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2016年10月19日 (水)

現実と虚構 (四)

 前稿《現実と虚構 (三) 》の末尾に私は次のように書いた.

しかるに「シン・ゴジラ」は,昭和三十年代にかくあるべきだったゴジラを,スクリーンに復活させた.いい歳をした,しかし映画好きな大人たちが「シン・ゴジラ」に歓声を上げて迎えたのは,「シン・ゴジラ」がゴジラ映画の真の第二作だからなのである.

 ゴジラ映画第一作「ゴジラ」が昭和二十九年 (1954年) だから,実質的な第二作である「シン・ゴジラ」の公開まで実に半世紀以上の年月が経過した.
 この半世紀という時間経過は短いようでいて,しかし「怪獣」というもののリアリティを根本的に作り直さねばならないほどには長かった.
 なんとなれば,自然科学における生物あるいは生命についての理解が,昭和三十年の当時と現在とでは,質的に全く異なってしまったからである.
 そのような生物観,生命観の変化は学校教育を通じて日本社会にも広く普及した.それ故,「ゴジラ」第一作のストーリィが構想された時代には許容されたことが,現在では全くリアリティがないということが起きてしまったのである.
 例えば怪獣ゴジラの基本設定は次のようである.(Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣)】から引用)

デザイン
第1作の脚本に基づき、「水棲爬虫類から陸上哺乳類に進化途中の巨大生物」と設定された。……


出自等の変遷
1954年公開のシリーズ第1作『ゴジラ』の作中では、古生物学者の山根恭平博士が「ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され、姿を現したものがゴジラである」と語っている。しかし、以後の作品の多くでは「核実験の放射線で恐竜が変異した生物である」と解説されている。また、平成ゴジラシリーズでは元となった恐竜ゴジラザウルスが登場している(詳細は後述)。……

 まず水棲 (海棲) 爬虫類とは一体何だということがある.
 海がまことに生命誕生の舞台であったことを疑う人はいないだろう.
 そして多種多様な生命が海で繁栄し,また滅んでいったわけであるが,その中に脊椎動物が発生した.その脊椎動物は水中で多様な生物群に分化したが,その中から呼吸器として肺を持つものが現れた.両生類である.
 やがて両生類から,肺のみで呼吸する生物が現れた.爬虫類である.
 爬虫類の一部は陸上生活に適応したが,一部は海にとどまった.海にとどまったものを海棲爬虫類というわけだ.中生代の最後に絶滅した首長竜が,これである.

 そこでゴジラを見てみよう.その太い脚は,どう見ても陸上生活に適応した爬虫類そのものだ.
 肺呼吸することになった爬虫類のうち海にとどまったものは,生きていくためには泳がねばならなかった.泳いで海面から首を出して息継ぎしなければ溺れ死んでしまうのだ.従って首長竜のように,あるいは現在の海亀のように,脚はフィン状である必要があり,海棲爬虫類からは二足歩行できる脚を有する種は生まれようがなかった.

 ただし,ゴジラは第一作以降の各作品中で,海を泳いでいる.だが,太く短い四脚で泳ぐのは象の例があるから可能であるとしても,ゴジラの場合はあの短い二本の前脚でどうやって泳げと言うのか.推進力が得られるとはとても思えない.
 またゴジラは前かがみの姿勢しか取れないと思われ,従ってドルフィン泳法も不可能であろう.そんなことをすれば腰を痛めてしまうこと必定である.(手足の無いモスラの幼虫は泳ぐが,これには脊椎がないので無理なく胴体だけでバタフライ的に泳げるのである)

 つまりどう考えても《海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物》(Wikipedia【ゴジラ(架空の怪獣)】) はあり得なかったと考えていい.ゴジラは海棲爬虫類が陸上に上がったものではなく,両生類から分かれて最初から陸上生活に適応した爬虫類でしかあり得ないのである.
 この点で「ゴジラ」第一作の設定は,荒唐無稽というより論理的に無理なのであった.

(続く)

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