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2016年9月 7日 (水)

現実と虚構 (一)

「シン・ゴジラ」が大ヒットしている.既に興行収入は五十三億円を超えたという.
 昭和二十九年の第一作以後,「夏休み子供映画大会」水準の特撮映画の方向に舵を切ったあのゴジラシリーズが,どうやら原点に立ち返って大人の鑑賞に耐える映画作品に仕上げられたらしい (「らしい」というのは,公開前には作品の内容情報がほとんど漏れてこなかったからである) という前評判がかなり高いものであったのだが,実際の作品も期待に違わぬものだった.(一部にはこの映画のリアリティについて強い批判があるが,それは後述する)
 しかし公開直後からネット上には,優れた映画,ちゃんとした映像作品をあまり観たことがないと思われる子供たちが書いたらしい幼稚な感想文があふれた.
 なにしろその子供たちは,これまでのゴジラ作品を全く観ていないようで,「新世紀エヴァンゲリオン」や「風の谷のナウシカ」との対比の枠内でしか「シン・ゴジラ」評を語れないのであった.
 酷いのになると,「シン・ゴジラ」の中で敷かれた伏線が実は「風の谷のナウシカ」で回収されているのだなどと,したり顔でトンデモ「解説」をする者もいて,映画 (だけではなく,あるジャンルの小説も同じであるが) というものの基本的構造というかシナリオの作法というか,この連中にはそんな基礎知識もないのだなあと情けない思いがした.

 しかし映画公開された最初の頃の大騒ぎから少し時間が経過し,ようやくまともな批評家による「シン・ゴジラ」レビューがネット上に書かれるようになったのは嬉しい.
 例えば,アニメ評論家の藤津亮太氏による《大ヒット映画「シン・ゴジラ」を見た人が語りたくなる理由 》もその一つ.
 藤津亮太氏は,怪獣映画の要素として次の三つを挙げる.

(1)怪獣の出自・性質をめぐる物語
 (2)怪獣による都市襲撃
 (3)怪獣を止めようとする人間との攻防

 藤津氏によれば,

(1)は、怪獣の存在を一定のリアリティーでもって観客に受け止めてもらうには欠かせない要素だ。ここの説明に、科学の言葉を使えばSF色を帯びるし、神話や伝承に積極的な意味を持たせれば伝奇的な世界観になる。

であるが,ゴジラ第一作の場合は,言うまでもなく米国によるビキニ環礁での核実験 (1946年から1958年までの十二回に及ぶ.うち四回は水爆実験) と,第五福竜丸の被爆事件 (1954年3月) が初代ゴジラ誕生の契機であった.
 Wikipedia【ゴジラ (1954年の映画)】には《東京へ戻った山根は、巨大生物を大戸島の伝説に因んでゴジラと命名し、トリロバイトと残留放射能などを根拠に「海底洞窟に潜んでいたジュラ紀の生物が、水爆実験で安住の地を追われ、出現したのではないか」とする見解を国会の公聴会で報告する。》と解説されている.
 藤津氏は上の引用箇所で《ここの説明に、科学の言葉を使えばSF色を帯びる》としているが,映画公開当時の国民の受け止め方は,第一作は《SF色を帯び》る以上に,社会性を帯びていたのである.
(続く)

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