「すきやき」はどうして「すきやき」というのか.
サントリーグループの企業サイトに《名物料理論》というコンテンツがある.ここに曽我和弘という人による《鍋に歴史あり、味付けには理由あり 》と題した寄稿がある.
ここに書かれている曽我和弘氏のプロフィルは以下の通り.
《曽我和弘 (そがかずひろ):出版プロデューサー・フードプランナー
グルメ雑誌「あまから手帖」など出版畑を歩いた後、'99年に (有) クリエイターズ・ファクトリーを設立。編集製作のほかに飲食店プロデュースやフードプランニングの分野にも進出し、数多くの繁盛店を世に出す。その他、文化人としても活動。辻学園フードコーディネーター養成講座、大阪料飲協会の講師を務めるなど、幅広く活躍。》
で,曽我氏の文章から一部を引用する.
《そもそも、すき焼きとは、その名の如く農機具であった鋤で鶏や魚などを焼いたことから始まった料理である。》
こういう説を唱える人は多いのだが,この説を裏付ける文献が示された例を私は知らない.
Wikipedia【すき焼き】を見てみよう.
《歴史
鋤焼
日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは寛永20年 (1643年) 刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年 (1801年) の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年 (1804年) の『料理談合集』や文政12年 (1829年) の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という2種類の料理が、「すき焼き」の起源として挙げられている。》
なるほど.では「杉やき」とは何かを検索してみた.
すると,スカパーやケーブルテレビの時代劇専門チャンネルで以前放送されていたという番組『料理昔ばなし ~再現!江戸時代のレシピ~』の公式サイトに,《杉の香り漂う上品な料理 はまぐり杉焼き 》というウェブページを見つけた.
その説明に
《雛祭りといえば「はまぐり」ですが、平安時代から伝わる『貝合わせ』に見られるように、はまぐりは古くから女子の貞操を表し、良縁を招く食べ物とされてきました。
今回は、そんな食材はまぐりの魅力を最大限に引き出すはまぐりの杉焼きをご紹介。
日本古来の調理法、石焼き、煎り焼きと並ぶ伝統の焼き方「杉焼き」の魅力をご堪能ください。》
とあり,「杉焼き」の作り方が料理手順の写真付きで書かれているのだが,これを見て「どうも妙だ」と思う人が多いのではないか.
なぜなら,水で濡らした杉板をガス火の上に載せても,杉板に水分がある限り,板の上は少し湯気が立ってちょっと熱い程度の温度であり,従って板の上のハマグリに火が通ることはあり得ないからだ.
それが証拠に,
《3.
その上にはまぐりを置き、杉の板ごと火にかけます。コンロを使用する場合弱火にします。また杉の板に火が燃え移る事があるのでご注意ください。》
の横に添えられた写真をよく見ると,杉板は焦げ始めて今にも燃え上がりそうになっている.このあと火が付いてボーボーと燃える杉板の炎の中で,ハマグリはようやく口を開いたに違いない.
よくまあこんな嘘を堂々と載せるものだと大笑いしてこのサイトのトップページをふと見ると,監修者はあの永山久夫センセーだった.さもありなん.(笑)
もうちょっと信憑性の高い記事はないものかとさらに調べを続けると,平凡社世界大百科事典の【焼物】に記載があった.
《…… 江戸時代になると焼物の種類も多くなってくるが,貞享・元禄(1684‐1704)ころもてはやされた料理の一つに杉焼きがある。杉箱の中にみそを濃く溶いて煮立て,そこへタイ,カモなどの魚鳥や野菜を入れて煮るもので,杉箱の底にはのり(糊)で塩を厚く塗りつけて焼けないようにした。タイやカモの肉にほのかな木香(きが)をうつすというしゃれたもので,《日本永代蔵》はぜいたくきわまる料理という意味の〈いたり料理〉の一つにこれを挙げている》
さすがは平凡社世界大百科事典である.Wikipedia【すき焼き】の《古くは寛永20年 (1643年) 刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。》よりも具体的だ.この Wikipedia【すき焼き】に書いてあることだけでは,どうすれば杉板の箱で味噌煮が作れるのか皆目わからないが,世界大百科のように《杉箱の底にはのり(糊)で塩を厚く塗りつけて焼けないようにした》と書かれていれば,「おお,なるほどっ」と膝を打つことができるというものである.
というわけで,あの永山久夫センセー監修による再現実験料理「はまぐりの杉焼き」は大嘘であることがほぼ確定である.(大笑)
以上をまとめて考察するに,江戸時代は貞享から元禄にかけて,鍋料理である「杉焼き」が料理屋でもてはやされた頃は,「焼く」には「煮る」調理も含まれていたと考えられる.
翻ってみれば,和語「たく」は,「炊く」「焚く」の他に「焼く」とも書く.よく挙げられる用例は「護摩を焚く」「護摩を焼く」である.(共に「ごまをたく」と読み,後者は「ごまをやく」とは読まない)
つまり「炊く」も「焼(た)く」も,便宜的に別の漢字を当ててはいるが,元々は同じ和語「たく」なのである.
すなわち料理名の口語「すぎだき」を料理屋が「杉焼き」と書き表したために,次第に読みが「すぎやき」に変化したと考えられる.
このように考えてくると,Wikipedia【すき焼き】に書かれている
《さらに享和元年 (1801年) の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年 (1804年) の『料理談合集』や文政12年 (1829年) の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった》
は,実際にはどうだったのかという疑問が湧く.
『料理早指南』などの江戸期の料理本は,料理屋で出される料理のレシピ集である.そのような店で粋人たちが《鋤のうへに右の鳥類を》焼いたり《使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱》したとは,私にはどうしても思われぬ.
きっと,料理屋では,鋤に似せた形に拵えた鉄板のようなもので肉を焼いて客に食わせたのだろうと考える.
というのは,そもそも一般的に鋤は木製なのである.(鉄製の鋤も存在するが特殊である)
例えば春日井市立紙屋小学校のサイトに,昔の農具が写真入りで紹介されている.大変よくできているので感心した.
この一覧表の下から三段目に「鋤」の写真が載っている.これを見ればわかるように,鋤本体は木製で,先端が鉄の刃になっている.刃からU字状の枠が伸びていて,これで刃と本体が固定される構造である.
冒頭に紹介したフードプランナー曽我和弘氏は《そもそも、すき焼きとは、その名の如く農機具であった鋤で鶏や魚などを焼いたことから始まった料理である》と言うが,どうすれば木製である鋤を火にかけて鶏や魚を焼くことができるのか.この人は鋤を見たことがないのではあるまいか.
ちなみに Wikipedia【鋤】に次の記述がある.
《すき焼き
なお、柄の取れた古い鋤を野外で鍋の代わりに使って鳥獣の肉や野菜を焼いたのが「すき焼き」の始まりといわれている。》
根拠文献を示さずに愚かなことを書くものである.
江戸期の小作農にとって鍬や鋤などの農具は命の次に大切な財産であったに違いない.
そんなことは考えなくてもわかることだ.
木製本体と鉄製の刃を組み合わせた構造は,刃の部分が割れて壊れたら新しい刃を付け,柄が折れれば木製部分を取り換え,そうして祖父さまから孫の代まで大切に大事に使い伝えるに優れた工夫であった.
《柄の取れた古い鋤》は修理したに決まっている.《鍋の代わりに》するわけがない.
各地の郷土資料館などに展示された農具の,使い込まれ年季の入った様子を見れば,彼ら小作農の慎ましい暮しが偲ばれる.
小作農たちにとって農具は,武士ならば刀に等しい.どうして百姓の魂を火にかけて肉を焼き,わざわざ鈍らせたりなんぞするものか.
「鋤焼き」の「鋤」は,江戸の料理屋が料理に野趣を添えるために鋤に似せて拵えた料理道具であったに過ぎないと私は考えるのである.
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