« 鎌倉のパエリア (八) | トップページ | 鎌倉のパエリア (十) »

2016年12月 3日 (土)

鎌倉のパエリア (九)

 前稿の終わりに私は《ドドーンとバーニャカウダが登場した》と書いた.

 余談だが,このブログでは資料から引用をする際に,当該引用箇所を《斜体フォント》で示すと共に,ネット上の資料である場合はその資料への参照をリンクで示すことにしている.
 しかし元の資料が引用後に編集されたためにリンク切れが生じることも間々ある.
 そこで,やむを得ない場合には引用方法としてリンクではなく,当該サイトをブラウザで表示してそのスクリーンショットを使用することもある.
 この記事で,Brasserie 雪乃下のバーニャカウダについて書くにあたっては,言葉で書き表すのでは不十分であると考え,上述の二番目の引用方法を用いることにした.
 すなわち,公式サイトに掲載されている Brasserie 雪乃下のバーニャカウダは,次に示す画像のごときものである (2016年12月3日現在) が,私の席に運ばれてきたバーニャカウダは,その画像と少し異なるものであった.それについて以下書く.

20161203a

 まず料理の外観について.
 Brasserie 雪乃下謹製バーニャカウダの本体というか野菜は,画像ではボウルに大変彩り豊かに野菜スティックが盛り付けられているが,私のバーニャカウダは彩り少なく地味なものであった.画像の料理を春のお花畑に譬えるとすれば,私のバーニャカウダは,そろそろ収穫期も過ぎようかという季節の大根畑の,夕暮れのしみじみとした風情なのであった.
 しかしこれについては,野菜には端境期というものがある上に,さらに当日に限って仕入れであまり彩りよいものが多種類手に入らなかったかも知れないので,それは酌量すべきであろう.そんな日に昼飯を食いに来た私が不運だったと諦めれば済む話だ.
 次に画像では,キャセロール用の鍋を模した小さな蓋付の容器にソースが入っているが,私のテーブルに置かれたのは,ごく普通のふた無しの白いココット皿に入っていた.
 しかしながら食器でソースの味が決まるわけではない.私はそんなことに文句をつけるような尻の穴の小さい男ではないのだ.(尻の穴が大きいと大人物であるということになっているが,それはなぜなのか.大問題ではあるが,いずれ稿を改めて触れることにして先を急ぐ)
 Brasserie 雪乃下謹製バーニャカウダについて指摘すべき重大な問題は外観ではない.
 イタリア料理の初歩知識があれば誰でもすぐ気が付くことであるが,これはバーニャカウダではないのだ.
 Wikipedia【バーニャ・カウダ】には次のようにある.

バーニャ・カウダ(ピエモンテ語:Bagna càuda)はイタリア・ピエモンテ州を代表する冬の鍋料理である。ピエモンテ語で「バーニャ」は「ソース」、「カウダ」は「熱い」を意味する。
冷たいソースを使う場合はバーニャ・フレッダ、もしくはバーニャ・フレイダ(Bagna Freida.Freidaはピエモンテ語で「冷たい」を意味する)と呼ばれる。

 しかしわざわざWikipedia【バーニャ・カウダ】を調べるほどのことはない.どこのイタリア料理店でも,バーニャカウダはソースを温める専用鍋と共に供されるものだと私たちは知っている.
 つまり,Brasserie 雪乃下謹製バーニャカウダは,実はバーニャカウダではなく,冷たいディップソースで食べるバーニャフレッダだったのである.
 これは何かの間違いに違いない.私はそう思った.
 ところが,目の前の料理を見て「あのー,これって…,」と言いかけた私に,笑顔が素敵な接客係のお嬢さんが言った一言は,どんなに尻の穴が大きくてまるでビール瓶のような大便を放出する大人物でも腰を抜かすほどのものであった.
(続く)

|

« 鎌倉のパエリア (八) | トップページ | 鎌倉のパエリア (十) »

外食放浪記」カテゴリの記事

冥途の旅の一里塚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 鎌倉のパエリア (九):

« 鎌倉のパエリア (八) | トップページ | 鎌倉のパエリア (十) »