,実際に商品のパッケージに表示されている商品名は「串団子」ではなく「串だんご」である.ウェブを検索して調べてみたら,十年前の商品は包装にも「串団子」となっていたらしい.山崎製パンは,同社公式サイトを管理する部署の仕事が雑である.(笑)

 この団子については栄養成分表が掲載されているが,なぜか原材料表示が見当たらない.
 そこでパッケージに記載されている原材料表示を以下に示す.

原材料名/醤油だれ (砂糖、醤油、昆布だし)、上新粉 (うるち米(米国))、砂糖、トレハロース、ソルビット、加工デンプン、グリシン、pH調整剤、調味料 (アミノ酸等)、カラメル色素、酵素、(原材料の一部に卵、小麦を含む)

 ここに表示されている原材料のうちで,デンプンの老化を遅延させ,翌日翌々日になっても団子の柔らかさを維持させる効果を有するものというと,まずトレハロースである.(トレハロース製造者である林原のURL はここ)
 原材料表示からは判断できないのであるが,食品添加物である「加工デンプン」 (多種多様な性質と効果の製品がある) も老化防止の目的で添加されているかも知れない.
(話が横に逸れるが,「加工デンプン」は我が国の食品添加物界における恥部,食品業界の暗部である.これについては稿を改めて詳述する必要があると常々思っている)

 山崎製パンの団子には,上に示したように各種の食品添加物が用いられている.
 私は,このブログで度々書いているように,食品添加物すべてを頭から否定する一部のインチキ評論家が大嫌いである.
 なぜかというと,現在の私たちが謳歌している豊かな食生活に食品添加物は寄与していると考えているからだ.
 しかし,食品添加物全部を肯定しているのではない.私が肯定する食品添加物は,消費者にメリットがあるものに限る.
 例として,みたらし団子を考えてみよう.
 みたらし団子は,日々の食生活の必需品ではない,たまに食べればいい嗜好品だ.町に買い物に出たついでに,思いついて和菓子屋に寄って,買って帰ればいい,そういう食べ物である.
 包装に「本日中にお召し上がりください」と書いたシールが貼ってあるだろう.その通りに,その日のうちに食べればいい.そういう食べ物である.
 実際に近江堂の団子は,翌日は固くなってしまったが,当日中ならおいしかったのである.

 さあ,だとすれば,山崎製パンの「串だんご」に使用されているトレハロース (たぶん加工デンプンも) は,消費者にとって何の意味もない食品添加物ではなかろうか.
 然り.トレハロース以外にも,上述した表示に書かれているグリシンやpH調整剤などは,消費者のためではなく,山崎製パンの都合で使用されている食品添加物なのである.
 すなわち私の基準によれば,山崎製パンの団子は,消費者にメリットのない添加物を用いているのである.
 諸兄がお住いの町に和菓子屋がなければ仕方ないが,もし和菓子屋があるのなら,コンビニで団子を買わずに,その店で買おう.そしてその日のうちに食べよう,そのほうが旨いと私は断言する.きっと昔から人々が食べてきた団子の味がすると思うのである.

 終りにまたまた余談だが,後日の午前中に近江堂へ行き,豆大福を買った.開店直後に店頭に並べられたその大福は,実にとろけるが如くに柔らかった.
 これが時間経過と共に,食感がしっかりしてくる.そこで思ったのだが,十個くらい買って帰って一日中,二時間おきに豆大福を食い続け,その試験結果を基に「近江堂の大福はね,〇時に店に行って買うと旨いんだ」などと講釈を垂れてみたい今日この頃である.

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2017年3月 3日 (金)

スピリチュアル夫人

 もう十年以上前のことだが,我が国は団塊の世代の大量定年退職を迎えて,老後に四国のお遍路をすることがちょっとしたブームになった.
 NHKは四国遍路についての趣味講座を放送し,テキスト『四国八十八ケ所はじめてのお遍路』が出版されたほどであった.

 その当時,私もお遍路ブームに影響されて,般若心経を覚えようと思い立った.
 お経を覚えるにはどうしたらいいか.
 漢字で書かれ,読みかたも丁寧に解説された般若心経の本をそこら辺の本屋で買ってはみたものの,それだけでは音読できないことに気が付いた私は,般若心経を読経する人のための教則CDを amazon で取り寄せてみた.
 この教則CDで読経しているのは池口恵観という僧侶で,高野山真言宗大僧正にして百万枚護摩行を達成した大阿闍梨だとCDのパッケージに書かれていた.
 そんな素晴らしいCDで般若心経を勉強できることに喜びを覚えながらジャケットに書いてある説明を読むと,池口恵観大僧正は読経の速度を変えて何度も録音したとのことだった.
 確かに教則CDを再生して聴いてみると,最初はお馴染み「ギャーテーギャーテー……」という普通の読経であるが,二回目の読経は少し早口になった.そして三回目はもっと速く,という具合に次第に読経速度がアップし,何度目かの読経では,もう速すぎて何が何やらわからなかった.
 説明文によると,行者が修行で何万回も般若心経を読むとき,ゆっくり唱えていたのではとてものことに日が暮れてしまうので,人間技をはるかに超えた速度で読経するのであるらしい.
 「おお超速読経!」と深く感動した私は,池口恵観大僧正の読経をPCに取り込んで加工し,スローで再生してみた.
 すると,最初の読経速度では明解に聞き取れたのであるが,次の速度にアップすると所々に読み間違いのあることが聞き取れた.
 そしてさらに読経速度があがると,読み飛ばし読み間違いが増えてどんどんデタラメになり,最後はウーウー言っているだけなのであった.
 睡眠学習法というか,このCDを聴きながら眠ると心の平安が得られるという評判もあったが,もしそんなことをやったら,私の頭の中はデタラメウーウー状態になるところであった.
 こうして危ういところで難を逃れた私は,大僧正池口恵観大阿闍梨の般若心経超速CDをごみ箱に叩き込んだのであった.

 それからほどなくして週刊誌に,暴力団系大僧正である池口恵観が安倍晋三の師であるとの記事が掲載された.安倍は池口恵観の影響でいわゆるスピリチュアル方面に傾倒しているというのである.
 記事には,重大な政局に際しては,安倍晋三は池口恵観の指導を受けているとも書かれていた.
 もしかすると安倍晋三は池口CDで睡眠学習しているかも知れぬと,私は日本の将来に暗雲が垂れこめる気配を感じた.

 さて現在,園児に愛国行進曲を合唱させるという奇想天外な幼稚園の教育方針に感激し,賛同してその系列小学校の名誉校長の座に就こうとしたが夫に怒られて断念し,テレビや週刊誌で嘲笑されている天下の大悪妻安倍昭恵であるが,この人のスピリチュアル (Wikipedia【スピリチュアリティ】) への傾倒もよく知られている.どうやら似た者夫婦であるらしい.
 このいわゆるスピリチュアルであるが,霊感詐欺師 霊能者と称する著名人たち,例えば細木数子,江原啓之,美輪明宏らを,テレビとかネット上の画像で近影注視すると,私は彼らの全身から邪悪なオーラが放射されているのをまざまざと感じることができるのである.ヾ(--;) おいおい

 だがしかし私の心眼で観察するに,安倍昭恵からは邪悪なオーラは発せられていない.ただ単に知的水準に問題があるので詐欺師に騙されやすいだけであると思われる.ヾ(--;) こらこら

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2017年3月 2日 (木)

栞子さんの引退

 一年前の二月,私は鎌倉の長谷寺に散歩に出かけた.
 長谷寺の境内にある茶店「海光庵」で,大きな窓の遠くにきらきら光る鎌倉の海を眺めながら,昼から独酌するのが好きなのである.(《長谷寺の花 》)
 私はその日,海光庵で腹を満たしたあと長谷寺から鎌倉文学館に寄ったのであるが,そうしたら思いがけず「『ビブリア古書堂の事件手帖』イラスト原画展」をやっていたので,そのことをこの日の記事に綴った.

『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズは,ライトノベルデビューは早かったものの,あまりぱっとしなかった三上延の出世作である.
 Wikipedia【ビブリア古書堂の事件手帖】から少し引用する.

社会的評価
2012年1月、発行部数がシリーズ累計103万部となり、メディアワークス文庫で初のミリオンセラー作品となった。
累計発行部数は2012年4月時点で200万部、第3巻が発売された同年6月時点で300万部を突破した。2012年の文庫部門総合ベストセラー第1位(トーハン調べ)で、2013年2月発売の4巻の初版発行部数が80万部であり、累計は600万部をこえた。
受賞や書評雑誌によるランキングとしては、第65回日本推理作家協会賞(2012年)短編部門に「足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)」(第2巻収録)がノミネート、2011年度本の雑誌が選ぶ文庫ベストテン第1位に選ばれた。
2012年には本屋大賞にノミネートされた。文庫本のノミネートは初。また、同じく書籍関係者である図書館員が「来館者に手に取ってもらいたい本」を選ぶ「TRCスタッフが選んだ本2012」(図書館流通センターによる企画)では、第1巻が文庫部門の1位となった。

 私はビブリア古書堂シリーズの第一作が書店の店頭に並べられたときに,表紙を見ただけで買って,それ以来の読者である.直感で,これはおもしろそうだと思ったのである.
 この本が,それまでのライトノベル読者層を大きく離れて,私のように「おもしろそうだ」と多くの一般読者を引き付けたのは,表紙とカラー挿絵を描いた越島はぐのキャラクター造形力によるところが大きいと思われる.
『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズのファンが持っているヒロイン篠川栞子のイメージは,越島はぐがイラストに描いた栞子そのものであり,それ以外ではないことは,栞子ファンたちがネット上に書いた記事で明らかであった.
 越島はぐの描いた栞子イメージの訴求力があまりにも強かったせいで割を食ったのが,剛力彩芽さんだった.
 彼女はフジテレビ系列で連続テレビドラマ化された『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズのヒロインに抜擢されたのだが,彼女は言うまでもない超美貌ではあるけれど,しかし越島はぐの栞子イメージからかなり遠かったため,二次元美少女ヲタ層から強い反発を受けたのだった.
 結局このドラマは,キャスティングも脚本も原作から遠く離れたものであったために,原作ファンから非難を受けたただけに終わり視聴率的には惨敗したのであった.

 それじゃあ誰が栞子役だったらよかったのか.
 栞子が背中まで伸ばした黒髪 (ここが剛力彩芽さんに対するブーイングの主なものであった) であること,メガネが似合う控えめな美貌であることから,それは堀北真希さんしかないと言われた.誰が言ったかというと私だ.
 先月末に,『ビブリア古書堂の事件手帖 7 ~栞子さんと果てない舞台~』が刊行されて,シリーズは遂に完結した.
 そして昨日,堀北真希さんが芸能界引退を発表した.
 ビブリア古書堂シリーズは,作者がスピンオフ作品をこれからも書き続けると言明しているので,ファンはその点は喜んでいいが,しかしもはや堀北栞子を観ることはできなくなったわけで,これはまことに残念であるなあ.

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2017年3月 1日 (水)

ビジネスマンが書く日本史とは (七)

 前稿《ビジネスマンが書く日本史とは (六) 》に以下のように書いた.これについて少し補足しておきたい.

それ以来,戦地から復員した下級の兵たちは昭和天皇に背を向け,天皇を「天ちゃん」と呼んで軽侮するようになった.

 補足したいのはこの「天ちゃん」という言葉についてである.
 Wikipedia に【天ちゃん】という項目は立てられていないが,Wikipedia【ノート:天ちゃん】は存在する.
 このノートで何人もの Wikipedia 執筆者たちが議論をしているが,明らかにこの人たちは,日常生活で「天ちゃん」が使われているシーンを見たことも聞いたこともない若い人たちである.
 その人たちが「天ちゃん」は蔑称か否か,などと議論しているのだが,それは全く無意味である.想像でああだこうだと言っている暇があったら年寄り (といっても戦中生まれにまで遡る必要はなく,昭和二十年代生まれ程度の年寄りでよろしい) に訊きに行けばいいのだ.
「天ちゃん」は日常生活で頻出する口語ではあったが,しかし依然として日本社会では昭和天皇あるいは天皇制に触れることはタブーであったため,文字として残らなかった.つまり用例が残っていないのである.
 Wikipedia【ノート:天ちゃん】に,次のようにある.

「天ちゃん」が愛称か蔑称かについて 半藤一利著「コンビの研究」文春文庫の中で、杉山元帥が昭和天皇を天ちゃんと呼んでます。誰よりも忠実であった元帥が天ちゃんと呼ぶぐらいですから、愛称であると考えてよいかと。

 またも出ました半藤一利.戦後の復員兵たちが昭和天皇に対して用いた蔑称「天ちゃん」を愛称であるかのように昭和史を改竄しているようだが,呆れたものだ.

ただ、皇室制度を強く支持し、昭和天皇を深く敬愛していることで有名な作家の阿川弘之氏の作品にも"天ちゃん"という単語が登場します。(内容は、「天皇絶対」を口にする陸軍がしばし、(昭和)天皇の思いを無視して暴走するのに対し、『天ちゃん』と軽口を叩く海軍は、天皇の意に添う振舞いをしているという趣旨だったと思います)。たしか『軍艦長門の生涯』だったと思います。

 阿川弘之『軍艦長門の生涯』は未読なので何とも言えぬが,海軍将校が愛称的に「天ちゃん」と言うことがあったとしても,それは戦後の庶民が口にした「天ちゃん」とは意味用法が異なる.一般的に戦後使われた「天ちゃん」は身勝手で無責任な昭和天皇に対する蔑称だったのである.

 先の戦争が敗戦となり,兵たちが復員してくると,一部に激しい反天皇の気運が盛り上がった.(これは,反昭和天皇であって,反天皇制ではなかったことを指摘しておかねばならない)
 そのことの例としてよく持ち出されたのが「プラカード事件」であった.
 Wikipedia【プラカード事件】はこの事件に関する訴訟のことしか書かれていないが,法曹家以外の人にとっては裁判のことは大した問題ではない.
 この事件が全国津々浦々にまで知れ渡ったのは,昭和二十一年 (1946年) 五月月十九日のいわゆる「食糧メーデー」に参加した日本共産党員松島松太郎がプラカードに書いた「ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」の文言によってであった.

Mayday_for_food_supplies_in_japan_0
(Wikipedia【プラカード事件】から引用;
パブリックドメイン画像である)


 この文言は「国体はゴジされたぞ」「朕はタラフク食ってるぞ」「ナンジ人民 飢えて死ね」などと断片化して使われることはあったが,しかし「天ちゃん」と並んで,戦後の庶民が誰でも知っているところの,昭和天皇を侮蔑する言葉であり続けたのである.
 以上が「天ちゃん」に関する追加説明である.
(続く)

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