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2016年11月

2016年11月30日 (水)

鎌倉のパエリア (七)

 さてフランス料理店で,店側が客にスペイン料理であるパエリアを勧めるのは多分滅多にないことで,なかなか楽しい趣向ではあるが,前稿に書いた問題はどうしよう.つまりパエリアが出来上がるまでの待ち時間のことだ.
 ところが店のほうもそこは心得ていて,定番メニューの冊子の他に,紙一枚に書かれた「サイドメニュー」が用意されているのであった.
 そのラインアップを店の公式サイトから引用して紹介しよう.

玉ネギの丸ごとロースト          500円
 オリーブの盛合せ             800円
 本日の野菜のマリネ            700円
 鮮魚のエスカベッシュ           550円
 自家製スモークサーモン          800円
 鎌倉野菜のバーニャカウダ        1050円
 スペイン産ハモンセラーノと
  イベリコ豚“ベジョータ”のチョリソー 1100円
 豚肉のリエット              550円
 チーズの三点盛合せ           1200円
 本日のオードブル            1200円

 言わずもがなだが,チョリソーはイベリア半島の豚肉の腸詰ソーセージである.
 エスカベッシュもスペインやポルトガルでは一般的な料理だ.
 バーニャカウダは歴としたイタリア料理で,イタリア料理店では定番の料理である.

 とまあ,こうしてみると,メイン・メニューもサイド・メニューも,Brasserie 雪乃下の料理は欧州多国籍軍の陣容であることがわかった.
 ちなみに私がバーニャカウダを初めて食べたのは古い話ではない.八年ほど前,うちの犬がまだほんの子犬だったときに,富士五湖へ犬連れで遊びに行ったのだが,その夜の泊りは河口湖に近い森の中にある犬同伴で泊まれるペンションで,夕食に出されたバーニャカウダを食べたのが最初であった.
 そのペンションは料理がなかなかおいしくて,愛犬家の間では評判のよいペンションだった.季節は晩秋だったから,固形燃料 (日本旅館の食事で一人前の鍋を煮るときにつかうアレだ) を入れたポット (下の画像) で熱くしたソースに,生野菜をディップして食べるバーニャカウダはおいしくて,気がつくと驚くほどたくさんの野菜を食べてしまった.生野菜なのに鍋料理という面白い料理だと思う.

320pxbagna_cauda1
バーニャ・カウダ専用のポット。下の空洞部に
ろうそくや固形燃料をセットし、上部にソースを
注いで熱する。

(画像とキャプションは Wikipedia【バーニャ・カウダ】から引用;画像はパブリック・ドメイン)

 もともと Brasserie 雪乃下で昼飯を食おうと決めたのは,鎌倉野菜の直売所の前をバスで通りかかって,それで鎌倉野菜を食べようと思ったからであるから,サイドメニューはもうこのバーニャカウダ一択だ.
 笑顔がとても感じの良い接客係の女性従業員に私は「えーとこの雪乃下パエリアってのと,それとバーニャカウダを」と告げた.
(続く)

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2016年11月28日 (月)

鎌倉のパエリア (六)

 私がこの日,駅前の喫茶店ルノアールを出て小町通りを北に歩き始めたのは,昼前の十一時をわずかに過ぎた頃.
 八幡宮に向かって歩いていくと,小町通りの中程に飲食店が立ち並んだ狭い小路があり,ここを左に入って,Brasserie 雪乃下への階段を二階に上がるとすぐドアがあった.全五十席という店内にはまだ客が数人しかいないようだった.
 笑顔がとても感じの良い接客係の女性従業員に私が「一人です」と告げると,お好きな席にどうぞとのことだった.
 そこで私は,店の公式サイトに《テーブル席 // 解放感のある窓側のお席 //窓側のお席は解放感があり明るい雰囲気です。外に目を向けると少し遠くに小町通りが見えます。 》と書かれている窓際の二人席に着いた.
 ざっと見渡すと,その他の《テーブル席 // 落ち着いた雰囲気のお席 //落ち着いた雰囲気の店内にイス・ソファの並んだお席です。》と書いてある席は暗くて窮屈な印象だったからである. その窓際の席の画像はこちら
 前稿に書いたテレビ東京「歴史の道歩き旅」で,撮影の際にタレントの佐藤弘道さんが着いたのは,この窓際のテーブルのうちの四人掛けのテーブルである.私が選んだ席はこの画像の左隣の二人用テーブルであった.
 注文を済ませてから気が付いたのだが,実はこの窓際の二人席は,窓から外が見えるとはいうものの,レジカウンターのすぐ横の通路に置かれたテーブルであり,客や従業員が横を通るようになっていた.つまり通路際の,あまりよくない席なのであったが,お好きな席にどうぞと言われた私が選んだのだから,文句を言ってはいけない.

 さてその注文だが,公式サイトに「売れ筋」と書かれているパエリアに惹かれるものがあって,それに決めた.自称フランス料理店 Brasserie 雪乃下が「売れ筋」と自賛するスペイン料理ってどんなものなんだろう,という興味からである.
 パエリアは米飯料理だということもあって,私たち日本人によく知られたスペイン (東部バレンシア地方) の料理である.
 実は藤沢にはスペイン出身のかたがシェフである人気のスペイン料理店がある.「エラルテ」という店で,料理はうまいしシェフは陽気な感じのいい人だ.私の娘がお気に入りで,時々娘夫婦はここで食事しに行っているらしい.
 パエリアはおいしいが,注文してから出てくるまでに時間がかかる.ざっと三十分はみておいたほうがいいから,時間に余裕のあるときでないといけない.
 それに,パエリアは料理の性質上,二人以上でシェアするのがよい.私の経験では,パエリアは二人前以上で注文するもんだと思う.そしてパエリアの他に前菜などの料理を頼んで,それを食べながら,家族とか友人,恋人あるいは愛人または後妻業とかと会話を楽しみながらパエリアの出来上がりを待つわけだ.どんな状況だよ.つまり,言い換えれば,お一人様客はなかなかパエリアを食べる機会がないのである.
 ところが Brasserie 雪乃下のメニューには「二人前以上でご注文ください」と書かれていない.おお,これはよい店をみつけたと私は嬉しくなった.
(続く)

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2016年11月25日 (金)

鎌倉のパエリア (五)

 前稿の末尾に《「松本竣介 創造の原点」展を鑑賞する前に,早めの昼飯は「鎌倉野菜を食べられる」を店の売り文句にしている Brasserie 雪乃下にしようと思いついた》と書いたのは,私がこの店を贔屓にしているからではない.それどころか私はこれまで一度もこの店で食事をしたことはない.
 ただしかし,テレビの食べ歩き番組で鎌倉というと大抵,小町通りの一等地にあるこの店が登場するらしい.
 ネットを調べればなんでも情報が出てくるもので, Brasserie 雪乃下がテレビで紹介された回数はこれまでに驚くなかれ十五回もあり,そのうち最新の十回は以下の通りなんである.(出典は“ぐるなび”で,「テレビに出たお店」で検索すればよろしい)

歴史の道歩き旅 (2016年9月30日/テレビ東京)
サタデープラス (2016年3月12日/TBS)
ヒルナンデス! (2015年3月27日/日本テレビ)
大人の極上ゆるり旅 (再) (2014年03月18日/テレビ東京)
昼めし散歩 (2014年02月27日/テレビ東京)
出没!アド街ック天国~お正月行きたい!鎌倉SP~ (2013年12月28日/テレビ東京)
キラ☆キラGirlymama (2013年09月21日/テレビ朝日)
元気です!ニッポンの商店街 (2013年09月14日/テレビ東京)
もしもツアーズ (2013年08月31日/フジテレビ)
大人の極上ゆるり旅 (2012年05月02日/テレビ東京)

 私がみたのは今年の九月に放送された「歴史の道歩き旅」である.タレントの佐藤弘道という人が出演し,夕食を Brasserie 雪乃下で摂るという内容だった.
 バスが鎌倉駅に到着したのは店の開店前の十時半だったので,駅前の喫茶店ルノアールに入り, Brasserie 雪乃下の公式サイトで下調べした.店舗紹介を引用すれば以下の通りである.

穏やかな時間を感じられる店内 大きな窓があり解放感のある店内で、喧騒から逃れてゆったりとお過ごしください。
 ランチメニューが充実しています 雪乃下名物の鎌倉野菜の庭園風、洋食風しらす丼など当店オリジナルメニューをご用意。
 厳選したワインお楽しみください ヨーロッパを中心に取り揃えたワインはお好みやお料理に合わせてお選び頂けます。

旬薫る露地ものの鎌倉野菜。三崎直送の新鮮魚介。腰越漁港直送の釜揚げしらす。鎌倉ならではの食材をふんだんに使用しつくるフレンチ。
赤・茶を基調とした統一感のある落ち着いた店内は小町通りから少し奥へ入るため、喧騒から逃れてゆったりとしたお時間をお過ごし頂けます。
鎌倉散策のご休憩に、特別な日のディナーに是非ご利用ください。

 ここで少し気になったのは,公式サイトには《鎌倉ならではの食材をふんだんに使用しつくるフレンチ》とあるのに,《おすすめメニュー》に「雪乃下特製パエリア」なるものが掲載されていることだった.パエリアってフレンチだっけ?
 さらにメニューの詳細を読むと,「売れ筋」と書かれている献立に次のようなものがあった.

海の幸と鎌倉野菜たっぷり 雪乃下パエリア
 釜揚げしらすパエリア
 釜揚げシラス丼
 三崎マグロの漬け丼
 雪乃下特製ハヤシライス

 マグロの漬け丼かー.なんというか Brasserie 雪乃下はフランス料理店と自称しているけれど,むしろ多国籍料理店とか無国籍料理店とかいうジャンルのレストランではなかろうかと思われた.
 でもまあ多国籍でも無国籍でもおいしければいいのである.

 店は小町通りから小路に入るとすぐに二階に上がる階段があって,そこが店のドアである.その店構えはさすが鎌倉小町通りで,とてもいい.高田純次なら「シャレオツですねー雰囲気があります」と言うだろう.どんな料理が食べられるのかなと私は期待した.
(続く)

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2016年11月22日 (火)

鎌倉のパエリア (四)

 藤沢駅―鎌倉駅のバスは,高徳院の脇を過ぎたあと長谷観音前丁字路を左折し,鎌倉文学館の前を通過してずっと道なりに行き,下馬交差点で若宮大路に入る.
 この交差点でまた左折してJR横須賀線高架線路の下をくぐると,この辺りではよく知られた焼鳥屋「秀吉」が右に見える.この「秀吉」は駅からちょっと歩かねばならないところにあるのだが,観光客に人気がある.しかしまあ内容的にはただの焼鳥屋である.店内は狭いので,焼いてあるのを買って外で立食いする人が多い.腰かけて食べたければ十一時の開店と同時に入るとよろしい.もちろん朝酒という具合になる.

 焼鳥の「秀吉」はどうでもいいとして,その隣にある鎌倉市農協連即売所がこれまた観光客に知られたところである.何がよく知られているかというと,ここは「鎌倉野菜」の直売所なのである.観光客向けサイトを一つ紹介しておく.
 テレビの食べ歩き番組なんかを見ていると,割と頻繁に「鎌倉野菜」なる言葉を聞く.
 私の知る限り,○○野菜なる言葉の始まりは京都府下で古くから栽培されてきた一群の伝統野菜である「京野菜」である.ただこの京野菜とは何かというのは漠然としているのだが,Wikipedia【京野菜】に一般的な解釈が載っているので引用してみよう.

特徴
京野菜の定義は曖昧で、明確には定められていない。京都で品種が確立したもの、または京都独自の生産技術によって生み出された品目などを総称するが、場合によっては京都府内でほとんど生産されないユリ根なども含まれる。一般的には明治時代後半以降に日本に導入された野菜は含まれず、5世紀 - 12世紀頃までに中国や朝鮮半島から日本に伝わったサトイモやダイコンなどの野菜などが京野菜の対象とされるが、20世紀になってから海外品種との交配で作出された万願寺とうがらしが含まれるような場合もある。その一方で、伝統野菜だけでなく、広義には京都で作られる野菜全てを京野菜とみなせる、という京都市の見解もある。
京野菜は現代の交雑品種などに比べて、生産性や形状の規格など広域流通の便が高くないため、20世紀半ばには生産が減少したが、京都府や京都市による品種の調査・保存やブランド京野菜の推進などにより、1990年代以降は生産・消費が拡大している。1990年の調査によれば、一般的な改良品種に比べて京野菜はビタミンやミネラル、食物繊維を豊富に含むという。なお、京都府農林水産部では毎月15日を京野菜の日とし、PR活動を行っている。また、2008年から京野菜検定が開催されている。他にこのような伝統野菜として、大阪府のなにわ野菜、奈良県の大和野菜、石川県の加賀野菜などがあり、各地で保存伝承の試みが行なわれている。

 上の引用中,《一般的には明治時代後半以降に日本に導入された野菜は含まれず、5世紀 - 12世紀頃までに中国や朝鮮半島から日本に伝わったサトイモやダイコンなどの野菜などが京野菜の対象とされる》が妥当な見解だろうが,農業における見境ない商業主義が流行し,栽培者が何でもかんでも「京野菜」と言い始め,「京野菜」は食文化史的な意味を失った単なるブランドと化した.
 このデタラメな (つまり消費者が認めた価値ではなく生産者が自称したに過ぎない) ブランド崇拝が各地に普及し,鎌倉市周辺で栽培される野菜を鎌倉野菜というブランドに仕立てたのである.もちろん日本の伝統野菜ではない.
 ではあるが,まずい野菜かというとそんなこともない.フツーにおいしいから,鎌倉市農協連即売所に出かけて珍しい栽培品種を探してみるのも一興だと思う.

 とまあそんなことを考えたので,「松本竣介 創造の原点」展を鑑賞する前に,早めの昼飯は「鎌倉野菜を食べられる」を店の売り文句にしている Brasserie 雪乃下 にしようと思いついた.
(続く)

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2016年11月20日 (日)

名刺なんてラララ

 少し前のこと.私よりも一回り年上のかたと会って雑談していたら,そのかたから「そうそう,名刺を差し上げましょう」と,自作ではないちゃんと印刷した名刺を頂戴した.
 普通の老人で名刺を持っている人は珍しい.

 とはいうものの,かつての私の会社同僚で取締役にまで昇進した男たちは今でも財布に名刺を入れて持ち歩いている.
 一人は東大卒の取締役専務執行役員と監査役を歴任した人で,今の名刺の肩書に何が書いてあるかというと,釣り同好会の役員なんだそうだ.
 もう一人は京大卒で取締役常務執行役員で引退した.これは私の同期入社だった.
 この男の名刺には,氏名と住所のみが書いてある.

 私は思うのだが,彼らの名刺に何の意味があるのだろう.
 名刺は記号である.
 今の肩書が趣味の釣りでも無役でも,とにかく上質の名刺を刷って持っていて,相手に名刺を欲しいと言われなくても「私はこういう者です」とむりやりに手渡し,相手に「いやあ名刺を切らしておりまして失礼致します」と言わせる.それが会社員人生で功成り名を遂げた彼らの矜持なのだろう.
 誰にも,忘れられないことはある.彼らはきっとそれが名刺なのだ.

 会社員の名刺と同じ意味の記号に,歌手のマイクがある.
 最もよく知られている例は,山口百恵のラストコンサートである.
 現役時代の彼女と無縁の世代でも知っている有名なエピソードを Wikipedia【山口百恵】から引用しよう.

1980年10月5日、日本武道館で開催されたファイナルコンサートでは、ファンに対して「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、そして最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となった。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした百恵は、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩みながら去っていった(なおこのマイクは現在小樽にある石原裕次郎記念館に展示されている。

 このときステージの床に置かれたマイクこそが,歌手としての山口百恵だった.
 翻っていま,マイクを床に置かなかった人々を笑ってはいけない.背もたれが頭よりも高い大きな椅子に腰かけ,何も入っていない豪華なデスク (書類なんぞは下っ端が持っているものなのだ) から部下たちを眺め,あるいは個室に鎮座し,女子社員がお茶を淹れてくれる会社員人生のラストコンサートを,凡百の誰が忘れられよう.だからこそマイクを置いた山口百恵は彼女自身があの時代の記号になったのである.
 あー,都はるみは復帰しましたが,私ははるみファンです.(笑)

 最初に書いたお年寄りのことに戻る.
 そのかたの名刺の肩書はこうだ.

(社) 日本音楽著作権協会会員 (JASRAC)
 全日本音楽著作家協会会員
 なんのなにがし

 初対面ではないが,しかし音楽家だとは思ってもいなかったので,感心して詳しく訊いてみたら,趣味で歌を作っているのだという.
 そこで「すごいですね」とほめたら,話が止まらなくなった.
 日本音楽著作権協会については,日本の音楽をダメにした張本人だと承知しているが,全日本音楽著作家協会は初耳である.
 この団体について更に訊いてみたら,会員の義務として定期的に作品 (作詞や作曲) を発表しなければいけないのだそうだ.
 そうすると作品をCD化したりするサポートが受けられるという.もちろん有料サポートだ.
 自分の作った歌をCDにしたら,次は日本音楽著作権協会会員となって,自作品の著作権を主張する音楽家になるのだ.
 ここで私はもう話を切り上げたかったのであるが,彼はバッグからCDを取り出した.
 ジャケットの画像は,彼の熱唱場面である.
 作詞作曲家だと思ったら,歌手でもあったのだ.
 そうして彼は「この歌を聴いた感想を聞きたい」と言った.
 そして押しに弱い私は断ることができず,帰宅してうなだれながらそのCDを試聴したのであった.曲も歌詞も,私の感想は推察していただきたい.全日本音楽著作家協会というのは,そういう営利団体なのである.会員数はすごいらしい.年金暮らしの老人を食い物 (以下略)

 さて今朝,起床して朝飯の支度をしながらラジオをオンにしたら,北野まち子という歌手の「明日舟」と題したド演歌が流れてきた.
 歌詞はここにあるので,みていただきたい. 

 で,なんだその明日舟ってのは.
 義兄弟の漁師の演歌に「兄弟舟」とかあるのは,それはわかりやすい.しかしこの歌は別に漁師夫婦を歌ったものでも,船頭夫婦の歌でもなさそうである.
 こんな「歌」と呼んでいいものかどうか疑われるものが作られて歌われて,それで飯を食っている日本音楽著作権協会だから,日本の音楽をダメにした張本人だと言われるのだ.誰が言っているかというと私だが.

 才能ある人が作った歌詞は,説明がいらない.
 人間なんてラララ ララララ
 いきなり人間なんてラララで,元は二分間ほどの短い曲なのに,このフレーズを繰り返して夜明け前を長時間ずっと歌い続けることができたのである.
 歌とはそういうものなのである.
 ただし,南こうせつによると,日が昇るちょっと前に歌い始めて感動的な夜明けの大合唱にもっていくはずだったのだが,日の出の時刻を間違ったために,いつまでも歌う破目になってしまったのだとさ.
 なんだそりゃ.まあいいや.(笑)

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2016年11月19日 (土)

鎌倉のパエリア (三)

 昨日の記事に鎌倉の切通のことを記したが,現在藤沢から鎌倉へのバス路線は,切通の一つである大仏切通を通る.
 ただし Wikipedia【大仏切通】に書かれているように,現在の大仏切通はいわゆる新道である.
 Wikipedia【大仏切通】の記載を引用しておこう.

大仏切通 (だいぶつきりとおし) は鎌倉七口のひとつ。現在の鎌倉市長谷と常盤台・深沢地域を結ぶ道。現在は新道がトンネルを抜けており、新道北側に旧道の一部が残されているが、現在見られる姿は、実際には1879年から翌年にかけて開削工事されたもので、このとき5丁 (約545m) の山道を3丈 (約9m) 切り下げて人力車が通れるようにしたと切通の鎌倉側入口にある石碑に記されている。
一般には鎌倉時代からのものだろうと言われるが、発掘調査ではかわらけ (素焼きの小皿) の小片が出土した以外には見るべきものはない。また、鎌倉時代に京などから鎌倉に来る記録では、初期にはほとんどが稲村路を通っており、後期には極楽寺坂切通を通ったと思われる文献もあり、鎌倉期にこの道が存在したことを確認することは困難である。ただし、現在の大字長谷は旧くは深沢村の一部であり、ローカルな生活道があった可能性は否定できない。
大仏切通の史料上の初出は江戸時代初期であり、1624年-1647年頃に刊行された『玉舟和尚鎌倉記』に「大仏坂 (藤沢口) 」がそれである。よく知られるのは1685年の『新編鎌倉志』の「大仏切通 大仏西の方なり。この切通を越えれば、常盤里へ出るなり」という記述である。

 このように実際には大仏切通は比較的新しいものであるが,昔からの切通を偲ばせる名称で呼ばれて,藤沢と鎌倉を結ぶ主要交通路に位置している.
 さてこの日も,私の乗ったバスは大仏切通のトンネルを抜けて高徳院の脇を走っていった.
 高徳院は,きちんとした史料である『吾妻鏡』にも記載のある由緒正しい寺院であるが,開山および開基は不明である.
 私がまだ若い頃,この辺りにタイワンリスが住み着いた.おそらく飼われていたものが脱走したものだ.その当時は珍しさもあって,タイワンリスが高徳院境内の樹の枝にいると,観光客が手から餌を食べさせていたもので,探せば写真がアルバムから出てくるだろう.
 しかしこれがいつしか大繁殖して,今では鎌倉に隣接する藤沢市の東側や横浜市戸塚区の南端にまで進出している.さすがにネズミの仲間はすごいものだと感心する.
 いやいや感心している場合ではない.生態系のバランスが崩れるほど繁殖してしまったので,鎌倉市は現在,「鎌倉市クリハラリス (タイワンリス) 防除実施計画」を策定して駆除に取り組んでいるのだ.市民の生活環境破壊はすごいらしい.実をいうと,私の住居の辺りでも最近彼らの姿を見かけるようになった.電話線の上を走っているのだが,かじって断線させなきゃいいがと心配だ.

 まあそんなことを思っていると,バスは長谷の丁字路を左に折れて,鎌倉の中心部へ入っていった.鎌倉駅はすぐそこである.
(続く)

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2016年11月18日 (金)

鎌倉のパエリア (二)

 藤沢駅南口から鎌倉駅行のバスは,常盤から鎌倉大仏で知られる高徳院へと向かう.

 鎌倉と言う土地は,海を背にして三方を山に囲まれ,攻むるに難く守るに易い,いわば天然自然の城であった.ここに幕府を開いた頼朝は慧眼であったと言うべきである.
 私たちが「城」と聞いてイメージするのは,鎌倉時代のあと,戦国時代初期における戦時の要塞として作られた「山城」,さらには戦国後期に建造された堂々たる平山城 (ひらやまじろ) や平城 (ひらじろ) だろう.平山城や平城は要塞であると共に政治支配の拠点でもあった.
 だがしかし鎌倉時代は,『吾妻鏡』などの史料に城らしきものの記述があるが,それは Wikipedia【日本の城】には次のように書かれている.

平安時代後期、治承・寿永の乱においては『吾妻鏡』や『平家物語』、『山槐記』などの記録史料・日記に城郭の存在が記され、この頃の「城郭」は堀・掻盾(は誤植だろう) 逆茂木など敵の進路を遮断するために設置したバリケードであると考えられている。

 この記載の通り,鎌倉に石垣や櫓で構成された戦国の「城」があった形跡はない.戦時には,鎌倉幕府の武士たちが居住していた地域に通じる街道を封鎖し,そこが防衛線になったのである.
 この防衛線が突破されれば,あとは乱戦となった.つまりこの時代に要塞に立て籠もる持久戦はなかったのである.
 実際,私たちは城がない時代の戦がどのようなものであったかを『太平記』に書かれたいわゆる「新田義貞の鎌倉攻め」を読んで知ることができる.
 新田の軍勢は,鎌倉に通じる細い街道が山を越えるところ (「切通」) で幕府軍と激しい戦闘を戦った.七つあった切通のうち,新田軍が鎌倉に突入せんとした三ヶ所,すなわち巨福呂坂,極楽寺坂,化粧坂のうち,最も有名なのは稲村ヶ崎を迂回した新田本隊が突入した極楽寺坂の戦いである.
 概略は Wikipedia【鎌倉の戦い】にあるので,一部を引用してみよう.

極楽寺坂
極楽寺坂 (極楽寺切通し) では幕府方の大仏貞直が陣を張り守備していた。しかし、幕府軍の守りは固く、坂の突破は難航したため、18日の未明に大館宗氏率いる新田勢の一部が稲村ヶ崎の波打ち際を通って鎌倉へ突入した。しかし長崎氏ら幕府勢の包囲攻撃にあい、稲瀬川付近で大館宗氏ら十一人が戦死、生き残った兵は退却し、宗氏子息の氏明が指揮を執り、南方の霊山に立てこもったとされている。『太平記』では宗氏の戦死は、大仏貞直の近習の本間山城左衛門の突撃のためとされている。他の複数史料が宗氏の稲村ヶ崎突破を書いており、また、稲村ガ崎の十一人塚に伝わる宗氏戦死に関する伝承などからも、『太平記』の記述には検討の余地があるとする説がある。

 ここに記載がある《稲村ガ崎の十一人塚》については,このブログの基になった個人サイト「江分利万作の生活と意見」に「小さな旅」のような文章を載せたことがあるが,それはニフティの個人サイトサービスの終了に伴って消滅させた.機会があればまたこのブログで稿を改めて触れることもあるだろう.塚は,この坂で奮戦討ち死にした十一人のもののふの記憶を現在に伝えるものである.
(続く)

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2016年11月17日 (木)

鎌倉のパエリア (一)

 今年の一月末に神奈川県立近代美術館の鎌倉館が閉館したあと,その事業を引き継いだ鎌倉別館にも葉山館にも足を運んでなかったのだが,先月から年末まで「松本竣介 創造の原点」展をやっているので,久しぶりに鎌倉に出かけてみた.
 あとでわかったのだが,鎌倉別館は年明けから暫く休館するという.普通の展示替えなのか建物のメンテなのかはわからない.鎌倉別館のサイトにも現在のところ説明が掲載されていない.

 さて一昨日,いつものように藤沢駅南口から鎌倉行のバスに乗り,大船駅近くの深沢経由で梶原,常盤を通って鎌倉駅まで行った.

 現在使われている高校教科書がどんな内容かは知らないが,私の高校時代の教科書には,日本史に梶原景時の名があり,古文の教科書にはその嫡男景季のことが書かれていた.
 この二人,いずれも大学受験生は教科書の記述を丸暗記してでも覚えなければならぬ重要人物であるからして,現在の高校生も必ず承知のことと思われる.

 古く十一世紀,今の藤沢市から鎌倉市のあたりに拠った桓武平氏の流れをくむ一族が,その領地の名を取って鎌倉氏と称した.
 高校教科書には名前が出てこないかも知れないが,平安時代後期の武将,鎌倉景正 (平景正) は,私の住む辺りでは歴史好きな中学生なら知らぬ者はいないだろう.
 その鎌倉氏から分かれたのが大庭氏や梶原氏である.
 梶原氏は,鎌倉景通の嫡男の梶原景久が相模国鎌倉郡梶原にて梶原氏を称したのが始まりである.
 Wikipedia【鎌倉氏】に掲載されている系図を下に示す.

  村岡良文
   ┃
   忠光
   ┃
   貞通
   ┃
   忠通
   ┣━━━━━━┓
  鎌倉章名   三浦為通
   ┣━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┓
   景成     景村                   景通   良名
   ┃      ┃                    ┃
   ┃      景明                  梶原景久
   ┃      ┣━━━━━━━━━━┓          ┃
   ┃     大庭景宗       長尾景弘      梶原景長
   ┃      ┣━━━━━┓    ┣━━━━┓    ┃
   ┃     懐島景義  大庭景親 長尾為宗 長尾定景 梶原景時
   景政(景正)
   ┣━━━━━━┳━━━━━┳━━━━━━━┓
  大庭景継    景秀    景経     安積景門
   ┃      ┃     ┃
   ┃      高政   古屋景縄
   ┃      ┃
   ┃     香川家政
   ┃      ┃
   ┃     香川経高
   ┣━━━━━━┳━━━━━┓
  長江義景   板倉重時  長尾景行
   ┃
  桑良景行

 鎌倉の梶原氏で最も有名な人物は梶原景時であるが,それは景時が,石橋山の戦いで敗走した源頼朝を窮地から救ったからである.そのときのことは『吾妻鏡』や『源平盛衰記』に活写されていて大変に有名な場面である.
 Wikipedia【梶原景時】から抜き書きしてみよう.

生涯
頼朝への臣従
梶原氏は坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族であり、大庭氏とは同族である。曾祖父、または従曾祖父に後三年の役で源義家のもとで戦い武勇を謳われた鎌倉景政がいる(梶原氏の祖・景久の従兄弟)。梶原氏は大庭氏らとともに源氏の家人であったが、平治の乱で源義朝が敗死した後は平家に従っていた。
治承4年(1180年)8月、源頼朝が挙兵して伊豆国目代・山木兼隆を殺した。景時は大庭景親とともに頼朝討伐に向い、石橋山の戦いで寡兵の頼朝軍を打ち破った。敗走した頼朝は山中に逃れた。
大庭景親は追跡を続け、山中をくまなく捜索した。『吾妻鏡』によると、この時、景時は飯田家義ともども頼朝の山中の在所を知るも情をもってこの山には人跡なしと報じて、景親らを別の山へ導いたという。
『源平盛衰記』ではより詳しくこの場面が述べられている。敗軍の頼朝は土肥実平、岡崎義実、安達盛長ら6騎とししどの岩屋の臥木の洞窟(現在の湯河原町)へ隠れた。大庭景親が捜索に来てこの臥木が怪しいと言うと、景時がこれに応じて洞窟の中に入り、頼朝と顔を合わせた。頼朝は今はこれまでと自害しようとするが、景時はこれをおし止め「お助けしましょう。戦に勝ったときは、公(きみ)お忘れ給わぬよう」と言うと、洞窟を出て蝙蝠ばかりで誰もいない、向こうの山が怪しいと叫んだ。大庭景親はなおも怪しみ自ら洞窟に入ろうとするが、景時は立ちふさがり「わたしを疑うか。男の意地が立たぬ。入ればただではおかぬ」と詰め寄った。大庭景親は諦めて立ち去り、頼朝は九死に一生を得た。

 その梶原景時の嫡男が景季であるが,その名が後世に伝えられたのは『平家物語』中でも最もよく知られているシーンの一つ「宇治川の先陣争い」による.
 原文と現代語訳の一例を紹介しておく. 読めば高校生時代を懐かしく思い出すかたも多かろう.

 さてバスは次は梶原の次に常盤を通って行く.
 常盤と聞いて,常盤御前常盤貴子のどちらを思い浮かべるかで人間は二つのタイプに分類できるといわれている.誰が言っているかというと,私だ.
 ただ,鎌倉の常盤は,各地にある常盤という地名の一つで,常盤御前とは関係ないようだ.常盤貴子はどうかというと,彼女は鎌倉市に隣接する横浜市の出身であるから,御先祖を辿るとなにがしかの関係があるかも知れないが,ここでは断定を避けておく.あるといいな.
(続く)

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2016年11月11日 (金)

内紛定食

 今日の@nifty ニュースに《大戸屋 「定食が高すぎる」「庶民感覚なくなった」の声 》 (2016年11月11日07時00分 NEWSポストセブンから転載) という記事が掲載された.
 そこから一部を引用する.

 (大戸屋は昨年七月に創業者の三森久実氏 (当時会長) が急逝したあと内紛が起きて) 《そんな身内のゴタゴタも影響してか、大戸屋は事が表面化した今年の5月以降、既存店売上高は5か月連続でマイナスを続けている。》という.

そもそも大戸屋はランチでも税込み699円するうえ、高単価メニューを増やしたことで値段が高いというイメージがますます強くなってしまったことは確かです。》 (評論家の重盛高雄氏の発言)

「大戸屋といえば、ボリュームがあって安くて美味しいところが好きだったのに、最近は同じ料理でも値段が上がった分、満足感は減りました。
 また、1日数十食限定などで値段の高いメニューも増えましたが、そこまでお金を払うなら他の外食店で食べるのと変わらない。どこにでもある家庭の味が気軽に食べられる“庶民感覚”の定食屋さんというイメージが薄れてきているのが残念です」(大戸屋歴10年の30代女性)

 なるほどなー.
 私は今年の六月に書いた《辻堂 大戸屋 》で,大戸屋の「一本釣り鰹丼と稲庭風うどん」セットの「稲庭風うどん」を《どこが稲庭なんだばかやろう全然似てねえよ風うどんなのであった》と貶した.これは全く満足感のない献立であったのだが,大戸屋はだめだってこと,みんなそう思ってたんだなー.よかったよかった.

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米国のダークサイド

 トランプ新大統領誕生が確実になったとき,テレビの報道番組で,クリント・イーストウッドの SNS での発言が紹介された.
 それは《シュワルツェネッガー,銃を撃ちに行こうぜ》という趣旨のものだった.銃規制を政策とする民主党の議会における退潮と,共和党の候補であるトランプの当確を祝って銃を撃ちに行こうという意味だ.

 イーストウッドもシュワルツェネッガーも,妊娠中絶や同性結婚を擁護するとか米国による海外侵略戦争 (昔のベトナム戦争や,ブッシュ共和党のやったイラク戦争など) に反対するなど,中道寄りではあるが,しかし思想的には歴とした共和党員だ.
 色んな政策で中道寄りにみえても,結局のところイーストウッドは多数派の共和党員と同じく,誰もが銃で武装できて,銃で他人を撃ち殺してもかまわない社会を支持しているわけで,それを《シュワルツェネッガー,銃を撃ちに行こうぜ》が示している.
 作家であり映画評論家である小林信彦氏はイーストウッド作品を高く称賛する人だが,銃規制について小林氏はどう考えているのだろう.私は銃で他人を不当に撃ち殺してもかまわない社会 (例えば「日本人留学生射殺事件」を参照) を憎む人間である.
 四年前のオバマ再選の前に,ジャーナリストの冷泉彰彦氏がニューズウィーク日本版に寄稿したコラム「共和党大会に登場したクリント・イーストウッド、賛否両論の背景とは? 2012年09月03日」では,イーストウッドの政治的立場について次のように書かれている.

クリント・イーストウッドの作品を見たことがある人なら、そこある強烈な「正義感」とか、その延長での「弱者への誠実な視線」あるいは「腐敗した権力への厳しい眼差し」を感じると思います。
クリント・イーストウッドの立場は、個々の人間が倫理的であれということです。つまり「スタイリッシュなリバタリアニズム」あるいは「道徳的なコミュニティ思想」とでも言うようなものです。とにかく国家権力は個々人の価値観や行動に介入すべきでないとして、その代わりに個人の側から自主的に秩序を形成すべきだというのです。また、仮に政府が何らかの権力行使を行う場合は、個人以上に高い倫理性が求められるというのです。
例えば、彼の作品では倫理的な観点からの権力への批判というのは大きなテーマになっています。アンジェリナ・ジョリーを主役に起用した『チェンジリング』では、ロス市警とロス市役所の腐敗に対して手厳しい描写をしていますし、「硫黄島2部作」の中のアメリカ側の視点の方である『父親達の星条旗』ではプロパガンダに利用された兵士達の苦悩を描く中で、権力への倫理的な批判を徹底しているわけです。

 冷泉彰彦氏はこのように,小林信彦氏と同様に,イーストウッドを手放しに高く評価している.
 しかし,日本と比較して異常なほどの格差社会の頂点に住みつつ,「理由なく銃で殺されない権利」よりも「武装の自由」を優先するイーストウッドが説く《強烈な「正義感」とか、その延長での「弱者への誠実な視線」あるいは「腐敗した権力への厳しい眼差し」》が一体いかなるものであるのか.私はもっともらしい偽物であると考える.

 小林信彦氏と同業の映画評論家である町山智浩氏 (米国在住) は心底からのリベラリストで,雑誌などに書いているコラムをまとめた一連の著書『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』や『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』など (いずれも現在は文春文庫にある) で,米共和党の暗部を私たちに教えてくれる.
 選挙戦中の「暴言」はともかく,これから打ち出されてくるトランプ次期大統領の政策は,トランプ氏の思想信条に基づくものに違いない.それがどんなものであるかは,解説は巧みにするが自分の思想は語らない報道芸人の池上彰 (テレビ東京の大統領選特番を観た視聴者はほんとにがっかりしただろう) ではなく,町山智浩氏のコラムでこれから紹介されるだろう.人種・女性・移民・同性愛者を差別し,銃規制に反対し,海外侵略戦争を支持し,そして格差社会を肯定する反福祉思想,さらには福音派キリスト教の反科学主義などなど,今後,トランプのアメリカがブッシュ時代の暗黒に回帰するのか否かを注目したい.

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2016年11月 9日 (水)

日本でも進化論を教えなかった時期があった

 私がこれまでに書いた文章を読み直していたら,2003年1月に,書いたのをすっかり忘れていて自分でもびっくりするようなことが書かれていた.
 高校の学習指導要領が改訂されて,高校の教科「生物1」で生物の進化について教えないことになったというのである.(ただし現在は元に戻って,教科書に取り上げられていることを確認してある)
 それは,覚えておいでのかたがいるかも知れぬが,円周率として計算に用いる数をそれまでの 3.14 ではなく 3 にすると決めた,あの悪名高い学習指導要領改訂である.

 趣味の手芸とか日曜大工などで円周率を計算に使うことがあるが,この時代の学習指導要領に基づいた教科書で学んだ生徒たちは,そういった日常のことで困ったのではないか.

 それはわかりやすい文部行政のでたらめによる被害であるが,教育の力をもって国力の基礎としてきた日本の国民でありながら「生物の進化」を知らないという世代は,米共和党の強い支持層であり米国民の三分の一を占める福音派キリスト教徒のような誤った自然観を持っている可能性があり,これは困ったことではないかと思う.
 映画「シン・ゴジラ」を観て素っ頓狂な感想文を書いている人がいるが,このことと関係があるのだろうか.

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2016年11月 8日 (火)

旧館のアーカイブ

 私はかつて,このブログ (ココログ「江分利万作の生活と意見」) と同名のニフティの個人サイトを@niftyのサービスを使用して運営していた.
 ココログは他社のブログでは一般的なことができなかったり,メンテナンス技術力が低いのかハード的に老朽化しているのか知らぬが,かなり頻繁にトラブル (ログインできないなど) が発生するブログサービスで,実はうんざりしているのだが,私はもう先が長くないので他のブログサービスに移転する気は面倒くさくて起きない.医者は「老人は病気を治療するのではなく,病気とつきあっていくという気持ちが大切です」なんぞという.無病息災をもじって一病息災ともいう.それと同じである.だが一病どころか多病の場合はどうすんだ.まあいいや.

 で,そのニフティの個人サイト向けサービスが明後日終了になる.それに伴って新設された個人サイトサービスに丸ごと移転しろという.作業はユーザーが自分でしろだとさ.
 私の感覚でいうと,ニフティが自分の都合でサービスを止めるのなら,移行はユーザーの手を煩わせることなく行うべきである.サービス業の鉄則,顧客志向というやつだ.
 それをしないということは,あからさまに,個人サイト向けサービスなんかやりたくないということだと思う.
 ニフティは2016年3月期で

売上高  連結: 668億3,300万円
     単独: 600億9,000万円
営業利益 連結:  11億9,600万円
     単独:  11億1,600万円
純利益  連結:   6億4,800万円
     単独:   6億1,800万円

だった.
 単独の売上高六百億円で純利益わずか六億円は,業績不振な製造業並の利益率の悪さだ.現時点でも企業として先の展望はないだろうし,個々の事業をみても個人サイト向けサービスは赤字なんじゃないかとも思う.
 まあそんなことは私が心配することはないのだが,私の個人サイトは既に閉鎖してかなり経過し,書いた文章を掲載するのはこのブログに限っている.そこでこの機会に個人サイトを消滅させるのも,終活の一つかも知れないと思う.
 ただ,個人サイトに載せた文章のうち「雑事雑感」と「続・雑事雑感」は,テキストベースでこのブログに転記しておこうと思う.それで随時「アーカイブ」を掲載することにした.(ココログの先行きもあやしいと私は思う.あと何年サービスが続くのだろうか)

[追記]
 富士通は子会社ニフティの個人向けインターネット接続事業を売却する手続きに入ったと日経新聞が先月伝えた.KDDIや伊藤忠商事など数社が引き受ける意向を示しているとのこと.背景には,パソコンからスマートフォンへの需要シフトで固定回線を利用したネット接続サービス事業の展望がないことがあるらしい.
 末端のKDDI代理店は,既にニフティはKDDIの子会社だと宣伝し,フレッツ光から au ひかりに乗り換えるべきだとのセールストークをしている.それはともかく,どこにニフティが身売りすることになっても,事業の整理縮小は避けられないであろう.

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2016年11月 7日 (月)

続・ゴキブリ缶 (四)

 前稿《続・ゴキブリ缶 (三) 》の末尾に私は次のように書いた.

このように食品の製造工程で異物が混入することはまれなことであるため,品質保証担当者は事故の対処経験を積みにくく,そのため食品の品質保証に関する見識の低い (=責任者の能力が低い) 会社は対処を誤ることがある.(異物混入の経験豊富という会社は,それはそれで困ったものである〈笑〉)

 品質保証担当者の経験値が低いとして食品業界で笑われた例を一つ挙げよう.「はごろもフーズ」と同じく静岡県の缶詰製造業者「清水食品」(現エスエスケイフーズ) の起こした事件である.
 十六年前の夏 (2000年7月),三重県鈴鹿市の主婦が,清水食品がタイから輸入販売したミニトウモロコシの缶詰「ヤングコーン」を開けたところ,ヤモリの死骸が混入していた.
 驚いた主婦は清水食品に苦情連絡をした.しかし電話を受けた同社の品質保証担当者は,缶詰の中にヤモリが混入するなどとはあり得ないと一笑に付して相手にしなかった.クレーマーだと思ったのであろう.
 しかしこの主婦はクレーマーではなく,ヤモリの混入は事実であった.
 清水食品の電話応対に怒った主婦は,地元の三重県鈴鹿保健所に届け出た.鈴鹿保健所は本件を静岡県中部保健所に転送した.保健所間の広域協力はかなりしっかりしていて,静岡県中部保健所は清水食品を指導し,同社は主婦に謝罪すると共に,同じ日に製造された缶詰約二万六千個の自主回収を行った.
 しかし実は本件は,必ずしも自主回収には相当しない事案だったのである.
 というのは,ヤモリはゴキブリなどと異なって,食品工場内で集団で繁殖する生き物ではないからである.(後述)
 このヤモリのヤングコーン缶詰への混入は偶発的な事故だった可能性が高く,実際,回収された二万六千缶にはヤモリの混入はなかったと聞いている.
 しかるに清水食品が自主回収せざるを得なくなったのは,ひとえに主婦からの電話に応対した担当者の不遜な態度が原因だったのである.

 次にもう一つ例を挙げるが,こちらは自主回収しなかったものである.
(続く)

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2016年11月 6日 (日)

銀河

 昨日放送された日本テレビ「世界一受けたい授業」に,同局の24時間テレビドラマ「盲目のヨシノリ先生」のモデルになった教師新井淑則氏が国語問題の出題者として登場した.
 番組中,新井先生が出題したクイズ問題の一つに「銀竹とはなんでしょうか」があった.正解は「つらら」だが,先生から「他には銀花という言葉もありますね」というコメントがあった.

 それはそれとして,番組を観ていてふと思い出したのだが,私は四十を過ぎたいい歳になるまで,同じように「銀」を含む言葉「銀漢」の意味を知らなかった.
 この言葉を知ったのは,都はるみの「古都逍遥」(1994年,作詞;たかたかし,作曲;弦哲也) を初めて聞いた時で,歌詞に《銀漢冴えて水清く》とあるのが理解できなかったのだった.
 すぐに調べたら,銀漢は銀河のことであった.
 ここで「漢」は,アジア最長の大河「長江」のそのまた最大支流である「漢水 (漢江)」のことであるという.
 なぜ銀河を,他の大河ではなく漢水にたとえたのかはわからない (出典を御存知のかたに教えて頂きたく思う) が,きっと漢水は,堂々たること天の銀河の如き流れであるのだろう.この目で見てみたいとは思うが,叶わぬ夢である.

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続・ゴキブリ缶 (三)

 先月 (10/27),「はごろもフーズ」は同社サイトに社告を掲載し,同社製「シーチキンLフレーク」にゴキブリの死骸が混入した品質事故があったことを公表した.
 ただし,消費者から通報があったのち,ゴキブリが製造工程で混入したことが確定したのは広告の二週間近く前のことであった.
 同社社告から事件の概要を以下に引用する.

10 月13 日にお客様から「製品に虫が混入している」とのお申し出があり、調査したところ、製造工程で混入した可能性が高いことが判明しました。
弊社といたしましては、製造日から1年10 ヶ月を経過し、他のお客様からのお申し出がないことから、連続性はなく、現在販売している製品につきましては、安心してお召し上がり頂けると判断いたしております。
現時点では連続性がないことから、「食品企業の事故対応マニュアル作成のための手引き」に準じて対応を行い、またお申し出いただいたお客様への対応を最優先させていただいたため、結果として公表が遅れたことをお詫び申し上げます。
なお、当該工場に対し、整理整頓、清掃の徹底に加え、防虫対策、専門業者による消毒の徹底を指示し、既に実施しております。
今後、万全を期すため、継続的に異物混入防止対策、防虫対策を講じ、品質管理体制をさらに強化して参ります。
何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 上の引用について,説明する.
 食品に異物が混入しているとの通報が,その製品の製造会社または行政 (保健所) にあっても,必ずしもその異物が製造工程で混入したものであるとは限らない.
 消費者が当該食品の包装を開封したのちに混入する事例があるからである.公表された詳しい調査データはないので私の長年の経験に基づく印象を書けば,異物混入通報のほとんどはこの消費者の責任によるものである.

 某社のマーガリンを購入した消費者からあった特殊な異物混入通報例を一つ挙げよう.
 そのマーガリンを使っていたら,中にかなり大きな金属片が入っているというのである.
 消費者から当該製品がパッケージ丸ごと宅配便で送られてきたので,その会社の品質保証部署の担当者が,マーガリン中に入っていた金属異物を注意深く取り出したところ,それは平たいヘラのような形のバターナイフであった.
 ただちにネット上にあるそのバターナイフの画像を見つけて調べ上げたところ,それは国産品ではなく,ある輸入品雑貨店で販売されたものであることが,その日の深夜になって判明した.
 製品が送られてきた翌日,消費者に画像と共に「発見された異物は一般的なものではなく,特定の輸入雑貨店で販売されたバターナイフであり,これが製造工程で混入する可能性は極めて低い.そのバターナイフに心当たりはないでしょうか」という旨の回答をしたところ,次のような返答があった.
 「あのバターナイフはうちの息子がイタズラで埋め込んだものでしたよ,あはは」

 もう一つ.
 某社の食品を購入した消費者から「食べていたらガリッと音がして,五ミリほどの大きさの金属塊が出てきた,どうしてくれる」という怒声の電話通報があった.
 その消費者から送られてきた金属塊を調べたところ,虫歯の治療で充填される金属であることが判明した.
 歯科医に確認の上「金属塊は虫歯充填物であるが,これが製造工程で混入する可能性は極めて低く,また製造にあたった従業員で虫歯充填物が紛失した者はいなかった」旨の回答を行ったところ,それ以後,消費者からの連絡はなかった.虫歯充填物はその消費者本人のもので,咀嚼中に脱落したものであると考えられた.実は虫歯充填物が脱落して異物混入と誤認される例は多いのである.

 上に二例を挙げたが,異物混入通報のほとんどは消費者の誤認によるものである.
 また食品業界で名を知られた「消費者」の常習的悪意に基づく捏造もある.
 このように食品の製造工程で異物が混入することはまれなことであるため,品質保証担当者は事故の対処経験を積みにくく,そのため食品の品質保証に関する見識の低い (=責任者の能力が低い) 会社は対処を誤ることがある.(異物混入の経験豊富という会社は,それはそれで困ったものである〈笑〉)
(続く)

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2016年11月 5日 (土)

続・ゴキブリ缶 (二)

 前稿に引用した Wikipedia【まるか食品】に書かれているように,「まるか食品」はゴキブリ混入事件の発覚当初,頑なに製造工程での混入を否定した.これは明らかに,回収を避けようという意志の表れであった.
 製品回収保険に入っていれば特段どうということはなかったはずだが,同社は保険に入っていなかった.同社程度の企業で五千万円以上の損失は大打撃だったろう.何としてでも製品回収を避けたかったのである.
 食品企業における必要経費としての製品回収保険の保険料をケチるという不見識.こういう経営者の見識のなさが,工場にゴキブリが蔓延する事態を引き起こしたと言っていい.この二つは同根なのである.
 しかしどんな小手先の嘘で回収を逃れようとしても,あの工場の実態を知っている人間が騙されようはずがない.斯くして日に日に同社の企業価値は失われていった.

12月11日、問題の商品を外部機関により分析した結果、虫に過熱の形跡が確認されたため、同社は「製造過程での混入の可能性が否定できない」と改め、本社工場・赤堀工場での生産を停止し、ペヤング全商品を販売休止とした。》 (Wikipedia【まるか食品】から引用)

 この事態に,「まるか食品」の経営者はようやく目を覚ました.そして工場の改善に取り組む決意をした.ここからあとの同社の取り組みは真摯なもので,私たち食品産業で品質保証の仕事に就いている者の目から見て立派なものであった.Wikipedia【まるか食品】から以下に再び引用する.

再発防止策および製造・販売再開
その後の調査でも同社は虫の混入原因や経路の特定には至らなかったが、混入の可能性があると考えられる箇所の絞り込みを行ったのち、本社工場では虫の侵入を防ぐため壁を補修し、床を抗菌仕様に変更した。同社は他にも、麺の運搬レーンに監視カメラと屋根を設置するなどの対策を施した上で、2015年5月に「ペヤングソースやきそば」の生産を再開、6月8日から関東地方での販売を再開した。
ところが、当初予想していた2倍から3倍の注文量があり、24時間体制でも製造が追いつかなくなったため、関東地方以外での発売を急遽延期する事態となった。7月からは製造ラインを増やし安定供給に務めるという。関東地方以外の地域 (販売休止前から販売していなかった北海道を除く) では、甲信越・静岡地区が7月6日、東北・北陸・中京・関西・中四国・九州地区が7月13日にそれぞれ販売を再開した。
なお、同社が製造・販売再開に向けた取り組みとして、容器の改良を含む異物混入などの再発防止策に投資した金額は、10億円以上にのぼったと報じられた。

 話は横に逸れるが「まるか食品」が工場を長期停止して改善と会社再建に取り組み始めた当時,テレビの情報番組ではMCもコメンテーターたちも異口同音に「そこまでしなくてもいいのでは」と言った.改善の取り組みは当然であると言明したニュース芸人は一人もいなかった.そのうちの何人かは今もしたり顔して毎日テレビに出ているが,この連中に食品の安全安心を語る資格はない.

 さて以上に述べてきた「まるか食品」の事件に対して,今回の「はごろもフーズ」のゴキブリ混入事件はどうかを見てみよう.
(続く)

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2016年11月 4日 (金)

続・ゴキブリ缶 (一)

「加工食品にゴキブリが混入」と聞けば,誰でも思い出すのは,ローカル企業でありながら知名度は「ペヤングやきそば」で全国的だった「まるか食品」(群馬県伊勢崎市) の異物 (ゴキブリ) 混入事件だ.
 この事件について Wikipedia【まるか食品】から長文だが引用する.

異物混入と自主回収
SNSでの指摘と対応
2014年 (平成26年) 12月2日、購入客が「ペヤングからゴキブリ出てきた」というメッセージと、油揚げ麺の内部にゴキブリとみられる虫が入り込んでいる画像をTwitterに投稿した。12月3日、まるか食品の担当者はJ-CASTニュースの取材に対して、「製造過程で虫が混入するなんてありえない」「虫が混入していたという苦情も初めて」と話したとされるが、そのことが公開されると同ニュースサイトには、複数の消費者から「過去に同様の苦情を入れたことがある」との意見があったという。
同日夜に行われた、群馬県伊勢崎保健所による本社工場への立ち入り調査を経て、翌12月4日、同担当者は再度の取材で消費者からの意見の真偽を問われると、「『初めて』というのは虫の混入全般を指したものではないので、訂正してもらいたい。今回のような大きな虫が麺に混入しているという苦情は初めてということで、小さな虫の苦情は過去にも何件かあった」と説明し、それ以上の明言を避けたという。
同日、他に主要メディアが報じたところによれば、同社は「異物検査をしており、製造工程での混入は考えられない」としながらも、11月10日製造の当該製品「ペヤング ハーフ&ハーフ激辛やきそば」と同日中に同じラインで製造された「ペヤング ハーフ&ハーフカレーやきそば」の自主回収を実施した。
12月11日、問題の商品を外部機関により分析した結果、虫に過熱の形跡が確認されたため、同社は「製造過程での混入の可能性が否定できない」と改め、本社工場・赤堀工場での生産を停止し、ペヤング全商品を販売休止とした。
12月12日には、同社を通じて外部機関による検査結果をメディアが改めて報じ、混入していた異物は雌のクロゴキブリの成虫で、体内酵素「カタラーゼ」の働きが失われており、加熱されていたことが判明するが、虫に付着していた油が工場使用のものと同一かは、検体が小さいことから確認できないとした。
また工場内に設置された約30台の監視カメラの映像を確認した結果、何者かが意図的に混入した可能性を否定している。なお、同社は自主回収が発生した際に、その費用を手当てするための「リコール損害保険」に加入していないこともわかった。一方で、同社の担当者は産経新聞の取材に対し、「油の一致がわからない以上、製造過程での混入を断言できない。第三者が虫を加熱死させ、製造後の商品へ意図的に混入した可能性もある」と話している。

 常識的には,食品会社というのは,万が一の製品回収に備えて保険に入る.
 損保会社と単独で契約する場合が多いが,中小企業の場合は負担が大きいので,集団で加入することもある.
 いずれにせよ,まるか食品は食品産業界の常識を堂々と打ち破って,製品回収保険に入っていなかった.そのことを報道で知った食品業界の (まともな精神の) 人々は唖然としたものである.
 食品の自主回収は,小規模の回収であれば二千万円くらいの費用でできることもあるが,たぶんペヤングやきそばくらいの販売数量の製品だと五千万円以上の損失を計上することになる.
 そこで全国ブランドあるいは準全国ブランド製品の場合,最大で一億円の回収費用が保障される保険契約をするのが普通である.これに入っておけば,回収費用のほとんどが補填される.(ただし回収事件を起こすたびに当然ながら保険料はどんどん高くなる)
 ちなみにその回収に係る諸費用で一番単価の高いのが新聞広告である.製品の販路が全国にわたる場合は全国紙に製品回収広告をだす慣習 (保健所の指導によっては地方紙でもよい場合がある) があるが,全国紙といえば普通は読売・朝日・日経・毎日の四紙でよいと考えるかも知れないが,ここに産經新聞というやっかいな新聞がある.
 以前,読売・朝日・日経・毎日に回収広告を掲載したとたん産經から電話があり,ウチも全国紙なのに無視するのかとネチネチ言われたことがある.産經の広告掲載要求をはねつけると紙面で回収事件をことさら大きく報道されると業界ではかねてから言われていたので,止む無く高い掲載料を払ったのだが,これは今思い出しても腹が立つ.
 現在は新聞広告よりもウェブの方がはるかに広告媒体として強力であることを保健所も知っているので,自社サイトに回収広告を掲載すれば,これを補完するものとして全国紙掲載は一紙か二紙で保健所の了解はとれると思われる.産經新聞の要求は,二流紙には掲載する必要を感じませんと断るのが賢明である.産經ごときに悪く書かれたところで大した影響力はない.
(続く)

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2016年11月 2日 (水)

ゴキブリ缶

 ツナ缶のトップブランド「はごろもフーズ」(本社・静岡市) の「シーチキンLフレーク」にゴキブリが丸ごと入っていたことで,同社が批判を浴びている.
 私に言わせれば,あの工場 (静岡市清水区の下請け工場「興津食品」) では,さもありなん.
 私は「はごろもフーズ」の製品は敬して遠ざけている.

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現実と虚構 (八)

 間違いかも知れないので断定はしないが,今の高校では「生物」は確か必修科目ではなく選択科目ではないか.
 ネットで調べた限りでは,理系大学に進学するクラスでは「化学」が必修で,これに選択科目である「物理」または「生物」のいずれかを加えた二科目で大学受験するのだと思われる.
 ところが昭和四十年代,大学進学を生徒の進路とする高校の理科クラスでは「物理」「化学」「生物」はどれも必修科目であった.その後,「生物」が選択科目になるときには一般には反対意見が多かったと記憶しているが,当時の文部省は教育界の反対を押し切って「生物」を必修から外してしまった.たぶん「ゆとり教育」かなんかの影響だったろう.
 このようにして「生物」が選択科目となり,生物に関する初歩的な知識の欠如した大学生が大量に生まれた.現在もそうであろうと思われる.(反対に理系でありながら「物理」の知識が全くない世代が一方に存在する)
 昨日の記事に《「資料を調べもせずにテキトーなことを書いた」サイト》の例を挙げたが,そのブログの筆者は,高校で生物に関する基礎知識を学ばなかった世代の人だろうと思われる.
 昆虫において幼虫が成虫になる際,卵→(孵化)→幼虫→(蛹化)→蛹→(羽化)→成虫 という段階を経るものがあり,これを完全変態というのであるが,上のブログ筆者の頭の中では「卵はチョウの第0次形態,イモムシは第1次形態,蛹は第2次形態であり,このようにしてチョウは世代交代を介さずに進化するのである」となっているのであろう.(爆)
 いや笑いごとではない.「シン・ゴジラ」ネタバレサイトを閲覧していると,深刻な事態が進行している (進行してしまった) と考え込んでしまうのである.

 よく知られているように,米国南部の州の学校では1925年から1967年まで,州法で進化論を教えることが禁じられ,まともな「生物」教育が行なわれていなかった.聖書の記述を一字一句信じ,この世のすべての生き物は神が短時日に作り賜うたものであるとして,生物の進化を頑迷に否定する福音派キリスト教徒が全人口の四分の一を占めていることの影響である (福音派キリスト教徒は共和党の支持基盤だ).
 実際,米国の有名なコミック「原始家族フリントストーン」では,原始人が恐竜と同時代に暮らしているのだ.
 この米国人の体たらくに比較すれば,かつて遥かに教養レベルが高かった日本人 (園山俊二「ギャートルズ」で,クロマニオン人たちと暮らしているのは恐竜ではなくマンモスだ) も,いずれ米国人並の知性の国民に堕すると考えられる.
(続く)

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2016年11月 1日 (火)

現実と虚構 (七)

 前稿《現実と虚構 (六) 》の末尾に私は次のように書いた.

この説は,哺乳類の発生過程を観察した結果に基づいてヘッケルが提唱して以来,ほとんど進展がなく,むしろヘッケルが示したデータには信用性がないとの批判もあり,「個体発生は系統発生を繰り返す」の文言だけが有名なのが現状だと思われる.
 この「個体発生は系統発生を繰り返す」の学問的な重要性はともかくとして,これが一般によく知られているフレーズだということを,「シン・ゴジラ」は活用したのである.

 評判になった映画作品には大抵の場合,数多くの「ネタバレサイト」が作られる.
 著名な映画評論家は無論そんなサイトは作らないので,まあ一般映画ファンが資料を調べもせずにテキトーなことを書いたものがほとんどだ.しかしもちろん,おお!とうなってしまうサイトもあって,私も「そういう観点があったのか!」と教えられることもまた多い.
 だがここでは「資料を調べもせずにテキトーなことを書いた」サイトの一つ,

ゴジラ
ネタバレ考察『シン・ゴジラ』のストーリーを暴く ~人類を救おうとした牧教授~

 
を紹介しよう.長いが引用する.

①シンゴジラの元となる生物が、海中に生息していました。これがどういった生物かは分かりませんが、とりあえずパンフレットでデザイン元と述べられていた深海ザメの「ラプカ」と仮定しておきます。
②諸外国が放射能廃棄物を投機し、ラプカがこれを食べます。(もしくは食べずとも放射能汚染)
③ラプカは放射能に汚染されます。ラプカは苦しみ、その環境で生き抜こうとしました。結果、放射能を無効化する力を身につけ、突然変異生物「シンゴジラ第0形態」となります。
④米国エネルギー省(DOE)が、シンゴジラ第0形態を発見。研究を始めます。
⑤牧教授も、なんらかのツテでこの研究に参加します。
⑥米国エネルギー省(DOE)がシンゴジラ第0形態を研究し結果、以下の様な特性がある事を発見します。
・ある作用を与えると、放射能を無効化する効果を発揮する。
・ある作用を与えると、世代交代を介さず(死を超越して)に急速に進化していく。魚類→両生類→爬虫類の生物進化の過程を瞬時に歩み、その先にある生態系の頂点に君臨する完全生物(それが第4形態)に行き着く。つまりシンゴジラ第4形態が、人間とは対になるもう一つの生物の完成系。

 映画「シン・ゴジラ」について,伏線や暗喩など様々な考察をするのは大変によろしいのであるが,ただ,明らかに科学の常識からかけ離れたことを書くのは,その考察のリアリティを失うことになる.「資料を調べもせずにテキトーなことを書いた」サイトになるのを避けるには,「調べて書く」ことが必要だ.
 上の引用中,色を変えた箇所《世代交代を介さず(死を超越して)に急速に進化》の部分が,まさに筆者の勝手な思い付きであり,「進化」とは何かを少しでも調べれば,《個体発生は系統発生を繰り返す》という説の存在を知り,こんなバカな間違い考察はしなかったはずなのである.
 実はこの《世代交代を介》さない《進化》という表現は,山ほどできた「シン・ゴジラ」ネタバレサイトに頻繁に出てくるのである.他には「個体進化」などという,いかにももっともらしい造語を用いているサイトもあるが,同じ意味である.
 もう余りにも基本的なことなので,改めて指摘するのも嫌になるが,進化ということは《世代交代を介》さずには存在しないのだ.
 教科書や専門書を読む必要はない.Wikipedia【進化】だけでも調べてから書いてくれ.
 そこにこう定義があるのを見つけるだろう.

進化
進化 (しんか、羅: evolutio、英: evolution) は、生物の形質が世代を経る中で変化していく現象のことである。

 《世代を経る中で》,つまり進化は世代交代をする中で生じる.
 一つの生物個体の生殖細胞に生じた遺伝子変化が,数世代にわたって修復されずに伝えられ,定着することを進化というのである.
 これは言葉の定義の問題なのであるから,生物一個体における経時的形質変化 (例えば芋虫が蛹を経て蝶になるようなこと) を言いたいなら「進化」という言葉を使ってはいけないのだ.
(続く)

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