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2016年10月

2016年10月30日 (日)

やつあたり三題

 今朝 (日曜) 六時台のNHKテレビでやっていた番組で,長野県で栽培されている梨「南水」が紹介されていた.
 この梨は糖度が十四度もある.
 番組には南水を使った料理もでてきて,チーズを載せて焼いた梨のグラタンとか,梨の唐揚げがおいしいと食レポーターは言った.南水はすごく甘いので,むしろ塩味が合うというのである.
 甘塩っぱい梨料理だとさ.貴君はそんなものを食いたいと思うであろうか.私はいやだ.

 今の御時世は,何でもとにかく甘ければいいのである.甘いと旨いの区別がなくなったのだ.これを味覚の幼児化と称する.
 少し前のことだが,早朝五時台のテレビ朝日の通販番組でインスタントカレールーが出てきた.
 それを使ったカレーを一口食べたレポーターが「あまーいっ」と言った.
 汁粉かそのカレーは.

 ラジオでは,女性アナが「明日はハロウィンです.ハロウィンはアメリカのお祭りですけど,日本でもようやくハロウィンが定着したようです.一軒一軒まわってトリック・オア・トリートですね!」と嬉し気に喋った.
 トリック・オア・トリートか.
 渋谷に多数の馬鹿者が集まって騒ぐ.

批判・非難
ハロウィンイベント参加者による飲食類の散らかし、路上での暴力などの非常識が問題視されており、日本のハロウィンへの批判や非難も年々増加している。2015年は、特に東京都渋谷区への批判が集中した。
》 (Wikipedia【ハロウィン】)

 上にあげたラジオの女子アナや渋谷の馬鹿者たちが,日本人留学生射殺事件を記憶しているか,聞いてみたいものだ.

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2016年10月27日 (木)

現実と虚構 (六)

 前稿《現実と虚構 (五) 》の末尾に私は次のように書いた.

しかしどう設定を変えても,あの短い手のゴジラが,太平洋を泳ぎ渡ってくるのは無理である.それが可能ならばハムスターが自由形競泳に出場するだろう.
 そこで「シン・ゴジラ」では,極めて真っ当な設定をゴジラに与えて,第一作の論理的欠陥を乗り越えた.
 それは「個体発生は系統発生を繰り返す」であった.

 「個体発生は系統発生を繰り返す」
 このフレーズはよく知られていて,高校で生物の授業を受けた人はきっと覚えているに違いない.学問上の用語としては「ヘッケルの反復説」という.
 これはダーウィン進化論の影響を受けたエルンスト・ヘッケルによって1866年に提唱された仮説である.
 どんな仮説なのか,Wikipedia【反復説】から概要を引用しよう.

概要
反復説は1824-26年にエチエンヌ・セールが提唱したのが最初である。科学史上、エルンスト・ヘッケルの反復説と区別するために『メッケル・セールの法則』と呼ばれることもある。反復説とはもともと進化的な視点を伴ったものではなかったが、ダーウィン進化論の影響を受けたヘッケルが、1866年に『ヘッケルの反復説』として提唱したものが広く知られるようになった。
ヘッケルの反復説は、生物発生原則とも言われる。往々にして、簡単に「個体発生は系統発生を繰り返す」という風に言われる。つまり、ある動物の発生の過程は、その動物の進化の過程を繰り返す形で行われる、というのがこの説の主張である。ここで個体発生とは、個々の動物の発生過程のことであり、系統発生とは、その動物の進化の過程を意味する表現である。ともにヘッケルが提唱した言葉。
具体的には、彼が1866年にその著書『一般形態学』に記した以下のような文が元である。
「個体発生 (ontogenesis)、すなわち各個体がそれぞれの生存の期間を通じて経過する一連の形態変化としての個体の発生は、系統発生 (phylogenesis)、すなわちそれが属する系統の発生により直接規定されている。個体発生は系統発生の短縮された、かつ急速な反復であり、この反復は遺伝および適応の生理的機能により条件付けられている。生物個体は、個体発生の急速かつ短縮された経過の間に、先祖が古生物的発生の緩やかな長い経過の間に遺伝および適応の法則に従って経過した重要な形態変化を繰り返す」

ヘッケルの反復説の根拠とされた観察事例
よく実例に挙げられるのが、哺乳類の発生である。特に、その初期に形成される鰓裂は哺乳類では使用されることなくすぐにふさがってしまうから、哺乳類が魚類を経て進化した証拠であり、その時期の胚は魚類の段階の姿である、と主張される。また、鰓裂の形成→四肢の形成→鰓列がふさがる、という順番は、無顎類の鰓形成→魚類の対鰭獲得→両生類の鰓消失の順番と対応しているとされる。

 この説は,哺乳類の発生過程を観察した結果に基づいてヘッケルが提唱して以来,ほとんど進展がなく,むしろヘッケルが示したデータには信用性がないとの批判もあり,「個体発生は系統発生を繰り返す」の文言だけが有名なのが現状だと思われる.
 この「個体発生は系統発生を繰り返す」の学問的な重要性はともかくとして,これが一般によく知られているフレーズだということを,「シン・ゴジラ」は活用したのである.
(続く)

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2016年10月25日 (火)

現実と虚構 (五)

 前稿《現実と虚構 (四) 》の末尾に私は次のように書いた.

つまりどう考えても《海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物》(Wikipedia【ゴジラ(架空の怪獣)】) はあり得なかったと考えていい.ゴジラは海棲爬虫類が陸上に上がったものではなく,両生類から分かれて最初から陸上生活に適応した爬虫類でしかあり得ないのである.
 この点で「ゴジラ」第一作の設定は,荒唐無稽というより論理的に無理なのであった.

 少し補足する.
 突然変異は,特定の方向に進むように現れるものではないとされる.
 すなわち定説は,特定の方向に進む突然変異に否定的である.これについて Wikipedia【定向進化説】を引用する.

定向進化説 (ていこうしんかせつ) とは、生物に、一定方向に進化を続ける傾向があることを認め、それを進化の原因とみなす説のことである。系統発生説とも呼ばれる。
定向進化説の提唱
定向進化を生物のもつ内在的な特徴であると見なし、生物の進化がそれによって方向づけられていると説明する説を定向進化説という。T.アイマー、E.D.コープ、H.F.オズボーンら古生物学者によって提唱された説である。いずれも定向進化を生物のもつ特徴と見なす点では共通するが、その原因の説明は必ずしも共通せず、現象面の指摘に止めるものから、それを引き起こす生物内の原因を仮定する立場まで幅広い。しかし、一般にその理由を生物内にある方向づけに求める印象があることから、ジャン=バティスト・ラマルクの進化論の流れをくむ、いわゆるネオ・ラマルキズムの一つと見なされ、否定的に判断される場合が多い。分子遺伝学の理論からも、これを支持するのは困難である。

 陸と海の境界に誕生したであろう両生類から,陸上生活に適応した爬虫類と海にとどまった爬虫類とが生まれたと前回書いた.
 海での生活に適応し,泳ぐのに適したヒレなどの形態を有する海棲爬虫類から,逆方向というか,陸上を歩ける脚を持つ爬虫類に進化したという可能性を考えても何ら不思議はない.突然変異は特定の方向にだけ進むものではないからである.
 しかし,不思議はないが,突然変異によってヒレの代わりに脚を持った海棲爬虫類が生まれたとしても,それは直ちに溺れ死んだであろう.従って化石も残らなかったし,ゴジラとして現代に生き延びることは不可能だったのである.

 「ゴジラ」(シリーズの第一作) を制作した東宝サイドも,この「ゴジラ」の設定すなわち《ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され、姿を現したもの》(Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣)】)の論理的欠陥については,第一作のあとで認識したようで,後続の作品では《核実験の放射線で恐竜が変異した生物である》(同 Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣】) に変更された.

 しかしどう設定を変えても,あの短い手のゴジラが,太平洋を泳ぎ渡ってくるのは無理である.それが可能ならばハムスターが自由形競泳に出場するだろう.
 そこで「シン・ゴジラ」では,極めて真っ当な設定をゴジラに与えて,第一作の論理的欠陥を乗り越えた.
 それは「個体発生は系統発生を繰り返す」であった.

(続く)

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2016年10月23日 (日)

下種の極み

 世の中には実に様々なボランティア活動があって,ボランティア活動とは何かという定義も難しいようであるが,ここではあまり理に立った話ではなく,例えば保健所で殺処分される犬を救おうとか,地域猫に避妊手術をしようとか,あるいは地域に伝わる伝統技芸の保存会とか海岸の清掃等々のお話だとする.
 それらは参加者が手弁当の持ち出しをする程度の費用でできるものもあるだろうが,それなりの費用がかかって資金調達が必要なものもあるだろう.

 週刊文春の先々週号 (10/20号) の連載コラム,林真理子「夜ふけのなわとび (No.1478 今年もチャリティ) 」に次のようなことが書かれていた.
 林真理子は,東日本大震災で親を亡くした子供たちを支援する団体「3.11塾 (代表;三枝成彰)」の活動をしている.
 その団体の活動資金は会費と寄付,そして年に一度のチャリティ・コンサートとチャリティ・パーティーで賄っているという.
 林真理子がやっている「3.11塾」のチャリティ・パーティーがどんな様子かというと,林真理子は次のように書いている.

他のチャリティ・パーティーもそうらしいが、皆さんすごくおしゃれしてきてくださる。どういうわけか、うちのパーティはイブニング姿の美女が多い。

 そのパーティには,ミス・ユニバース全国大会のファイナリストが二人もきたという.
 で,パーティではオークションが行なわれた.
 林真理子は何をオークションに出品したかというと,「大石静・林真理子と宝塚を見に行く権利」というもので,これが二十万円以上の価格で落札されたという.私と一緒に宝塚を見に行くのはちょっとお高いですよ,というわけだ.
 他にもオークションに出されたもののことが書いてある.具体的な金額を明らかにするのは差しさわりがあるだろうから書かれてはいないが,しかし林真理子の書きぶりでは,このオークションで数百万円の金が乱れ飛んだと想像される.
 私みたいな貧乏人はこのチャリティ・パーティーで行われたオークションに常軌を逸したものを感じはするが,まあ林真理子という女はいつも,あの和服がいくらこのドレスがいくらなどと,金のことばかり書いているのでさほど驚かない.
 驚いたのはこの雑文の最後の一文で,下に引用する.

ひねくれ屋のうちの夫などは、
 「ボランティアでこんな派手なことをして」
 と言うがそれは違う。地味なことをしてもお金は集まらない。着飾って華やかにお金をかき集め、そして使う時は千円単位もケチる。これこそボランティアの本道だと私は思う。

 林真理子は,自分と一緒に宝塚を見に行くことに二十万円以上の価値があるというのだが,それを納得して金を払う人がいるのだから別に構わない.
 それよりも,そういうやり方で金を集めることが《これこそボランティアの本道だ》と週刊誌に書いてしまうこの女の頭の中身が恐ろしい.
 全国に様々なボランティア活動をしている方々がいて,それぞれの方法で地道に資金を集めているだろうと思う.そういう人々の資金調達方法は邪道だと言ってのけているのだ,この下種女は.

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2016年10月22日 (土)

他人様の金を何だと思っている

 小池知事都政が発足してまだ間もないので,彼女の都政方針がすべて明らかに説明されたわけではないと思うが,私は,彼女は都の財政に危機感があるのではないかと想像している.
 石原都政によって都の財政は健全化が進んだと一般に宣伝されたことは周知であるが,実は第三セクターなどとの連結決算では状況は大変よくない.要するに都財政は表面的な健全化を装っているだけなのである.
 そのことについて Wikipedia【東京都】から以下に引用する.

 

財政と事業
東京都の財政状況は、景気の回復による都税収入の増加と、石原慎太郎都知事による施政下での緊縮財政によって、2000年前後の最悪の水準から大幅に回復し、一般会計が他の会計から借り入れる「隠れ借金」も2006年度で完済する目処が立ち、2005年度の一般会計では16年ぶりの黒字決算となった。起債依存度は全国の自治体で最低の5.8パーセントと財政の健全化が進んでいる。
一方で、特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債は、2004年度末に16兆9,508億円、都民一人当たりの負債額は約135万円と共に全国最多であり、特別会計や監理団体の財政は厳しい。2006年度の実質公債費比率は17.1%と、全国で8番目に悪い。
連結での財政を悪化させている要因は第三セクターの財政問題である。東京都が推進した臨海副都心開発事業では、東京テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発、東京ファッションタウン、タイム二十四の臨海関連第三セクター5社が相次いで経営破綻するなどの問題が発生し、5社の頭文字を取って「5T問題」と呼ばれた。他にも、国際貿易センター、東京臨海高速鉄道、東京都地下鉄建設、多摩ニュータウン開発センターなどの問題を抱えている。また、石原都知事の主導により中小企業金融を名目として2003年(平成15年)に設立された新銀行東京は、巨額の赤字を計上し、東京都による追加出資が必要となる事態となっている。

 

 冒頭に《彼女は都の財政に危機感があるのではないかと想像している》と書いたのは,当選後ただちに打ち出した政策を見るに,知事選立候補の時点で小池知事は都の財政状態を熟知していたのではないかと思われるからだ.
 スタンドプレーは大好きだが都庁に出て仕事をするのは嫌いだった石原,批評家でありながら商業主義オリンピックに対する批評精神を忘れた猪瀬,公費で私腹を肥やすことのみに関心があった舛添という三代の都知事時代に,都の財政は危機的状況になったらしい.
 小池知事が豊洲市場とオリンピック関連施設の見直しを打ち出したのは,都財政に対する危機感があるのだろうと推測する.

 

 さて小池都知事がよく使う言い回しの「都民ファースト」は,昔ながらの日本語で「都民第一」と言えば済むことである.妙なフレーズを口にするから,清水ミチコにモノマネでからかわれたりするのである.(笑)

 

 いや「都民ファースト」の意味するところに私は文句はない.
 だが「アスリート・ファースト」はいかがなものか.
 今日のテレビ報道番組に出てきた某選手は,他の競技が東京でやってるのに,自分の出場する競技が東京以外で開かれるなんて嫌だ,と言っていた.
 またその競技団体の役員は「既存の競技施設を使うのには反対だ.アスリート・ファーストなんだからオリンピック水準の施設を整備しなければいけない」と語った.
 これを聞いて私は,こいつらは何様のつもりなのかと思った.
 公金をなんだと思っているのか.都には金が有り余っているのではないぞ.
 いやいや,アスリートたちが増長して自ら「アスリート・ファースト」だと主張してもいいことにしよう.その代わりメダルをとれ.逆説的に言うと,そういうことだ.
 そんなことを言うのは本意ではないが,テレビニュースを見てそう言いたくなるくらい嫌な気分になったのだった.

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2016年10月21日 (金)

甘い梅干に困惑している

 最近,歳をとると食い物の好き嫌いがかわるんだなーと実感したことがある.

 昔は梅干しといえば,梅の実を塩と紫蘇で漬け込んで真っ赤に色付けしたもののことだった.
 それがいつの間にか,昆布梅,鰹節風味の鰹梅,蜂蜜を加えて甘くした「はちみつ梅」など色んなバリエイションができた.

 食品の規格などを定めているJAS法という法律では,伝統的製法によって製造された梅干しを「梅干」,近年製造されるようになった調味加工品を「調味梅干」と表示するよう義務付けている.
 私は伝統食品については原理主義的傾向があって,法的な定義による「梅干」のみを梅干しであると考え,「調味梅干」なんぞは邪道の食い物であるとして断固口にしなかった.昆布梅も鰹梅も「はちみつ梅」も,表示を読めば食品添加物を使用してあるのだが,梅干しには本来そんなものは必要ないと考えたからである.(私は食品添加物許容論者であり,食品添加物の使用が不可欠であればどんどん使えばいいと考える.しかし不必要なものに使うのは反対する)

 それがつい最近,ひょんなことから岡畑農園という業者が製造販売している「幻の梅」という商品を食べて,思ったよりうまいじゃんと思ってしまったのだった.
 この業者のサイトに掲載されている「幻の梅」の表示を下に転記する.

梅、漬け原材料(食塩、麦芽糖、蜂蜜、醸造酢)、トレハロース、甘味料(キシリトール、スクラロース)、酒精、ユッカ抽出物

 とまあロクなもんじゃない (*) のだが,一つ食べるとついつい二個三個と食べてしまう.
 ジャンクフードだと承知していながら,時折ケンタッキーのフライドチキンを買って食べてしまうのに似ている.(違)
 いま私の冷蔵庫には内容量一キログラムの大きな「幻の梅」が一箱入れてあるのだが,これを一ヶ月くらいで食べてしまうかも知れない.困ったものである.

(*)漬け原材料(食塩、麦芽糖、蜂蜜、醸造酢)》と意図的に一まとめにして書いてあるのでわかりにくいが,おそらく蜂蜜は申し訳程度にしか使用していないと思われる.それでも,他の業者の製品に比べると,甘味料の使用技術は上手のようだ.他の業者の「はちみつ梅」で,口に入れたとたん,あまりにもあからさまな甘味料の味がして,吐き出してしまったものがある.それに比較すればこの「幻の梅」,ジャンクフードとして大変よくできている.誉めてるのか貶してるのかわからぬが,まあそういうことである.

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2016年10月20日 (木)

豊洲の地下水は水位下がらず

 先日の《こういう人物も学者というのか 》に次のように書いた.

藤井は,これはもうやり過ぎなほど過剰な汚染地下水対策であり,それが工事費の高騰を招いたのであると,宮崎を相手に饒舌に論じた.つまり藤井は,これだけ巨費が投じられて対策が講じられているから豊洲市場は安全だというのである.
 いやいや,地下水モニタリングシステムの存在は,この問題が発覚したときに既に都の技術部門関係者がテレビで説明したことだ.私のようなレベルの一般人でも知っている.
 問題は実はそんなことではなくて,その巨費を投じた地下水モニタリングシステムがまともに作動していないことなのだ.

 この日 (10/13) のニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか!」に出演した内閣官房参与の藤井聡は,豊洲新市場には地下水の水位を低く保つ仕組み (私は上に「地下水モニタリングシステム」と書いたが正確には「地下水管理システム」のようだ) があるともっともらしく語ったのであるが,今朝のNHK他のテレビ各局の報道によれば,このシステムの能力に大きな疑問符が付いた.
 NHK NEWS WEB から引用する.

豊洲市場 システム稼働後も地下の水位は下がらず 10月20日 4時08分
 豊洲市場をめぐる問題で、盛り土が行われていない建物の地下にたまっている水について、東京都は「地下水の上昇を抑えるシステムが本格稼働すれば解消される」と説明していましたが、今週からシステムが本格稼働したにもかかわらず、水位が下がらず、水がたまったままとなっていることがわかりました。

都の中央卸売市場では「市場の地下水の上昇を抑える『地下水管理システム』が本格稼働すれば、地下水を盛り土の層の下までに抑え、たまった水も解消される」と説明し、今週17日からシステムを本格稼働させました。
ところが、都が地下水の水位を測定したところ、水位が下がらず、盛り土の層まで達していて、地下の空洞には依然として水がたまったままになっていることがわかりました。

 この「地下水管理システム」はこれまで試運転をしてきたのであるが,この記事の冒頭に書いたように本格稼働直前の先週,システムが本格稼働しても地下水の水位は下がらないと既に私は予想していた.なんとなれば,本格稼働して地下水水位が下がるのであれば,試運転でも下がるはずであるからだ.試運転で下がらないものが本運転で突然下がるわけがない.(笑)

 地下水管理システムがまともに動かない原因はただ一つ.
 地下水の水位が上昇状態にあるときの,地下水の増加量を,システムの揚水能力が下回っているのである.それ以外の原因は論理的にあり得ない.
 もう一ヶ所引用する.

水位が下がらないことについて、都は「この夏の雨が多く、もともとの水位が高かったためだ。引き続きシステムを稼働して水位を下げていきたい」と説明しています。

 この都の説明はもうほんとにバカじゃないかというレベルである.
 つまり「雨の少ない年はシステムは有効だが,雨の多い年はだめだ」といっているのである.そんな中途半端なシステムでどうする.

 私が思うに,豊洲市場地下水管理システムの関係者は,このシステムがだめなことを試運転で既に確認していたに違いない.テレビの報道を観たに過ぎない私ですら,これがちゃんと稼働しないことを予想できたくらいだからである.

 それにしても,テレビも新聞も,この地下水管理システムが機能しないだろうことを,どこも事前に報道しなかったのはなぜだ.
 内閣官房参与の藤井聡は政府関係者だから,ラジオで嘘でもなんでも言う (本業は京都大学教授のはずだが,曲学阿世とはこのことか〈笑〉) だろうが,番組で藤井と対談した評論家宮崎哲弥の知的レベルが情けない.テレビCMになんか出ている暇があったらもっと頭を鍛えろと言いたい.

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2016年10月19日 (水)

現実と虚構 (四)

 前稿《現実と虚構 (三) 》の末尾に私は次のように書いた.

しかるに「シン・ゴジラ」は,昭和三十年代にかくあるべきだったゴジラを,スクリーンに復活させた.いい歳をした,しかし映画好きな大人たちが「シン・ゴジラ」に歓声を上げて迎えたのは,「シン・ゴジラ」がゴジラ映画の真の第二作だからなのである.

 ゴジラ映画第一作「ゴジラ」が昭和二十九年 (1954年) だから,実質的な第二作である「シン・ゴジラ」の公開まで実に半世紀以上の年月が経過した.
 この半世紀という時間経過は短いようでいて,しかし「怪獣」というもののリアリティを根本的に作り直さねばならないほどには長かった.
 なんとなれば,自然科学における生物あるいは生命についての理解が,昭和三十年の当時と現在とでは,質的に全く異なってしまったからである.
 そのような生物観,生命観の変化は学校教育を通じて日本社会にも広く普及した.それ故,「ゴジラ」第一作のストーリィが構想された時代には許容されたことが,現在では全くリアリティがないということが起きてしまったのである.
 例えば怪獣ゴジラの基本設定は次のようである.(Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣)】から引用)

デザイン
第1作の脚本に基づき、「水棲爬虫類から陸上哺乳類に進化途中の巨大生物」と設定された。……


出自等の変遷
1954年公開のシリーズ第1作『ゴジラ』の作中では、古生物学者の山根恭平博士が「ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され、姿を現したものがゴジラである」と語っている。しかし、以後の作品の多くでは「核実験の放射線で恐竜が変異した生物である」と解説されている。また、平成ゴジラシリーズでは元となった恐竜ゴジラザウルスが登場している(詳細は後述)。……

 まず水棲 (海棲) 爬虫類とは一体何だということがある.
 海がまことに生命誕生の舞台であったことを疑う人はいないだろう.
 そして多種多様な生命が海で繁栄し,また滅んでいったわけであるが,その中に脊椎動物が発生した.その脊椎動物は水中で多様な生物群に分化したが,その中から呼吸器として肺を持つものが現れた.両生類である.
 やがて両生類から,肺のみで呼吸する生物が現れた.爬虫類である.
 爬虫類の一部は陸上生活に適応したが,一部は海にとどまった.海にとどまったものを海棲爬虫類というわけだ.中生代の最後に絶滅した首長竜が,これである.

 そこでゴジラを見てみよう.その太い脚は,どう見ても陸上生活に適応した爬虫類そのものだ.
 肺呼吸することになった爬虫類のうち海にとどまったものは,生きていくためには泳がねばならなかった.泳いで海面から首を出して息継ぎしなければ溺れ死んでしまうのだ.従って首長竜のように,あるいは現在の海亀のように,脚はフィン状である必要があり,海棲爬虫類からは二足歩行できる脚を有する種は生まれようがなかった.

 ただし,ゴジラは第一作以降の各作品中で,海を泳いでいる.だが,太く短い四脚で泳ぐのは象の例があるから可能であるとしても,ゴジラの場合はあの短い二本の前脚でどうやって泳げと言うのか.推進力が得られるとはとても思えない.
 またゴジラは前かがみの姿勢しか取れないと思われ,従ってドルフィン泳法も不可能であろう.そんなことをすれば腰を痛めてしまうこと必定である.(手足の無いモスラの幼虫は泳ぐが,これには脊椎がないので無理なく胴体だけでバタフライ的に泳げるのである)

 つまりどう考えても《海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物》(Wikipedia【ゴジラ(架空の怪獣)】) はあり得なかったと考えていい.ゴジラは海棲爬虫類が陸上に上がったものではなく,両生類から分かれて最初から陸上生活に適応した爬虫類でしかあり得ないのである.
 この点で「ゴジラ」第一作の設定は,荒唐無稽というより論理的に無理なのであった.

(続く)

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2016年10月16日 (日)

藤沢 ふじやす食堂

 先月,Yomiuri Online に労働ジャーナリストの金子雅臣氏が《なぜ新入社員たちは、良心に反する指示にも従ってしまうのか 》と題した記事を寄稿していた.(掲載日;2016年09月13日)
 この記事は,日本生産性本部が実施した「2016年度新入社員 春の意識調査」を材料に,企業における不正を考察している.金子氏の物の見方は少々性善説に傾き過ぎていていると思われるが,それはともかく次のような文章があるので引用する.
 
《(ブログ筆者註;企業で不正が行われた場合) 多くのケースでは、事実かどうかは別にしても、経営トップは、「知らなかった」または「なんとなく知ってはいたとしても、不正そのものを指示はしていない」ということになっている。典型的には、上は数値目標を設定して下ろしただけで、下に行けばいくほど、その達成がリアルな負担になり、それを何とかするために「やむを得ず不正を行う」。「現場で始まった不正が容認され」「それが積み重なって大きな出来事になってしまった」という流れで、映画・ドラマの「踊る大捜査線」ではないが、まさに「不正は現場で起きている」ことになっている。
 
 私が上に,金子氏は性善説に傾き過ぎていていると書いたのはまさにこの点で,ある企業が不正や法令違反を行ったばあい,その会社の《経営トップは、「知らなかった」または「なんとなく知ってはいたとしても、不正そのものを指示はしていない」ということになっている》が,しかしその経営トップは,自分の指示を実行するために,社員たちが《「やむを得ず不正を行う」》ことは百も承知なのである.社員たちが不正を行うことを期待して目標を設定するのである.社員に数値目標だけ示して具体的な方法を語らないのは,不正が発覚したときの保身のためだ.
 
 私が定年までいた会社で社長,会長を歴任し,業界団体の会長も務め,さらにその勲功により旭日中綬章を受賞したSという男は,「企業にとって赤字は最大の悪だ.法違反よりももっと悪い」というのが持論だった.「いいか,俺の口から法を犯せなどと言わせるな」とも言った.それでこのSの忠実な部下たちは,営業利益を出すために,Sに諮ることなく (Sが「知らなかった」と言える形をとって) 悪事を実行したのであった.
 
 不正を嫌いコンプライアンスを経営理念の第一に掲げる立派な経営者は世の中に多いと思う.
 しかしその一方で,不正が発覚した会社のトップは間違いなく部下の不正行為を知っていたはずだといえる.本当に知らなかったとすれば,企業統治ができていないということであり,そんな人物がトップの地位につけるはずがないからだ.
 
 話が大きくなってしまったので,少し元にもどす.
 先月,前々から黒い噂があった口コミサイト「食べログ」の評点不正がおおっぴらになった.
 →《【衝撃】食べログの点数がいきなり3.0に下がる → 食べログから連絡「弊社予約サービス使わないと検索結果落とすよ」評価をカネで買える信用できないサイト?
 
 この記事は,ある飲食店の経営者が,食べログの営業担当から「(食べログ) の予約サービス使わないと検索結果を落とす」と言われたと暴露したことを報じている.
 店舗の点数評価に関する不正について,メディアの取材に対して食べログの運営側は否定している.
 また江間正和という飲食店評論家 (?) は《食べログ、運営側が点数操作疑惑を否定…なぜ「公平さ」への疑問広がる?点数動いた理由 》と題した記事の中で,
 
今回の件は、ブラックリスト者の書き込みの評価が無効化されたり、なにかしらのストッパー要因やプラス要因がアルゴリズムに組み込まれて点数が動き、さらに未熟な営業担当者の動きと重なって起きた出来事と考えられます。
 
と書いている.
 能天気なことを書くものだ.《未熟な営業担当者》が勝手にそんなことをするわけがなかろうが.
 間違いなく食べログの経営側は,営業担当者が飲食店に不正な働きかけをすることを承知で,成績を上げるよう圧力をかけたと思われるのである.
 
 以上が長すぎる前置きで,これからが本題.
 上に書いたように,最近行われた食べログの店舗評点の変更で,店の利用者から高く評価されていた飲食店なのに,現在は点数が星☆三つに落ちてしまった店が藤沢駅の北側にある.
 駅北口の商店街に藤保水産という魚屋があり,この店が二階で平日の昼飯時間帯のみの海鮮定食屋をやっていて,ふじやす食堂という.
 一昨日,銀行へ通帳の記帳に行ったついでに,久しぶりにその店で食事した.相変わらずの繁盛ぶりと,献立の質の高さに大いに感心した.
 
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 ふじやす食堂の献立は,千円の定食が二種類,九百円のセットメニュー (鮪三昧丼セット,鯵たたき丼セットなど) が四種類と,あとは日替わり定食があって,このラインアップは以前からずっと変わりがない.
 このうちの九百円のセットメニュー (丼と味噌汁,小鉢,茶碗蒸) は丼と味噌汁だけを注文することができて,それだと七百二十円である.
 御飯の大盛りは無料サービスであるが,二百円追加すると九百二十円の大漁盛りというのがあって,これは御飯が大盛りの二倍になり,さらに飯の上に載る魚も増量になる.おそらく大漁盛りは若い大食漢でないと食いきれぬ.
 一昨日,私は鮪三昧丼セットを頼んだのだが,魚屋の直営だけあって,魚の活きのよさは文句のつけようがない.鮪の量もたっぷりだ.
 この食堂は午前十一時に開店だが,十一時半になると満席になって会社員たちが入口に列をなすくらい混むので,開店と同時に店に入るのがよい.あるいは落ち着いて食事したいなら二時過ぎにするのがよかろう.(ラストオーダーは二時半)
 
 まあたぶん,藤沢駅周辺の飯屋で一番良心的なのがこのふじやす食堂だ.昼飯時に会社員たちが列を作るのはこの店くらいなものである.駅南口の鰻屋「はま吉」の貧相な鰻重を食う金があれば五回も昼飯が食えるのだから無理もない.
 食べログの星☆は三つしかないが,ふじやす食堂は痛くもなんともないだろう.飲食店の評価は食べログじゃなくて客が決めるのだから.

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2016年10月15日 (土)

環境破壊雑感 2016/10/15

 もう十年も前の映画で「ALWAYS 三丁目の夕日」という作品があった.
 Wikipedia【ALWAYS 三丁目の夕日】には次のような記述がある.

昭和33年(1958年)の東京の下町を舞台とし、夕日町三丁目に暮らす人々の暖かな交流を描くドラマに仕上がっている。
安倍晋三 (第90代内閣総理大臣) 著『美しい国へ』(文藝春秋)の中で、「映画『三丁目の夕日』が描いたもの」として、本作品が書かれている。
評論家の川本三郎は「単なるノスタルジー」という批判に対し、次のように擁護している。
 大きな過去は歴史として尊重されるが、祖父母や父母が生きてきた近過去は否定される。おかしな話である。近過去を大事に思い出す。それは自分の足元をしっかりと固めることであり、亡き人々を追悼することでもある。
— 川本三郎 「『ALWAYS 三丁目の夕日』のノスタルジーのことなど」『映画を見ればわかること2』 キネマ旬報社、2007年10月、250頁。ISBN 978-4-87376-295-1。

批評家の石岡良治は、当時の日本にあったはずの不衛生な臭いが表現されてない、無菌化されてると否定的なニュアンスで語っている。

 上の引用にあるように川本三郎は《近過去を大事に思い出す。それは自分の足元をしっかりと固めることであり、亡き人々を追悼することでもある》と言うが,「亡き人々」のやったことを批判することなく「追悼する」のはおかしい.公平でない.「ALWAYS 三丁目の夕日」が描いた昭和三十年代は,日本の企業が我欲のままに利益追求に走ったロクでもない時代だったのだ.
 経済の高度成長期,公徳心は地に落ち,生活環境は劣悪で,人々は生活廃水を公共水域に垂れ流し,ドブ川は悪臭を放ち,夏には赤痢が流行した.
 私の小学校時代,夏休みが終わって小学校に登校したら,同級生の机に花が飾ってあり,聞けば赤痢で死んだのだということが数回あった.
 あの昭和三十年代が懐かしいか,またあの時代に戻りたいかと問われたら,即座に私は嫌だと答えるだろう.川本三郎の頭の中には,不衛生と環境破壊の昭和時代はなかったことになっているのだろう.

 東京ガスの豊洲工場は昭和三十一年 (1956年) から昭和六十三年 (1988年) まで三十年間操業した.
 いま問題になっている豊洲市場の問題に関して発言を続け,テレビ報道番組にも度々出演し,先月 (9/16) 東京都が設置した「市場問題プロジェクトチーム」の東京都専門委員に就任した森山高至氏が,

森山安房守が豊洲の東京ガスの工場の時代を掘り起こし、そして築地の師匠ののまとめで土壌汚染の問題にメスを入れる!

と題したウェブコンテンツの中で,次のように書いている.

豊洲のガス工場の製造はちょうど魚焼きグリルの中でサンマを焼いている感じをイメージすれば分かりやすいでしょう。まずガンガン煙が出てきてブシュブシュと脂が滴り落ちてくる、で下のトレーに焦げた油が溜まる、それが土壌。30年間分あるね。

 少し日本語としておかしいが,この《30年間分あるね》は,冒頭に示したように東京ガスが豊洲の工場敷地で約三十年間操業したことを言っている.
 昭和六十三年,同社は都市ガスの製造方法を石炭を原料とする製法から天然ガスへの転換を完了し,ここに恥ずべき環境破壊の歴史に一応の幕 (現在の東京ガスの地球環境保全に関する姿勢と行為がどうであるかは,同社内部の社員しか知らぬことである) を引いた.

 昭和における環境破壊の歴史,は一人東京ガスだけのことではなかった.
 日本中がそうだった.
 例えば新日本窒素肥料 (現在のチッソ) 水俣工場は,アセトアルデヒド製造工程で副生されたアルキル水銀化合物を,《1950年代から60年代にかけて水俣湾 (八代海) にほぼ未処理のまま多量に廃棄した》.(Wikipedia【水俣病】から引用)
 静岡県富士市内の製紙会社 (大昭和製紙,本州製紙他) は製紙排水を垂れ流し,田子の浦港で激しいヘドロ公害を引き起こした.
 こんなことが日本のあちこちで行われた.
 私の大学時代の友人は,昭和四十七年に農学部を卒業して東海地方の某農薬会社に就職したのだが,三年後に自己都合退職した.そのときに彼が私に言ったのは「この会社は世の中にあってはいけない会社だ」という言葉だった.
 その農薬会社は,不良品を工場敷地に穴を掘っては埋めているのだと彼は言った.その会社はあちこちに社有地を持っていて,そこにもどんどん農薬を埋めた.経営者は全く罪悪感を持っておらず,その経営姿勢に呆れた私の友人は退職を選んだのだった.
 私が就職した会社も同じだった.品質が劣化した在庫品は,工場のなかに穴を掘っては埋めていた.若かった私は「食品会社がこんなことをしていいのか」と労働組合の役員に申し立てたのだが,労使協調の組合幹部に「あいつは正義を振りかざすインテリヤクザだ」と烙印を押され,同時に経営者にも疎まれ,その後は同期入社の中で人事評価ビリが私の定位置になった.(笑)

 年金暮らしになってから暫くして,取締役の地位に昇った後輩に会う機会があった.
 そのときに,私が知る限りの,過去において全国各地の工場敷地に埋められたとされる有害物質のことを話した.一部の工場を売却するらしいという噂を聞いたからである.
 その後輩は,工場敷地の土壌汚染について調査して報告すると私に言ったが,しかし報告はなかった.そして今年の株主総会で彼は取締役から引いた.彼にとってはどうでもいいことだったのだろう.

 東京ガスにも,豊洲の敷地に産廃を埋めることに抵抗した社員がきっといたと思いたい.が,その人たちも会社員としては不遇だったかも知れぬという気がする.

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2016年10月14日 (金)

こういう人物も学者というのか

 昨日のニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか!」には,内閣官房参与の藤井聡が出演して,自称リベラルの評論家宮崎哲弥を相手に「豊洲市場問題」について議論した.

 安倍晋三の取り巻きの一人である藤井聡が「豊洲市場問題」を語るとなれば,当然ながらアンチ小池都知事の立場で発言することになる.

 で,藤井が言うには,豊洲市場の敷地の外縁部には,コンクリートの壁が地中深く張り巡らされているという.この壁が,海からの地下水が豊洲市場敷地の地下に侵入するのを防いでいるのだそうだ.
 しかも,もし壁の外から海水が地下水として敷地の地下に侵入した場合 (この地下水は東京ガスが旧工場敷地の地下に埋めた産業廃棄物によって汚染される),地下水の水位をモニタリングするシステムが豊洲市場に存在し,これが地下水を検知すると,その侵入地下水を汲み上げて,汚染水を処理施設に送水搬送する仕組みになっている.処理施設に送られた汚染水は浄化されてから公共水域に廃棄される.そしてその上で更に,建屋の地下には巨大な空間を設けて,汚染地下水が建屋の床に接触するのを遮断している.
 藤井は,これはもうやり過ぎなほど過剰な汚染地下水対策であり,それが工事費の高騰を招いたのであると,宮崎を相手に饒舌に論じた.つまり藤井は,これだけ巨費が投じられて対策が講じられているから豊洲市場は安全だというのである.

 いやいや,地下水モニタリングシステムの存在は,この問題が発覚したときに既に都の技術部門関係者がテレビで説明したことだ.私のようなレベルの一般人でも知っている.
 問題は実はそんなことではなくて,その巨費を投じた地下水モニタリングシステムがまともに作動していないことなのだ.
 テレビニュースで繰り返し報道されていた,あの地下空間に溜まった地下水は,システムが設計通りに動いていないことの証左なのである.
 それを政府関係者である藤井は承知しているはずだが,それなのに滔々と地下水モニタリングシステムがいかに汚染地下水対策として優れているかを語った.
 いったいこの男は何を考えているのであるか.一般人は馬鹿だから簡単に騙せると思っているのだろうか.また,こんなことを喋る男を番組に招いて議論の相手にしている宮崎哲弥の頭の中はどうなっているのだろう.

 余談だが藤井は,豊洲市場の過剰な安全対策について「原発と同じ安全思想を感ずる」旨の発言もした.
 だが豊洲市場の設計が「原発と同じ安全思想」に立っているのでは,全然安心できないじゃないか.(笑)
 藤井の頭の中では東電福島の原発事故はなかったことになっているらしい.私はこの藤井聡という男について詳しくは知らないのだが,失言癖があることは確かなようだ.

 ちなみに宮崎哲弥も失言をしょっちゅうする.だが宮崎の失言は高校国語レベルの四文字熟語を知らなかったり言い間違ったりするのであり,これは宮崎に教養がないからである.藤井の失言とは少し種類が違うようだ.藤井聡の発言は,失言というよりも意図的な発言かも知れないという印象を私は持った.

[本文補遺]
 前にも書いたが,自社の豊洲工場敷地に産廃を埋めた東京ガスの行為は,当時の法令では罰することができなかった.しかし地球環境保全上の道義的責任は,今もある.これはもっと追求されてしかるべきである.

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2016年10月13日 (木)

人生は他意だらけ

 発熱があって暫く寝込んでしまった.
 どうにも気だるくて何もする気になれず,日がな一日中テレビの前のイスに陣取って (ベッドで横になっていると腰に負担がかかるからである) ニュースショーや撮りためた番組録画を流し見ている.

 昨日の午後,埼玉県新座市野火止七丁目の地下に設置された東京電力の送電ケーブル (事故を起こしたのは,この種のケーブルとしては古いタイプの「OFケーブル」というもの) で,漏電が原因とみられる火災が起きた.
 このため新座変電所から豊島変電所と練馬変電所への送電が停止して,都内では大規模な停電となった.

 各テレビ局の朝のニュース番組ではこの事故を大きく取り上げたが,テレビ朝日の「ワイドスクランブル」(橋本大二郎,大下容子他) の解説が群を抜いていた.
 これに比べると他番組は全くだめであった.
 日本テレビ「スッキリ!!」(加藤浩二他) もテレビ朝日「モーニングショー」(羽鳥慎一他) も,漏電によるスパーク発生の原因について見当違いなことを言っていた.
 どんなことを放送したかというと,ケーブル内部の導線を厚く被覆している絶縁紙に何らかの理由によりクラックが入り,そこから火花がでたのではないかというのである.
 「何らかの理由により」で済むならお気楽なものであるが,これは東京電力が示した見解をそのまま流したものである.
 ところが「ワイドスクランブル」では東京電力の元技術幹部社員のかたが出演して,次のような推論を述べた.

 大都市へ給電するケーブルは,昼間は大電力が流れるために発熱し,その結果ケーブルの長さ方向に延びようとする力が発生する.
 逆に夜間はケーブルは縮もうとする.
 この伸び縮みによる力が繰り返し働くから,OFケーブルとOFケーブルを接続している機器は経年的に劣化してクラックが入り,そこから絶縁油が漏れる可能性があると東京電力の元技術幹部社員氏は語った.
 この導線接続機器のクラックから絶縁油が漏れたらどうなるか.(ケーブル内部の導線〈の束〉には中心部に空洞があり,そこに絶縁油をポンプで加圧して流しているらしい.この加圧により絶縁油が導線から絶縁紙に浸み出て,絶縁紙の絶縁性が保たれるわけだ)
 もしケーブル接続機器に生じたクラックから絶縁油が漏れると,絶縁油の送油圧力が低下し,ケーブル内で導線を被覆している絶縁紙の絶縁性を保つのに必要な含侵絶縁油の量が不足する.
 こうして絶縁性が低下した絶縁紙はスパークを起こしやすくなるのだという.
(OFケーブルの絶縁劣化については「絶縁体劣化現象の解明」で検索されたい.詳しい論文がヒットする)

 実に論理的な解説で,ナルホドと私は膝を打った.
 論理的なだけでなく,この種の送電ケーブルの事故は希ではあるのだが,この東京電力の元技術幹部社員氏は過去に一度,OFケーブルの事故経験があり,それに基づく推論だという.
 もしかすると現在の東京電力には,「ワイドスクランブル」に出演した元東電技術者ほどの力量ある人がいないのではなかろうか.

 およそこの手の報道番組というものは,レギュラー出演者はただの大道具であり,番組の質はゲストの肩にかかっているのだなあと,今朝のテレビでよくわかった.加藤浩二や羽鳥慎一がだめで橋本大二郎が有能であるなどと言うのではない.大切なのは,適切なゲストを選定して招いてくるなどの,裏方である番組制作スタッフの能力だということだ.
 ちなみに,上に (加藤浩二他) とか (羽鳥慎一他) と書いてあるのに「ワイドスクランブル」だけ (橋本大二郎,大下容子他) としているのは他意はない.私は大下容子さんのファンだというだけのことである.あー他意だらけですか.そうですか.

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2016年10月 2日 (日)

現実と虚構 (三)

 前稿《現実と虚構 (二)》の末尾に私は次のように書いた.

ところが第一作の大ヒットに喜んだ東宝幹部は,死んだはずのゴジラを復活させてシリーズ化を目論んだ.
 ゴジラは海底で生き延びてきた古代生物ではなく,水爆実験でアンギラスと共に現代に蘇った恐竜であるという話になった.そして被爆者として死んだゴジラではなく,毎年定期的に柴又に帰って来て暴れたあとまたどこかに去っていくゴジラ寅次郎がこれ以後のゴジラの性格設定となったのである.

 つまりゴジラ映画は,第一作「ゴジラ」を除き,それ以後は怪獣映画の体裁をとった「男はつらいよ」シリーズなのであった.
 ただしゴジラ映画は「男はつらいよ」シリーズと異なり,私たちは寅次郎には感情移入できるが,ゴジラは何を考えているのかわからないので,感情移入がなかなか難しいということが問題である.
 そのためであろうか,ゴジラ映画制作陣は怪獣の擬人化を何度も試みた.モスラがゴジラを「一緒に戦おう」と説得するとか,であるが,これはやればやるほどギャグ化するだけであった.
 (《シェー 》に,

1965年に公開された映画『怪獣大戦争』で、ゴジラが劇中の2シーンにおいて、合計5回も「シェー」のポーズをとった。これは、同作の監督、本多猪四郎と特技監督の円谷英二のアイデアだったという。さらに、ゴジラ以下主演の宝田明、ニック・アダムス、沢井桂子がシェーをしているポスターも製作された。

とある)

 そんなこんなで,ゴジラ映画というのは,制作された本数だけは多いが,第一作以外はすべてクズだと言っていい.
 私のようないわゆる団塊の世代は辛うじて第一作の登場をこの目で見たわけだが,私たちよりも下の世代にとっての「ゴジラ」は遠いレジェンドだったのである.ついこのあいだまで.
 しかるに「シン・ゴジラ」は,昭和三十年代にかくあるべきだったゴジラを,スクリーンに復活させた.いい歳をした,しかし映画好きな大人たちが「シン・ゴジラ」に歓声を上げて迎えたのは,「シン・ゴジラ」がゴジラ映画の真の第二作だからなのである.
(続く)

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