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2016年9月12日 (月)

現実と虚構 (二)

 前稿《現実と虚構 (一) 》の末尾に

藤津氏は《ここの説明に、科学の言葉を使えばSF色を帯びる》としているが,映画公開当時の国民の受け止め方は,第一作は《SF色を帯び》る以上に,社会性を帯びていたのである.

と書いた.
 ちなみに,東宝三大怪獣と称されるのは,ゴジラ (初出は「ゴジラ」;1954年11月3日公開) とラドン (初出は「空の大怪獣ラドン」;1956年12月26日公開),モスラ (初出は「モスラ」;1961年7月30日公開) である.
 《現実と虚構 (一)》で述べたように「ゴジラ」(第一作) は,米国によるビキニ環礁での核実験と第五福竜丸の被爆事件がシナリオの背景にあるわけだが,このような社会的事件を背景に制作された東宝怪獣映画は,実は「ゴジラ」第一作だけであった.
 以下に私が中学生の頃までに観た東宝特撮映画を挙げる.ただし「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」は劇場公開時ではなく,「空の大怪獣ラドン」と同年に再上映されたものを観た.

1954(昭和29) ゴジラ         本多猪四郎/円谷英二
1955(昭和30) ゴジラの逆襲      小田基義/円谷英二
1956(昭和31) 空の大怪獣ラドン    本多猪四郎/円谷英二
1957(昭和32) 地球防衛軍       本多猪四郎/円谷英二
1958(昭和33) 大怪獣バラン      本多猪四郎/円谷英二
1959(昭和34) 日本誕生        稲垣浩/円谷英二
1959(昭和34) 宇宙大戦争       本多猪四郎/円谷英二
1961(昭和36) モスラ         本多猪四郎/円谷英二
1962(昭和37) 妖星ゴラス       本多猪四郎/円谷英二
1962(昭和37) キングコング対ゴジラ  本多猪四郎/円谷英二
1963(昭和38) 海底軍艦        本多猪四郎/円谷英二
1964(昭和39) モスラ対ゴジラ     本多猪四郎/円谷英二
1964(昭和39) 宇宙大怪獣ドゴラ    本多猪四郎/円谷英二
1964(昭和39) 三大怪獣地球最大の決戦 本多猪四郎/円谷英二

 私と同世代の諸兄は御承知のごとく,ゴジラ第二作「ゴジラの逆襲」で,既にゴジラは変質してしまっている.
 最初の作品「ゴジラ」では,ゴジラは

東京へ戻った山根は、巨大生物を大戸島の伝説に因んでゴジラと命名し、トリロバイトと残留放射能などを根拠に「海底洞窟に潜んでいたジュラ紀の生物が、水爆実験で安住の地を追われ、出現したのではないか」とする見解を国会の公聴会で報告する。》(Wikipedia【ゴジラ (1954年の映画)】から引用)

シリーズ第1作『ゴジラ』の作中では、古生物学者の山根恭平博士が「ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、度重なる水爆実験により安住の地を追い出され、姿を現したものがゴジラである」と語っている。》 (Wikipedia【ゴジラ (架空の怪獣)】から引用)

という設定になっていた.
 この第一作のシナリオのポイントは,ゴジラが《水爆実験で安住の地を追われ》たという点にある.
 海底でひっそりと生き延びてきた古代の生物が,(米国の) 水爆実験に被爆してそれ自身が巨大な生ける核兵器と化し,《安住の地を追われ》て東京湾から上陸するのである.
 上陸したゴジラが発散する放射性物質のために都民は被爆するが,芹沢大助博士 (古生物学者の山根恭平博士の娘である恵美子がかつて婚約していた科学者) が開発した大量破壊兵器,すなわちあらゆる生物を死滅させ液状化する化学物質「オキシジェン・デストロイヤー」(参照;Wikipedia【東宝特撮映画の登場兵器】) による攻撃を受けて,ゴジラは海中で液化消滅した.
 生ける核兵器ゴジラ vs 大量破壊化学兵器オキシジェン・デストロイヤーという構図については既に誰かが論じているであろうからここでは触れないが,ともかくゴジラは死んだ.
 しかしそもそも (米国の) 水爆実験がなければ,海底でひっそりと生きてきたゴジラは怪獣化しなかったわけで,いわばゴジラは核実験の被害者なのであった.
 この点が,先の戦争における原爆被爆体験を持ち,また第五福竜丸事件に接した当時の国民感情に強く訴えるところがあり,Wikipedia【ゴジラ (1954年の映画)】によれば,

《(撮影所内で行われた完成試写で) 原作者の香山滋は、ラストシーンでゴジラが「オキシジェン・デストロイヤー」によって溶けて死ぬシーンを哀れに思い、1人座ったまま感極まって泣いていたという。
東宝では封切り劇場内で多数の児童にアンケートが採られ、ゴジラに同情する意見が多く寄せられた。また、観客からも「なぜゴジラを殺したんだ?」「ゴジラがかわいそうだ」という抗議の声があったという。宝田明も「ゴジラにシンパシーを感じた」「何故人間が罪のない動物を殺さなければならないのか、無性に涙が出るのを禁じえなかった」、脚本担当の村田も「ゴジラがかわいそうですよ」と語っており、スタッフ内にも同情の意見は多い。

であったという.(最初の「ゴジラ」がこのように観客に受け止められたことを私は,ゴジラが全く娯楽映画化してしまった中学生の頃に知った)
 ところが第一作の大ヒットに喜んだ東宝幹部は,死んだはずのゴジラを復活させてシリーズ化を目論んだ.
 ゴジラは海底で生き延びてきた古代生物ではなく,水爆実験でアンギラスと共に現代に蘇った恐竜であるという話になった.そして被爆者として死んだゴジラではなく,毎年定期的に柴又に帰って来て暴れたあとまたどこかに去っていくゴジラ寅次郎がこれ以後のゴジラの性格設定となったのである.
(続く)

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