週刊誌ジャーナリズム
もう一年以上前に見たブログ記事《週刊文春、またでっち上げ記事事件で裁判に負けた。》を持ち出す.
このブログ《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》の筆者は昨年七月九日,週刊文春がある国会議員に,裏付けの乏しい記事で名誉を傷つけられたとして訴訟を起こされ,裁判で完敗したことをブログの話題にした.
問題の文春記事は四年前の二月に掲載されたもので,裁判 (控訴審判決) は昨年七月八日に報道された.
ま,この裁判のことはどうでもいいのだが,気になったのは《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》筆者が次のように書いていることだ.
《本来の週刊誌として勝負すべき誌面で、外部ライターに、こういうネタで何か書いてくれと発注するようになってから、週刊文春も売ってなんぼの偽装商品製造販売業者になってきたなら残念だ。
活字にするならせめて裏を取ってから記事にしたらどうだ。
出版社が判決で「ほとんど裏付けが乏しいまま事実として掲載した」と言われた日には、週刊文春も昔あった「週刊アサヒ芸能」と同じレベルになったということか?》
《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》氏は
《本来の週刊誌として勝負すべき誌面で、外部ライターに、こういうネタで何か書いてくれと発注するようになってから、週刊文春も売ってなんぼの偽装商品製造販売業者になってきたなら残念だ。》
と書いているが,実は週刊誌の記事は,昔からこの人が言うところの《外部ライター》が書いて来たのだ.
Wikipedia【週刊誌】にこうある.
《出版社系週刊誌の記事を執筆する記者は出版社の正社員ではないフリーライターやフリージャーナリストである。フリーライターの無署名記事による週刊誌報道を確立したのは『週刊文春』で記者を務めた梶山季之である。多く週刊誌では取材専門の多数のデータマンが現場取材し取材データに基づいてアンカーマンが原稿を執筆する仕組みになっている。》
梶山季之,私たちの世代には懐かしい名前だ.
梶山季之は,週刊誌草創期の昭和三十四年,『週刊文春』創刊に際しフリーライターグループ「梶山軍団」を作り名を売った (ただし私たち一般読者が「梶山軍団」の勇名を知ったのは,彼が作家として大売れに売れて以降のことである).まさに梶山季之こそは,Wikipedia【週刊誌】が書く通り,フリーライターが主導する現在の週刊誌ジャーナリズムを確立し,ついでに流行作家の執筆スタイルも確立した人物であった.
《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》氏は知らぬだろうが,週刊誌の記事は,本来《外部ライター》が書くものなのである.あれだけの内容分量の記事を毎週,とてもではないが社員だけで編集出版できるわけがない.そんなことは,まともな者なら考えるまでもなくわかることだが,《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》氏は,平気で上の引用箇所のようなことを書いた.どうやら世間のことを知らぬ人のようである.
週刊誌ジャーナリズムは,スキャンダル記事の完璧な裏がとれなくても,書くのである.それが週刊誌の使命だといってもいい.週刊文春も新潮も現代もポストも,裁判の敗訴は茶飯事なのである.
《出版社が判決で「ほとんど裏付けが乏しいまま事実として掲載した」と言われた日には、週刊文春も昔あった「週刊アサヒ芸能」と同じレベルになったということか?》
この《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》氏が昨夏に上のヨタ記事をアップしたあと,週刊文春の快進撃が始まったのは周知のことである.
上に《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》氏は世間のことを知らぬ人のようであると書いたが,《週刊文春も昔あった「週刊アサヒ芸能」と同じレベルになったということか?》が大爆笑だ.
週刊アサヒ芸能は徳間書店から刊行されている週刊誌で,今も健在だ.
《昔あった「週刊アサヒ芸能」》はどこから持ち出した嘘だ.世の中のことを知らぬならブログなんか書かないほうがいい.
ちなみに週刊アサヒ芸能の特徴は,スキャンダルのスッパ抜き特ダネではない.
同誌は,やくざ関係とエロ記事が売り物である.エロはわずか一ページ「淑女の雑誌から」のみとすることを方針としている文春とは,全く週刊誌としてのジャンルが違う.というより,アサヒ芸能がかつて「山口組の機関誌」と呼ばれた (組分裂前のこと) ように,アサヒ芸能は他のどんな週刊誌も同じレベルには到達できないのである.(笑)
《阿智胡地亭の非日常Ⅱ》氏はアサヒ芸能を読んだこともないのに,こんなことを書いたのだが,ブログ記事は裏をとってから書きましょう.(爆)
で,本題.
週刊文春今週号 (9/1号 p.110) に,《小川敏夫さんに対するお詫びと記事の取り消し》という謝罪広告が掲載されている.文春を小川氏が訴えた訴訟で,控訴審で謝罪広告掲載が言い渡され,最高裁第3小法廷 (岡部喜代子裁判長) が今年五月三十一日付で文春側の上告を退ける決定をしたからである.
一方,新聞は誤報の謝罪をしない.数行の訂正記事を,読者の目につかない隅っこのテキトーなところにこっそり載せるだけである.
これに対して,間違ったらデカデカと誤報であったことを読者に知らせるのが週刊誌というものなのである.
ついでに書くと,新聞はちゃんと裏がとれていても報道しないことがある.いうなれば新聞記事は大本営発表には抵抗しないのだ.先の戦争の前からずっと,新聞が信用できない所以である.
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