静かに行く者は (一)
もう四十五年も前のことだ.
大学農学部で同じ研究室所属の男が,実験の手があいた時に「コーヒー飲みにいかないか」と私を誘った.「近くに木下順二が来る喫茶店があるんだ」
農学部の正門を出て本郷通りを北に暫く歩くと,その喫茶店はあった.
とても狭い店で,「木下順二はカウンター席のそこら辺に腰掛けてお茶を飲むらしいよ」と,その東京生まれ東京育ちの男は教えてくれたが,実際に木下順二の姿をその店で目にしたことはないとも言った.
私はその頃,木下順二にも『夕鶴』にも知識皆無だったので,コーヒーを飲みながら彼の『夕鶴』論を暫く拝聴して,また研究室に戻った.
「幸運の女神の前髪をつかめ」という言葉がある.
幸運は,遭遇したらその一瞬,躊躇することなくつかまえねばいけないというのである.すれ違ってからでは,彼女を捉えようにも,もう間に合わないのだ.「幸運の女神の前髪をつかめ」は,続くフレーズでそのことを次のように言っている.
「幸運の女神は頭の後ろがハゲている」
なんだそれは.(--;)
それはそれとして,木下順二が来る喫茶店に,たまたまとはいえ入ってお茶を飲んだのだから,今から思えばそれを機会に私は『夕鶴』を鑑賞しておけばよかったのだ.しかし私はそうしなかった.
こうして女神の前髪をつかまなかった私は,それ以後,演劇に無縁の人生を過ごすことになった.だから今でも,学生時代のあのことのあと,『夕鶴』を観に行けばよかったのにとつくづく思う.そうすれば,たとえ演劇鑑賞の楽しさに開眼することができなくとも「昔,若い時に山本安英の『夕鶴』を観ましてね,いやあ今でも目に浮かびます.えっ山本安英を観たことがない? ほうそれはそれは.いやいやいやアッハハハハハ.あの山本安英を観たことがない? それはそれはいやいやいやアッハハハハハ」などと,ひとを小馬鹿にして吹聴できたのである (← 不純).しかし実際は吹聴される側なのが残念だ.(--;)
関川夏央『人間晩年図鑑 1990 - 1994年』(岩波書店;この稿とは別にまた触れる) を読んでいたら,日本を代表する詩人の一人である茨木のり子と山本安英の交友について書かれていた.
関川夏央によれば,茨木のり子が亡くなったあと,彼女が三十一年間一人で住んでいた東京西郊の家には,山本安英の色紙 (夕鶴記念館が現在所蔵している) が残されていた.
その色紙に書かれていたのは次の言葉である.
静かにゆくものは すこやかに行く 健やかにゆくものは とおく行く
この言葉は,確か城山三郎の書いたものの中にあったものだと微かな記憶がある.山本安英自身のではないと思うが,確信がなかったので少しウェブを検索して調べてみた.
するとわかったのは,以下のようなことである.
この「静かに行く者は……」が世に知られたのは,城山三郎『静かに 健やかに 遠くまで』(海竜社;現在は新潮文庫に) で,城山が座右の銘として紹介したことによるらしい.(城山三郎は平成十九年〈2007年〉没)
そこで『静かに 健やかに 遠くまで』の Kindle 版を買って読んでみた.すると本文に件の言葉は現れず,著者あとがきにあたる「終わりに」に次のように書かれていた.
《本書のタイトルにした『静かに 健やかに 遠くまで』は、私の最も好きな次の言葉を縮めたものである。
「静かに行く者は 健やかに行く
健やかに行く者は 遠くまで行く」
いまとなっては、その書名も著者名も思い出せないが、高名の経済学者の業績と人物を紹介した本の中に出てきた言葉で、学生時代の終わりか大学教師になって間もない私が読み、すっかり、その虜になった本の中に出てきた言葉である。
たしか、イタリアの経済学者パレートについての叙述の中で、彼がモットーとして言葉として紹介されていた。原語では、
Chi va piano, va sano
Chi va sano, va lontano
それこそローマ字読みで気持ちよく口ずさむことができ、くり返すうち、意味まで伝わってくる気がしてくるではないか。》
なるほど,『静かに 健やかに 遠くまで』にこう書いてあったのかと確認できた。
しかし,城山三郎が《学生時代の終わりか大学教師になって間もない》頃の《高名の経済学者の業績と人物を紹介した本》というと昭和三十年よりも前の出版物ということになり,無理を承知であれこれ調査はしてみたのだが,書名は全くわからなかった.
ただ,城山が《たしか、イタリアの経済学者パレートについての叙述の中で》と書いているのは,城山の記憶違いの可能性があるとも思われた.
というのは,丸山徹『ワルラスの肖像』(勁草書房) を紹介したブログに,この本の目次が掲載されていたからで,それを抜粋引用すると次のようである.
《第一章 一八七〇年前後
――ウィーン会議から普仏戦争まで
旅の経済学者/ウィーン会議(一八一四)/ウィーン体制の崩壊/
二月革命(一八四八)/ドイツの発展/普墺戦争/普仏戦争(一八七〇)/
イタリアの統一/新教授就任/ガーヴ・ド・ポー河の谷間にて/
静かに行く者は健かに行く》
少々お高い本なので買っていないが,この目次を見ると,「静かに行く者は健かに行く」は十九世紀の経済学者レオン・ワルラスに関わりがあるらしい.
そこで「ワルラス」を検索語にしてさらに調べると,次のブログ《山屋の一日 》がヒットした.
おお,ここに書かれていることこそピッタシカンカン (死語) ,根拠資料が示されていないが,創作とは思われぬ説得力ある説明であり,私が知りたかったことだ.ブログ《山屋の一日》筆者に感謝する.
以上,この二日間,私がネットサーフィン (死語) して得た知識をまとめると以下の箇条書きの通りである.
・ "Chi va piano, va sano. Chi va sano, va lontano" は元々はイタリアの諺である.
・ 百四十年前,フランスの経済学者レオン・ワルラスに父オーギュスト・ワルラスが我が子を励ますために贈ったのがこの言葉だった.
・ レオン・ワルラスは "Chi va piano, va sano. Chi va sano, va lontano" を座右の銘としていたが,弟子であるヴィルフレド・パレート (パレートの法則は,私のような技術屋でも知っているほど,余りにも有名である) も "Chi va piano, va sano. Chi va sano, va lontano" をモットーとした.
[以上の三項目は,ブログ《山屋の一日》筆者の示唆による]
・ 若い時に経済学徒であった城山三郎は,経済学分野の人物評伝のような書物にあった "Chi va piano, va sano. Chi va sano, va lontano" の和訳「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く」に感銘を受け,以後これを座右の銘とした.
[この項目は,城山三郎『静かに 健やかに 遠くまで』に書かれている]
・ このこととは全く別に,『夕鶴』で知られる新劇女優山本安英も「静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行く者は 遠くまで行く」を座右の銘にしていた.
[この項目は関川夏央『人間晩年図鑑 1990 - 1994年』による]
失礼ながら新劇女優が,経済学研究者向け専門書である経済学者の評伝を読むとは思われず,どのような経緯で山本安英が「静かに行く者は……」を知ったか,不明である.
しかし私は今,一つの想像をしている.それは……
(続く)
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