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2016年11月19日 (土)

鎌倉のパエリア (三)

 昨日の記事に鎌倉の切通のことを記したが,現在藤沢から鎌倉へのバス路線は,切通の一つである大仏切通を通る.
 ただし Wikipedia【大仏切通】に書かれているように,現在の大仏切通はいわゆる新道である.
 Wikipedia【大仏切通】の記載を引用しておこう.

大仏切通 (だいぶつきりとおし) は鎌倉七口のひとつ。現在の鎌倉市長谷と常盤台・深沢地域を結ぶ道。現在は新道がトンネルを抜けており、新道北側に旧道の一部が残されているが、現在見られる姿は、実際には1879年から翌年にかけて開削工事されたもので、このとき5丁 (約545m) の山道を3丈 (約9m) 切り下げて人力車が通れるようにしたと切通の鎌倉側入口にある石碑に記されている。
一般には鎌倉時代からのものだろうと言われるが、発掘調査ではかわらけ (素焼きの小皿) の小片が出土した以外には見るべきものはない。また、鎌倉時代に京などから鎌倉に来る記録では、初期にはほとんどが稲村路を通っており、後期には極楽寺坂切通を通ったと思われる文献もあり、鎌倉期にこの道が存在したことを確認することは困難である。ただし、現在の大字長谷は旧くは深沢村の一部であり、ローカルな生活道があった可能性は否定できない。
大仏切通の史料上の初出は江戸時代初期であり、1624年-1647年頃に刊行された『玉舟和尚鎌倉記』に「大仏坂 (藤沢口) 」がそれである。よく知られるのは1685年の『新編鎌倉志』の「大仏切通 大仏西の方なり。この切通を越えれば、常盤里へ出るなり」という記述である。

 このように実際には大仏切通は比較的新しいものであるが,昔からの切通を偲ばせる名称で呼ばれて,藤沢と鎌倉を結ぶ主要交通路に位置している.
 さてこの日も,私の乗ったバスは大仏切通のトンネルを抜けて高徳院の脇を走っていった.
 高徳院は,きちんとした史料である『吾妻鏡』にも記載のある由緒正しい寺院であるが,開山および開基は不明である.
 私がまだ若い頃,この辺りにタイワンリスが住み着いた.おそらく飼われていたものが脱走したものだ.その当時は珍しさもあって,タイワンリスが高徳院境内の樹の枝にいると,観光客が手から餌を食べさせていたもので,探せば写真がアルバムから出てくるだろう.
 しかしこれがいつしか大繁殖して,今では鎌倉に隣接する藤沢市の東側や横浜市戸塚区の南端にまで進出している.さすがにネズミの仲間はすごいものだと感心する.
 いやいや感心している場合ではない.生態系のバランスが崩れるほど繁殖してしまったので,鎌倉市は現在,「鎌倉市クリハラリス (タイワンリス) 防除実施計画」を策定して駆除に取り組んでいるのだ.市民の生活環境破壊はすごいらしい.実をいうと,私の住居の辺りでも最近彼らの姿を見かけるようになった.電話線の上を走っているのだが,かじって断線させなきゃいいがと心配だ.

 まあそんなことを思っていると,バスは長谷の丁字路を左に折れて,鎌倉の中心部へ入っていった.鎌倉駅はすぐそこである.
(続く)

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