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2017年2月27日 (月)

フクシマ 医療チームの闘い

 昨日 (2/26 午前10時05分~10時53分) 放送されたNHK《証言記録 東日本大震災「福島県 見えない恐怖の中で~緊急被ばく医療の戦いから」》に登場された医療関係者のかたがたの証言に私は感動した.
 番組の紹介サイトに次のようにある.

東京電力福島第一原発の事故直後、避難した周辺の住民。放射能を浴びて避難所に隔離された人たちの中には、衰弱して亡くなる入院患者などもいた。彼らを救うため広島や長崎の大学病院などから、緊急被ばく医療チームが駆けつけた。放射線の専門家たちは災害弱者をどのように救ったのか。そして迎えた原発事故最大の危機。最悪の事態が想定される中で繰り広げられた瀬戸際の対策とは?見えない放射線と闘った医師たちの証言でつづる。

 忘れもせぬあの時,枝野官房長官の言葉によれば「念のために」として福島第一原発周辺の住民たちは緊急避難を開始したが,しかし避難を要する地域はさらに「念のために」拡大をしていった.
 それでも健康な人々は混乱の中でも粛々と避難をしていったが,問題は病院等にいた患者や老人たちであった.
 出動した DMAT (Disaster Medical Assistance Team =災害派遣医療チーム) によって患者たちの多くは福島県立医大に運ばれ,福島県医大の医師たちは不眠不休の活動を開始したが,緊急医療に対処した医師たちは,被爆医療の知識をあまり有していなかった.
 しかも全国から集結した DMAT はあくまで初動部隊であるため,災害発生から四十八時間が経過すると被災地から撤退することになっている.
 DMAT の撤収後はどうしたらいいのか.
 そしてさらに,避難区域から運ばれてきた患者たちの医療にあたっていた医療従事者に,政府関係者から電話で指示が入った.
「発電所が大きく損壊して,傷病者が多く発生する可能性があります.(その場合は) 発電所で発生したすべての患者を,自衛隊の大型ヘリで福島県医大に送ります」
というものであった.これに対して福島県医大の緊急医療チーム責任者は,
「これ以上の医療提供は福島県医大には無理です.放射性物質がついた患者に対応した経験もありません」と答えたが,政府は「対応しないという選択肢はない」と言い切ったそうである.

 このあと,福島県医大の緊急医療チームと,ヒロシマやナガサキから支援にきた被爆医療チームの奮闘が始まるのであるが,私たちの胸を打つ医師たちの物語を是非とも再放送で観ていただきたいと思う.

 《証言記録 東日本大震災》は,さすがに民放では不可能と思われる取り組みである.NHKはその使命として,もっと安価に記録メディア版を販売して欲しいと思う.

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