静かに行く者は (三)
前稿までに書いたことについて訂正が必要になった.
《静かに行く者は (一) 》で私は次のように書いた.引用部分を緑の字で示す.
この「静かに行く者は……」が世に知られたのは,城山三郎『静かに 健やかに 遠くまで』(海竜社;現在は新潮文庫に) で,城山が座右の銘として紹介したことによるらしい.(城山三郎は平成十九年〈2007年〉没)
そこで『静かに 健やかに 遠くまで』の Kindle 版を買って読んでみた.すると本文に件の言葉は現れず,著者あとがきにあたる「終わりに」に次のように書かれていた.
《本書のタイトルにした『静かに 健やかに 遠くまで』は、私の最も好きな次の言葉を縮めたものである。
「静かに行く者は 健やかに行く
健やかに行く者は 遠くまで行く」
いまとなっては、その書名も著者名も思い出せないが、高名の経済学者の業績と人物を紹介した本の中に出てきた言葉で、学生時代の終わりか大学教師になって間もない私が読み、すっかり、その虜になった本の中に出てきた言葉である。
たしか、イタリアの経済学者パレートについての叙述の中で、彼がモットーとして言葉として紹介されていた。原語では、
Chi va piano, va sano
Chi va sano, va lontano
それこそローマ字読みで気持ちよく口ずさむことができ、くり返すうち、意味まで伝わってくる気がしてくるではないか。》
なるほど,『静かに 健やかに 遠くまで』にこう書いてあったのかと確認できた。
しかし,城山三郎が《学生時代の終わりか大学教師になって間もない》頃の《高名の経済学者の業績と人物を紹介した本》というと昭和三十年よりも前の出版物ということになり,無理を承知であれこれ調査はしてみたのだが,書名は全くわからなかった.
ただ,城山が《たしか、イタリアの経済学者パレートについての叙述の中で》と書いているのは,城山の記憶違いの可能性があるとも思われた.
というのは,丸山徹『ワルラスの肖像』(勁草書房) を紹介したブログに,この本の目次が掲載されていたからで,それを抜粋引用すると次のようである.
《第一章 一八七〇年前後
――ウィーン会議から普仏戦争まで
旅の経済学者/ウィーン会議(一八一四)/ウィーン体制の崩壊/
二月革命(一八四八)/ドイツの発展/普墺戦争/普仏戦争(一八七〇)/
イタリアの統一/新教授就任/ガーヴ・ド・ポー河の谷間にて/
静かに行く者は健かに行く》
この文章を書いたあと,さらに《静かに行く者は……》について調べを進めると,城山三郎が《静かに行く者は……》を座右の銘にしたと記しているブログには二種類あり,一つはその出典として上記の『静かに 健やかに 遠くまで』(海竜社,2002年) を挙げ,もう一種は随筆集『打たれ強く生きる』(日本経済新聞社,1985年) を挙げている.
私は『静かに 健やかに 遠くまで』だけを読んだのだが,念のため今日,『打たれ強く生きる』(Kindle 版) も読んでみた.
すると奇妙なことが判明した.
『打たれ強く生きる』に収められているエッセイ「ぼちぼちが一番」には次のような箇所があるのだ.
《経済学者ワルラスが好んだという言葉がある。
「静かに行くものは健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」
わたしもこの言葉が大好き、ひそかにこれまでの人生の支えとしてきた。これからもそうして行きたい。》
これは一体どうしたことだ.
1985年に出版された『打たれ強く生きる』には,《静かに行く者は……》は《ワルラスが好んだという言葉》だと書かれているが,それから十七年後の2002年に出版された『静かに 健やかに 遠くまで』には《たしか、イタリアの経済学者パレートについての叙述の中で》となっている.
『静かに 健やかに 遠くまで』が出版されたのは,城山三郎の晩年である.これに対して『打たれ強く生きる』が書かれたのは,城山が『男子の本懐』『粗にして野だが卑ではない:石田禮助の生涯』などを著わして気力充実していた頃である.だとすれば『打たれ強く生きる』の記述の方が事実であろう.
私が《ただ,城山が《たしか、イタリアの経済学者パレートについての叙述の中で》と書いているのは,城山の記憶違いの可能性があるとも思われた》と書いたのは,実は正しかったのである.
それにしても,まさか城山三郎ともあろう人が,若い頃の記憶だけでなく,作家として最盛期に自分が書いた本の内容を忘れてしまっていたとは,誰が想像できただろう.老いというものについて,粛然と思いを致さざるを得ない.
以上,訂正を要することとは,《静かに行く者は……》がイタリアの経済学者パレートのモットー (の邦訳) であったというのは,城山三郎の記憶違いであったということである,この言葉はパレートの師であったワルラスの座右の銘 (の邦訳) であったとするのが正しい.
従って,私が《静かに行く者は (二)》で,山本安英が《いや,誰のモットーであるか知っていれば,そもそも座右の銘にはしなかったであろう》と推測したのは余分であった.この箇所は削除する.
(続く)
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