現実と虚構 (五)
前稿《現実と虚構 (四) 》の末尾に私は次のように書いた.
《つまりどう考えても《海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物》(Wikipedia【ゴジラ(架空の怪獣)】) はあり得なかったと考えていい.ゴジラは海棲爬虫類が陸上に上がったものではなく,両生類から分かれて最初から陸上生活に適応した爬虫類でしかあり得ないのである.
この点で「ゴジラ」第一作の設定は,荒唐無稽というより論理的に無理なのであった.》
少し補足する.
突然変異は,特定の方向に進むように現れるものではないとされる.
すなわち定説は,特定の方向に進む突然変異に否定的である.これについて Wikipedia【定向進化説】を引用する.
《定向進化説 (ていこうしんかせつ) とは、生物に、一定方向に進化を続ける傾向があることを認め、それを進化の原因とみなす説のことである。系統発生説とも呼ばれる。》
《定向進化説の提唱
定向進化を生物のもつ内在的な特徴であると見なし、生物の進化がそれによって方向づけられていると説明する説を定向進化説という。T.アイマー、E.D.コープ、H.F.オズボーンら古生物学者によって提唱された説である。いずれも定向進化を生物のもつ特徴と見なす点では共通するが、その原因の説明は必ずしも共通せず、現象面の指摘に止めるものから、それを引き起こす生物内の原因を仮定する立場まで幅広い。しかし、一般にその理由を生物内にある方向づけに求める印象があることから、ジャン=バティスト・ラマルクの進化論の流れをくむ、いわゆるネオ・ラマルキズムの一つと見なされ、否定的に判断される場合が多い。分子遺伝学の理論からも、これを支持するのは困難である。》
陸と海の境界に誕生したであろう両生類から,陸上生活に適応した爬虫類と海にとどまった爬虫類とが生まれたと前回書いた.
海での生活に適応し,泳ぐのに適したヒレなどの形態を有する海棲爬虫類から,逆方向というか,陸上を歩ける脚を持つ爬虫類に進化したという可能性を考えても何ら不思議はない.突然変異は特定の方向にだけ進むものではないからである.
しかし,不思議はないが,突然変異によってヒレの代わりに脚を持った海棲爬虫類が生まれたとしても,それは直ちに溺れ死んだであろう.従って化石も残らなかったし,ゴジラとして現代に生き延びることは不可能だったのである.
「ゴジラ」(シリーズの第一作) を制作した東宝サイドも,この「ゴジラ」の設定すなわち《ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され、姿を現したもの》(Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣)】)の論理的欠陥については,第一作のあとで認識したようで,後続の作品では《核実験の放射線で恐竜が変異した生物である》(同 Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣】) に変更された.
しかしどう設定を変えても,あの短い手のゴジラが,太平洋を泳ぎ渡ってくるのは無理である.それが可能ならばハムスターが自由形競泳に出場するだろう.
そこで「シン・ゴジラ」では,極めて真っ当な設定をゴジラに与えて,第一作の論理的欠陥を乗り越えた.
それは「個体発生は系統発生を繰り返す」であった.
(続く)
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