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2017年1月

2017年1月29日 (日)

王樓賀韋華傳 (補遺)

 伊藤雅文『邪馬台国は熊本にあった! ~「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国~』(扶桑社新書) の Kindle 版を読んでいるうちに,固有名詞の「読み」を一々調べて確認しながら読み進むのが億劫になり,他にも字体のことなど色々と不審なことが出てきたので,新書版を購入して比較してみた.
 すると,新書版は,固有名詞だけでなく,例えば雲散霧消に「うんさんむしょう」とルビを振るなど,高校生でも楽に読むことができるような親切編集がなされていることがわかった.

 この本は,新書版と Kindle 版とでは内容が異なる.買って通読するなら絶対に新書版だ.
 以前にも,ある書籍の Kindle 版を購入したら,内容理解に不可欠な図版が省略 (理由不明) されていて,物の役に立たなかったことがある.
 Kindle 版は,コミックに限っておいたほうが良さそうである.

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2017年1月28日 (土)

太古の暗号ミステリー

 一週間前の土曜日,TBSテレビ『世界ふしぎ発見!30周年スペシャル』を録画した.
 いや実に長寿の番組である.しかも内容がよい.
 その『30周年スペシャル』は,《未来を変える冒険者たち》と題して次の三テーマで放送されたのだが,その中でも私は《人類史を覆す太古の暗号に秘められたミステリー》に興味をそそられた.

フィヨルドの衝撃映像! バイオロギングで迫るザトウクジラの謎
折り紙顕微鏡で未来を変えろ! マダガスカルの小さな科学者たち
人類史を覆す太古の暗号に秘められたミステリー 》 

 番組中でも紹介されたのであるが,《人類史を覆す太古の暗号に秘められたミステリー》にはタネ本がある.『最古の文字なのか?』(ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー著,櫻井祐子訳;文藝春秋社刊) だ.
 その紹介によると,この本の著者は今年の夏,氷河期の洞窟の壁に描かれている記号に関する研究成果をまとめ,博士論文として世に問うという.
 ということは,彼女の研究の中心的な部分 (方法論と結論) は本書には書かれていないことになる.自然科学の場合,学術論文誌以外の書物に書いてしまったことは,学位論文には引用できないルールがある (=オリジナリティが要求される) からだ.

 私が考えるに本書は,彼女の博士論文の序文に相当するものだ.
 一年後か二年後,博士号を得た後に,きっと博士論文の本文に相当する内容が出版されるに違いない.それを楽しみに本書を読むとしよう.

[追記]
 翻訳者の櫻井祐子氏は1965年生まれで,フリーの翻訳家である.お若くはないのであるが,今の若い人に特徴的な文章のクセ (というか未熟な日本語) が見られるのは残念だ.一例として,訳文が推測の文型なのに末尾に疑問符をつけてしまっている.これは,文脈からして原文はおそらく疑問文であるので,それならそれで訳文もきちんと疑問文にしなければいけない.これはネット上に見られる若い人の文章に特徴的な誤りである.
 それから,訳者は,自分は人類学の門外漢であると訳者あとがきに書いている.これはいかにもまずい.自然科学書は小説ではないのだから,語学力があるから翻訳できるといったものではない.自然科学書の翻訳者には,その科学分野の基礎的な知識教養が必須である.読者は門外漢で一向に構わないが.(笑)
 この翻訳者のつたない文章 (*) が本書の価値を落としてしまっているかも知れない.その上しかも,専門知識の欠如による誤訳があるかも知れないことに,読者は注意して読む必要がある.

(*) 本書 p.20 に《これは私が見た最も美しい洞窟とはとてもいえない。》と直訳が書かれているが,まるで日本語になっていない.この訳文では,二番目に美しい洞窟であることを否定できていない.しかしこの洞窟は,絶対に二番目に美しい洞窟でもないのだ.
 きっと原文は " not + 最上級" であるに違いない.だとすると「この洞窟は私が今までに見た中でも,かなり酷い状態のものだ」が原文のニュアンスである.最悪に近いのである.その証拠に,著者と一緒に洞窟を調査した考古学者グスタボは《この洞窟はほんとに最悪でね》と言っている.(本書 p.16)
この洞窟はほんとに最悪でね》と p.16 に訳文を書いておきながら,p.20 で《これは私が見た最も美しい洞窟とはとてもいえない。》とは一体どういうことだ.本書の翻訳をした櫻井氏が,私が知っている最も優秀な翻訳家であるとはとてもいえない.(笑)
 高校の英文和訳の授業で " not + 最上級" を習うはずで,長文読解テストでは文脈に沿ったニュアンスで解答する必要がある.まるで中学生みたいな,日本語になっていない直訳では,高校ではよい点数をもらえない.(日本語になっていればいわゆる翻訳調でも全く構わない.櫻井氏が高校生の場合は,だが)

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クロネコ非常識便

 宅配便の再配達コストが業者の経営を圧迫しているとの報道が時々なされる.
 私は amazon のプライム会員であり,配達時刻指定で注文するので,配達時に留守であるということはない.
 そのような宅配便ユーザーの立場から,再配達コスト問題は業者側にかなりの原因があるのだということを,以下に例を挙げて書く.

 まず,配達員が私の自宅のインターホンを鳴らす.
 私が応答して「はい」と言う.
 あるべき礼儀として配達員は「クロネコヤマトです」と言わねばならない.
 しかしヤマト運輸の男の配達員は,十人うち十人全員が無言なのである.
 仕方なく私が「どちらさまですか」と言うと,ようやく「クロネコヤマトです」と,十人中八人が答える.
 そこで玄関ドアを開けて荷物を受け取るという具合になる.
 残りの二人は,「どちらさまですか」と訊かれても無言なのである.

 ある日の午前中,断固として無言を貫く配達員に対して,私はそいつがクロネコヤマトであると承知の上で,玄関に出なかったことがある.
 するとそいつは再度インターホンのチャイムを鳴らすのであった.
 再び私「はい」
 配達員,無言.
 私「どちらさまですか」
 配達員,無言.私はインターホンを通話オンにしたまま相手の応答を待った.
 暫くして玄関に出てみたら,ドアに再配達連絡用紙が貼り付けてあった.たった一言「クロネコヤマトです」と言えば再配達の余分な手間はかからなかったのに,こいつは口を開くよりは再配達を選んだのである.

 夜に再配達するよう連絡 (ナビダイヤル自動応答式) して,私は荷物を待っていた.
 インターホンのチャイム.
 私「はい」
 配達員,無言.
 私「どちらさまですか」
 配達員,無言.
 このままでは再配達の繰り返しになるので,怒りを抑えて私は玄関にでた.

 このことから断定するにヤマト運輸は,宅配配達員の男にクロネコヤマトであると名乗らぬよう厳しく社員教育をしているに違いない.
 宅配便を受け取るのは,昼間家庭にいる機会の多い女性たちであろう.インターホンのチャイムが鳴っても,相手が名乗らなければ玄関を開けないのは,とりわけ女性の場合は常識である.
 従って,名を名乗らぬという非常識な社員教育をしているヤマト宅配便の再配達コストがかさむのは当然である.当然の報いである.

 なお,クロネコヤマト配達員でも女性は必ず「クロネコヤマトです」と名乗る.不思議なことである.
 つい先ほども,断固無言貫徹のクロネコ非常識配達員野郎が来たので,今もまだ怒りが冷めていない.ううう.

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2017年1月27日 (金)

王樓賀韋華傳

 伊藤雅文『邪馬台国は熊本にあった! ~「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国~』(扶桑社新書) を昨日から読んでいるのだが,本書 Kindle 版の位置 No.492 に唐突に《王樓賀韋華傳第二十》が一部引用されている.『王樓賀韋華傳』にルビは振られておらず,どのような書物であるのか何の説明もない.

 そこで百科事典を調べると,『三国志』の巻四十六から巻六十五までが「呉書」であるが,その呉書中の,呉の武将である王蕃,樓玄,賀邵韋曜華覈の伝記 (すなわち王蕃伝・樓玄伝・賀邵伝・韋曜伝・華覈伝) を集成した列伝集のそのまた第二十というものであるらしいが,これは中国史において何と読むことになっているのか,皆目わからない.

 各武将を百科事典で調べてみたが,樓玄については,Wikipedia では【楼玄】の項目が立てられている.読みは「樓」「楼」いずれも「ロウ」でよいとして,中国史では旧字体「樓」と書くのが普通なのか,新字体「楼」でも構わないのかを知りたいところだが,Wikipedia に解説はない.
 また「王樓賀韋華傳」をテキトーに「オウロウガイカデン」と読んだら「いえ,慣用では○△□※#と読みます」なんて言われたりするおそれもある.
 学術論文ならいざ知らず,読者に買って読んで欲しい (著者が収入にしたい) 本を書くということは,読者ファースト (小池百合子風) でなければならない筈だが,著者伊藤雅文氏にそんな気は全くないようだ.
 もっと基本的なことであるが,地名人名を旧字体で表記するか,あるいは新字体で表記するかの基準がこの本には書かれていないし,実際に不統一である.この種の本で凡例を書くのは,最低限必要なことであると思うのだが.
 それに,著者は書名『王樓賀韋華傳第二十』をネットの検索サイトからコピペしたと馬鹿正直に書いている (位置 No.467) .
 インターネットには文字コードの問題があって,固有名詞であっても旧字体新字体が不統一にならざるを得ない場合があるのだが,『邪馬台国は熊本にあった!…』は紙に印刷した書籍であるから,その制限はないはず.従ってネットからのコピペであっても,書籍にする際に修正を行うべきである.
 それともこの字体不統一は Kindle 版だけに生じているのか.それならば「『邪馬台国は熊本にあった!…』初版に基づいて制作しましたが,一部の字体が異なります」と断り書きがあって然るべきだが,説明はない.難儀な本だ.

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2017年1月26日 (木)

邪馬台国論争最強の新説か!

 何が不毛だといって,不毛な論争の代表格は邪馬台国論争だろう.

 amazon で何かおもしろい本はないかと探していたら,伊藤雅文『邪馬台国は熊本にあった! ~「魏志倭人伝」後世改ざん説で見える邪馬台国~』(扶桑社新書) が目についた.
 これは去年の秋に出版された本で,帯に《古代史最大のミステリーへようこそ。1716年、新井白石の「古史通域問」に始まった邪馬台国論争300年目の新説登場!》とある.amazon の読者レビューで星4.5 という絶賛本だ.

 邪馬台国論争が楽しいのは,「魏志倭人伝」に書かれている帯方郡から邪馬台国への行程において,「魏志倭人伝」に記述されている方角と距離を「方角が間違っている」「距離が間違っている」と勝手に辻褄を合わせ,自分が「邪馬台国はここにあって欲しい」と思う土地まで,強引に邪馬台国比定地を引っ張ってくるのが可能であるところにある.
 その気になれば,邪馬台国の比定地は,皇居でも福島第一原発でも自由自在だ.
「邪馬台国は大戸島だった!」でも「卑弥呼はアンゴルモアの大王だった!」でもいいのだが,そうしないのは論者たちにわずかな羞恥心が残っているからに過ぎない.

 それでも今までの論者は「魏志倭人伝」を一応の根拠にしてこれを改竄することに努力を傾注してきたのであるが,この伊藤雅文氏は,そもそも現在私たちが知っている「魏志倭人伝」そのものが,既に改竄された偽書であるという説らしい.
 これは着眼点が新しい.すばらしい.この伊藤雅文説を敷衍すれば,「魏志倭人伝」は陳寿のフィクションであるとすることが可能で,「邪馬台国はなかった!」という本を書くことができることになる.すなわちこれまでの邪馬台国論争を木端微塵に粉砕できるのだ.
 そこで私は,邪馬台国論争におけるたった一つの根本資料「魏志倭人伝」を否定し,従来の論争に終止符を打つこのトンデモ本は読んでみる価値があると思い,Kindle 版を購入した.
 ところが,この本は,子供でも読める簡単な地名にはルビを振っておきながら,ルビが必要な地名には「敢えてルビを振らない」という方針だと書かれていた.
 もしかすると著者はすげーめんどくさい性格の人なのかも知れないが,ともかく私は自分で索引を作りながら読み始めた.この本,嘘がうまくできていたら書評を書くことにする.(笑)

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2017年1月25日 (水)

和風接着剤余談 (七)

 前稿に《私の説明ではややこしいので,実際に和弓の競技者である人が書いた文章を例示する》と書いたが,その後の調べで,この引用した文章《「和弓と洋弓の構造的差異」》には致命的な誤りのあることがわかった.以下に少し詳しく説明して誤りを明示したい.

また、和弓は弓の右側に矢を付けます。左手親指の上に矢を乗せるのです。しかし、弦は当然、弓の対称軸である中心に戻ろうとしますから、必然的に矢は右側に飛ぶことになります。それを制御するためにやはり射法においてやや左方にひねりをいれることになります (しかしこれは、射る瞬間に弓を左に振るとかいうのではなしに、左手親指を的に押す感じとともに「離れ」において「胸を割る」ので適切な射法をしていれば勝手にひねりは入っていることになります)。
 またこのとき、弦は曲がる軌道を描きながら弓に戻ろうとするので (これにも理由があります)、弓 (弦) の力をフルに矢に乗せるために矢が離れるときに手の内で弓を回転させます。いわゆるフォロースルーです。だから、射る前は左腕の右側にあった弦は、射た後は左腕の左側にあることになります (これもやはり適切な射法によって自ずからそうなるものであって、意図的に弓を手の内で回転させると「それは弓返りではなしに、弓返しだ」という指摘を受けます)。これは弓の力が可能な限り全部矢に乗る射法で「弓返り射法」といいます。

 この引用文の冒頭に,

和弓は弓の右側に矢を付けます。左手親指の上に矢を乗せるのです。しかし、弦は当然、弓の対称軸である中心に戻ろうとしますから、必然的に矢は右側に飛ぶことになります

とある箇所が間違いなのである.
 この点は,Wikipedia【和弓】にも次のように書かれている.

構造
反り
和弓は全体的に滑らかな曲線を描くが、その独特の曲線で構成された弓の姿を成りと言う。弓に弦を張った状態での姿を張り顔・成り、充分に引いた時の弓の姿を引き成り、弦を外した状態では裏反りと呼び、それぞれ弓の性格や手入れする際に見る重要な要素である。
和弓は基本的に5つの成り場で構成される。下から小反り、大腰、胴、鳥打ち、姫反りと呼ばれ、5カ所それぞれの反発力の強弱バランスによって張り顔は成り立ち、また弓の性能を引き出している。弓の張り顔には江戸成り、尾州成り、紀州成り、京成り、薩摩成り等と呼ばれる産地毎の特徴や、それを作る弓師によってもそれぞれ特徴がある。また射手の好みや癖、材料の個体差から来る要因から弓の成りは一定ではなく、一張り毎に少しずつ張り顔は違う。
和弓は弦を手前に弓幹を向う手に見た時に上下真っ直ぐな直線ではなく、矢を番える辺りで弦が弓幹の右端辺りに位置するよう僅かに右に反らされている。この弦が弓の右端に位置する状態を入木(いりき)と呼び、矢を真っ直ぐ飛ばすために必要な反りとなっている。逆に弦が弓の左に来るような状態は出木(でき)と呼ばれ、これは故障の部類に入り調整が必要となる。
》 (文中の下線は当ブログ筆者が付した)

 実際に和弓を見て見ると,Wikipedia【和弓】の記述の通り,素人である私が見ても明らかに和弓は《上下真っ直ぐな直線ではな》い.僅かに右側に湾曲している.
 すなわち,《「和弓と洋弓の構造的差異」》の筆者は《弦は当然、弓の対称軸である中心に戻ろうとします》としているが,この筆者がいうところの《弓の対称軸》は実は存在しないのである.
 この人,ブログ全体を読んだ限りでは実際に弓道競技者であるとしか思えないのであるが,自分が日頃手にしている弓の構造を理解していない.唖然として驚くしかないのであるが,もっと驚くべきは Wikipedia【和弓】の,小項目[構造] の上にある小項目[特徴] の記述である.

特徴
なお弓本体の右側に矢をつがえて放つと言う構造上、そのまま矢を放てば矢は弓本体に阻まれ、狙いは右に逸れてしまう。このため発射時に左手の中で弓を反時計回りに素早く回転させることでそれを防ぐ。これを「弓返り」(ゆがえり) と言う。
》 (文中の下線は当ブログ筆者が付した)

 これと比較するためにもう一度《構造》から一部引用する.

構造
……
和弓は弦を手前に弓幹を向う手に見た時に上下真っ直ぐな直線ではなく、矢を番える辺りで弦が弓幹の右端辺りに位置するよう僅かに右に反らされている。この弦が弓の右端に位置する状態を入木 (いりき) と呼び、矢を真っ直ぐ飛ばすために必要な反りとなっている。
……》 (文中の下線は当ブログ筆者が付した)

 私が弓を見て確認した限りでは,和弓には Wikipedia【和弓】の《構造》に《矢を真っ直ぐ飛ばすために必要な反り》と説明されている「入木」が存在した.すなわち《構造》の方の記述が正しい.《特徴》に,「入木」がないものとして書かれている記述は誤りである.(同じ大項目の中で小項目間に矛盾があることは,多数の執筆者が寄ってたかって好きなように書く Wikipedia の本質的な欠陥である)
 ここで,和弓の弦を引き絞って矢を放った瞬間の力学的状態を考察してみよう.
(和風接着剤余談 (八) に続く)

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高島流砲術絵図

 昨日放送のテレビ東京《開運!なんでも鑑定団 》を録画して観ていたら,高島流砲術の演習を描いたと思われる絵巻物が出品された.
 テレビ画面にその巻物の左端が大写しにされると,そこに次のようにあった.

天保十二年建白書控
 図画渡邊崋山
 川路蔵図書

(もちろん実物は縦書き.「控」は略字で,「図」「画」「華」は正字で書かれている)

 ここに「川路」とあるのを見て思わず再生を止め,安楽椅子から身を乗り出して「もしや川路とあるのは川路聖謨か」と眺め入った.
 案の定,鑑定結果によると,この絵巻物は天保十二年に高島秋帆が幕府に提出した建白書に付けられた資料で,氏名不詳の絵師が描いた原画を渡邊崋山が写したものである.
 番組に出品されたのは川路聖謨の蔵書だったものだが,渡邊崋山の筆になる写しはもう一巻あり,それは勝海舟が所蔵していた.(現在は東京板橋区にある曹洞宗寺院で,高島秋帆所縁の松月院に在るという)
 つまりこの高島流砲術を描いた巻物で現存するのは,鑑定団に出品されたものと松月院所蔵のものの二つだけであり,視聴者は大変に貴重なものを見せてもらったわけだ.

 この《鑑定団》には,歴史上の人物が関わる骨董が時折鑑定にかけられる.
 そのような回には人物の簡単な紹介がされるが,あまり知られていない逸話が語られることもあり,大変勉強になる.小なりと雖もテレ東,侮り難し.

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2017年1月24日 (火)

余情残心

 昨日放送の《YOU は何しに日本へ? 》を録画して観ていたら,私の郷里である群馬県前橋市の,群馬県庁のすぐ近くにある「NIPPONおもてなし専門学校」が取材されていた.
 この専門学校では,ホテルマン志望者とかレストランを開業したい外国人に,日本の作法,マナー,つまりいわゆる「おもてなし」を教えているのだとか.
 この学校の公式サイトには,群馬ロイヤルホテルが運営協力していると書かれている.つまり先生は,群馬ロイヤルホテルで従業員の教育に当たっている人たちなのであろう.
 放送されたシーンで,講師の女性が生徒に,来客にお茶を出すときの作法を教えていた.
 彼女は厳しい面持ちで外国人生徒たちに「残心」の説明をしたのだが,それを聞いて私はなるほどと感じ入った.
 茶を出すということは,客の前にトンと茶碗を置けばいいというものではない.そのあと,「どうぞお召し上がりください」とのもてなしの心を込めて,茶碗に掌を添えるがごとくにして静かに手を引く.彼女は,これが残心である旨を生徒に語ったのである.

 残心とは何か.
 Wikipedia【残心】は,《武道における残心》と《芸道における残心》に分けて記述されている.
 上の専門学校ではお茶の出し方で「残心」を教えていたので,《芸道における残心》を見てみよう.

茶道における残心とは、千利休の道歌に表れている。
何にても 置き付けかへる 手離れは 恋しき人に わかるると知れ
(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)
また井伊直弼は茶湯一会集において、客が退出した途端に大声で話し始めたり、扉をばたばたと閉めたり、急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではないと諭している。主客は帰っていく客が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送る。その後、主客は一人静かに茶室に戻って茶をたて、今日と同じ出会いは二度と起こらない (一期一会) ことを噛みしめる。この作法が主客の名残惜しさの表現、余情残心であると述べている。

 《千利休の道歌》とは「利休百首」 (資料) のこと.正直なところ利休って歌は下手だったんだなあと思わざるを得ないが,井伊直弼の言葉は実に印象的だ.説得力がある.

 さて実は,恥ずかしながら小生,「一期一会」は茶聖千利休が遺した言葉あるいは茶道の思想かと長いあいだ思っていた.
 というのは,わけがあって,例えば次の文章を御覧いただきたい.

 Wikipedia【千利休】
利休の茶の湯
……
「露地」も利休の業績として忘れてはならない。それまでは単なる通路に過ぎなかった空間を、積極的な茶の空間、もてなしの空間とした。このことにより、茶の湯は初めて、客として訪れ共に茶を喫して退出するまでの全てを「一期一会」の充実した時間とする「総合芸術」として完成されたと言える。
……》

 これは一例であるが,上の記述のように利休と「一期一会」を結びつけるのは,茶道を語る文章における「お約束」だと言っていい.
 ところが史実としては利休は「一期一会」とは言っていない.利休の弟子の山上宗二が著書『山上宗二記』の中で利休の言葉として,「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ一期ニ一度ノ会ノヤウニ亭主ヲ敬ヒ畏ベシ」と伝えたというのが事実である.伝利休之言は「一期ニ一度ノ会」なのだ.
 だがこの散文の一句「一期ニ一度ノ会」を,全く同じ意味でありながら四字熟語にしてみせた人物がいた.それが井伊直弼であり,四字熟語は「一期一会」である.
 散文的な「一期ニ一度ノ会」では,茶道に無縁の庶民にまで茶道の精神が広まることはなかったろう.「一期一会」は,昭和庶民に「花の生涯」として知られた井伊直弼の大手柄だったと言っていいのではなかろうか.

 ところで全くの余談だが,歳を取ると小便のキレが極めて悪い.放尿後,うかつにパンツから出ているものをしまうと,それからちょろちょろと小便が垂れ流れるのである.
 諸兄皆お嘆きのように濡れたパンツは実に情けない心持がするが,こんなことになったのは作法を知らぬからである.
 何にても置き付けかへる手離れは恋しき人にわかるると知れ
 すなわち何事も最後まで気を抜いてはいけないのである.
 小便が出た途端に大声で話し始めたり,急いでさっさとパンツの外に出ているものを片付けたりすべきではない.老人は,放尿が終ったように見えても,ずっと見送ることが大切である.
 その後,老人は一人静かに部屋に戻って,今日と同じ放尿は二度と起こらないことを噛みしめるのである.
 《芸道における残心》を語ったついでに尿道における残尿に言及した.すまぬすまぬ.

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2017年1月22日 (日)

いじめの原因は教員にある

 私の息子が小学校のとき,同級生たちからかなり酷いいじめを受けた.
 私は事態を打開すべく担任教諭に面談を求めたのであるが,担任の発言は驚くべきものであった.
 今でも思い出すと腹が煮えくりかえる.その担任の糞野郎は「いじめられるのは,いじめられる側に原因があるんですよ」と言い放ったのだ.

 いつまで経ってもいじめのニュースが後を絶たないが,いじめをされた子の担任教諭の報道取材への言い訳はいつも「いじめがあるとは知らなかった」だ.
 嘘を言うな,である.

 時事通信 (2017年01月21日21時23分) が伝える《作文でいじめ訴える=原発避難の中1、報告されず-新潟 》から下に引用する.

東京電力福島第1原発事故で新潟県下越地方に避難している公立中学1年の女子生徒が、同級生から名前に「菌」を付けて呼ばれるいじめを受けた問題で、地元の教育委員会は21日、記者会見を開き、生徒が昨年の夏休み前に書いた作文の中でいじめを訴えていたと明らかにした。作文を読んだ国語の教諭は、学校側に報告しなかったという。
 教委によると、生徒は2012年に両親とともに福島県から自主避難した。転校先の小学校でもいじめを受けたことがあり、作文には「菌」と呼ばれたことに関する具体的な記述はなかったが、小学校時代と中学に入学してからのいじめについて書かれていた。教諭は学校の調査に対し「読んだ記憶はあるが、小学校時代のことだと捉え報告しなかった」と説明したという。

 子供がいじめを受けた経験のある親なら直感的にわかる.この教諭は嘘をついている.
 というより,いじめる側に立って,一緒にその女子生徒をいじめていたに違いない.この教員が,作文を読んでも学校側に報告しなかったのは,報告すれば自分のいじめ加担がばれるからである.
 これと同じケースが今までに何度も報道され,あとで教員の嘘がばれている.最近の別の例では《避難児童に「菌」呼び 担任教師がいじめに加担か 》がある.
(いじめ x 教師 x 加担 で検索して欲しい.ついでに 教師 x 性犯罪,暴力教師 などで検索すれば,暗澹たる気持ちになること必定である)

 子供たちが発するSOSを握りつぶす教員たち.それどころか,SOSの原因である教員たち.
 各県教委は,教員の採用から抜本的に改善しなければ,事態は打開されないと私は断言する.

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2017年1月21日 (土)

和風接着剤余談 (六)

 本連載稿の目的は「手薬練を引く」の語源を明らかにすることである.
 しかしそのためには,日本中世史や天然物化学の知識の他に,もちろん弓の扱いに関する知識も必要で,総合的にかなりハードルが高い.
 私は天然物化学は一応の知識を有しているが,歴史のことになると古文書が読めないのが致命的だ.(眼前に文献があっても宝の持ち腐れである)
 それに比べると弓の知識は,ウェブにわかりやすく参考になる解説がたくさん書かれている.以下のことは,それらの弓関係のコンテンツを基にして書いたものである.

 さて日本人は茶でも花でも,剣も弓も格闘技も,そのジャンルで「道」を生み出した.
 しかし「道」のことは私の手に余る.それで,武器の扱いの技術的な部分だけについて考察すると,西洋式が圧倒的に優れているように思われる.
「剣と魔法の世界」のゲーム (世界観のモデルは中世欧州) をやる人は誰でも知っているように,西洋では極めて多様な武器と防具が開発され,使われたのである.
 例えば刀剣類.日本の刀は本質的に両手剣だが,あちらでは両手剣,片手剣,突き刺す片手槍など様々なものがあり,これに加えて棍棒やハンマー類もあり,西洋武具の歴史に関する専門書はかなり分厚い.
 具体的なことになるが,西洋の両手剣は諸刃であるから,刃こぼれなどで使用不能になるまでに,片刃である日本刀の二倍の敵を切り倒せるわけで,武器性能としてはお話にならないくらいの差がある.戦闘の現場では堅いアーマーごと叩き切ればいいのであり,鋭い切れ味なんか無意味だというのが西洋の合理的思考だろう.
 この例のように日本人の武器開発力が劣っていたことは歴然としている.日本の武器は扱いにくく,性能は低かった.
 弓は,刀剣よりも彼我の差がさらにあって,それについては映画が参考になる.
 『ロード・オブ・ザ・リング』に登場する弓の名手,エルフのレゴラスは小型の弓=ショートボウを装備し,矢が必中の距離で,なおかつ敵の剣が届かない至近距離に敵との間合いを詰め,速射する.(動画《Legolas fighting skills - The hobbit the desolation of smaug 》を参照) 矢は倒れた敵から抜き取って補充する.なお,レゴラスが矢を弓の左側につがえている理由は不明である.
 こういう接近戦とは別に,大部隊が対峙する場合の弓隊はロングボウを装備するのだが,ロングボウはそもそも的への命中を重視していない.遠距離から敵の頭上に雨霰の如く矢を落とし,白兵戦の開始までに敵の数を減らすのがこの弓の戦術だ.矢は使い捨てで,敵が接近したら,重装甲の兵士たちは弓を剣に持ち替えて戦うのである.このショートボウとロングボウの使い分けは大変に合理的だ.(『ロード・オブ・ザ・リング』の時代考証がしっかりしているとしての話だが)
 やがてショートボウは敵との距離が少し離れても命中するように構造が改良され,現代のアーチェリーの基礎を作った.
 具体的には,弓に矢をつがえている状態を上から眺めた図を想像すると,洋弓では「矢の方向」と「弦が矢を押していく方向」が一致しているのである.
 これに対して和弓は,「弦が矢を押していく方向」は「矢の方向」よりも左側を向いている.
 なぜなら,和弓を地面に垂直に立てたときに和弓自体は左右対称になっているのに,その弓の右側に矢をつがえるからである.(=矢の位置に対称性がない)
 その結果,高校の物理で習ったように力をベクトルの分解で表現すると,矢には右向きの力が働く.言い換えると矢は右に逸れて飛んで行くことになる.
 つまり射手が的を狙っても,和弓の動作原理では,狙った通りには決して飛ばないのである.
 私の説明ではややこしいので,実際に和弓の競技者である人が書いた文章を例示する.
 この文章も理解しやすいものではないが,日本では和弓の本質的な欠点をカバーする射法が工夫された.次の動画を一例に示す.
 つがえた矢が放たれたあと,弓は左の掌の中で回転し,その結果として弦は左腕の外側にまで回転していくのがよくわかるだろう.
 だがこの射法は,弓を元の位置に戻すことが必要で,連射性に劣る.
 そこで,日本中世の武士たちは,連射性が重視される実戦では,弓の回転を途中で止めるように工夫した.このとき弓が完全に回転してしまわぬよう,左掌に滑り止めを施したのだが,これを「手薬練を引く」と言ったのである.
(和風接着剤余談 (七) に続く)

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2017年1月20日 (金)

平晋三清盛

 時の首相が自分の考えをゴリ押しに実行したい場合,形式的に首相への諮問機関を設置する.
 安倍晋三が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」もその一つである.
 この有識者会議の構成員の意見は,すなわち安倍晋三の意志を代弁するものである.なぜならそのように「有識者」が選定されたからである.

 天皇は昨年,国民に宛てたビデオメッセージで,先の戦争の戦跡への訪問と慰霊や,災害時に国民の中にわけ入って激励することなどを天皇の象徴としての務めであると語った.
 天皇の即位以来,折に触れて美智子皇后が「祈り」と表現したことの具体的内容がこれである.
 かつて米よこせメーデーで昭和天皇は「ヒロヒト詔書曰ク 国体はゴジされたぞ朕はタラフク食ってるぞナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」とまで揶揄憎悪された.
 心情そこまでに至らずとも,大陸で,南方で,生死の境をさまよった挙句に命からがら帰還した私の父親世代は,それ以後昭和天皇に背を向けた.
 しかるに今や,週刊文春新年特大号 (1/5,12合併号) の記事「美智子さま"平成流"論議へのお嘆き」によれば,国民の大多数 (74%) が皇室に親しみを感じているという.(昨年八月にNHKが行なった世論調査結果)
 これは,記者会見の場で天皇の戦争責任を問う質問を無責任にも「文学方面のこと」と嘲った昭和天皇の没後,あたかも贖罪であるかのようにして,天皇と美智子皇后が誠実に営々と果たされた「象徴としての務め」「祈り」の結実,成果である.

 昨年,天皇は生涯で最初にしておそらく最後の意志表明をビデオメッセージで国民に届けた.
 しかしこれを快く思わなかった安倍晋三は,ただちに天皇の意志表明を逆手に取り,「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置して,天皇と皇后から「象徴としての務め」「祈り」を取り上げることを企んだ.

 上に挙げた週刊文春新年特大号の記事によれば,「有識者会議」の渡部上智大名誉教授は《宮中でお祈りくださるだけで十分》と言い,平川東大名誉教授に至っては《自分が定義し、拡大した役割を果たせないから退位したいというのはおかしい》と言い放った.
 東日本大震災被災者のために祈ってもらわなくても結構だというのである.このように有識者会議を進行させた上で安倍晋三は,天皇を宮中に押し込めることにした.
 時事通信が伝えるところによれば,下の引用のように,政府は東日本大震災六周年追悼式典に天皇を出席させないと決めた.

3月11日に政府主催で行う東日本大震災6周年の追悼式典に、天皇、皇后両陛下が出席されないことが19日、政府関係者への取材で分かった。秋篠宮ご夫妻が出席する方向で調整が進んでおり、政府が近く正式に発表する。

 天皇夫妻は失意のうちにあるだろう.東北諸県の県民は,安倍のこの暴挙に怒るべきであると私は考える.

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2017年1月19日 (木)

なべやき考 (大船 運ど運屋)

 昨日の記事《すきやき考》に私は次のように書いた.

以上をまとめて考察するに,江戸時代は貞享から元禄にかけて,鍋料理である「杉焼き」が料理屋でもてはやされた頃は,「焼く」には「煮る」調理も含まれていたと考えられる.
 翻ってみれば,和語「たく」は,「炊く」「焚く」の他に「焼く」とも書く.よく挙げられる用例は「護摩を焚く」「護摩を焼く」である.(共に「ごまをたく」と読み,後者は「ごまをやく」とは読まない)
 つまり「炊く」も「焼(た)く」も,便宜的に別の漢字を当ててはいるが,元々は同じ和語「たく」なのである.
 すなわち料理名の口語「すぎだき」を料理屋が「杉焼き」と書き表したために,次第に読みが「すぎやき」に変化したと考えられる.

 この論理を鍋焼きうどんに適用してみようというのが本稿の意図である.
 すなわち,元々は「鍋で炊いたうどん」料理は「なべだきうどん」であるが,この煮込みうどん料理を考案したうどん屋が品書きに載せる際に,「たく」に漢字「焼」を当てて「鍋焼き (なべだき)」と書いたために,いつしか客たちは「なべやきうどん」と呼ぶようになった.これが私の仮説である.
 以上,鍋焼きうどんについての考察終わり.昨日長々と《すきやき考》を書いたのは,実は本日の《なべやき考》のマクラだったのである.とはいえ短かすぎるのもなんだから,もう少し書き足す.

 鍋焼きうどんは,自宅で拵えようとすると色々な具を揃えるのがめんどくさいので,端から作る気が起きない.
 だったら蕎麦屋で注文して食えばいいようなもんだが,東京でも横浜でも藤沢でも,私が出向く辺りの町中で,蕎麦屋の熱い汁うどんを食うのは,私の苦手とするところだ.
 大阪人は東京のうどんを「人間の食いもんじゃねえ」と罵る (のがお約束だ) が,あの真っ黒けで極端に甘辛い汁はそう言われても仕方ないものだと思う.

 私の郷里の群馬県は,江戸期の昔から食い物には質素だったという.
 利根川流域は別として,赤城山麓から南に広がる地方,すなわち現在の関東平野北端に位置する県域は,陸稲耕作地帯だった.うまい米が採れなかった.そのせいで酒は臭い清酒しかできなかった.
 その代わり小麦栽培は盛んに行われ,うどんの質の高さには見るべきものがあり,福田赳夫元首相がよく郷土自慢していた.
 昭和の中頃の群馬.食い物に質素な一般庶民の家でうどんを打ったり,乾麺を茹でて食うときの汁は,煮干しで出汁を採った.蕎麦つゆでも,うどん汁でも味噌汁でも,すべて煮干しの出汁だった.煮干しは安価だったからである.
 蕎麦うどん用には,煮干し出汁に少しの醤油で味付けをした.砂糖や味醂は,贅沢品だったからとまでは言わないが,使わないのが上州の家庭では普通だったと思う.だから東京風の喉が渇くような甘辛さはなく,あっさりとしていて,蕎麦の味もうどんの味もしっかりとおいしく感じられたものだ.
 だがしかし時の流れは如何ともし難く,有名な水沢観音の門前街道のうどん屋も,昔は上州風の汁のうどんを食わせたのであるが,今ではすっかり観光地化してしまったせいで,東京からの観光客に迎合したのであろう,甘辛い汁や胡麻だれなどと妙なつけ汁が幅を利かせるようになり,中にはカレーうどんなどを出す店まであって,わけがわからぬ状態になり果てたのが残念である.

 東京の蕎麦の名店は別として,私が入口をくぐるような蕎麦屋は,うどんも商っている.
 そういう店で私が天ぷらを肴に酒をのんでいると,すぐ隣のテーブル席でデパートで買い物を済ませて立ち寄ったと思しき推定年齢五十七歳の御婦人が鍋焼きうどんを注文して食べたりする.
 その様子が否応なく目に入ってくるから鍋の中を何気なく見ると,立ち昇る湯気の中にメインは海老天か落とし卵,これに麩,蒲鉾,葱に椎茸が載った豪華な陣容で,この上なく美味のように見える.
 だがしかし,御婦人の箸でつまみ上げられたうどんは,甘辛く茶色に煮しめられていて,どう見てもまずそうだ.

 鍋焼きうどんは,美味なのか,まずいのか.

 いずれ遠くないときに西の方角から鉦や太鼓を叩いてにぎやかに阿弥陀如来様御一行がお迎えに来てくださるであろう私は,そろそろこの問題に決着をつけ,そうしてから浄土へ旅立ちたいと思う.
 で,思い出したのが大船駅に近いところにあるうどん屋である.
 ある日,鎌倉へ散策に出かけた折の帰路,鎌倉駅から大船駅行のバスに乗ったら,大船駅前の商店街 (仲通り商店会) が狭いバス通りとぶつかる角にある「運ど運屋」という暖簾が目に入ったのだ.
 妙な店名だが,看板には「手打ちうどん」とあり.運送屋ではなくて歴としたうどん屋なのである.
 「食べログ」をみると,絶賛レビューが並んでいて,評価は驚きの星3.5 だ.
 レビューの一部をタイトルだけ引用列挙してみる.(斜体の部分)

商店街の昭和なうどん屋さん
大船で雰囲気のある「運ど運屋」さん
冷やし+カレー= 素晴らしいコンビネーション
最近は高級な店もありますが、大船の庶民派うどん屋と言ったらまずここをお勧めします。
気軽に入れるうどん屋
大船仲通商店街を象徴する下町風のうどん屋さん【再訪】
「けんちんうどん」ですが豚肉が入ってます
透明感があり、つるつるとした喉越しとモチモチとした食感の麺
大船うどんと名乗ってもいいと思う
きちんとした手打ちうどんが食べられるお店です
「うどんや」だと思ってたけどなぁ…で、確かめた!
面白い屋号のうどん屋
大船の手打ちうどん専門店 @ 運ど運屋
手打ちうどんがなかなか美味しい、運の字ふたつの運ど運屋でうんどんや。
いつも通り過ぎていました。 大船に来ていつか行こうと思っていました、うどん屋なのでうどんの付くセッ
幼時(むかし)鍋焼きうどんはご馳走だった
   この人↑のレビューから以下に少し引用する.
ということで注文したのは、このお店のメニューでも単品では一番高い「なべ焼うどん:980円」。しばらく調理に時間がかかったものの、提供されたそれは、まさしく私の幼い頃に頂いた懐かしい「ご馳走」でした。
鍋焼きうどんとは、かくあるべき、というビジュアルと味付けで、心の中までぽかぽかと温まって、お店を後にしました。

 「食べログ」という口コミサイトが信用できないことは,去年の事件 (「食べログ」は,レビュー者たちの評価とは無関係に,運営側の都合で恣意的に飲食店の評点が決定されていることが,飲食店主の告発で発覚した事件) で今や世間に広く知れ渡ってしまったが,その他にも,飲食店の法違反 (食品衛生法違反など) などネガティブ情報や,辛口評価は書いてはいけない規則 (書いたら削除される) があるなど,まあ随分なことをやっているサイトである.
 そんなわけだから,レビューにも信憑性に疑問符が付く.
 ではあるけれど,《幼時(むかし)鍋焼きうどんはご馳走だった》さんが《鍋焼きうどんとは、かくあるべき、というビジュアルと味付けで、心の中までぽかぽかと温まって》とまで書いているので,この「運ど運屋」で鍋焼きうどんを食べてみることにした.体がぽかぽかと温まる料理は私たちの身の回りによくあるが,心まで温めてくれる食い物は,そう滅多にあるものではない.

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 店を訪れたのは昼前の十一時半頃.既に席の半分に客がいて,小上がりに会社の上司と部下二人と思われる三人連れ,テーブル席には会社員三人のグループ,老夫婦一組,御婦人二人連れ (会話から察するに母娘らしい)などなどであった.人気のある店のようだ.

 私のテーブルに,薄手のガラスコップに注がれた熱い蕎麦茶が置かれ,店の人は「熱いから気を付けて」と言った.熱くて持てなかったから,気を付ける必要はなかった.熱いお茶は湯呑に入れて欲しいものだが,それは私の個人的希望に過ぎない.店の流儀にとやかく言うものではなかろう.
 さて鍋焼きうどん九百八十円也を注文して待つこと暫し,出てきた鍋は土鍋ではなく鉄鍋だった.そしてこれに薬味 (柚子の皮と葱) の小皿と椀が一つ付いて来た.
 具は,衣は大きいが海老の身は小さな小さな (人差し指くらいの長さ太さ) 海老天が一本,車麩ではない極く普通の麩一個,紅白蒲鉾各一枚 (五ミリ厚),椎茸一個,筍一切れ,葱,ほうれん草であった.
(この鍋焼きうどんの料理写真は,ここを御覧いただきたい)
 椀に汁とうどんを取り分けたのだが,箸で持ち上げたうどんが自重で切れそうだったので,慎重な取り扱いが必要であった.次に先ず汁を蓮華で飲んでみた.
 レビューに《鍋焼きうどんとは、かくあるべき、という 味付け》と書かれた汁の,あまりの甘辛さに私の口はひん曲がった.
 「食べログ」レビューで皆が絶賛したうどんを食べてみた.
 レビューに《きちんとした手打ちうどん》と書かれたうどんは,箸で切れそうな,腰抜けうどんであった.
 もったいないから具は全部食べたが,汁はほぼ全部残した.飲んだら血圧が上昇して収縮期 140 を突破すること必定と思われたからである.
 というわけで,これで私は今生の鍋焼きうどんは堪能した.心置きなく御仏のもとに参ることにする.

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2017年1月18日 (水)

すきやき考

「すきやき」はどうして「すきやき」というのか.
 サントリーグループの企業サイトに《名物料理論》というコンテンツがある.ここに曽我和弘という人による《鍋に歴史あり、味付けには理由あり 》と題した寄稿がある.
 ここに書かれている曽我和弘氏のプロフィルは以下の通り.

曽我和弘 (そがかずひろ):出版プロデューサー・フードプランナー
グルメ雑誌「あまから手帖」など出版畑を歩いた後、'99年に (有) クリエイターズ・ファクトリーを設立。編集製作のほかに飲食店プロデュースやフードプランニングの分野にも進出し、数多くの繁盛店を世に出す。その他、文化人としても活動。辻学園フードコーディネーター養成講座、大阪料飲協会の講師を務めるなど、幅広く活躍。

 で,曽我氏の文章から一部を引用する.

そもそも、すき焼きとは、その名の如く農機具であった鋤で鶏や魚などを焼いたことから始まった料理である。

 こういう説を唱える人は多いのだが,この説を裏付ける文献が示された例を私は知らない.
 Wikipedia【すき焼き】を見てみよう.

歴史
鋤焼
日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは寛永20年 (1643年) 刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年 (1801年) の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年 (1804年) の『料理談合集』や文政12年 (1829年) の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という2種類の料理が、「すき焼き」の起源として挙げられている。

 なるほど.では「杉やき」とは何かを検索してみた.
 すると,スカパーやケーブルテレビの時代劇専門チャンネルで以前放送されていたという番組『料理昔ばなし ~再現!江戸時代のレシピ~』の公式サイトに,《杉の香り漂う上品な料理 はまぐり杉焼き 》というウェブページを見つけた.
 その説明に

雛祭りといえば「はまぐり」ですが、平安時代から伝わる『貝合わせ』に見られるように、はまぐりは古くから女子の貞操を表し、良縁を招く食べ物とされてきました。
今回は、そんな食材はまぐりの魅力を最大限に引き出すはまぐりの杉焼きをご紹介。
日本古来の調理法、石焼き、煎り焼きと並ぶ伝統の焼き方「杉焼き」の魅力をご堪能ください。

とあり,「杉焼き」の作り方が料理手順の写真付きで書かれているのだが,これを見て「どうも妙だ」と思う人が多いのではないか.
 なぜなら,水で濡らした杉板をガス火の上に載せても,杉板に水分がある限り,板の上は少し湯気が立ってちょっと熱い程度の温度であり,従って板の上のハマグリに火が通ることはあり得ないからだ.
 それが証拠に,

3.
その上にはまぐりを置き、杉の板ごと火にかけます。コンロを使用する場合弱火にします。また杉の板に火が燃え移る事があるのでご注意ください。

の横に添えられた写真をよく見ると,杉板は焦げ始めて今にも燃え上がりそうになっている.このあと火が付いてボーボーと燃える杉板の炎の中で,ハマグリはようやく口を開いたに違いない.
 よくまあこんな嘘を堂々と載せるものだと大笑いしてこのサイトのトップページをふと見ると,監修者はあの永山久夫センセーだった.さもありなん.(笑)

 もうちょっと信憑性の高い記事はないものかとさらに調べを続けると,平凡社世界大百科事典の【焼物】に記載があった.

《…… 江戸時代になると焼物の種類も多くなってくるが,貞享・元禄(1684‐1704)ころもてはやされた料理の一つに杉焼きがある。杉箱の中にみそを濃く溶いて煮立て,そこへタイ,カモなどの魚鳥や野菜を入れて煮るもので,杉箱の底にはのり(糊)で塩を厚く塗りつけて焼けないようにした。タイやカモの肉にほのかな木香(きが)をうつすというしゃれたもので,《日本永代蔵》はぜいたくきわまる料理という意味の〈いたり料理〉の一つにこれを挙げている

 さすがは平凡社世界大百科事典である.Wikipedia【すき焼き】の《古くは寛永20年 (1643年) 刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。》よりも具体的だ.この Wikipedia【すき焼き】に書いてあることだけでは,どうすれば杉板の箱で味噌煮が作れるのか皆目わからないが,世界大百科のように《杉箱の底にはのり(糊)で塩を厚く塗りつけて焼けないようにした》と書かれていれば,「おお,なるほどっ」と膝を打つことができるというものである.
 というわけで,あの永山久夫センセー監修による再現実験料理「はまぐりの杉焼き」は大嘘であることがほぼ確定である.(大笑)

 以上をまとめて考察するに,江戸時代は貞享から元禄にかけて,鍋料理である「杉焼き」が料理屋でもてはやされた頃は,「焼く」には「煮る」調理も含まれていたと考えられる.
 翻ってみれば,和語「たく」は,「炊く」「焚く」の他に「焼く」とも書く.よく挙げられる用例は「護摩を焚く」「護摩を焼く」である.(共に「ごまをたく」と読み,後者は「ごまをやく」とは読まない)
 つまり「炊く」も「焼(た)く」も,便宜的に別の漢字を当ててはいるが,元々は同じ和語「たく」なのである.
 すなわち料理名の口語「すぎだき」を料理屋が「杉焼き」と書き表したために,次第に読みが「すぎやき」に変化したと考えられる.

 このように考えてくると,Wikipedia【すき焼き】に書かれている

さらに享和元年 (1801年) の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年 (1804年) の『料理談合集』や文政12年 (1829年) の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった

は,実際にはどうだったのかという疑問が湧く.
 『料理早指南』などの江戸期の料理本は,料理屋で出される料理のレシピ集である.そのような店で粋人たちが《鋤のうへに右の鳥類を》焼いたり《使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱》したとは,私にはどうしても思われぬ.
 きっと,料理屋では,に似せた形に拵えた鉄板のようなもので肉を焼いて客に食わせたのだろうと考える.
 というのは,そもそも一般的に鋤は木製なのである.(鉄製の鋤も存在するが特殊である)
 例えば春日井市立紙屋小学校のサイトに,昔の農具が写真入りで紹介されている.大変よくできているので感心した.
 この一覧表の下から三段目に「鋤」の写真が載っている.これを見ればわかるように,鋤本体は木製で,先端が鉄の刃になっている.刃からU字状の枠が伸びていて,これで刃と本体が固定される構造である.
 冒頭に紹介したフードプランナー曽我和弘氏は《そもそも、すき焼きとは、その名の如く農機具であった鋤で鶏や魚などを焼いたことから始まった料理である》と言うが,どうすれば木製である鋤を火にかけて鶏や魚を焼くことができるのか.この人は鋤を見たことがないのではあるまいか.

 ちなみに Wikipedia【鋤】に次の記述がある.

すき焼き
なお、柄の取れた古い鋤を野外で鍋の代わりに使って鳥獣の肉や野菜を焼いたのが「すき焼き」の始まりといわれている。

 根拠文献を示さずに愚かなことを書くものである.
 江戸期の小作農にとって鍬や鋤などの農具は命の次に大切な財産であったに違いない.
 そんなことは考えなくてもわかることだ.
 木製本体と鉄製の刃を組み合わせた構造は,刃の部分が割れて壊れたら新しい刃を付け,柄が折れれば木製部分を取り換え,そうして祖父さまから孫の代まで大切に大事に使い伝えるに優れた工夫であった.
 《柄の取れた古い鋤》は修理したに決まっている.《鍋の代わりに》するわけがない.

 各地の郷土資料館などに展示された農具の,使い込まれ年季の入った様子を見れば,彼ら小作農の慎ましい暮しが偲ばれる.
 小作農たちにとって農具は,武士ならば刀に等しい.どうして百姓の魂を火にかけて肉を焼き,わざわざ鈍らせたりなんぞするものか.
「鋤焼き」の「鋤」は,江戸の料理屋が料理に野趣を添えるために鋤に似せて拵えた料理道具であったに過ぎないと私は考えるのである.

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2017年1月17日 (火)

小池知事の意図は

 私は小池知事が精力的に仕事を開始したときから感じているのだが,豊洲新市場への移転費用が全く無管理的に増大したことと,オリンピック会場の建設費用問題は,都知事の中では一つのことではないか.
 テレビも新聞もこの二つの問題を別々に取り上げているし,小池知事自身も明らかにしないが,実は背景に,知事が都財政に危機感を持っていることがあると,私には思われる.

 つい最近まで Wikipedia【東京都】は,都の財政について極めて悲観的な記述 (特に連結の財政に関して) をしていたのだが,今年になって気が付いたのだけれど,その記述が編集して抹消され,現在は次のように大変に楽観的な書きぶりに変化している.(引用部分内の赤い着色は私がしたものである)

財政と事業
東京都の財政状況は、景気の回復による都税収入の増加と、石原慎太郎都知事による施政下での緊縮財政によって、2000年前後の最悪の水準から大幅に回復し、一般会計が他の会計から借り入れる「隠れ借金」も2006年度で完済する目処が立ち、2005年度の一般会計では16年ぶりの黒字決算となり、2016年度現在の収支は均衡、経常収支は黒字を確保している。起債依存度は全国の自治体で最低の5.0パーセントと財政の健全化が進んでいる。2016年現在、都道府県で唯一地方交付税交付金を受け取っていない自治体となっており、歳入のうち地方税の占める割合は74.3%(全都道府県平均45.1%)と極めて高い。

特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債は、2004年度末に16兆9,508億円、都民一人当たりの負債額は約135万円と共に全国最多であったものが、2015年度末には9兆522億円、都民一人当たり約66.7万円となり、減少傾向にある。実質公債費比率は0.7%、将来負担費比率も49.7%と低く、完全 (ママ) な財務体質を維持している。
かつて連結での財政を悪化させた要因は第三セクターの財政問題である。東京都が推進した臨海副都心開発事業では、東京テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発、東京ファッションタウン、タイム二十四の臨海関連第三セクター5社が相次いで経営破綻するなどの問題が発生し、5社の頭文字を取って「5T問題」と呼ばれた。他にも、国際貿易センター、東京臨海高速鉄道、東京都地下鉄建設、多摩ニュータウン開発センターなどの問題を抱えた。また、石原都知事の主導により中小企業金融を名目として2003年(平成15年)に設立された新銀行東京は、巨額の赤字を計上し、東京都による追加出資が必要となる事態となったが、2010年度以降黒字化、2016年に舛添要一都知事によって東京TYフィナンシャルグループに売却された。

 こんなに変化するとは思ってもいなかったので編集前の記述をコピーしていなかったのだが,手抜かりであった.
 都民一人当たりの負債額約66.7万円は問題がない,都財政は健全 (Wikipedia 中のこの文言は上の引用にある通り「完全」となっているが,これは勿論「健全」の間違いに決まっている.執筆者はたぶん日本語を知らぬ馬鹿である) であるとしている Wikipedia【東京都】の現在の記述が正確なら,小池知事のやっていることには大した意味がない.つまり現在の Wikipedia【東京都】はアンチ小池の立場で執筆されていることになるのだが,どうなんだろう.これだけ巨大な財政ともなると私には全く現状が理解できない.自治体財政の専門家がマスコミで解説してくれないものかと思う.

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巡り来る 3.11 (一)

 前回の記事《震災後文学》の続き.

 木村朗子氏は《作家たちは「3.11」をどう描いてきたのか 》の末尾に津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(講談社 2013年) を挙げて,次のように書いている.

津島祐子は震災による放射能被害の問題に真っ向から向き合った数少ない作家であった。表紙にアメリカの核実験で放射能汚染されたルニット島の汚染物を埋めた場所、ルニット・ドームの写真が使われているのが、ただの不気味な予言から、ここ数年で現実味を増したことに気づかされる。
ルニット・ドームには、除染して出た汚染物質を埋めてあるのだ。いま福島のあちこちに除染後の汚染物質をつめたフレコンバックが積み上げられている。あれは中間貯蔵施設に埋める予定なのである。ルニット・ドームは、近い未来の福島の姿である。そのことが早くに絶望とともに示されていたことを覚えておきたい。

 木村氏が《近い未来の福島の姿である》と書いているルニット・ドームは《作家たちは「3.11」をどう描いてきたのか》の文末に,上空から撮影した画像が掲載されている.
 ルニット・ドームは,中部太平洋マーシャル諸島にあるエニウェトク環礁 (Eniwetok Atoll) に存在する「放射能汚染土壌埋設施設」である.

 この環礁は戦前は日本の支配範囲にあったが,太平洋戦争末期の1944年の2月,エニウェトクの戦いの結果,米軍が支配した.
 戦後,米国はこの環礁から先住民を駆逐し,ここで1948年から1962年まで核実験を行った.
 戦時中に核兵器の研究を行っていた諸国のうち,原爆の実用化に成功するや広島長崎に投下した米国は,大日本帝国の日本国民向け宣伝文句以上の鬼畜にして,救いようがなく愚かであった.
 核兵器の破壊力しか研究の眼中になかった米国 (および核兵器保有諸国) は戦後,放射線被爆の人体実験に着手したのである.この悪魔の人体実験でモルモットにされた人々を「アトミック・ソルジャー」という.
 Wikipedia【アトミック・ソルジャー】には短い項目であるので,以下に解説のほぼ全文を引用する.

アトミックソルジャー (Atomic Soldier) とは、1945年~1960年代にかけて核実験演習に参加し、キノコ雲への突撃行為等によって放射線に被爆した兵士たちのこと。兵士たちには線量を測るフィルムバッジが付けられたが、被爆したアルファ線のみが測定された。また、兵士たちは事前に筆記テストを通じて、放射線の影響は取るに足らないものであると学習させられていた。
南太平洋エニウェトク島での水爆実験では、まとまった人数の兵士たちが動員されていた。水爆実験は年に数回、明け方に行われたが、兵士たちは整列した上で爆発に背を向け目を覆って立ち会わされた。


世界各国のアトミック・ソルジャー
アメリカ合衆国のみならず、イギリス、旧ソビエト連邦、中華人民共和国においても、残留放射能の残る核実験場で軍事演習や除染作業を行い、多数の兵士を被爆させて医学的データ等を採取した過去がある。
旧ソビエトでは1954年9月14日に南ウラル・チカロフスク州のトツコエで4万5千もの兵を動員した演習 (Totskoye nuclear test) も行われている。この実験は核爆発直後に敵味方役に分かれた兵士たちが戦闘演習を行い、実戦で戦闘が可能かを確かめるために行われた。この実験では多くの兵士が放射線障害の症状を訴えたとされるが、兵たちは秘密厳守を誓わされたうえ、記録が廃棄されたため実態は不明となっている。

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アンコール実験で戦闘部隊本隊と連絡を取り合う陸軍通信部隊
(当ブログ筆者註;「アンコール実験」は1953年5月8日に実施された実験の名称.兵士たちの背後に見えるのは
原子雲である.画像キャプションは Wikipedia から引用した.画像はパブリック・ドメインである)

 

 上の画像は,繰り返し繰り返し行われた核実験のうち,1953年にネバダ核実験場で実施された「アップショット・ノットホール作戦」の際に撮影されたものである.
 このとき既に米国は,広島長崎における被爆者の状況を子細に承知していたはずであるから,アトミックソルジャーは悪魔への貢ぎ物以外の何物でもなかった.(この恐るべき人でなしの所業が一般日本人に広く知れ渡ったのは,広瀬隆『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』〈文藝春秋社刊[1982年];現在は文春文庫にある[1986年]〉によってであったが,ここでは触れない)

 自国の兵士を犠牲に供するだけに飽き足らず,米国政府は戦後手に入れたマーシャル群島の島民に悪魔の触手を伸ばした.
 Wikipedia【核実験】から当該部分を引用する.

マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験 (エイブル) し、2回目 (ベイカー) は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験 (キャッスル作戦) では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
・ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島できない。
・日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が死の灰で被曝した。
・240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
・ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。

 Wikipedia のこの項目ではビキニ環礁だけ触れられているが,エニウェトク環礁に関しては Wikipedia【エニウェトク環礁】から一部引用する.

戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦 (Operation Ivy) が行われた。
核爆発による雲の調査のため1957年、1958年には幾つかのロケットが打ち上げられた。
1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。

 ここに《1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出された》とあるが,米国政府がやったことは汚染土壌を集めて,その上にコンクリートの蓋をしただけだった.そして根拠ない《安全宣言》のために島民は犠牲となったのである.これも人体実験と見ていい.
 以上,主に米国がやったことを書いてきたが,核保有国は皆同じであるとしていいだろう.米国の所業が広く知られているに過ぎない.
 一つ資料を追加すると,英文だが,英国ガーディアン (The Guardian) 紙の記事を挙げたい.

This dome in the Pacific houses tons of radioactive waste – and it's leaking

 ともあれ,木村朗子氏は次のように書いている.(再掲)

津島祐子は震災による放射能被害の問題に真っ向から向き合った数少ない作家であった。表紙にアメリカの核実験で放射能汚染されたルニット島の汚染物を埋めた場所、ルニット・ドームの写真が使われているのが、ただの不気味な予言から、ここ数年で現実味を増したことに気づかされる。
ルニット・ドームには、除染して出た汚染物質を埋めてあるのだ。いま福島のあちこちに除染後の汚染物質をつめたフレコンバックが積み上げられている。あれは中間貯蔵施設に埋める予定なのである。ルニット・ドームは、近い未来の福島の姿である。そのことが早くに絶望とともに示されていたことを覚えておきたい。

 この《ルニット・ドームは、近い未来の福島の姿である。そのことが早くに絶望とともに示されていた》に関連することが,最近のNHKで放送された.

(以下,《巡り来る 3.11 (二)》に続く)

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2017年1月16日 (月)

震災後文学

『泣き童子 三島屋変調百物語 参之続』(角川文庫) 読了.文芸評論家高橋敏夫氏による巻末解説を読む.
『泣き童子』に収められた「第二話 くりから御殿」について氏は次のように解説する.

三・一一東日本大震災のすぐ後に発表された「くりから御殿」は、一〇歳のとき山津波で両親をはじめ仲良しの幼馴染たちを失った少年の奇怪な夢と、四〇年後の今なお男の心をとらえる痛切な思いをえがく。男の思いをうけた女房の言葉がまた胸をうつ。この短編は、多くの作家による秀作がそろう「三・一一後文学」のなかでも、とりわけすぐれた作品になっている。

 高橋氏が指摘する「震災で生き残った者の痛切な思い」は,「震災」を「戦争」と置き換えれば,戦後昭和の長きにわたって書き継がれた文学的課題に繋がるものであるだろう.
 震災後の文学についてネットを検索すると,講談社のサイト《現代ビジネス》に昨年掲載された《作家たちは「3.11」をどう描いてきたのか~「震災後文学」最新作を一挙紹介! 》がみつかる.(筆者は木村朗子津田塾大学教授)
 ここで木村氏が紹介している作品を列挙する.

『あの日から―東日本大震災鎮魂岩手県出身作家短編集』(岩手日報社, 2015年)
『呼び覚まされる霊性の震災学―3.11の生と死のはざまで』(新曜社,2016年)
いとうせいこう『想像ラジオ』(河出文庫 2015年,単行本は河出書房新社,2013年)
天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』(文藝春秋,2016年)
彩瀬まる『やがて海へと届く』(講談社,2016年)
吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋,2014年)
垣谷美雨『避難所』(新潮社,2014年)
金原ひとみ『持たざる者』(集英社,2015年)
小林エリカ『光の子ども 1,2』(リトル・モア,2013,2016年)
小林エリカ『マダム・キュリーと朝食を』(集英社,2014年)
多和田葉子『献灯使』(講談社,2014年)
桐野夏生『バラカ』(集英社,2016年)
スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り――未来の物語』(岩波現代文庫 ,2011年)
メヒティルト・ボルマン『希望のかたわれ』(河出書房新社,2015年)
津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(講談社,2013年)

 正直に書くと私は,ここに挙げられた本は『想像ラジオ』しか読んでいない.
 これらの作品は amazon で私の書籍リストに入れて少しずつ読んでいこうと思うが,震災後文学,3.11 後文学は,上に挙げた作品がすべてではない.
 例えば木村氏が震災後文学として紹介していない『泣き童子』の中で宮部みゆきは,主人公 ちか の口を借りて次のように書いている.(「第六話 節気顔」)

「… この世には本当に、思いがけないことが起こります。人が生きる道も、亡くなって去っていく道も様々でございます」
 残される者の思いもとりどりである。


 これからも残された者のとりどりの思いが書き継がれていくだろう.もしかすると戦後文学と同じように,3.11で被災した少年少女たちが将来,私よりも若い世代の人たち (私自身はもうこの世にいないだろう) の読むべき作品を生み出すかも知れない.

(以下《巡り来る 3.11》に続く)

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2017年1月15日 (日)

時代小説の楽しみ

 宮部みゆきさんのファンは,新刊単行本が出版されれば即刻作家買いする人が多かろう.
 以前は私もそうだったのであるが,枕元に本を積み上げて寝床で読むのが好きなので,いつしか文庫本が出てから買うようになった.
 ところが,新刊を必ず買うのなら買い損ないはなかろうが,文庫化を待っている仕方だと,寄る年波で物忘れの多くなった私は買い忘れることがある.

 先日,amazon の中をウロついていて,『三鬼 三島屋変調百物語 四之続』(日本経済新聞出版社) が昨年末に刊行されていたことを知った.
 それはいいのだが,既に文庫になっている『泣き童子 三島屋変調百物語 参之続』(角川文庫,平成二十八年六月初版;単行本は平成二十四年に文藝春秋社から) を読んだ記憶がないのにも気が付いた.買い忘れをしたのである.
 それで早速角川文庫の『泣き童子』を注文したのだが,ことのついでに単行本の『三鬼』も買い忘れのないよう一緒に注文した.

 時代小説を読むと,とにかく勉強になることが多い.書く作家自身が大変な勉強をして書くのだから当然だ.
 Wikipedia【時代小説】に,

 《時代小説 (じだいしょうせつ) は、過去の時代・人物・出来事などを題材として書かれた日本の小説。現代の日本では、明治時代以前の時代 (主に江戸時代) を対象とすることが多い。歴史小説との違いについては、歴史小説を参照されたい。
かつては大衆文学はすなわち時代小説であり、広く庶民に受け入れられた。一般に歴史小説との境界は曖昧であるが、過去の時代背景を借りて物語を展開するのが時代小説であり、歴史小説は歴史上の人物や事件をあつかい、その核心にせまる小説である。

とあるが,ここに書かれていない大切なことは,時代小説は《過去の時代・人物・出来事などを題材として書かれた》小説であるが,登場人物の思考や振舞は現代に生きる私たちのものであるということだ.そこが歴史小説との違いである.
 例えば藤沢周平作品があれ程会社員たちの支持を得ているのは,海坂藩の武士たちの生き方が,現代社会における会社員たちの人生を映しているからに他ならない.
 であればこそ時代小説作家は,作品のリアリティを確保するために,周到に時代考証を行い,時代背景の描写に細心の注意を払う.そして読者は,作者の苦心をきちんと丹念に追っていかねばならない.

 宮部みゆき『泣き童子』も,数ページに一つは調べもの,確認したいことが出てくる.
 私は衣装とか服装の分野に暗いので,ネットで確認しながら読んでいく.一つ例をあげよう.

落ち着きのある深緑色の地に、桜と紅葉を散らした裾模様の入った振袖は、冬枯れの今だからこそ引き立つと、お民は言う。内着は鹿の子絞りの麻の葉模様で、これが振袖の袂から覘く加減を、さっきからお民はしきりと工夫しては首をひねっている。

 ここで《鹿の子絞りの麻の葉模様》を検索する.
 するとたちどころにずらりとその画像が出てきて,あ,これね,知ってる知ってると得心して読み進むのである.

 他には「浅葱裏」なんて言葉も出てきて,これは単に浅葱色の裏地という意味ではなく,田舎侍,下級武士のことであるが,そういうことも一応 Wikipedia で確認しながら読んでいく.読書の楽しみである.

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2017年1月14日 (土)

和風接着剤余談 (五)

 前回記事の末尾に《松脂は "pine resin" であって "rosin" ではない》と書いた.
 少し横道に逸れるが,以下少し "resin" の訳語「樹脂」について.
 Wikipedia【樹脂】にこう解説されている.

樹脂 (じゅし、resin レジン)
(本来の意味) 植物体から分泌される精油類縁物質の総称。天然に植物に生じた やに状物質。→天然樹脂
有機化学の発達により合成されるようになった、天然樹脂とよく似た性質を持つ物質のこと。近年の工業分野などでは、もっぱらこちらを指す。→合成樹脂

 妥当な説明である.
 松脂 (まつやに) は松から採れる樹脂 (この「脂」は水に溶けないものといったほどの意味で,狭義の「脂 (あぶら)」ではない) だから略して松脂の字が当てられたと考えられる .
 英語では "pine" から採れる "resin" だから "pine resin" といい,他の植物 (***) が産生するものは "*** resin" と称する.
 "resin" と "rosin" については英語版 Wikipedia【Resin】が詳しい.そこに書かれた "rosin" の定義は次の通り.

 《 Solidified resin from which the volatile terpene components have been removed by distillation is known as rosin.

 さて人の善い研究者であった故南亨二先生は講義で「レジンとロジンの混同は,発音が似ているなんてことが原因かも知れませんなあ」と仰ったが,性格の悪い私はそうは思わない.
 レジンとロジンの混同誤用を始めた企業の人々は,松脂とロジンの物質としての違いは現物を知っているのだから承知の上だったはず.それでも松脂をロジンと呼んで恥じなかったのは,科学,化学に対する姿勢が真摯なものでなかったからだと言う他はない.
 これに対して,阿井上夫氏の《「小説で弓を扱いたい方」のための弓道講座 》や実際に弓道を行う人のブログはどうだろうか.
 両者共に,松の樹皮から沁み出た松脂を目で見たことがないのだとは想像されるが,松は特別に深山幽谷に生えているというものではないから,身の回りの自然を見るその気さえ少しあれば,ロジンと松脂が別物であることくらいわかるはずだ.
 仮に都会育ちで近くの公園にすら出かけたことがない特殊な人でも,ネットで調べれば松脂とロジンに関する知識は得ることはできる.
 それをしないで松脂とロジンを同一視して平気なのは,怠惰と言われても仕方ないだろう.

 では,「手薬練引いて」の語源である薬練はどのようなものであったろうか.
(以下和風接着剤余談 (六) に続く)

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越後の糀味噌

 私が観るテレビ番組はテレビ東京のものが多い.中でも『和風総本家』『世界!ニッポンに行きたい人応援団』『YOU は何しに日本へ?』はほとんど欠かさず観ている.
 一昨日放送の『世界!ニッポンに行きたい人応援団』は,米ペンシルベニア州フィラデルフィアに住むアマンダさんという女性が,新潟の小さな味噌蔵に味噌造りを習いに来るという趣向だった.

 日本各地には様々な味噌があって,その土地の食文化の一つとなっている.
 昭和三十年代の群馬県前橋市.私が小学生の頃,かつぎ屋のお婆さんが背負子に一斗缶を二つ括りつけて,越後長岡から農閑期になるとやってきた.売り物は味噌であった.
 私の両親は新潟県人で,父は中蒲原郡,母は佐渡の生まれだったから,お婆さんの売る味噌を,来れば必ず買った.
 その味噌で作った味噌汁は実に旨くて,子供たちが「おいしい」と言うと,両親は得意げに「越後の味噌は特別だ」と喜んだ.
 『世界!ニッポンに行きたい人応援団』の番組中で,新潟の味噌は米麹に特徴があるとナレーションされたがその通りで,見た目にもはっきりと米麹の多いのが越後の伝統的な味噌の特徴だ.五十年前,かつぎ屋のお婆さんが我が家に運んできた糀味噌が,今もかわらず地元で作られていることだろう.

 番組中でアマンダさんに味噌造りを教えてくれたのは,新潟市の屋号「糀屋団四郎」という家族経営の小さな味噌蔵であった.
 今日の昼前に,一昨日録画した VTR を観ていたら,「糀屋団四郎」を営む藤井さん親子がほんとに誠実なよい人たちだと思われて,この人たちが造る味噌はきっと旨いに違いないと私は確信した.農作物でも味噌醤油でも酒でも,旨い食い物の造り手に必要なものは誠実さだと私は思っている.
 録画を観終わるや,私は amazon で「糀屋団四郎」の味噌を二種類 (三年味噌と金印味噌) 注文した.「注文が集中しているため発送に時間がかかる」と商品説明に注意書きがあったが,それでも二週間で発送されるという.テレビで紹介されたために注文が殺到して,家族みんなでてんてこ舞している様子が目に見えるようだ.
 越後の味噌を味わうのは本当に久しぶりだ.とっくの昔に亡くなっただろう,かつぎ屋のお婆さんの顔を思い出しながら,味噌汁を拵えてみようと思う.

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イヌ動画

 一週間前の記事《ネコ動画 》に,何か調べ物をするために YouTube にアクセスすると右側縦一列に,ネコをレスキューしたという動画へのリンクが並び,ついついそれを観てしまうので困っていると書いた.

 その後どうなったかというと,ネコ動画はリンク一覧の半分に減ったのである.
 何がネコ動画に半分取って代わったかというと,イヌ動画である.
 《保護された後も抱き合う2匹の子犬に涙 》とか《殺処分を目前に、檻の中で抱き合う「2匹の犬」 》など,イヌをレスキューしたという動画がズラリと並び,ついつい一時間も二時間もイヌ動画を,涙を拭きながら観てしまうのである.
 相変わらず残り少ない私の人生の,無視できないほどの時間が動画に消費されている.誰か,なんとかしてくれないか.

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2017年1月13日 (金)

和風接着剤余談 (四)

 前回の記事に《ハリマ化成株式会社の公式サイトに,薬煉に関する記載がある》と書いた.このコンテンツの《くすね (薬練) の作り方 》の箇所に載っている画像を見てみよう.
 そこに二つ画像がある.この企業サイトを制作したのが自社の社員か外部のウェブデザイナーが知らぬが,いずれにせよ画像に付けられたキャプションが間違っている.
******* 画像引用開始 *******

20170113harima_a
******* 画像引用終わり *******
上の画像は,ハリマ化成社のサイトから《薬練の作り方》をブラウザに表示し,コピーとトリミングを行ったものである.以下の本文で論評するために,同コンテンツの一部を画像化して引用する.

******************************

 上に示した二葉の画像の下に《右:松脂 左:松脂と油を混ぜた物》と書かれているが,これでは左右が逆で,「左:松脂 右:松脂と油を混ぜた物」としなければならない.(しかもこの「松脂」が間違いであることは前回の記事で述べた通りで,正しくは画像に写っている紙袋に「中国ガムロジン」と明記されていように,これは「松脂」ではなく「ロジン」である)

 この連載記事の第一回に《ところがブログではない個人サイトや企業などの公式サイトで,コンテンツが作成された日付が書かれていないものが極めて多い.企業の公式サイトはほぼ全滅である》と書いたが,このハリマ化成株式会社もその例に漏れず,いつ制作したコンテンツか不明である.
 昨日の一月十二日に作ったのであれば同情するが,昨年以前のかなり前に作ったコンテンツであるとすれば,この《くすね (薬練) の作り方》が経営者の決済に上がってきたとき,経営者はロクに観ずに間違ったままの掲載を許可し,そしてそれ以来,社員が誰もこのコンテンツを観ていないということになる.
 キャプションに書かれた「左」「右」が逆だなんてことを発見するのは子供でもできることだから,もし社員の誰かが一人でも見ていれば,誤りを発見して公式サイトを管理する部署に報告したはずだからである.
 企業の公式サイトは,現在では社会,つまりその企業の顧客あるいは消費者との接点であり,企業の「顔」である.
 例えば,消費者向け製品に法違反があって回収せねばならないとき,回収広告は自社公式サイトのトップにその旨掲示するのが慣例である.私がよく承知している食品業界のことをいえば,回収広告をトップページに載せるよう保健所から指導される.であるからして,自社公式サイトがないなどという会社は論外なのである.
 また形式的に自社公式サイトがあっても,それが経営者も社員も誰一人読むことのない公式サイトであるとすれば,ないのと同じである.ハリマ化成株式会社の公式サイトがその好例である.

 その企業姿勢は,同社サイトに掲載の《くすね (薬練) の作り方》に,科学を顧みない態度として示されている.
 私の恩師南亨二先生は,ロジンを松脂と呼ぶのは業界用語だと講義されたが,ニッチなファインケミカルズの常としてトールロジンには業界という性格のものはなく,従ってロジンを松脂と呼ぶのは,業界用語ではなく社内用語であるといっていい.
 このように科学的にも日本語としても誤りである「松脂=ロジン」が,戦後長年にわたって企業で続けられてきたために,現在では一般にもこの誤りが広まってしまった.
 例えば,実際に弓道を行う人のブログにも,こんなことが書かれている.

松脂(松ヤニ)についてのメモ
別名:ロジン、チャン。
性状:淡黄色ないしは黄褐色の塊で、松に含まれる樹脂酸を精製したものである。製造方法の違いにより(1)ガムロジン(2)ウッドロジン(3)トール油ロジンに分けられる。松脂(ロジン)はこれら3種の総称である。

…中略…
中国製ガムロジンの価格・容量:@380×20㎏入り袋+消費税=¥7980 (税込み)
販売元:安土産業株式会社
購入日:2011年9月22日

 繰り返すが,このブロガーが書いている《松脂 (松ヤニ)別名:ロジン》は全くの誤りである.松脂は "pine resin" であって "rosin" ではない.
(以下《和風接着剤余談 (五)》に続く)

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遺憾の思いでございます

 週刊文春の今週号に,昨年末の紅白歌合戦に出た高橋真梨子 (紅組歌手の最年長出場記録) が,紅組司会の有村架純が高橋のメッセージを棒読みしたとして怒った,という内容の記事が掲載された.
 私は高橋真梨子と同世代の彼女の大ファンだし,有村架純ちゃんもお気に入りだが,紅白歌合戦はもう何十年も観たことがないので,この話はどうでもいい.
 しかし,高橋真梨子の所属する事務所である株式会社ザ・ミュージックスが,文春の記事は事実無根だとして同事務所のサイトに掲載した反論文をみて,私はへなへなと腰から脱力した.

 日刊スポーツ,朝日新聞DIGITAL 等が掲載したその反論文には次のようにあったのである.

これまで好意にさせていただいていた週刊文春様の今回のような行為は、高橋真梨子本人含め、スタッフ全員が遺憾の思いでございます。

 ここにある《好意にさせていただいていた》は意味不明だが,おそらく「懇意にしていた」の鳩山由紀夫式誤用である「懇意にさせていただいていた」を,さらに「懇意」を「好意」に取り違えたものと思われる.
 こういう文章を読んだ高橋真梨子ファンは全員が遺憾の思いでございます.

(反論文では文春に対して《名誉毀損の訴えを起こす予定》としていたが,文春とすぐに和解したようで,訴訟を取りやめて件の反論文をサイトトップから削除した.現在はもう読めなくなっている)

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汚い歌詞

 年寄りの私は毎朝四時過ぎには目が覚めてしまい,朝飯の支度をしながらラジオをオンにする.
 選局はほぼ固定でニッポン放送の《上柳昌彦 あさぼらけ》である.

 《上柳昌彦 あさぼらけ》ではリスナーからのリクエストで曲がかけられるのだが,一昨日は倍賞千恵子『下町の太陽』で,昨日は Mr.Children の『ヒカリノアトリエ』であった.
 そして今朝はトワ・エ・モア『虹と雪のバラード』(YouTube) だった.
 上柳昌彦は「仕事の流れでこの曲をかけたんですが,しかし聴いてみるとあの時のことを思い出しまよね.この曲は札幌医科大学の河邨先生というかたが作詞して,村井邦彦さんが作曲したんですが,村井さんはあのユーミンをデビューさせた人で……」と当時の懐かしい思い出を語った.
 団塊老人たちも『虹と雪のバラード』については上柳昌彦と思い出を共有していると思う.この歌は,格調高い歌詞と平易な旋律,そして白鳥英美子さんの透明な声があって後世に残る歌となった.
 倍賞千恵子『下町の太陽』もこれに似ている.
 素朴な昭和庶民の心持を表現した歌詞を,倍賞さんの美しい歌唱が支えて,これを忘れられぬ戦後歌謡の名歌にした.番組に『下町の太陽』をリクエストしたリスナーは「曲名はわからないんですけど,倍賞さんが歌った心温まる歌で,下町という言葉が歌詞にあったと思います」旨のメールを上柳昌彦に寄せたのであった.

 これに対して Mr.Children の『ヒカリノアトリエ』はどうか.
 連続テレビ小説『べっぴんさん』の主題歌だが,歌い声が汚くて歌詞を聞き取れない人が多いのではなかろうか.
 それ故,歌詞は無料歌詞検索サイト《UtaTen》にある《「ヒカリノアトリエ」の歌詞》を参照して頂く. (著作権法違反のブログが多い中,このサイトは利用規約に《当サイトで掲載している歌詞は、(社)日本音楽著作権協会、(株)ジャパン・ライツ・クリアランス、(株)イーライセンスの利用許諾のもと、万全を期して掲載しておりますが、完全性を保証するものでもありません》とあり,合法性が確保されているようだ)
 さて歌詞に「大量の防腐剤 心の中に」とあるが,なんだそれは.
 汚い日本語だ.
 また「空に架かる虹を今日も信じ」とは何だ.意味がわからぬ.虹の何を信じるのか,まるで日本語になっていない.虹が七色であることを信じるとか,雨があがったらきっと空に虹が架かるだろうことを信じ,とか,きちんと書かんかい.
 さらには「優しすぎる嘘」か.これはもう三十年来の手垢のついたフレーズで,聴いて呆れる他はない.小保方ポエムのレベルだ.(小保方事件はもはや忘れ去られたかも)
 総じてこの『ヒカリノアトリエ』は,もったいぶって意味不明な自分大好き感丸出しの歌詞を,訓練なしの汚い声で歌い上げる不朽の J-POP 名曲となったのである.よかったよかった.こらこら.

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2017年1月12日 (木)

身内に便宜を

 昨日 (1/11) のニッポン放送『ザ・ボイス そこまで言うか!』でレギュラー・コメンテーターの藤井厳喜氏 (国際政治学者) が,日本人は米国の反トランプ側メディアの言うことしか知らないからだめなんだと語った.この人は大統領選挙の前からトランプが勝つことを予想していたようで,鼻高々のようである.そして藤井氏はトランプ支持の立場であるらしい.

 ニューズウィーク日本版に《トランプの娘婿クシュナーが大統領上級顧問になる悪夢 》と題した記事が掲載されている.
 トランプ支持の藤井厳喜氏は,この大統領上級顧問人事を公正だと言うのだろうなあ.『ザ・ボイス そこまで言うか!』の番組中で,この人事についてどのように論評するのか期待して聴いていたが,敢えてかどうか,触れなかった.都合の悪いことは無視する人なのかも知れない.
 しかしこれが公正なら,韓国の過去および現大統領はみんな免責だと私は思う.

「けじめ」は私たち日本人の伝統的価値観ではあるが,単なる建前に過ぎないと思われることがないわけではない.
 昔々,今はもうなくなった政党の領袖が,愛人を公設秘書に雇い,税金で女を囲っていると新聞に叩かれた.
 するとこの代議士は,逆だ,公設秘書を愛人にしたんだと主張した.男の甲斐性であると.
 なるほどねー,と世間はそれ以上追求しなかった.
 ある有名大企業の社長が,次期社長に自分の息子を据えた.オーナーでもないのに世襲人事とは何事かとマスコミが批判したら,優秀な人物を次期社長にしたら,たまたま私の息子だったのだと言った.
「襟を正す」精神から遠いところに立っているのは,韓国も日本も米国もおんなじだ.

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〈「ら」抜きどころか「れ」追加 〉言葉

 ネットをウロついていたら,《comorie[コモリエ] 「家で最高にくつろぐ」ためのノウハウがつまったライフスタイルメディア》と謳ったサイトをみつけた.
 そこに掲載されている《白菜と厚揚げのすき煮》(現在このリンク先はマルウェアが仕込まれている危険サイトになっているので,リンクを削除した;2021/0824確認) という料理記事が大変おもしろかった.
 ブラウザに表示されたタイトル部分をコピーした画像を示す.

20170111comorie_b

 この料理記事を執筆なさったのは美貌の栄養士にして調理師かつ薬膳アドバイザーである吉田理江さんである.彼女のプロフィルには《今後も皆さんに喜んで頂けるレシピを考案させて頂きたいと思います。食で健康&開運、縁結びをモットーにレシピ提案をさせて頂いてます》とある.
 理江さんは「食で健康」などと陳腐なことは言わない.《食で縁結び》なのである.若い女性たちの心を鷲づかみにするすばらしい惹句である.

 しかも,昨年の九月二十一日に文化庁が発表した「2015年度の国語に関する世論調査の結果」によれば「ら抜き言葉」のうち「見れる」「出れる」という表現を「普段使う」と回答した人の割合が「見られる」「出られる」よりも多くなり,「ら抜き言葉」が完全に定着してしまった現状に対して,吉田理江さんは敢然と異議を申し立てていらっしゃる.
 すなわち,諸兄は理江さんの《ヘルシーに食べれられる》に注目されよ.
「ら」を抜くどころか余計な「れ」を加えているのだ.
「食べれる」と「食べられる」を合成すると「食べれられる」となるわけで,これは「ら抜き」言葉擁護派にも反対派にも配慮した結果であろう.
 みんなにいい顔したい仲良くやろうよという女性らしい細やかな心配りだ.
 結果的になんかこう意味がわからぬようになって,彼女の試みは成功したとはいえぬかも知れぬが,日本語の乱れを憂慮する気持ちが伝わってくる.「ら抜き」より更に乱れているような気がしないでもないが,気のせいだろう.よかったよかった.

 

(「国語に関する世論調査」結果については,The Huffington Post の記事《「ら抜き言葉」使う人がついに多数派に 「おk」「うp」も文化庁が調査してみると... 》を参照されたい)

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2017年1月11日 (水)

和風接着剤余談 (三)

 筆名を阿井上夫という自称作家の人物が,小説投稿サイト《カクヨム》の中で《「小説で弓を扱いたい方」のための弓道講座》と題した長い文章を書いていて,その中で「手薬煉 (てぐすね) 引いて待つ」という言葉の語源である「てぐすね」について書いているが,これが嘘であるというところまで前回の記事《和風接着剤余談 (二)》に書いた.

 兵庫県にハリマ化成株式会社というよく知られた化学品製造会社がある.戦後すぐに設立された播磨化成工業株式会社が母体で,現在はハリマ化成グループ株式会社に属する大きな企業である.
 この会社は昭和二十七年 (1952年),製紙工業においてクラフトパルプを製造する際の副産物であるトール油を蒸留してトールロジンおよびトール脂肪酸を製造する事業からスタートした.
 トールロジンとはトール油から作るロジンの意であるが,ロジンには他にもあり,Wikipedia【ロジン】

アジアでは、松やにを直接立木から集め、蒸留分離して得るガムロジンが主である。他に、伐採した松の木の根から抽出して集めるウッドロジン(Wood rosin)もある。

とある通りである.
 で,このハリマ化成株式会社の公式サイトに,薬煉に関する記載がある.以下,引用する.

4.天日で乾燥し、くすねを十分に塗り麻ぐすねで摩擦してくすねを十分しみこます。
くすね (薬練) 松脂を油で煮て練り合わせた物。粘着力が強いので、弓の弦などに塗って補強するのに用いる。小学館大辞典 (松村 明監修)

くすね (薬練) の作り方
弦の補強のために使われるくすね (薬練) は一般的には次のようにして作られる。まず原料の松脂 (ロジン) と油 (ごま油など) を混ぜ、火にかけて十分に混ぜ合わせる。この時、夏には少し硬く、冬は少し軟らかくなるように油の量を調整する。昭和10年頃までは松脂とひまし油を混ぜた物が使われていたが、昭和30年頃からはごま油が一般的となっている。
さらに松脂を煮込み松脂のべたつきをなくした物は「ぎりこ」と呼ばれており、矢の滑りを押さえるためにかけと呼ぶ場所で使用される。

 前回の記事まで,私が Wikipedia 【松脂】,同【ロジン】を引用して説明してきたことと異なることが書かれている.上の引用部分でフォントの色を赤くして強調した箇所《松脂 (ロジン)》である.
 簡単に説明すると,松脂は天然物であるが,ロジンは松脂ではなく松脂から得られる高沸点化合物 (化学的にはロジン酸〈アビエチン酸,パラストリン酸,イソピマール酸等〉の混合物) の名称である.
 しかるに上の引用箇所には,正しくは「原料のロジン」とすべきところを,事実と異なる《原料の松脂 (ロジン)》と書かれている.
 つまりハリマ化成株式会社は,別物である松脂とロジンを混同,同一視しているのである.

 前回の記事に《私が農学部の学生だったとき,所属した講座が樹木の成分研究を主たる研究テーマにしていたからで,松脂とかテレビン油,ロジンなどと聞くと懐かしくその当時が思い出される》と書いた.
 その講座の南亨二教授による講義「樹木成分化学」のノートを私はいまだに大切に持っている.この講義「樹木成分化学」は,昭和四十三年初夏から一年近くにわたった大学闘争ですっかり勉強意欲を失ったまま教養学部から農学部に進んだ私が,その後,昭和四十六年の一年間,一コマの講義時間も欠かさず聴講したものである.その思い出にと,これまで捨てずに持ち続けてきたのである.
 そのノートを開くと,南先生が「最近,松脂をロジンといったり,ロジンを松脂と呼んだりして混同している人たちがいるんですが,間違いです.それは業界用語です.松脂は天然物ですが,ロジンは……」と講義で語ったことを思い出す.実はその「混同している人たち」こそ,播磨化成工業株式会社なのであった.
(以下《和風接着剤余談 (四)》に続く)

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2017年1月 9日 (月)

和風接着剤余談 (二)

 「くすね」とは何か.まず百科事典から.
 Wikipedia【松脂】(「松脂」は「まつやに」の当て字である) に,

応用例
和弓の製造や手入れの材料
適度な硬さと粘りが接着剤や構造材として適している。 天鼠 (くすね、薬煉) の主原料として使用する。

とある.
 遡って,松脂とは何かというと,

松脂(まつやに、しょうし、英: Pine resin)は、マツ科マツ属の木から分泌される天然樹脂のこと。主成分はテレビン油とロジン。
物性
特有の芳香があり、主成分はテレビン油、ロジンで、蒸留によって分離される。成分の比率は、採取するマツの品種によって違いがある。中国のバビショウの松脂にはロジン分が比較的高く、アメリカのスラッシュマツや東南アジアのメルクシマツではテレビン油分が比較的高い。
クロロホルム、酢酸、エーテル、アルコールなどに溶ける。水溶性の成分は少ないので、蒸留工場では、貯蔵槽に入れた松脂の表面に水を張り、揮発成分(テレビン油)の気化を防ぐことも行われている。

が当を得た説明である.
 さらに,《主成分はテレビン油とロジン》とあるうちのテレビン油は,油彩画を描く人にはおなじみの画材で,

 Wikipedia【テレビン油】
テレビン油 (テレビンゆ、英: turpentine) は、マツ科の樹木のチップ、あるいはそれらの樹木から得られた松脂を水蒸気蒸留することによって得られる精油のこと。松精油、テレピン油、ターペンタインともいう。
性状・成分
ほぼ無色から淡黄色の液体で、亜硫酸テレピン油以外は主にα-ピネンとβ-ピネンを成分とする。この2つの成分の比率や光学純度は原木の種類によって違いがある。亜硫酸テレピン油は、他のテレピン油と異なりp-シメンを主成分としている。空気中で徐々に酸化されて粘性が高くなり、やがて樹脂状となる。

用途
塗料やワニスなどの溶剤として利用されるほか、医薬品の成分としても用いられている。化学工業においては、リナロールなど他のモノテルペン化合物の原料として使用されている。美術の分野では、油絵具の薄め液・画用液として用いられる。

である.
 次にロジンであるが,

 Wikipedia【ロジン】
ロジン(英: Rosin)は、マツ科の植物の樹液である松脂(まつやに)等のバルサム類を集めてテレピン精油を蒸留した後に残る残留物で、ロジン酸(アビエチン酸、パラストリン酸、イソピマール酸等)を主成分とする天然樹脂である。コロホニーあるいはコロホニウムとも呼ばれる。
性状
常温では、黄色から褐色の透明性のあるガラス様の固体である。樹液としての松脂(生松脂)にはテレピン油などの常温で液体の揮発性成分も含まれ、揮発性成分が蒸発してしまうと固まってロジンとなるが、これにはピッチ分なども含むので、近代的な化学設備で蒸留精製したものとは成分が異なる。粉末に加工すると淡黄色から黄色であるが、熱を受けて容易に固結する。
純度、原料の樹種、製法などによって性状が異なるが、一般的に、75℃前後で軟化し、約100℃を超えると液体となる。貿易では、熱い液状で鉄ドラムに詰め、冷え固まった状態で輸出されている。

 黄色透明なガラス様個体であるロジンの画像を引用する.

320pxkolophonium
医薬用フレーク状ロジン
(Wikipedia【ロジン】からキャプションを引用;画像はパブリックドメインである)

 どうしてこんな詳しく説明するかというと,私が農学部の学生だったとき,所属した講座が樹木の成分研究を主たる研究テーマにしていたからで,松脂とかテレビン油,ロジンなどと聞くと懐かしくその当時が思い出されるという個人的理由からである.

 それはさておき,松脂を蒸留するとまずテレビン油が得られる.残った残留物を蒸留するとテレビン油よりも高沸点であるロジンが得られ,蒸留器にはタール状の残渣が残る.
 つまり阿井上夫氏が《くすねというのは松脂の脂分を抜いたものを指しており》と書いてるのは,上に説明したロジンのことである.《脂分》は化学の言葉ではないが,自称「作家」に化学知識を求めるのは無理というもので,これはテレビン油を指している.

 ロジンは上に画像を示したようにガラス状の個体であるが,これを粉末に加工し,炭酸マグネシウムと混合したものは滑り止めとしてスポーツ分野で使用されている.(Wikipedia【ロジンバッグ】)

 ここまで書けば,阿井上夫氏の文章にある《くすねというのは松脂の脂分を抜いたものを指しており》が大嘘であることが明らかである.
 「手薬煉 (てぐすね) 引いて待つ」は,平安時代の後半,各地に形成された武士団が弓を武器として戦いの日々を暮らした時代に生まれた言葉だろう.
 当然のことながら,蒸留の蒸の字もない時代に,松脂から《脂分を抜》くことは不可能だったのである.
(以下《和風接着剤余談 (三)》に続く)

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2017年1月 8日 (日)

和風接着剤余談 (一)

 書籍には書誌事項が必ずある.
 書誌とは何か.Wikipedia【書誌】から引用する.

書誌 (しょし、英: bibliography) とは、本を探すための書誌事項 (書誌情報) を記載したもの。著者名、書名、発行所、発行年、ISBN、DOI、全国書誌番号などのこと。本の奥付に記されることが多い。

 上の引用箇所には色々と書いてあるが,最も重要な書誌事項は著者名 (筆名でよい) と書名,それにいつ書かれた本かということ (「発行年」として奥付に記されていなくてもよい) である.
 著者名も書名も書かれてないものは書籍ではなく,どんなに豪華な装訂がされた印刷物であったとしても,資料的価値が皆無の単なるメモに過ぎない.
 これに対してブログというウェブサイトの形式が優れている点は,自動的に日付が付与されることである.ここでいう日付とは,普通は記事が書かれた日時やアップロードされた日時を指すが,自由に変更が可能であることからして,実際と異なっていても構わない.要は日付が書かれているということなのである.
 ところがブログではない個人サイトや企業などの公式サイトで,コンテンツが作成された日付が書かれていないものが極めて多い.企業の公式サイトはほぼ全滅である.
 この日付の欠落が,ウェブサイトの資料価値を大きく減じることを知らない人がいる.どんなに良い内容の記事を書いても,資料としては零点なのである.

 さて,昨日の記事《和風接着剤》を書くに際して,和弓について色々と調べていたら,阿井上夫という人が書いた《某大河ドラマの和弓の扱いが酷い件 》と題したウェブコンテンツをみつけた.
 以下は,記事《和風接着剤》に関連することではあるが,そうすると《和風接着剤》がややこしい記述になるため,別の記事にする.
 で,阿井上夫氏の《某大河ドラマの和弓の扱いが酷い件》は,昨年からサービスを開始している小説投稿サイトである《カクヨム 》の中に掲載されている.そしてこれは標準的なブログ形式ではない著者向けサービスを使用している.(《カクヨム》というサイト自身はブログと称しているが,形式はおよそブログらしくないデタラメなスタイルである)
 このコンテンツに記された阿井上夫 (筆名に違いない) 氏のプロフィールによれば,

神奈川県に生息する「覆面作家」が趣味の生命体です。主な生態を以下に列挙します。
・守備範囲は「推理およびSF」ですが、あまり拘らず何でも書きます。R15、R18、たまにブラックなコメディも書きます。

などとあり,作家を自称している.
 しかしこれが真っ赤な嘘であることは,《某大河ドラマの和弓の扱いが酷い件 》を読めば一目瞭然である.すなわち驚いたことに,この文章には,書かれた日付が記されていないのだ.(2017年1月8日現在)
 文章を書く際は,使う紙が原稿用紙でも枡目のないものでも,まず最初にタイトルを書き,次に筆者名を書く.
 それから本文を書いて,脱稿した日付を書く.ウェブコンテンツはこれに準じて作成する.
 こんなことは昔なら小学校の作文の授業で教えられたことだが,今は作文なんか小学校では書かせないのか.ともかく阿井上夫氏は小学生レベルの作法も知らぬのだ.こんな人物が作家であるわけがない.
 また,この文章の内容に立ち入ると,次のような箇所がある.

某公共放送局で某大河ドラマの宣伝番組を見ていた時のことである。
 真田信繁が徳川陣営を訪問するシーンが流れた。
 場面は屋敷の中庭らしき、屋外。目の前の弓立にずらりと並んだ黒塗りの和弓を見ながら、真田信繁が、「さすが徳川様は武器の手入れが行き届いている」というようなことを感心して言ったところである。
 私はこれで某大河ドラマを見る気がしなくなった。

 この文章の何が問題かというと,日付が書かれていないために,このドラマが昨年放送された『真田丸』なのか,あるいは過去の作品なのかが明らかでないことである.
 阿井氏は,NHK大河ドラマの時代考証がいい加減であると批判しているのだが,その批判が事実に基づく妥当なものか否か,この文章の読者が調べようにも,大河ドラマの番組名がわからないからどうしようもない.この文章を書いた日付がなく,いつ放送されたのかも記載がなく,挙句の果ては番組名が《某大河ドラマ》だ.もうほんとにこの人の知的レベルはどうなっているのだろうと心配になる.

 さらにもう一つ.
 阿井上夫氏は《カクヨム》の中で《「小説で弓を扱いたい方」のための弓道講座》と題した長い文章を書いているのだが,その中に次のような箇所がある.

それはともかく、和弓を扱う場合に「弓返り」の表現は必須です。
 ただ、戦場ではいちいち「弓返り」させていると時間が勿体ないので、例外的に「打ち切り」という方法で弦を途中で止めていました。
 その名残が「手ぐすねひいて待つ」という表現で、くすねというのは松脂の脂分を抜いたものを指しており、いわば滑り止めのことです。

 この引用部分の末尾《くすねというのは松脂の脂分を抜いたものを指しており》が実は事実と異なるのである.
(以下《和風接着剤余談 (二)》に続く)

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2017年1月 7日 (土)

ネコ動画

 本を読んだりテレビを観たりすると,ちょっとした疑問が出てきてネット検索をする.誰にもあることだろうと思う.
 例えば小糸製作所のテレビCMで流れるラブバラードがとてもいいので,曲名を調べようとして検索すると,YouTube にアップされている「それだけしか言えない」(Joe Rinoie) がたちどころにヒットする.
 それはそれで結構なことなのだが,問題はそのあとで,私の場合の YouTube は,ディスプレイ画面の右側に上から下まで,だーっとネコ動画が並んでいるのである.
 検索したのがオバマ大統領だろうがピコ太郎だろうが,とにかく右側にネコ動画が並んでいるのだ.
 いつからかわからないのであるが,気が付いたらこのような事態になっていた.
 そして「いかんいかん」と思いつつ,そのネコ動画を観てしまうのである.
 例えば,飼い主の老婆が亡くなったあと,彼女の墓の上でずっと暮らしている猫の話とか,捨てられて悲しい思いをしていた子猫が親切な人にレスキューされて幸せになりましたとさ,といった動画を,涙腺崩壊させながら一時間も二時間も観るのである.
 これで残り少ない私の人生の,無視できないほどの時間が消費されていくのだ.誰か,なんとかしてくれないか.

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和風接着剤 (一)

 ラジオの早朝には宗教団体の布教番組がいくつもある.
 今朝は七草粥を口に運びながら『心のともしび』に耳を傾けた.

『心のともしび』がニッポン放送で関東広域に放送開始されたのは昭和三十九年 (1964年) 頃からだと思われるが資料が少なくはっきりしない.私が高校一年の時は,ナレーターは既に女優の河内桃子さんがしておられた記憶がある.
 河内桃子さんは亡くなった平成十年 (1998年) まで休むことなくこの番組に出演された.
 河内さんは御自分の後任に,同じく俳優座所属の女優である坪井木の実さんを推薦し,亡くなったのであるが,その時の記憶もうっすらと私の脳裏にある.

 今朝の放送を聴きながら,そういえば河内桃子さんからバトンタッチしたあと坪井木の実さんはこの番組を随分長いことしておられるが,お声がとても若いなあと思った.まるで少女のようだというのは大げさだが,それにしてもいったいお歳はいくつなんだろうかと下種なことを考えて,ネット検索してみた.
 すると昭和三十八年生まれであることと,美貌の画像がただちにディスプレイに表示された.
 うーむ,情報ツールとしてのネットというのは凄いものだと改めて感心した.
『マタイによる福音書』に「叩けよさらば開かれん」とあるそうだが,叩けばインターネットからどんな知識でも出てくるのだ.
 ある日,『林先生が驚く 初耳学!』(毎日放送) を観ていたら,ゲストの女優さんだったかの出題に林先生が答えられなかったことがある.
 林先生が「よくそんなことを御存知ですね」と言うと,件の女優さんは「疑問に思ったらすぐ調べる.それが知っている人と知らない人との差です」旨のことを答えた.それで林先生が脱帽するというシーンがあったのである.

 疑問に思ったらすぐ調べる.それが知っている人と知らない人との差です.

 いい言葉だ.すなわち坪井木の実さんの年齢などという私の下種な疑問でも,すぐ調べるということが大切なのである.こらこら.

 そういう下種な前置きをしておいて,本題は「ニベ」である.
 新年を迎えて一月三日放送の『和風総本家お正月スペシャル 密着!日本の職人24時』は,京都の和弓職人である柴田勘十郎さんの工房を紹介したのだが,和弓職人が竹を貼り合わせて弓を作る際に用いる接着剤がニベである.
 ニベは,鹿の皮を煮たもので,鹿の皮を細かく裁断し,これをことことと長時間煮溶かして作るたんぱく質系接着剤だ.
 話を進める前に接着剤について簡単に説明する.
 接着剤には天然素材のものと合成接着剤がある.
 天然素材系接着剤は大まかに分類すると,タンパク質系,デンプン系およびその他,がある.
 デンプン系で代表的なのは煮た飯粒を練ってつくる澱粉糊で,日本の伝統工芸において,紙と紙あるいは紙と木質材料との接着に最適なものの一つである.
 文房具としておなじみのヤマト糊フエキ糊もこの一種で,原料には米ではなく穀物や芋類から作るデンプンを用いる.現在のヤマト糊はタピオカ澱粉を原料とし,フエキ糊はトウモロコシ澱粉が原料である.
 デンプン系接着剤には,小麦粉から製造するものもある.生麩糊 (しょうふのり) といい,小麦粉から水洗によってグルテンを除去し,残った生麩澱粉を煮て作る.詳細はここ
 これとは別物であるが言葉として生麩糊に似ている布糊 (ふのり) というものがある.海藻のフノリを煮て溶かしたもので,主たる用途は漆喰の混和材料である.接着力はほとんどないが,粘着力はあるので,これも伝統工芸で用いられる.
(続く)

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2017年1月 5日 (木)

ビジネスマンが書く日本史とは (二)

 一昨日の記事に書いた出口治明という人物は,会社経営者の余技なのかどうか知らぬが,歴史について幾冊かの本を上梓している.
 出口氏がどんな思想の人なのか,週刊文春の短い連載コラムを毎週待っているのも気の長い話なので,既に出版された氏の著書を購入して読んで見る方法もあろうとは思うのだが,アマゾンで購入した人たちのレビューを摘み読みしてみたところ,買って大損という可能性もあり,どうしようかと迷っている.そこで,買って失敗しても損害が少ない安い出口氏の著書はないかと探すと,『世界史としての日本史』が見つかった.出口治明氏と半藤一利氏の対談本だ.アマゾンのレビューで星五つという読者絶賛本である.
 で,同書のレビューを読んでみたら,次のような一文があった.

日米戦争を「太平洋戦争」と呼ぶか「大東亜戦争」と呼ぶかで、左翼と右翼は対立しているが、あの戦争は日本とアメリカの戦争の物語として見るのではなく、第二次対世界大戦という大きな戦争の太平洋部門であるという位置づけで眺めなければ、本質が見えてこないと、この二人は喝破する。日本は真珠湾攻撃に成功して初戦は善戦したなどとよくいわれるが、真珠湾攻撃というのは、アメリカを参戦を確定させたことで、日独伊枢軸国の敗戦が決まった事件なのだという。
同様に日中戦争を日本と中国だけで、満州事変を日本とソ連だけで語っても何も見えてこない。その裏側で、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンという二人を軸に、世界列強の壮絶な駆け引きや思惑が働いていたことに目を向ける必要がある。そうした歴史観をもたなければ、正しく「歴史から学ぶ」ことはできないのだろうと思う。
学校では「日本史」と「世界史」が別の科目として教えられているが、本来は一つの「歴史」であるはずである。この対談本では、この2つが融合することで何が見えてくるかについて語り尽くされている。

 上の引用は Tomokichi 氏による《日本史と世界史は一つ》と題したレビューであるが,おそらくこの人は高校で大学受験勉強をした経験がない人と思われる.高校でおざなりな,つまり通り一遍で指導要領通りの歴史授業しか受けないと《学校では「日本史」と「世界史」が別の科目として教えられているが、本来は一つの「歴史」であるはずである。》なんて「今頃何を頓珍漢なこと言ってるの」的レビューを書くのかも知れない.
 というのは,半世紀も昔のことだが,私が高校生だった時代は,大学入試の日本史問題には「世界史の中に位置づけた日本史」という視点に立った問題が多く出題され,そのため有名私立高校や公立受験高校では受験対策として一年生と二年生の時には世界史と日本史の授業が別々に行われるが,三年生の時には世界史と日本史を分けずに,授業を統一することが普通に行われていたのである.世界史の授業の中で,明治以降の日本史も教えるのだ.(群馬県内各市の受験高校では皆そうだったと覚えている)
 この教え方は,世界史の中に日本史を位置づけるという点で適切なものであったが,しかし必要な授業時間が足りないことは否めず,日本の昭和史,とりわけ戦後政治史について詳しく生徒に教えることができなかった.しかし昔も今も,昭和天皇の戦争責任に触れることはタブーであり,それが大学入試で出題されることは絶対にないから,それでも大学受験教育として不都合はなかったとはいえる.
 従って,上に引用した Tomokichi 氏によるレビューは,浅薄に過ぎるように思われる.むしろ逆に,文部行政が意図したことかどうかは知らないが,高校で《日本史と世界史は一つ》とする歴史教育が行なわれたがために,私たち日本人が知っていなければいけない二十世紀における日本の戦争責任問題を日本人自身がが知らないという結果がもたらされたのであった.例えばそこら辺の団塊老人に「昭和天皇が行なった直接的戦争指導とその結果について知るところを記せ」という問題を解答させてみるがいい.答えられる爺さん婆さんは少数派だと思われるのである.
(続く)

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2017年1月 3日 (火)

ビジネスマンが書く日本史とは (一)

 誰でも私と同じだと勝手に思っているのだが,何年か前まで現役の会社員であったときは,その時その時に取り組んでいる仕事に関することで私の頭は一杯であった.そして読む本はどうしても専門書が多くなる.
 それが定年後に悠々自適の日々を過ごしていたら (つまり暇ということだが),最近の自然人類学とか日本史などといった分野の書物に興味が湧いて手が伸びるようになった.

 先週出た週刊文春の新年特大号に新連載がある.出口治明という人が書く《ゼロから学ぶ「日本史」講義》というタイトルの連載記事である.
 私は不明にして出口治明というかたを存知あげていないので,検索してみた.すると Wikipedia【出口治明】には,ライフネット生命保険株式会社代表取締役会長兼CEO であると書かれていて,著作欄にビジネス書がずらりと並んでいる.
 それはさもありなんだが,唐突に《『「全世界史」講義 教養に効く!人類5000年史I古代・中世編』(新潮社、2016年)》《『「全世界史」講義 教養に効く!人類5000年史II近世・近現代編』(新潮社、2016年)》というふざけたタイトルの二冊が記載されている.《教養に効く》とはどういう意味だ.まともな日本語とは思えない.そしてこの二冊に関する説明は Wikipedia にはない.また,会社経営者がなぜ世界史の書物を書いているのか,週刊文春の連載第一回にも説明がない.ただ,次のような一節があっただけである.

ただ、僕は専門家ではなく、市井の単なる歴史好きの一市民にすぎません。間違いのご指摘やご意見、ご感想があれば私あてにお便りをお寄せください。

 学者でもなく在野の研究者でもなく,歴史小説の著名作家でもない《専門家ではなく、市井の単なる歴史好きの一市民》がなぜ週刊文春という発行部数トップの一流週刊誌に日本史の解説を書くのか,遂に何らの説明なく連載が始まった.釈然としない.

 で,その連載第一回の最初の部分に次のような箇所がある.

ですから、僕が今回から語っていくのは、その時期、日本列島に住んでいた人々が、世界とのかかわりの中でどのようにどのように過ごしてきたのか、ということです。

 そして出口治明氏は,ビッグバンから話を書きはじめ,連載第一回では地球上に生命が誕生したところまで記述を進めた.
 しかし,ここで常識ある普通の人は大いに疑問に思うはずだ.日本列島というのはいうまでもなく日本という国家が成立したあとの時代に適用できる概念であると.
 であるからして,きちんとした歴史の書物では「それ以前のことは『現在,日本列島と呼ばれている島々』と書くべきであるが,それでは不便なので,その島々を便宜上『日本列島』と呼ぶ」と定義して論述を始めるのである.
 しかも地球上に生命が誕生したあとも,長い時間の流れの中で大きな地殻変動や海水面の上下変動があったために,『現在,日本列島と呼ばれている島々』自体が存在しなかったこともあるのだ.
 それなのに《その時期、日本列島に住んでいた人々が、世界とのかかわりの中でどのようにどのように過ごしてきたのか》と用語の定義もなく書き始められては,私たちは驚いて言葉もない.

 この連載の先が思いやられるが,出口治明氏がトンデモなことを書いたら,またここに報告するとしよう.

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2017年1月 1日 (日)

年頭にあたって

 小学生くらいの子供たちは,生まれてこの方というもの,ほとんど何にもやってきていないわけで,それだからこそ,可能性に過ぎないかも知れないが未来は洋々と開けているのである.
 一方,私たちのような老人はこの先ほとんど何もなし得ない (明日死ぬかもしれないのである) から,これまでの自分の来し方が何にも増して大切なのである.

 「終活」なる流行語の説明を Wikipedia【終活】から引用する.

終活の起源と流行
主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者に迷惑がかからぬよう生前整理、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことなどが挙げられる。

 「終活」は朝日新聞がむりやりはやらせた流行語らしいが,上の記述が一般的な意味だとすると,私には終活をする必要がないことになる.
 死んだら葬儀は家族葬 (家族葬を快く引き受けてくれる葬儀社が今は多いそうで,ありがたいことだ) で簡単に済ませるように息子と娘には言ってある.
 生前に何か功績があった人は焼香に長い列ができる (美空ひばりとか石原裕次郎なんかの葬儀はすごかったなあ.有名人の葬儀に行くことを趣味にしている人なのかも知れないが,テレビ局のインタビューに答えていた参列の人々をみるに,ひばりに全く無関係なのに焼香した人が大部分だったらしい) だろうが,一般庶民は長生きするほど自動的に葬式に誰も来ない事態になる.祭壇の前にによろよろと進み出て合掌してくれる知り合いは,どんどん死んで既にこの世にいなくなっちゃっているからだ.だから生前に自分の葬式のことなど案ずることは要らない.
 墓はどうか.
 父親が入っている墓は群馬県にあり,この墓の使用権は弟に譲った.私自身は東京湾に散骨して欲しいと,これも息子と娘に言ってある.
 相続関係はどうかというと,私は資産運用とやらを一切してこなかったので,日々食うには充分な年金を頂戴しているが財産はなく,従って遺言を作る意味がない.
 会社員時代の同僚たちがたまに集まったりすると,株だ土地だのの話ばっかりで私にはちんぷんかんぷん (死語) だ.大滝秀治じゃないが,つまらん,お前たちの話はほんとーにつまらん,と言いたい.
 みんなもうすぐお迎えが来るのだから,金の話なんかするより般若心経でも唱えれば如何ばかりかは心が清らかになるだろうかと思われるのだが,誰も私の話に耳を傾けてくれない.
 私の終活は,そういう知人たちとの人間関係整理だけであるかも知れない.
 手始めは年賀状だ.義理で出していたのはもうすっぱりとやめた.今後は恩義のある方たちだけに年始の挨拶をすることにしよう.
 ちなみに「終活」を朝日新聞が流行させ,読売新聞は「老後破産」で大キャンペーンを張り,皆様のNHKは「無縁社会」だと騒いだ.つまらん,お前たちの話はほんとーにつまらん.

 とまれ,少年は前を向いて生きるべきであるが,老人は後ろを向いて,後ずさりして生きていくのである.羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 よかったよかった.

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