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2017年2月 6日 (月)

いじめを肯定する文学

 風邪を引いて熱っぽいところへ持ってきて,腰を痛めてしまった.
 朝目が覚めてベツドから出ようとした途端に「うっ」と声がでた.私は夜中に一度も寝返りを打たず,寝入ったままの姿勢でいる (目撃者談) ので,こういう人間は腰を痛めやすいのだと聞く.そういう知識はあるのだが,寝起きの頭では知識なんか役に立たないのである.

 テレビの情報番組で例えば「腰痛治療最前線」なんてタイトルの番組を観ると,原因不明の腰痛というのがある (そもそも腰痛の大半は原因不明なんだとテレビは言う) ようだが,私の腰も明らかな病変はないと,一年以上前に治療に通った整形外科医は言った.
 それで「牽引」とか「デンキ」とかいう怪しげな治療を受けたが良くならず,毎日が激痛というわけでもないので,今はほったらかしにしている.

 それはそれとして,風邪と腰痛では横になって読書するしかない.
 今,枕頭に積み上げてある本は以下の通り.

差し入れの週刊文春(2/9号)
『最古の文字なのか?』(ジェネビーブ v. ペッツィンガー,文藝春秋)
『人類進化の謎を解き明かす』(ロビン・ダンバー,インターシフト)
『科学vsキリスト教 世界史の転換』(岡崎勝世,講談社現代新書)
『がん消滅の罠 完全寛解の謎』(岩木一麻,宝島社)
『邪馬台国は熊本にあった!』(伊藤雅文,扶桑社新書)

『最古の文字なのか?』は,半分程読んだところまでで意味不明な箇所が二ヶ所あった.これは著者に責任があるのか,あるいは翻訳の間違いなのかはわからない.

『人類進化の謎を解き明かす』は,『最古の文字なのか?』の著者が参考書として挙げている書籍.まだ読み始めていないが,有名な本らしい.

 トランプ大統領を選んだ米国は今後暫くの間,平等よりも差別を,平和よりも戦争を,理性よりも反知性を掲げていくわけだが,その根底にあるキリスト教世界観について勉強してみようと『科学vsキリスト教 世界史の転換』購入した.
 実はこの本の前に,佐藤優と中村うさぎ共著『聖書を語る』と『聖書を読む』(いずれも文春文庫) を読了済み.キリスト教擁護の思想的立場に立つ評論家佐藤優 (カルヴァン派) に対する,反キリスト教の中村うさぎ (かつてバプテスト派の教徒であったという) の発言がおもしろい.キリスト教が世界史的に何をやってきたのかを佐藤優が全く語らないことに私は驚いた.

『がん消滅の罠 完全寛解の謎』は第15回『このミステリーがすごい!』大賞の受賞作.頗る評判がよいが,まだ読み始めたばかり.

『邪馬台国は熊本にあった!』は,買ったから読むけど,どうでもいいやという投げやりな態度で読んでいる.毎日の朝,起きるとベッドの下に落ちている.

 差し入れしてもらった週刊文春(2/9号) の『文春図書館 今週の必読』は,住野よる著『よるのばけもの』(双葉社) である.
 評者は彩瀬まるという作家.
 評言から一部引用しよう.

いじめをテーマとする多くの作品では、よくいじめの被害者が際立ったキャラクターとして描かれる。いじめを受けてもおかしくないであろう存在として、読者を納得させるなんらかの特性が付与されるのだ。本作においても、いじめを受けている矢野はおそらく吃音症で、唐突に人を傷つけ、いつもにんまりと不気味に笑っている。安達を含めた他のクラスメイトは彼女を理解の出来ない異物として遠巻きにしている。

 今時,まともな常識ある社会人は純文学なんぞ読むことはなかろうが,読書する人々に見捨てられて久しい純文学業界が,今やこれ程まで酷いことになっていたのかと,私は驚いた.

 私は『よるのばけもの』を読んでいないから,彩瀬まるの評言が大嘘ではないという前提で書くが,《いじめをテーマとする多くの作品では、よくいじめの被害者が際立ったキャラクターとして描かれる。いじめを受けてもおかしくないであろう存在として、読者を納得させるなんらかの特性が付与されるのだ》は本当か.

 今の純文学では,いじめの被害者が《いじめを受けてもおかしくないであろう存在》として描かれるというのは本当か.
 それはまるで,「いじめられるのは,いじめられる側に問題があるのです」と放言して憚らぬ小中学校教員たちの言い分そのままではないか.

 原発事故で福島から避難している生徒を,「奴隷」「菌」「福島さん」と呼んでいじめをやっていた生徒と教員は,いじめられた生徒を《いじめを受けてもおかしくないであろう存在》としていたわけであるが,いじめられる生徒を《唐突に人を傷つけ、いつもにんまりと不気味に笑っている》として描く『よるのばけもの』を高く評価している評者彩瀬まるは,要するに原発事故被災者には,いじめられるべき《なんらかの特性が付与》されているのだと言っているのである.

 原発事故被災者であることが,いじめられても仕方ない《読者を納得させるなんらかの特性》であるなどとは,まともな人間の言うことではない.
 繰り返すが,今時,まともな常識ある社会人は純文学なんぞ読む必要はない.かつての純文学は私たちが生きている現実と切り結ぶものであったから,青年たちは懐が寂しくても腹が減っても,生きる糧のごとくにして純文学を読んだものだが,今時の作家である住野よるも彩瀬まるも,世の中で起きていることに興味関心はないのであろう.いじめられる生徒像として《おそらく吃音症で、唐突に人を傷つけ、いつもにんまりと不気味に笑っている》としか設定できない連中に用はない.
 ちなみに住野よるの短編作品名を Wikipedia から以下に引用列記する.

「か、く。し!ご?と」(『小説新潮』2015年9月号)
「か/く\し=ご*と」(『小説新潮』2015年12月号)
「か1く2し3ご4と」  (『小説新潮』2016年2月号)
「か♠く♢し♣ご♡と」  (『小説新潮』2016年4月号)
「か→く↓し←ご↑と」(『小説新潮』2016年6月号)

 これが文学の退廃でなくて何だろうか.

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