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2017年2月23日 (木)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (二)

 境内から坂道の舗装道路に出てすぐ,石窯ガーデンテラスの敷地入口になる.
 道路と洋館のレストラン建屋のあいだのスペースは,広いオープンカフェになっている.

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 ここで御年配の三人の人がアウトドア用の折り畳み椅子に腰かけて水彩の絵筆を走らせていた.ここから見た石窯ガーデンテラス洋館の玄関がちょっと「絵になる」からであろう.ちらと皆さんの描きかけの絵を見ると,揃ってなかなかの腕前のようであった.

20170223b

 玄関ドアを開けて中に入るとレジカウンターがあり,係の女性に「一人です」と告げると,店内の席とテラスのテーブルとどちらがいいですかと訊かれた.私は迷わずテラスがいいと答えた.この日はそれくらいよい陽気だったのである.
 案内されたテラススペースには,小さな庭に面して (その向こうにはイングリッシュガーデンがある) ゆったりと四人掛けテーブルが十席ほど並べられている.テーブルも椅子も,元はオイルフィニッシュだったのかウレタン塗料か何かで塗装してあったのか,全く判別できないくらいに風化して,いい雰囲気である.

 まぶしいくらいの日差しのテラスで席に着き,脱いだ上着とバッグを椅子に置いてメニュを開くと,献立は二種類だった.
 一つは「ガーデンコース」といい,メインディッシュに肉か魚の料理を選び,これに前菜とパン,コーヒーとデザートが付くもの.
 もう一つの献立は「パスタコース」で,いくつかのパスタから一皿を選び,これに同じく前菜とパン,コーヒーとデザートが付くものである.
 パスタコースは炭水化物定食の趣があるので,ガーデンコースを食べようと思い,メインディッシュには鴨のローストを選んだ.(おそらくメインディッシュは月替わりで季節の料理になるのだろうが,同レストランの公式サイトに掲載されているメニュは更新されていない)

 ほどなく前菜と,バスケットに入れられたパンが二つ,席に届けられた.配膳係のお嬢さんから前菜の説明は受けたのだが,忘れた.スープはサツマイモのポタージュで,あとは鶏のホイル焼きとエビのフリッター.それぞれにソースがかけてあるのだが,そのソース名を忘れたのである.

 パンは自家製で,というよりパンがこのレストランのウリのようで,公式サイトには次のように書いてある.

石窯ガーデンテラスのパンの特徴
 ホップ種を使用しています
 ホップ種は、野生のイースト菌をうまく取り込みゆっくり時間をかけて酸味と苦みをマイルドにし、奥深い味を作り出します。毎日の自然環境がその日その日の味を作り出します。酵母と作り手が強調しながら時間をかけて、小麦の甘みとホップの酸味を引き出し、素朴で存在感のあるパンを作ります。

 パンとは何かを一口で言うのは難しい.歴史的にも地理的にも,色んなパンがあるからだ.
 Wikipedia【パン】を見てみよう.

基本的に、小麦粉やライ麦粉などに水・酵母 (イースト) を加えてパン生地 (en:dough ドウ) にし、それを焼いた食品を指す。発酵のための酵母と糖類 (砂糖など) をセットで加えることも一般的である。なお、出芽酵母を入れずに生地をつくるパンもあり、これを「無発酵パン」や「種なしパン」などと言う (その場合、出芽酵母で発酵させてから焼いたパンのほうは「発酵パン」と言う。)。無発酵パンとしては、生地を薄くのばして焼くパンがあり、アフリカ・中東からインドまでの一帯でさかんに食べられている。なお、生地を発酵させるのは主として気泡を生じさせ膨張させるためであるが、出芽酵母で時間をかけて気泡を生じさせる代わりに、ベーキングパウダーや重曹を加えることで簡便に気泡を生じさせるものもある。

 この定義のような説明について書く前に,歴史的なことを調べておく.
 終末期旧石器時代 (Wikipedia【亜旧石器時代】) に現在のシリア辺りでは気候の乾燥化によって野生のムギ類が減少したため,それまで食糧を採集に依存していた人々は農耕を始めたとされている.野生種から栽培種が選抜されたのである.(Wikipedia【テル・アブ・フレイラ】(現在から一万年ほど前のメソポタミア考古遺跡) を参照)
 この頃は,遺跡からの出土品から,麦を粉に挽いて粥にした食べていたと思われる.
 この時代から三千年ほど後の現在のトルコ共和国辺りでは,グルテンの多いパン小麦が栽培されていたようである.
 さらに時代が紀元前3700-3600年くらいになると,醗酵させた麦粥を焼いたものがスイスのトゥワン遺跡から出土している.
 この点について Wikipedia【パン】には矛盾したことが記載されていて,

トゥワン遺跡 (スイス) の下層 (紀元前3830-3760) からは「人為的に発酵させた粥」が発見され、中層 (紀元前3700-3600) からは「灰の下で焼いたパン」と「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されている。粥状のものを数日放置すると、自然の出芽酵母菌や乳酸菌がとりつき、自然発酵をはじめ、サワードウができる。当初これは腐ったものとして捨てられていたが、捨てずに焼いたものが食べられるだけでなく、軟らかくなることに気付いたことから、現代につながる発酵パンの製法が発見されたと考えられている。

としておきながら,これにすぐ続いて次のようなことを記している.

パンは当初、大麦から作られることが多かったが、しだいに小麦でつくられることのほうが多くなった。古代エジプトではパンが盛んに作られており、給料や税金もパンによって支払われていた。発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである。

 古代エジプトは,トゥワン遺跡よりも数百年,時代が下る.
 醗酵パンが生まれたのは欧州内陸部なのか,エジプトなのか.
 実を言うと,Wikipedia【パン】のこの記述矛盾には,この原稿を書き始めてから気が付いた.私は古代エジプトが醗酵パン発祥の地だと思っていたのだが,どうなんだろう.
 学術的にはどうなのかを知るために急遽,いささか古い本だが舟田詠子著『パンの文化史』(朝日選書,1998;講談社学術文庫,2013) を注文して確認することにした.食文化に関する書物には時としてトンデモ本があるのだが,講談社学術文庫のブランドを信用しようというのである.
(続く)

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