『下町の太陽』の時代
先月書いた記事《汚い歌詞 》で,倍賞千恵子のヒット曲『下町の太陽』(昭和三十六年) の曲名だけ書いて,これを映画化した作品には触れなかった.
映画の制作年は,昭和三十八年.山田洋次監督の二作目の作品である.
私のようなアラウンド七十歳の爺さんたちには,いわゆるサユリストが多いのであるが,映画女優としてはヒット作に恵まれなかった吉永小百合よりも,『男はつらいよ』のさくら役がライフワークとなった倍賞千恵子の方に同時代の伴走者感があるのではなかろうか.
映画『下町の太陽』は,今にして思えばいかにも山田洋次監督作品であり,当時の日活の青春歌謡映画とは一線を画する作品であった.
ただし,今入手できる本作のDVDは,テレビのアスペクト比に合わせて画面の上下が大きくカットされてしまっているので,映画作品としての昭和感は損なわれてしまっている.
ではあるけれど,私たちが『ALWAYS 三丁目の夕日』に感じる「記憶の改竄」はないのがとてもいい.倍賞千恵子ファンは必見.
(Wikipedia【ALWAYS 三丁目の夕日】はこの点について《山崎貴監督によると、当時の現実的情景の再現以上に、人々の記憶や心に存在しているイメージ的情景の再生を重視したようである》と婉曲に表現しているが,あからさまに言えばこれは意図的に「記憶の改竄」をしたものであり,この嘘臭い映画の「昭和」にはリアリティがないと批評家が指摘する通りである)
さて本作の導入部で,ヒロイン寺島町子 (倍賞千恵子) の弟の健二とその仲間が鉄道模型の万引き事件を起こす.
健二の身柄を引き受けに警察へ町子が行くと,少年たちの取り調べをしていた刑事が町子に言う.
刑事「お父さんの収入はどれくらい?」
町子「二万八千円か九千円です」
刑事「それであんたが働いて家計を助けてるんだね」
町子「はい」
刑事「それじゃさほど困るということはないね」
町子の父親は五十歳くらいのようで,給料が三万円に満たない.
町子はどうかと推測すると,映画制作年である昭和三十八年の国家公務員初任給が一万七千百円であるから,女工 (広辞苑《工場で働く女子労働者。女子工員。》) の町子は月給一万円程であろうか.
家計収入は二人合計で約四万円で,これなら刑事の台詞「それじゃさほど困るということはないね」の通りであろう.
実はこの映画の頃,私の父親 (刑務官) の給料は三万円ちょっとだったような記憶がある.我が家の五人家族で三万円ちょっとの収入というのは,かなり貧しい部類であり,そのため私と姉弟のうち,大学に進学したのは私だけであった.
姉は高校の成績優秀であったが,家計を助けるために高卒で就職した.姉がもし大学に進学していたら,彼女には別の人生が開けていたはずで,映画『下町の太陽』を観ながら,少し苦いものが思い出に混じった.
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