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2017年2月

2017年2月28日 (火)

ビジネスマンが書く日本史とは (六)

 前稿《ビジネスマンが書く日本史とは (五) 》に書いたように半藤一利氏は,名指しこそしていないが,自他共に認める戦後民主主義者であり戦後民主主義の旗手である大江健三郎を,《昭和10年代生まれの連中は、どうにもならないくらい "戦後民主主義の申し子"。アメリカイズムと言いますか、もうアメリカの影響を受けまくっている》と揶揄した.

 大江健三郎を始めとするとする多くの戦後民主主義者に思想的洗礼を受けて育った私たち団塊の世代の精神の世代的特徴は「義」を尊ぶことにある.(後述)
 戦後民主主義を批判 (《アメリカイズムと言いますか、もうアメリカの影響を受けまくっている》は単なる下品な揶揄であり,まともな批判ではないが) するなら,大江健三郎や加藤周一,鶴見俊輔らの名をきちんと示すのが礼儀でありである.それができないのなら,半藤,出口両氏が自画自賛する二人の「教養」なんぞ,私たちが生きていく上で糞の役にも立たぬものだ.

 半藤氏が,大江健三郎ほかの戦後民主主義者を嫌悪するのは,氏が昭和天皇の臣下を自任していることと通底している.そしてそれは半藤氏に軍隊経験がないことに基づいている.
 いわゆる団塊の世代の,そのまた父親の世代は,天皇の名において招集されて兵站のない前線に送られ,天皇の名において上官に殴打され,天皇陛下万歳を強制されながら旧式銃を構えて突撃させられた.
 戦後,彼らは死地から帰還し,自分たちと共に国のために死ぬものと信じていた昭和天皇が,盛装してマッカーサーを表敬訪問し,情けなくも並んで写真を撮り,生きながらえる道を模索したことを知った.
 それ以来,戦地から復員した下級の兵たちは昭和天皇に背を向け,天皇を「天ちゃん」と呼んで軽侮するようになった.昭和天皇を偶像視する「臣一利」なんぞは,後方安全地帯にいた者のタワゴトに過ぎないのである.
 しかし考えて見れば,半藤氏より少し若い大江健三郎にも軍隊経験はない.だとすると半藤,大江の違いは,想像力の有無であるに違いない.作家としての想像力以前に,人間としてまともな想像力があれば,先の戦争が終ってもまだ天皇の臣下=臣一利なんぞと,愚かなことを言うわけがないのだ.

 とはいえ戦後,国民の戦争体験が風化を始めると,半藤氏らの世代の中に生き残った皇国史観の影響下に,いつしか「戦時中,軍部に対して拒否権を発動できなかった天皇」「平和を希求した天皇」像が現れ,定着するかに見えた.
 しかしその一方で,「内奏」や「御下問」を通じて積極的に戦争指導を行った天皇像もまた国民の中に漏れ出てきた.
 こうして国民の持つ昭和天皇のイメージが「平和を求めた悩める天皇」と「戦争指導者=大元帥」に分裂したとき,他ならぬ昭和天皇自身の口から,昭和天皇の本心が明らかになってしまった.
 それは,昭和天皇と皇后が米国訪問から帰国した昭和五十年十月三十一日,午後四時から約三十分間,初めての公式記者会見を行った時の天皇の発言であった.
(続く)

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2017年2月27日 (月)

フクシマ 医療チームの闘い

 昨日 (2/26 午前10時05分~10時53分) 放送されたNHK《証言記録 東日本大震災「福島県 見えない恐怖の中で~緊急被ばく医療の戦いから」》に登場された医療関係者のかたがたの証言に私は感動した.
 番組の紹介サイトに次のようにある.

東京電力福島第一原発の事故直後、避難した周辺の住民。放射能を浴びて避難所に隔離された人たちの中には、衰弱して亡くなる入院患者などもいた。彼らを救うため広島や長崎の大学病院などから、緊急被ばく医療チームが駆けつけた。放射線の専門家たちは災害弱者をどのように救ったのか。そして迎えた原発事故最大の危機。最悪の事態が想定される中で繰り広げられた瀬戸際の対策とは?見えない放射線と闘った医師たちの証言でつづる。

 忘れもせぬあの時,枝野官房長官の言葉によれば「念のために」として福島第一原発周辺の住民たちは緊急避難を開始したが,しかし避難を要する地域はさらに「念のために」拡大をしていった.
 それでも健康な人々は混乱の中でも粛々と避難をしていったが,問題は病院等にいた患者や老人たちであった.
 出動した DMAT (Disaster Medical Assistance Team =災害派遣医療チーム) によって患者たちの多くは福島県立医大に運ばれ,福島県医大の医師たちは不眠不休の活動を開始したが,緊急医療に対処した医師たちは,被爆医療の知識をあまり有していなかった.
 しかも全国から集結した DMAT はあくまで初動部隊であるため,災害発生から四十八時間が経過すると被災地から撤退することになっている.
 DMAT の撤収後はどうしたらいいのか.
 そしてさらに,避難区域から運ばれてきた患者たちの医療にあたっていた医療従事者に,政府関係者から電話で指示が入った.
「発電所が大きく損壊して,傷病者が多く発生する可能性があります.(その場合は) 発電所で発生したすべての患者を,自衛隊の大型ヘリで福島県医大に送ります」
というものであった.これに対して福島県医大の緊急医療チーム責任者は,
「これ以上の医療提供は福島県医大には無理です.放射性物質がついた患者に対応した経験もありません」と答えたが,政府は「対応しないという選択肢はない」と言い切ったそうである.

 このあと,福島県医大の緊急医療チームと,ヒロシマやナガサキから支援にきた被爆医療チームの奮闘が始まるのであるが,私たちの胸を打つ医師たちの物語を是非とも再放送で観ていただきたいと思う.

 《証言記録 東日本大震災》は,さすがに民放では不可能と思われる取り組みである.NHKはその使命として,もっと安価に記録メディア版を販売して欲しいと思う.

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2017年2月26日 (日)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (四)

〈前回までの記事〉
鎌倉 石窯ガーデンテラス (一)
鎌倉 石窯ガーデンテラス (二)
鎌倉 石窯ガーデンテラス (三)
 
 さて石窯ガーデンテラスのテラス席で前菜を楽しみ,パンを一つ手で割って食べているときに気が付いたのだが,女性従業員の一人が,各テーブルの客たちにさりげなく視線を送っていた.
 想像だが,客たちの食事する早さに目を配っているのではなかろうか.
 この日は,テラスの端にテーブルを三つつなげて歓談している年輩客のグループがいて,この人たちは話に花が咲くからどうしてもゆっくりと食べることになる.
 一方,私のように一人の客はそれに比べると食べるのが早いだろう.
 そういう客たちの状況に,女性従業員さんは心配りしていたのではないだろうか.
 実際,私がパンを一つ食べ終わったときにちょうどいいタイミングで,テラス席係の女性が私のところにやってきて「メインディッシュをお持ちいたします」と告げたのだ.
 もし客の様子を見ながら料理を運んでくるようにしているのだとすると,これはなかなかよいレストランではないかと思う.
 昨年十二月の記事《鎌倉のパエリア (十二) 》に書いたように,小町通りの Brasserie 雪乃下という店は,本来三十分かかる料理を十五分で席に運んできた.客よりも店の都合優先 (回転を速くしたいのだろう) が露骨であった.
 それがおいしいものなら文句はないが,ファミレスだってまだこれよりはいいぞというグレードの料理だったので本当に腹が立った.(《鎌倉のパエリア》は,外食放浪記カテゴリに一から十三までの連載が入っている)
 それに比べると,まあ暖かなテラスでのゆっくりとした食事ということもあっただろうけれど,この日の食事を私は気持ちよく楽しむことができた.
 で,運ばれてきたメインディッシュがこれ.

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 鴨のロースト一切れを半分に切って口にいれると,ソースのオレンジの風味がパッと口の中に広がって,口にはださないが「お,うまいじゃないか」と思った.
 付け合せの鎌倉野菜もちょうどいい焼き加減で,おいしい.
 みすぼらしいとしか言いようのない Brasserie 雪乃下の料理に比べると雲泥の差とはこのことだ.
 これから春になると鎌倉の町は大賑わいになり,天気がよかったりすると平日でも石窯ガーデンテラスには客の列ができるかも.それでもまた近いうちに昼食を摂りにきたいなと思ったことである.

 

 あ,このレストランのパンについての補遺を.
 コースについてくるパンにはバターがついていない.でも何もつけなくて十分においしい.
 店内の一角でパンを販売しているので,食事についてくるのと同じ大きさのパンの六種類詰め合わせと,クルミとレーズンの入ったパンを買って帰った.
 パンというものは,焼きたてを好む人が多いだろうが,翌日になって風味が落ち着いたものをオーブントースターで温めて食べるのもまたおいしい食べ方である.
 私はこのやり方で翌日まで待って食べたが,旨かった.天然酵母のパンは,腕の悪いパン屋に限ってナチュラルがどうの自然がどうのと偉そーな講釈を垂れて,しかしその割にうまくないのが多いが,石窯ガーデンテラスのパンは天然酵母ながら控えめな風味で,どなたにもお勧めできると思う.

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2017年2月25日 (土)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (三)

〈前回までの記事〉
鎌倉 石窯ガーデンテラス (一)
鎌倉 石窯ガーデンテラス (二)
  
 前回の記事に書いた舟田詠子著『パンの文化史』(朝日選書,1998;講談社学術文庫,2013) を取り寄せて読んでみた.
 するとこれ以上なく明快に,人類史上最古の醗酵パンは,新石器時代のトゥワン遺跡 (スイス) で発見されたものであることが詳述されていた.
 遺跡からパン焼き窯が発掘されたとかいう状況証拠ではなく,1976年に,五千年以上前に焼成された醗酵パンの実物が,スイスのビーラー・ゼー湖岸にあるトゥワン遺跡で出土したのである.
 トゥワン遺跡は下層,中層,上層の三層から成るが,中層から五千七百年前に焼かれた醗酵パンの断片が,上層からは五千五百年前の醗酵パンが完全な姿で見つかった.上層出土のパンは写真の画像も示されている.
 前回の記事に書いたように,Wikipedia【パン】に記載されている矛盾,すなわち醗酵パンの発祥の地に関して
 
(A)
トゥワン遺跡 (スイス) の下層 (紀元前3830-3760) からは「人為的に発酵させた粥」が発見され、中層 (紀元前3700-3600) からは「灰の下で焼いたパン」と「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されている。粥状のものを数日放置すると、自然の出芽酵母菌や乳酸菌がとりつき、自然発酵をはじめ、サワードウができる。当初これは腐ったものとして捨てられていたが、捨てずに焼いたものが食べられるだけでなく、軟らかくなることに気付いたことから、現代につながる発酵パンの製法が発見されたと考えられている。
 
(B)
パンは当初、大麦から作られることが多かったが、しだいに小麦でつくられることのほうが多くなった。古代エジプトではパンが盛んに作られており、給料や税金もパンによって支払われていた。発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである。
 
として,(A) 新石器時代の欧州内陸部と (B) 古代エジプトの二ヶ所が何の説明もなく併記されているが,(B) 説の《発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである》は明らかな間違いである.
 私も漠然と醗酵パンはエジプトに始まったと誤解していたので,蒙を啓かれた思いである.この原稿を書き始めたのは,テレビ番組に出てきた石窯ガーデンテラスで飯を食うかと思ったのがきっかけだから,一億総白痴なんぞと馬鹿にせずにテレビは観てみるもんだなあと思った次第である.
 
 Wikipedia には各項目の記述内容を統括する責任者がいない.多数の執筆者が各自勝手な主張を正誤関係なく記述するため,その項目内部での矛盾も項目間の矛盾も修正されないことが多く,百科事典として,これが致命的に近い弱点となっている.執筆者たちの論争になった場合は「ノート」にその旨が書かれているからまだ助かるが,そうでない場合 (執筆者たちが書きっぱなしで放置状態の場合) は,記述が正しいかどうかを利用者が自力で調べ,判断しなければならないのだ.それはつまり百科事典としての意味がないということである.自分で調べられるなら,わざわざ百科辞典は読まぬよ.(笑)
 Wikipedia【パン】の場合がまさにそれで,《発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである》という誤りについて「ノート」には全く議論のあとが見られない.この項目の執筆者たちは誤りに気が付いていないのである.結局のところ,執筆者たちがこんな有様では Wikipedia【パン】の記述には信頼性がないと考えるべきであろう.
 
 さて醗酵パンの学術的議論については舟田詠子著『パンの文化史』に譲って先を急ぎ,石窯ガーデンテラスのパンのことに戻る.
 公式サイトの記載を再掲する.
 
石窯ガーデンテラスのパンの特徴

 ホップ種を使用しています
 ホップ種は、野生のイースト菌をうまく取り込みゆっくり時間をかけて酸味と苦みをマイルドにし、奥深い味を作り出します。毎日の自然環境がその日その日の味を作り出します。酵母と作り手が強調しながら時間をかけて、小麦の甘みとホップの酸味を引き出し、素朴で存在感のあるパンを作ります。

 
 ホップ種の説明をする.パン作りをする人は知っているだろうが,レストランを訪れる一般客は,ホップ種と言われても何のことやら理解できないからだ.
 ホップ種は「パン種 (ぱんだね)」の一種で,パン種はパンを醗酵させるために生地に入れる「醗酵の元」である.醗酵一般の用語としては醗酵種とかスターターともいう.(Wikipedia【スターター】の1.の語義〈発酵の開始のために加える微生物の集団を含んだもの〉参照)
 
 既に述べたトゥワン遺跡で発見された古代のパンが何をパン種に用いていたか不明であるが,それ以後の人類は自然界から様々なパン種を見出して使用してきた.
 これも詳しく紹介すると長い説明になるので,ウェブコンテンツ《世界の発酵種 》を紹介する.
 ホップ種については,このウェブページに次のように書かれている.
 
ホップス種
 ホップス種は現在のパン酵母が普及する昭和初期以前まで、酒種と並びパンの発酵に用いられてきました。ホップの煮汁にじゃがいも、小麦粉、りんごなどを加えて種継ぎを行ってホップス種が作られます。ホップに含まれる抗菌作用成分がホップス種の培養中に製パンに適さない微生物の繁殖を防ぎます。
 ホップス種を用いたパンの特徴は、ホップ特有の苦味といわゆるイースト臭の無い淡白な香りを持ちます。

 
 石窯ガーデンテラスのパン種が自家製なのかそれとも購入したものかはわからない.
 食べてみた印象は,クセのない風味で,まあまあおいしいパンだと言っていいだろう.
(鎌倉 石窯ガーデンテラス (四) へ続く)

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2017年2月24日 (金)

ビジネスマンが書く日本史とは (五)

 前回の記事《ビジネスマンが書く日本史とは (四) 》の末尾に《「臣一利」と自称する人物が《バランスの取れたニュートラル》であるわけがないからである》と書いた.
 半藤一利氏は,一般にはやや保守的な論客としていいだろうが,こと天皇制に関しては保守というよりも明らかな右派であると考えてよい.そして半藤氏は昭和史を得意分野とする右寄りの論客であり小説家ではあるだろうが,しかし歴史家と呼ぶには資質的に大きな問題がある.

 それを示すために,もう一ヶ所を『世界史としての日本史』(小学館新書) から引用する.(Kindle 版の位置 No.1998-2007)

半藤 まあね。でも、私たちの世代は不勉強であるのは事実で、そういう連中が、偉そうに戦後の日本を引っ張ってきたんですよね。じゃあ、これが下の世代ならどうかというと、昭和10年代生まれの連中は、どうにもならないくらい "戦後民主主義の申し子"。アメリカイズムと言いますか、もうアメリカの影響を受けまくっている。さらに、これは出口さんに怒られるのを承知でいいますが、出口さんたち昭和20年代生まれの人々は、いわゆる団塊の世代ですね。これがまた、なんて言うんですかね……
 出口 ボロクソに言っていただいて結構ですので(笑い)
 半藤 この連中がやったのは全共闘運動ですよね。計算も展望もない、未熟な全否定運動。当時の悪口で、"真っ赤なリンゴ" というのがあります。外側は左翼がかって赤いが、ちょっと皮をむくとみんな真っ白だと。
 出口 中身が何もないと。
 半藤 そう、外側だけが赤い。ところが、この人たちは70年安保が終ると、 "働き蜂" に変身して、猛烈に働き始めるんですね。
 出口 もともと中身が何もないからですね。

 おそらく,戦時中に軍国少年であった半藤氏の頭の中は,先の戦争が終わり,昭和天皇が現人神 (あらひとがみ) であることを自ら否定 (Wikipedia【人間宣言】) したときに思考停止状態になってしまったのであろう.すなわち氏が得意とする昭和史とは,戦前と戦中だけなのである.戦後のことは全くわかっていない.そしてわかろうとしないし調べて勉強しようともしない.そのような半藤氏の無教養が露呈してしまっているのが,上の引用箇所なのである.
 本書のあちこちで半藤氏と出口氏はお互いの教養を褒めあいつつ,一般日本国民を無教養と嘲っているが,無教養なのはどっちだと,呆れて声もでない.

 さてこの二人の無知無教養について,一つ一つ示すことにする.
 まず《昭和10年代生まれの連中は、どうにもならないくらい "戦後民主主義の申し子"。アメリカイズムと言いますか、もうアメリカの影響を受けまくっている》から.
 「戦後民主主義を代表する人物は」と問われれば,昭和史について多少の知識がある六十歳以上の十人のうちの十人 (それより若い人たちはこの「戦後民主主義」という言葉自体を知らない可能性がある) が,それは大江健三郎だと答えるだろう.大江健三郎は昭和十年生まれで,まさに半藤氏が《昭和10年代生まれの連中》と,悪意を込めて「連中」呼ばわりする世代である.
 上の引用箇所の中で半藤氏は,大江健三郎の名を露骨にはあげていないが,《昭和10年代生まれの連中》と書いているのは明らかに大江健三郎を意味している.昭和十年代生まれの戦後民主主義者として大江健三郎を除外することはできないのである.
 天皇制に一貫して批判的な立場を取ってきた大江健三郎を,昭和天皇の臣下を自称する半藤氏が嫌うのは致し方がないが,しかし大江健三郎が《アメリカイズムと言いますか、もうアメリカの影響を受けまくっている》が意味不明である.
 大江健三郎がアメリカの影響を反面教師として受けまくっているというならわかるが.(笑)
 例えば Wikipedia【大江健三郎】から次の箇所を引用しよう.

2003年の自衛隊イラク派遣の際は「イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」とし、「戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」と怒りを表明した。

 戦後民主主義の申し子である大江健三郎が《アメリカの影響を受けまくっている》と言うなら,半藤氏は大江作品を批評すること (例えば自著なり,文芸批評家の説を引用するなどして) でその説の根拠を示さねばならぬ.大江健三郎の名を明示しなければ口から出まかせを言っても構わないという態度は許されない.それは物書きの責務というものである.
(続く)

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2017年2月23日 (木)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (二)

〈前回の記事〉鎌倉 ガーデンテラス (一)
 
 境内から坂道の舗装道路に出てすぐ,石窯ガーデンテラスの敷地入口になる.
 道路と洋館のレストラン建屋のあいだのスペースは,広いオープンカフェになっている.

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 ここで御年配の三人の人がアウトドア用の折り畳み椅子に腰かけて水彩の絵筆を走らせていた.ここから見た石窯ガーデンテラス洋館の玄関がちょっと「絵になる」からであろう.ちらと皆さんの描きかけの絵を見ると,揃ってなかなかの腕前のようであった.

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 玄関ドアを開けて中に入るとレジカウンターがあり,係の女性に「一人です」と告げると,店内の席とテラスのテーブルとどちらがいいですかと訊かれた.私は迷わずテラスがいいと答えた.この日はそれくらいよい陽気だったのである.
 案内されたテラススペースには,小さな庭に面して (その向こうにはイングリッシュガーデンがある) ゆったりと四人掛けテーブルが十席ほど並べられている.テーブルも椅子も,元はオイルフィニッシュだったのかウレタン塗料か何かで塗装してあったのか,全く判別できないくらいに風化して,いい雰囲気である.

 まぶしいくらいの日差しのテラスで席に着き,脱いだ上着とバッグを椅子に置いてメニュを開くと,献立は二種類だった.
 一つは「ガーデンコース」といい,メインディッシュに肉か魚の料理を選び,これに前菜とパン,コーヒーとデザートが付くもの.
 もう一つの献立は「パスタコース」で,いくつかのパスタから一皿を選び,これに同じく前菜とパン,コーヒーとデザートが付くものである.
 パスタコースは炭水化物定食の趣があるので,ガーデンコースを食べようと思い,メインディッシュには鴨のローストを選んだ.(おそらくメインディッシュは月替わりで季節の料理になるのだろうが,同レストランの公式サイトに掲載されているメニュは更新されていない)

 ほどなく前菜と,バスケットに入れられたパンが二つ,席に届けられた.配膳係のお嬢さんから前菜の説明は受けたのだが,忘れた.スープはサツマイモのポタージュで,あとは鶏のホイル焼きとエビのフリッター.それぞれにソースがかけてあるのだが,そのソース名を忘れたのである.

 パンは自家製で,というよりパンがこのレストランのウリのようで,公式サイトには次のように書いてある.

 

石窯ガーデンテラスのパンの特徴
 ホップ種を使用しています
 ホップ種は、野生のイースト菌をうまく取り込みゆっくり時間をかけて酸味と苦みをマイルドにし、奥深い味を作り出します。毎日の自然環境がその日その日の味を作り出します。酵母と作り手が強調しながら時間をかけて、小麦の甘みとホップの酸味を引き出し、素朴で存在感のあるパンを作ります。

 

 パンとは何かを一口で言うのは難しい.歴史的にも地理的にも,色んなパンがあるからだ.
 Wikipedia【パン】を見てみよう.

 

基本的に、小麦粉やライ麦粉などに水・酵母 (イースト) を加えてパン生地 (en:dough ドウ) にし、それを焼いた食品を指す。発酵のための酵母と糖類 (砂糖など) をセットで加えることも一般的である。なお、出芽酵母を入れずに生地をつくるパンもあり、これを「無発酵パン」や「種なしパン」などと言う (その場合、出芽酵母で発酵させてから焼いたパンのほうは「発酵パン」と言う。)。無発酵パンとしては、生地を薄くのばして焼くパンがあり、アフリカ・中東からインドまでの一帯でさかんに食べられている。なお、生地を発酵させるのは主として気泡を生じさせ膨張させるためであるが、出芽酵母で時間をかけて気泡を生じさせる代わりに、ベーキングパウダーや重曹を加えることで簡便に気泡を生じさせるものもある。

 

 この定義のような説明について書く前に,歴史的なことを調べておく.
 終末期旧石器時代 (Wikipedia【亜旧石器時代】) に現在のシリア辺りでは気候の乾燥化によって野生のムギ類が減少したため,それまで食糧を採集に依存していた人々は農耕を始めたとされている.野生種から栽培種が選抜されたのである.(Wikipedia【テル・アブ・フレイラ】(現在から一万年ほど前のメソポタミア考古遺跡) を参照)
 この頃は,遺跡からの出土品から,麦を粉に挽いて粥にした食べていたと思われる.
 この時代から三千年ほど後の現在のトルコ共和国辺りでは,グルテンの多いパン小麦が栽培されていたようである.
 さらに時代が紀元前3700-3600年くらいになると,醗酵させた麦粥を焼いたものがスイスのトゥワン遺跡から出土している.
 この点について Wikipedia【パン】には矛盾したことが記載されていて,

 

トゥワン遺跡 (スイス) の下層 (紀元前3830-3760) からは「人為的に発酵させた粥」が発見され、中層 (紀元前3700-3600) からは「灰の下で焼いたパン」と「パン窯状設備で焼いたパン」が発見されている。粥状のものを数日放置すると、自然の出芽酵母菌や乳酸菌がとりつき、自然発酵をはじめ、サワードウができる。当初これは腐ったものとして捨てられていたが、捨てずに焼いたものが食べられるだけでなく、軟らかくなることに気付いたことから、現代につながる発酵パンの製法が発見されたと考えられている。

 

としておきながら,これにすぐ続いて次のようなことを記している.

 

パンは当初、大麦から作られることが多かったが、しだいに小麦でつくられることのほうが多くなった。古代エジプトではパンが盛んに作られており、給料や税金もパンによって支払われていた。発酵パンが誕生したのもこの時代のエジプトである。

 

 古代エジプトは,トゥワン遺跡よりも数百年,時代が下る.
 醗酵パンが生まれたのは欧州内陸部なのか,エジプトなのか.
 実を言うと,Wikipedia【パン】のこの記述矛盾には,この原稿を書き始めてから気が付いた.私は古代エジプトが醗酵パン発祥の地だと思っていたのだが,どうなんだろう.
 学術的にはどうなのかを知るために急遽,いささか古い本だが舟田詠子著『パンの文化史』(朝日選書,1998;講談社学術文庫,2013) を注文して確認することにした.食文化に関する書物には時としてトンデモ本があるのだが,講談社学術文庫のブランドを信用しようというのである.
(鎌倉 石窯ガーデンテラス (三) へ続く)

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好感CM

 私はテレビ番組は基本的に録画してから観ている.録画であれば,ズブブブと汚らしい音を立てて味噌汁を啜る永谷園のCMをすっ飛ばすことができるからだ.
 私が会社員だったときの経験に基づいて言うのだが,テレビCMは,その企業の経営者の決済がないと実際の放送に使えない.企業イメージに大きな影響を与えるからである.
 従って永谷園の,日本人が大切にしてきた食事作法を嘲笑うかのごときテレビCMが示しているのは,永谷園の経営者はズブブブと汚らしい音を立てて味噌汁を啜っているということである.
 しかも,汁だけでなく卵かけ飯も汚らしい音を立てて啜り込んだ挙句にカーッとため息までつく"あさげ「うまいみそ汁篇"は言語道断の最低CMだが,これに比較すると小島瑠璃子さんの"あさげ(粉末タイプ)「サッという間に」篇"は,それほど酷い音を立てていない.
 ここからわかるのは,永谷園の経営者が「男は食事作法なんか無視していいが,女はしとやかでなければいけない」という時代錯誤の考えを持っていることだ.食品企業でこのような「政治的に正しくないCM」(Wikipedia【ポリティカル・コレクトネス】 参照) を流しているのは永谷園だけである.

 この永谷園のCMさえなければ,色々な企業のCMを観るのは楽しいのに,残念である.
 かつて雑誌『広告批評』主宰者,初代編集長だった故天野祐吉氏は,センスの良いCMを取り上げて褒めるのが上手だった.
 私も,最近の出色の,センスがよくて楽しいCMを挙げると,まず一つは東京ガスの「エネファーム 同時ってすばらしい
 冷静な「後手,五五ピンポン」は,何度観ても笑える.

 次はソフトバンクの「デビュー夫人誕生」 
 「勝手によばないで!」は,何度観ても笑える.
 この二つのCM,いいセンスしてるなあ.

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2017年2月22日 (水)

鎌倉 石窯ガーデンテラス (一)

 先月の八日,ふとオンにしたテレビで『帰れまサンデー〈冬の鎌倉2チームで最新グルメ&名所巡り旅!出会えるまで帰れない〉』(テレビ朝日) という番組をやっていた.
 出演者は,お笑いコンビ・サンドウィッチマンの男性チームと,女優の藤田朋子さんと浅香唯さんの女性チーム.
 二チームは別々の地点から鎌倉散策を開始し,あちこち歩き回りながら,偶然出会えたらゲーム終了という内容の番組で,その途中であちこちのお店やレストランが紹介されるのである.
 鎌倉は狭い観光地だから,ゲームを始めた途端に二チームが出会ってしまう可能性が高く,そうなったら「尺」が全然足りないので放送することができずにテレビ朝日としては大損をこくわけだから,そこはそれ,撮影スタッフがちょっと誘導するとか何かしらの工夫があるのだろう.
 視聴者は,ヤラセなどと無粋なことは言わずに《冬の鎌倉2チームで最新グルメ&名所巡り旅!》を楽しめばいいわけだ.

 

 さて,その鎌倉散策の途中,藤田朋子さんと浅香唯さんは金沢街道のほうに足を向け,道を歩いていた人にレストラン「石窯ガーデンテラス」が評判いいですよと教えてもらう.
 そして彼女たちは石窯ガーデンテラスでランチを摂ったのだが,ちょっといい雰囲気のレストランだなあとの印象だった.

 

 私はこれまで石窯ガーデンテラスに入ったことがなかったのでウェブ検索したところ,浄妙寺の境内に大正十一年に建築された洋館を改装したカフェレストランであると出ていた.いつの創業であるかはわからない.
 浄妙寺は足利義兼によって文治四年 (1188年) に創建された鎌倉五山第五位の古刹である.
 鶴岡八幡から浄妙寺へと辿る道は金沢街道で,道を東に暫く歩き,「岐れ路」信号を左に行くと町名は二階堂である.右というかそのまんま東というか,道なりに進むと雪ノ下四丁目,浄明寺 (ややこしい) 一丁目となる.
 バスで行くならバス停「二階堂」で降車するとすぐ坂東三十三箇所第一番,鎌倉三十三箇所第一番札所にして鎌倉最古の寺とされる杉本寺がある.この辺りは四十年前には鄙びた田舎で,杉本寺は朽ちかけたような風情であったのだが,今では人家も増えて,訪れる観光客も多いようだ.

Sugimotodera
(Wikipedia【杉本寺から引用;パブリックドメイン画像)

「二階堂」の次のバス停は「報国寺入口」である.
 報国寺は,知る人ぞ知るデート寺である.なんだそれは.
 今からちょうど四十年前のこと,静岡県に住んでいる女性が毎週末に私を訪ねてくることになっていて,今でいう遠距離恋愛だが,彼女が来たときはいつも報国寺をデートコースにしたものだ.

Hokokuji2
(Wikipedia【報国寺】から引用;引用フリー画像)

 まずは鎌倉駅で待ち合わせをし,金沢街道方面行きのバスに乗る.「報国寺入口」で降りるとすぐに山門がある.この寺の竹林にある茶店で抹茶を頂きながら,暫くあれこれの話をする.それからまた八幡宮へ戻り,若宮大路と小町通りの間の路地にあるレストランで食事するのが定番であった.
 ある日,駅へと戻る帰りのバスで,道路の舗装がデコボコになっているところで旧い車体のバスがガタンと弾んだとき,よろけた彼女が私の腕を両手で抱えるようにすがりつくということがあった.その胸の薄さ腕の細さに,私は「ああこの人をいつまでも守ってあげ (以下略).
 そういうわけで,報国寺から少し東に行くと浄妙寺がある.バス通りから山門が見えるし,鎌倉駅からのバスで行けばほとんど歩く必要もないのだが,なぜかこの寺はいつも報国寺ほど観光客 (カップル) が多くはない.庭があまり大したことはないせいだろうか.

 

 さて昨日は関東地方各地は強風が吹き荒れたらしいが,鎌倉市内は全く無風で暖かい散歩日和であった.
 時刻は正午の少し前,バス停から浄妙寺へ歩いて行くと,和装のカップルが手を繋いで山門のほうから来てすれ違った.男のほうはどうでもいいが,娘さんの振袖姿というのは実によいものである.花のつぼみがほころぶようなその笑顔をちらりと見ながら私は,お幸せに,とつぶやいた.男のほうは不幸せでも一向に構わぬから,どうとでもなるがよい.おいおい.

20170222a

 山門を入ると境内には人の姿少なく,年輩の御夫婦と思しき二人連れと,振袖を召した娘さん二人連れが,盛りをすぎた庭の梅を眺めていただけであった.どこかの大学で謝恩会でもあったのだろうか.この日はあちこちで振袖美人を見かけた.眼福眼福 (←おやじくさ)

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 境内の左側のゆるい坂道を上がって行くと,寺域ではあるのだろうが,舗装された道路にでる.
 ここから少し上を見上げると石窯ガーデンテラスの屋根が見えた.
(鎌倉 石窯ガーデンテラス (二) へ続く)

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2017年2月20日 (月)

ビジネスマンが書く日本史とは (四)

 先月の記事《ビジネスマンが書く日本史とは (二) 》に私は次のように書いた.

一昨日の記事に書いた出口治明という人物は,会社経営者の余技なのかどうか知らぬが,歴史について幾冊かの本を上梓している.
 出口氏がどんな思想の人なのか,週刊文春の短い連載コラムを毎週待っているのも気の長い話なので,既に出版された氏の著書を購入して読んで見る方法もあろうとは思うのだが,アマゾンで購入した人たちのレビューを摘み読みしてみたところ,買って大損という可能性もあり,どうしようかと迷っている.そこで,買って失敗しても損害が少ない安い出口氏の著書はないかと探すと,『世界史としての日本史』が見つかった.出口治明氏と半藤一利氏の対談本だ.アマゾンのレビューで星五つという読者絶賛本である.

 私は《買って失敗しても損害が少ない安い出口氏の著書》として『世界史としての日本史』(小学館新書) を購入 (Kindle 版) したのだが,少ない損害とはいえ,買って損してしまった.
 とはいうものの本は,買って読んでみないと中に何が書かれているかわからないのであり,本を買ったために蒙る金銭の損害は,致し方ないところではある.
 さてこの『世界史としての日本史』という書籍は,作家の半藤一利氏と,ライフネット生命保険会長である出口治明氏の対談をまとめた本である.
 表紙には《今を生き抜く、真の「教養」が身につく歴史入門》と惹句が書かれているが,元々は週刊ポスト誌に掲載された対談から始まったものらしく,そのためか内容は週刊ポストの記事レベルであり,いわば半藤,出口両氏による,まとまりのない雑談といっていい程度のものだ.《真の「教養」が身につく》はいくら何でも言い過ぎだ.
 ところでこの本には,読んでいると「おいおい」と言いたくなる箇所がいくつもある. 下に例を引用する.

半藤 …… 『坂の上の雲』は素晴らしい日本の歴史教科書のように思ってる人がたくさんいて、そういう人たちから言わせると、「半藤の野郎はけしからん」となって、「あいつは左翼だ」と。最近では格上げされて、私は「極左」なんだそうですよ(笑)。
 出口 半藤さんのような、バランスの取れたニュートラルな方を極左と呼ぶ精神のほうが、むしろ歪んでいると思いますね。

 今から三年も前の話であるが,『昭和天皇実録』(宮内庁編集;東京書籍株式会社) が公式に刊行 (2015年から公式刊行開始) される前,数人の民間人が特別にこの実録の内容を事前閲覧することができた.
 その事前閲覧の許可自体は宮内庁の裁量であるからして問題視する必要はないと思われるが,特別待遇を受けた一人が半藤一利氏であったことはよく知られている.(このことに触れたブログにはこれがある)
 さて半藤氏が実録の事前閲覧をした際に,マスコミのインタビュー (私が目にしたのは朝日新聞の記事だったと記憶している) に対して半藤氏が自分自身を公然と「臣一利」と称したことに世間は大変驚いた.(「臣○○」とは,自分は天皇の臣下でありますという意味の戦前の言葉である)
 それ以来,半藤氏は「臣一利」と自称し続けているが,ああ,この人は戦後何十年経っても,心底に皇国史観があるのだな,軍国少年のままなのだなと私は思った.でなければ「臣一利」などと言う筈がないからである.
 戦後の著名人で自分を「臣」と称したのは吉田茂の「臣茂」が有名であるが,それ以来,時代錯誤に「臣」と自称しているのは,私の知る限り半藤氏だけである.(半藤氏には軍隊経験がない.私の父親世代のような戦地での死ぬか生きるかの体験があれば,半藤氏は「臣」と自称することはないはずだ)
 このような半藤氏が書く「昭和史もの」には,昭和天皇を美化するバイアスがかかっていると思うべきである.
 私に言わせれば半藤氏は充分に右寄りである.半藤氏は《最近では格上げされて、私は「極左」なんだそうですよ》と発言しているが,それは氏を「極左」と呼ぶ連中がネトウヨだからである.半藤氏程度の右寄りなら,ネトウヨから見れば確かに「極左」なんだろう.(笑)
 しかるに出口氏は上に引用した箇所で《半藤さんのような、バランスの取れたニュートラルな方》と発言している.これがもし半藤氏に対するヨイショでないのであれば,出口氏の心底にも皇国史観が潜んでいると考えてよい.「臣一利」と自称する人物が《バランスの取れたニュートラル》であるわけがないからである.
(この項,続く)

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2017年2月19日 (日)

言っちゃったー

 今朝早くラジオをオンにしたら,ニッポン放送『幸福への出発』が放送されていた.
 朝飯の支度をしながらだったので放送内容を真剣に聴いたわけではないが,小関隆史本部講師というかたが「あなたも芸術家だ!」と題した講話をしていた.
 小関講師は,宗教と絵画と音楽を総合する芸術を創造していきたいと述べ,そのためには右脳がナンタラカンタラと語った.

 さて週刊文春 (2/16号) に阿川佐和子さんと脳科学者の中野信子先生の対談が掲載されている.(『阿川佐和子の この人に会いたい 第1151回』)
 この記事の中から少し引用する.

中野 たとえば、よく右脳が感情で左脳が理性をつかさどっていると言われてたじゃないですか。
 阿川 ああ、芸術家は右脳が発達していると言われますよね。
 中野 あれはどうも違うようなんです。
 阿川 ええー! 違うのぉ!?
 中野 はい (笑)。左脳が解像度の高いところを見て、右脳は解像度の低いところを見るという特徴を持ってるんですね。実験としてAという文字をたくさん並べてHの形を作ります。これを右脳、左脳それぞれに損傷がある人に見せたところ、右脳を損傷している人はAのみを認識しHの形がわからないし、左脳を損傷している人はHの形はわかるけど、Aを並べて作っているということはわからない。
 阿川 つまり、右脳はモノを大ざっぱに認識するけれど、左脳はむしろディテイルを認識する力があるってことがわかっただけで、必ずしも右脳が芸術家肌で、左脳が理性派とは言い切れないと。
(以下略) 》

 ここで中野先生が言っておられる右脳と左脳の話は,小川誠二先生による BOLD 効果研究が基礎になっているファンクショナル MRI (Wikipedia【fMRI】) が開発されてから明らかになったことである.
 その解説は Wikipedia などに譲るが,私は「右脳人間は芸術家肌で左脳人間は理性派」などと言われ始めたその昔から,これは「血液型による性格判定」と同種のトンデモ疑似科学じゃないかと疑っていたから,上に引用した中野先生のお話にある最新の脳科学のことは,よく腑に落ちるものである.諸方面に造詣深い阿川佐和子さんでも,こと脳科学については間違った認識を持っていたのを正すことができたわけで,まことによかったよかった.
 しかし未だに,小関隆史生長の家本部講師のように,右脳左脳の嘘話を信じて布教に使っている人もいるから,騙されて布教されたほうはいい迷惑なわけで,過去に右脳左脳の話を寄ってたかってデッチ上げた連中 (マスメディアとか,専門家でもないのに脳科学の本を書いて儲けた○○クリニック院長とか) は,実に悪質この上ないものであったといえる.

 ところで,従来,血液型と性格の話,あるいは自分と恋人の血液型と恋愛の相性のことは若い女性たちが大好きな話題であったが,右脳左脳論は,特に企業の管理職層にもてはやされた.
 例えば諸兄の会社にも↓こういうのがいたのではないだろうか.

部長 営業ってのは,ただもうガムシャラに売りにいけばいいってもんじゃないんだ.相手のことを十分に分析調査してから訪問しなくちゃね.左脳が大切なんだ,営業マンは.
課長 いやあ,ほんとにブチョーは理性派ですからね,仰るとおりです.
部長 その点,私なんかはホラ,お客さんと会食する店でも必ず下調べするんだな.今日のこの店だって星四つ,レビューでも評価高いし,間違いないから.
部下女子 それよりもブチョーがおいしいかどうかじゃないですかっ.

 栗山千明さん,いいですねー.なんの話だよ.

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2017年2月15日 (水)

福島第一原発,そして東芝

 新聞各紙が報道したところによれば,東芝は昨日,米国における原発事業の損失額が7125億円に上り,2016年4月~12月期連結決算が4999億円の当期赤字となるとの見通しを発表した.
 この結果,東芝は昨年12月末時点で株主資本が1912億円の債務超過になる.
 同時に,債務超過の原因となった原発事業(*下記註) を統括してきた志賀重範会長が今日15日付で辞任することも発表した.

(*註) マスコミでは,東芝の米国における原発事業の企業名をウェスティングハウス (WH) とだけ簡略に書いている場合が多いのでややこしいが,正確にはウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー (Wikipedia【ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー】参照) であるらしい.(以下,私もマスコミに倣ってウェスティングハウスと書くが,かつての名門電器会社ウェスティングハウスとは,無関係ではないが実質的には別ものである)

 これで我が国でも古い歴史を有する企業が一つ,消滅することになるだろう.
 東芝は志賀会長の辞任を発表したが,もちろんこれから株主代表訴訟によって責任の追及が行われることになる.
 しかし訴訟で取締役等の責任は明確になっても,表立っては追求されない「戦犯」の存在が囁かれている.
 ウェスティングハウスを東芝に買わせたとされる経産省である.これはいずれ週刊誌メディアが解説してくれるだろう.

 さて「電力コスト」という考え方には馴染まないことを承知で書くのだが,日本の電力事業は,官民合わせて,原子力発電によって,これまでに一体どれくらいの国富を失ったのだろう.
 まず今回の東芝の巨額損失と,東芝の解体によって生活を狂わされるであろう人々が失う人生の価値.
 そして東電福島第一原発の事故がもたらした,計算しようがないほどの巨大な損失.被災した人々が失った,思い出や将来の夢や生き甲斐,掛け替えのないたくさんのもの.
 他にも原子力発電の暗部は色々とあるだろうが,今に至るまで一つも成果らしきものを上げられず,これからも損失を垂れ流し続けるであろう国策「核燃料サイクル事業」もその一つ.

 《NHKスペシャル 東日本大震災「それでも、生きようとした~原発事故から5年」 》が伝えたところによれば,原発事故で福島県外に避難している人々に,自ら命を絶つ例が増加しているのだそうだ.
 番組中で紹介された悲しいエピソードの一つ.避難先から故郷に帰って農業を再開することを切望していた男性が,一時帰宅して目撃したのは,自分の農地に隣接して見渡す限り野積みされた汚染土の黒い袋であった.
 この一時帰宅から戻って程なく,男性は自殺した.農業再開の望みが絶たれたからであった.汚染土の山の隣で作った野菜や米を一体誰が買ってくれるだろうかという絶望が彼から生きる力を奪ったのだ.
 そして番組は,もう人々が原発事故被災者との「絆」を忘れつつある現状を報告し,これから孤立した原発事故被災者の自殺リスクが高まるのではないかと述べていた.

 東京電力福島第一原発1~4号機の周囲に造られた凍土遮水壁は,現在もまだ遮水効果が発現しないまま時間が無為に過ぎている.(東京新聞 1/14)
 原子力規制委員会は当初からこの凍土遮水壁を「スダレのようなもの」と酷評し,効果はないだろうと予測していたが,その通りになりつつある.もしかするとこの凍土遮水壁作業は,うやむやのうちに中止されるかも知れない.

 また,福島第一原発を廃炉するには東芝の技術が不可欠だったのだそうである.
 その東芝が消滅する.廃炉の工程に赤信号が灯ったのだ.
 安倍晋三は,東京五輪招致の際に,福島第一原発事故はコントロール下にあると世界に向けて大嘘をついたが,それ以後,凍土壁が失敗しそうなことに関しては黙して語らない.そして汚染地下水は今日も増え続けている.

 ちなみに,コンスタントに福島第一原発の現状を報道し続けているのは東京新聞である.
 朝日読売などの全国紙は,読者が知りたいことは有料記事にしている.これが「社会の木鐸」の実際である.

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2017年2月13日 (月)

ビジネスマンが書く日本史とは (三)

 先月の記事《ビジネスマンが書く日本史とは (一) 》に《この連載の先が思いやられるが,出口治明氏がトンデモなことを書いたら,またここに報告するとしよう》と書いた.今年一月から始まった週刊文春の新連載《出口治明の ゼロから学ぶ「日本史」講義》のことである.
 それ以後,案の定これがもうどうしようもない内容で,文春の連載記事中では林真理子の《夜ふけのなわとび》といい勝負である.

 例えば先週号 (2/16号) の同連載記事に次のような箇所がある.

《■帝国崩壊と、周辺諸国の王権確立
 そのあと後漢 (最近では東漢と呼ばれています) が崩壊するという大事件が起こります。
 地球が寒くなったからです。気候が良いときはお米がたくさん穫れますから、たくさんの人が養えます。しかし気候が悪くなって倉庫に食糧がなくなると、軍隊も官僚も養えず、大帝国が維持できなくなるのです。

 私が知る限り,後漢の衰退滅亡の原因を《地球が寒くなったからです》と断定した人は,この出口治明氏以外にない.
 まず,地球温暖化を語る際に必ず持ち出される次の図 (引用元は Wikipedia【地球温暖化】;パブリックドメイン画像) を見てみよう.

2000_year_temperature_comparison

 この図において,言うまでもないが,温度を測定する手段がない時代の気温は推定値である.従ってグラフに示された細かい上下動には意味がないので,トレンドを把握すればいいのであるが,後漢の時代 (西暦25年 - 220年) のみならず西暦1000年くらいまで,地球はわずかに温暖化傾向を示しつつ安定した気温であったとされている.
 それでは出口治明氏は,一体何を根拠に《地球が寒くなったからです》と主張しているのか.
 たぶん後漢書に災害と飢饉の記述が多いことから,勝手に地球が寒冷化したのだと独断したのであろう.
 しかしながら地球レベルの温暖化や寒冷化と,ある特定の地域 (例えば華北とか華南とか) における暖かかったとか寒かったという気象の問題は明確に区別しなければいけない.そんなことは高校生の授業レベルの基礎知識である.
 後漢の衰退滅亡は,詳しくは中国史の書物を紐解く必要があるが,幼少皇帝の続出や宦官の跳梁,国家農政の放棄などに理由を求めるのが普通だろう.しかるに地球科学者でも歴史家でもない一般人に,後漢が滅びたのは《地球が寒くなったからです》と何の根拠も示さずに断定されたのでは,読者は唖然とするしかない.繁栄した一つの王朝が滅びてしまうほど地球が寒冷化したのなら,魏などその後の王朝は成立することすらできないはずではないか.浅薄な思い付きでいい加減なことを書くでない.

 それから,後漢の版図では,北部の小麦生産が盛んになったことが知られ,現在に続く粉食文化が始まった時代であるとされる.
 しかるに《気候が良いときはお米がたくさん穫れますから、たくさんの人が養えます》とはどういうことであるか.ひょっとすると出口治明氏は,隣の大陸の食文化史を知らぬのではなかろうか.
 歴史書は,歴史家が,それぞれ専門の時代についての研究成果に基づいて書くものである.従って,週刊文春の《出口治明の ゼロから学ぶ「日本史」講義》は古代から現代に至る通史の講義だというのであるが,そのようなものを会社の経営者に過ぎない人物が余技で書けるわけがない.自分では何もせずに,歴史学者の業績をつまみ食い式に読んで繋ぎ合わせ,いかにも己のもののように雑誌に「講義」と題して書き殴ることが許されるのか.いくら週刊誌の連載記事だからといって,週刊文春編集部と出口治明氏は読者を舐めてはいけない.

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PC 環境復旧

 昔 (私が子供の頃) は頻繁に突然の停電があった.理由はよくわからないが,たぶん工事の際の不手際とか,台風でどこかの電線が切断されてしまったとかであると思う.
 そんな昔と比較すると,現在の家庭向け電力供給の品質は随分と優秀になったものだと思う.

 停電によって私たちが蒙る被害についていうと,一般の家電は,突発停電になっても内蔵時計がリセットされてしまう程度の影響があるくらいなもんだが,PCはダメージを受けることがある.
 私の住んでいる辺りで一昨日,数分間の突発停電があり,折悪しく使用中だった四台のマシンに種々のトラブルが発生した.
 結局,破損したドライバ類は入れ直してソフトウェア的な復旧はできたのだが,物理的被害もあって,液晶ディスプレイがやられた.
 液晶ディスプレイの故障としては希な例だと思うが,PCからディスプレイへのデジタル映像出力のうち,高解像度の信号だけを受け付けなくなったのであった.
 症状としては,Windows の「ディスプレイ設定」で解像度設定のドロップダウンリストに 1280x1024 以下の選択肢しかなくなってしまったのである.
 最初は原因がわからず頭を抱えたのであるが,もしやと思ってアナログ接続出力 (グラボの D-sub15ピンアウトレット) にしてみたら,こちらは全く問題がなかった.
 ネット情報では,モニター関係のトラブルとしてはビデオドライバのことばかり解説されていて,液晶ディスプレイの入力回路の破損の例は探したけれど見当たらない.そういう希な故障が存在するということを書いておけば,誰かの役に立つかも知れないと思ってここに記しておく.

 ちなみにすぐに amazon で iiyama の ProLite XU2492HSU を購入してディスプレイを交換し,私のPC環境は復旧した.
 ただし,この iiyama のディスプレイは,ホワイトが少し黄色味がかっていて,人によって好みがわかれるのではないだろうか.私はあまりこの色味は好きでないが,店舗で吟味してから買う余裕がなく,復旧を急いだので致し方ない.

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2017年2月11日 (土)

ブログ執筆環境崩壊

 先程,突然の停電があり,停電復旧後に,使用中だった四台のPCがすべて不具合に見舞われている.
 ディスプレイが低解像度になって戻らないもの,その上さらにネットに繋がらないものなど色々だが,ドライバを更新しようとしても「最新のドライバです」とメッセージが出て (つまりドライバは正常で) 治らない.原因不明で困惑している.たぶんこのブログの更新も環境が回復するまで暫く滞ると思われる.

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『下町の太陽』の時代

 先月書いた記事《汚い歌詞 》で,倍賞千恵子のヒット曲『下町の太陽』(昭和三十六年) の曲名だけ書いて,これを映画化した作品には触れなかった.
 映画の制作年は,昭和三十八年.山田洋次監督の二作目の作品である.
 私のようなアラウンド七十歳の爺さんたちには,いわゆるサユリストが多いのであるが,映画女優としてはヒット作に恵まれなかった吉永小百合よりも,『男はつらいよ』のさくら役がライフワークとなった倍賞千恵子の方に同時代の伴走者感があるのではなかろうか.

 映画『下町の太陽』は,今にして思えばいかにも山田洋次監督作品であり,当時の日活の青春歌謡映画とは一線を画する作品であった.
 ただし,今入手できる本作のDVDは,テレビのアスペクト比に合わせて画面の上下が大きくカットされてしまっているので,映画作品としての昭和感は損なわれてしまっている.
 ではあるけれど,私たちが『ALWAYS 三丁目の夕日』に感じる「記憶の改竄」はないのがとてもいい.倍賞千恵子ファンは必見.
(Wikipedia【ALWAYS 三丁目の夕日】はこの点について《山崎貴監督によると、当時の現実的情景の再現以上に、人々の記憶や心に存在しているイメージ的情景の再生を重視したようである》と婉曲に表現しているが,あからさまに言えばこれは意図的に「記憶の改竄」をしたものであり,この嘘臭い映画の「昭和」にはリアリティがないと批評家が指摘する通りである)

 さて本作の導入部で,ヒロイン寺島町子 (倍賞千恵子) の弟の健二とその仲間が鉄道模型の万引き事件を起こす.
 健二の身柄を引き受けに警察へ町子が行くと,少年たちの取り調べをしていた刑事が町子に言う.

刑事「お父さんの収入はどれくらい?」
町子「二万八千円か九千円です」
刑事「それであんたが働いて家計を助けてるんだね」
町子「はい」
刑事「それじゃさほど困るということはないね」

 町子の父親は五十歳くらいのようで,給料が三万円に満たない.
 町子はどうかと推測すると,映画制作年である昭和三十八年の国家公務員初任給が一万七千百円であるから,女工 (広辞苑《工場で働く女子労働者。女子工員。》) の町子は月給一万円程であろうか.
 家計収入は二人合計で約四万円で,これなら刑事の台詞「それじゃさほど困るということはないね」の通りであろう.
 実はこの映画の頃,私の父親 (刑務官) の給料は三万円ちょっとだったような記憶がある.我が家の五人家族で三万円ちょっとの収入というのは,かなり貧しい部類であり,そのため私と姉弟のうち,大学に進学したのは私だけであった.
 姉は高校の成績優秀であったが,家計を助けるために高卒で就職した.姉がもし大学に進学していたら,彼女には別の人生が開けていたはずで,映画『下町の太陽』を観ながら,少し苦いものが思い出に混じった.

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2017年2月 9日 (木)

お砂糖をふたつ

 テレビ朝日『じゅん散歩』を観ていたら,高田純次が石川セリの「ムーンライト・サーファー」を歌いながら歩いていた.
 懐かしいなあ,石川セリ.
 若い人は石川セリを知らないだろうけれど,高田純次 (七十歳) や私のような爺さんたちには忘れられない歌手だ.
 石川セリはお世辞にも歌唱力があるとは言いにくく,昭和の終り頃には歌のうまい女性歌手は他にたくさんいたけれど,しかしそれでも彼女は団塊世代の記憶に残る歌をいくつか残した.
 そんなこんなの懐かしさで,石川セリをもう一度聴き直してみようかと思い,ベスト盤を買ってみた.

 そのCDに収録されている「ひとり芝居」の歌詞に《お砂糖はふたつだったでしょう》というフレーズがある.
 北関東の片田舎で,私が高校性だった昔々,喫茶店で使われている砂糖は,現在のようにスティック包装のグラニュー糖ではなく角砂糖が普通だった.
 その後の昭和四十三年,大学に受かって上京すると,東京には普通の喫茶店よりおしゃれなコーヒー専門店なるものがあることを知った.
 大学の前の通りにあったコーヒー専門店に入ると,テーブルの上にシュガーポットが二つ置かれていて,一つにはグラニュー糖が,もう一つにはブラウンシュガーの角砂糖が入っていた.
 昭和四十年代は,角砂糖が次第にマイナーになっていく時代だったようだ.暫くすると喫茶店から角砂糖は姿を消した.
 しかしその角砂糖のおかげで,グラニュー糖をスプーンで採るときも「お砂糖をふたつ」という言い方が残った.

 さて恋人同士は喫茶店に行く.今時,スタバとかドトールなんかでデートするカップルはいないだろうが,昔は喫茶店に行くのがお約束だったのだ.
 昔の喫茶店はセルフサービスじゃないから,店員さんに紅茶なりコーヒーを注文する.
 そしてやがてテーブルに飲み物が届けられると,カップに砂糖を入れるのは女性の役割だった.だから,女の子にとっては,相手の男の好みの甘さが「お砂糖をひとつ」なのか「お砂糖をふたつ」なのかを知ることが,彼の恋人になる第一歩だった.そういう時代があったのである.
 で,ある日,彼女はいつものように彼のカップにスプーンで「お砂糖をふたつ」入れようとする.すると男が,彼女の目から逃げるようにして「あ,俺,最近ブラックが好きになったんだよね」なんて言う.
 こうして彼女の恋は終わるのだった.

 という具合に松任谷由実作詞「ひとり芝居」の時代を解説してみました.
 もっと時代が遡ると,松島詩子「喫茶店の片隅で」がある.
 ここに歌われる喫茶店は,蓄音機と角砂糖があって,セピア色をしている.
 私が大学一年生のとき,中野駅北口に,蓄音機と角砂糖の古びた喫茶店があった.五木寛之の初期の随筆にイニシャルで登場する店だが,今もまだあるのだろうかと思って調べたら,もう十年以上前に閉店したそうだ.

[余談]
 角砂糖を懐かしく思い,買ってみるかと amazon を覗いたら「フランス風角砂糖」があったのだが,箱入りで 1kg はいかにも多量なので諦めた.女性が好みそうな雑貨屋に行けば,ガラスの小さな壺に角砂糖を詰めたものなんかが置いてありそうな気がするが,探しに行ってまで欲しいというものでもない.
 それはそれとして,購入者レビューで某氏が次のようなことを書いている.

私はコーヒーを飲む時、コーヒーに砂糖を使いません。しかし、角砂糖をかじりながら飲むのが私の楽しみです。横浜のニューグランドホテルでも私私 (ママ) 用に角砂糖を準備してもらっています。

 すごいですな.ホテルのティールームに角砂糖をキープしているというVIPさんの投稿だ.
 でも横浜にあるのはニューグランドホテルではなくてホテルニューグランドである.ホテルニューグランドでお茶を飲むなら“ザ・カフェ”か“ラ・テラス”だけれど,ニューグランドホテルにあるコーヒーショップなんて誰も知らない.というわけで,amazon のレビューは嘘でも書いたもん勝ちであります.

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2017年2月 8日 (水)

金正日に次ぐ世界最強のゴルファー

「男の顔は履歴書である」は大宅壮一の名文句として知られる.
 これのバリエーションの一つに「男の顔は履歴書 女の顔は請求書」があるのもよく知られている.
 ところが,この名文句の初出が,つまりいつ発行された何という雑誌に出ていた文句なのだろうかと調べているのだが,はっきりしない.
 私が中学生の時には既に人口に膾炙していた記憶があるから,おそらく昭和三十年代の言葉だろう.
 なんでそんなことを調べたかというと,あるブロガーが次のように書いているからである.

当初から疑問に思っていたのですが、「男の顔は履歴書」は大宅先生が言ったのでなく、大ヒットした映画の題名にひっかけて、「女の顔は請求書」と、当時の大宅先生がいったのじゃないかと最近は思っています。
そのほうが、この言葉の妥当性があるような感じを最近持ちはじめました。
それにしても主役を演じた、故安藤昇氏は、男気と才覚に溢れた人物みたいですね。

 映画『男の顔は履歴書』(監督加藤泰,出演安藤昇,伊丹十三他) は劇場公開が昭和四十一年 (1966年) で,大宅壮一の「男の顔は履歴書」をタイトルに借用した作品である.
(ちなみに撮影は,松竹にこの人ありと知られた高羽哲夫)
 上に記事を引用したブロガーは,「男の顔は履歴書」は元々が映画のタイトルで,これを大宅壮一がもじって「女の顔は請求書」と言ったと書いているのだが,大間違いの妄想甚だしいとはこのことである.
「男の顔は履歴書」は大宅壮一の言葉に間違いない.年寄りはみんな知っていることだ.
 ただしバリエーションの方の「女の顔は請求書」は,大宅壮一の門下生の誰か,たぶん草柳大蔵が付け加えたものである.このことは吉行淳之介の随筆に書いてあったと思うが,肝心の随筆集の書名を忘れた.
 ちなみに,ずっと後に藤本義一が『女の顔は「請求書」』(PHP研究所,1981年) を書いたが,これは剽窃に近い.出版されたとき,おいおいパクリかよ,と思ったのを覚えている.

 で,件のブロガーを「ちゃんと調べてから書けバカヤロー」と罵倒しようとしたのであるが,いざ自分で調べても,よくわからんということになってしまった.
 ただまあ,いくらなんでも「男の顔は履歴書」は映画の題が先ということはない.そんな新説を唱えるのであれば,それなりの根拠を示さねばならぬ.「私はそう思う」では妄想甚だしいと言われても仕方ない.

 さて「男の顔は履歴書」だが,強欲を絵に描いたようなトランプ大統領の顔は酷い履歴書だ.
 人間は見た目で判断してはいけないというのは正論であるが,しかし正論にも限度はある.やはり「男の顔は履歴書」の方が諸兄納得できるところであろう.
 権力者の周りには必ず,権力に阿る輩がいる.それ故,権力を手にしたらそのような連中を遠ざけないと道を誤るという.これまた正論である.
 ではあるが,その権力が桁違いだと,正論なんか無力になるのが実際のところだろう.

 世界最強の権力者といえばトランプ大統領 (とプーチン) だが,トランプ大統領はゴルフが好きらしい.それは結構なことだが,大統領のティーショットは,大きく左に外れようが右にとんでもなく逸れようが,視界から消えたあたりにまで歩いていくと,不思議なことに必ずボールはフェアウェイ上に発見されるのだそうである.(ニッポン放送上柳昌彦談)
 そんなインチキゴルフのどこが楽しいのか私には理解不能だが,権力者というのはそういうものなんだろう.人間は見た目で判断してはいけないとか,権力に阿る側近を遠ざけよとか,そんな正論は無力なのである.

 ゴルフで誰もが思い出すのは金正日総書記であろう.Newsweek 日本版に次のような記事《金正日、7つの爆笑エピソード 》がある.

その後はスポーツの分野で並外れた能力を発揮。94年に初めてゴルフクラブを握った際には、北朝鮮唯一のゴルフコースで11回のホールインワンを記録し、38アンダーという驚異的なスコアをたたき出した。証人は17人のボディーガード。これを最後に、金はゴルフから引退したという。

 CNNには,金正日総書記とトランプ大統領のゴルフの腕前を比較する記事を報道して欲しいものだ,

 昨日の報道によると,トランプ大統領はワシントンで日米首脳会談を行ったあと,安倍総理大臣とゴルフを行って親睦を深める予定である.
 大丈夫か安倍晋三.トランプは,たとえ隣のコースにボールを打ち込んでしまっても,そのボールは自動的に必ずフェアウェイに戻ってくるという天才的なゴルファーなのだ.日米同盟の今後のためにも,トランプに金正日のごとく連続ホールインワンをキめられるような負け方はしないでほしい.
 そして日本の報道陣は,このようなトランプ首領様大統領の奇跡のゴルフを目撃しても,安倍首相に見解を求めてはいけない.
 なぜなら「コメントする立場にない」と安倍は言うだろうから,というのは昨日のラジオで上柳昌彦が言ったジョークである.(爆)

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2017年2月 6日 (月)

いじめを肯定する文学

 風邪を引いて熱っぽいところへ持ってきて,腰を痛めてしまった.
 朝目が覚めてベツドから出ようとした途端に「うっ」と声がでた.私は夜中に一度も寝返りを打たず,寝入ったままの姿勢でいる (目撃者談) ので,こういう人間は腰を痛めやすいのだと聞く.そういう知識はあるのだが,寝起きの頭では知識なんか役に立たないのである.

 テレビの情報番組で例えば「腰痛治療最前線」なんてタイトルの番組を観ると,原因不明の腰痛というのがある (そもそも腰痛の大半は原因不明なんだとテレビは言う) ようだが,私の腰も明らかな病変はないと,一年以上前に治療に通った整形外科医は言った.
 それで「牽引」とか「デンキ」とかいう怪しげな治療を受けたが良くならず,毎日が激痛というわけでもないので,今はほったらかしにしている.

 それはそれとして,風邪と腰痛では横になって読書するしかない.
 今,枕頭に積み上げてある本は以下の通り.

差し入れの週刊文春(2/9号)
『最古の文字なのか?』(ジェネビーブ v. ペッツィンガー,文藝春秋)
『人類進化の謎を解き明かす』(ロビン・ダンバー,インターシフト)
『科学vsキリスト教 世界史の転換』(岡崎勝世,講談社現代新書)
『がん消滅の罠 完全寛解の謎』(岩木一麻,宝島社)
『邪馬台国は熊本にあった!』(伊藤雅文,扶桑社新書)

『最古の文字なのか?』は,半分程読んだところまでで意味不明な箇所が二ヶ所あった.これは著者に責任があるのか,あるいは翻訳の間違いなのかはわからない.

『人類進化の謎を解き明かす』は,『最古の文字なのか?』の著者が参考書として挙げている書籍.まだ読み始めていないが,有名な本らしい.

 トランプ大統領を選んだ米国は今後暫くの間,平等よりも差別を,平和よりも戦争を,理性よりも反知性を掲げていくわけだが,その根底にあるキリスト教世界観について勉強してみようと『科学vsキリスト教 世界史の転換』購入した.
 実はこの本の前に,佐藤優と中村うさぎ共著『聖書を語る』と『聖書を読む』(いずれも文春文庫) を読了済み.キリスト教擁護の思想的立場に立つ評論家佐藤優 (カルヴァン派) に対する,反キリスト教の中村うさぎ (かつてバプテスト派の教徒であったという) の発言がおもしろい.キリスト教が世界史的に何をやってきたのかを佐藤優が全く語らないことに私は驚いた.

『がん消滅の罠 完全寛解の謎』は第15回『このミステリーがすごい!』大賞の受賞作.頗る評判がよいが,まだ読み始めたばかり.

『邪馬台国は熊本にあった!』は,買ったから読むけど,どうでもいいやという投げやりな態度で読んでいる.毎日の朝,起きるとベッドの下に落ちている.

 差し入れしてもらった週刊文春(2/9号) の『文春図書館 今週の必読』は,住野よる著『よるのばけもの』(双葉社) である.
 評者は彩瀬まるという作家.
 評言から一部引用しよう.

いじめをテーマとする多くの作品では、よくいじめの被害者が際立ったキャラクターとして描かれる。いじめを受けてもおかしくないであろう存在として、読者を納得させるなんらかの特性が付与されるのだ。本作においても、いじめを受けている矢野はおそらく吃音症で、唐突に人を傷つけ、いつもにんまりと不気味に笑っている。安達を含めた他のクラスメイトは彼女を理解の出来ない異物として遠巻きにしている。

 今時,まともな常識ある社会人は純文学なんぞ読むことはなかろうが,読書する人々に見捨てられて久しい純文学業界が,今やこれ程まで酷いことになっていたのかと,私は驚いた.

 私は『よるのばけもの』を読んでいないから,彩瀬まるの評言が大嘘ではないという前提で書くが,《いじめをテーマとする多くの作品では、よくいじめの被害者が際立ったキャラクターとして描かれる。いじめを受けてもおかしくないであろう存在として、読者を納得させるなんらかの特性が付与されるのだ》は本当か.

 今の純文学では,いじめの被害者が《いじめを受けてもおかしくないであろう存在》として描かれるというのは本当か.
 それはまるで,「いじめられるのは,いじめられる側に問題があるのです」と放言して憚らぬ小中学校教員たちの言い分そのままではないか.

 原発事故で福島から避難している生徒を,「奴隷」「菌」「福島さん」と呼んでいじめをやっていた生徒と教員は,いじめられた生徒を《いじめを受けてもおかしくないであろう存在》としていたわけであるが,いじめられる生徒を《唐突に人を傷つけ、いつもにんまりと不気味に笑っている》として描く『よるのばけもの』を高く評価している評者彩瀬まるは,要するに原発事故被災者には,いじめられるべき《なんらかの特性が付与》されているのだと言っているのである.

 原発事故被災者であることが,いじめられても仕方ない《読者を納得させるなんらかの特性》であるなどとは,まともな人間の言うことではない.
 繰り返すが,今時,まともな常識ある社会人は純文学なんぞ読む必要はない.かつての純文学は私たちが生きている現実と切り結ぶものであったから,青年たちは懐が寂しくても腹が減っても,生きる糧のごとくにして純文学を読んだものだが,今時の作家である住野よるも彩瀬まるも,世の中で起きていることに興味関心はないのであろう.いじめられる生徒像として《おそらく吃音症で、唐突に人を傷つけ、いつもにんまりと不気味に笑っている》としか設定できない連中に用はない.
 ちなみに住野よるの短編作品名を Wikipedia から以下に引用列記する.

「か、く。し!ご?と」(『小説新潮』2015年9月号)
「か/く\し=ご*と」(『小説新潮』2015年12月号)
「か1く2し3ご4と」  (『小説新潮』2016年2月号)
「か♠く♢し♣ご♡と」  (『小説新潮』2016年4月号)
「か→く↓し←ご↑と」(『小説新潮』2016年6月号)

 これが文学の退廃でなくて何だろうか.

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