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2016年8月11日 (木)

幕末大豆 (四)

 前稿で,サンフランシスコに到着した栄力丸乗組員を検疫したエドワード医師が,乗組員から大豆種子を贈られたと書いた.
 実は三年ほど前,前記加藤氏の《大豆の話 》がウェブ上に現れてからかなり遅れて,一般財団法人日本植物油協会の公式サイトに《植物油 INFORMATION 第87号「アメリカ大豆搾油業の黎明」 》と題したコンテンツが掲載された.(掲載日 2013年10月18日)
 以下にこの記事から引用する.
 
エドワード医師は、ニューヨーク農業学会、マサチューセッツ園芸学会と特許庁(Office of the Commissioner of Patents)にその大豆を提供しました(1862年にリンカーン大統領の指示によりアメリカ農務省が発足するまで、農業に関する業務は特許庁の所管でした。)。これらの機関は、その大豆種子を農家の間に広め、アメリカの農家が大豆を栽培する最初の動機となりました。
 
 この記事では,栄力丸乗組員からエドワード医師に贈られた大豆は,ニューヨーク農業学会,マサチューセッツ園芸学会と特許庁(Office of the Commissioner of Patents)に提供されたとある.
 ところが先に紹介した加藤昇氏の書いた記事では,エドワード医師のその後のことは次のように書かれている.
 
エドワード医師はこれをイリノイ州に持ち帰って、農業委員会にこの大豆を提出しており、農業委員会はこれをイリノイ州の広域の農家に配布しています。イリノイ州といえば今やアメリカ大豆生産のメッカですが、この地に最初に持ち込まれたのが日本大豆であったということになります。1853年にその栽培報告書が提出されていますが、その中では大豆のことを"Japan Pea"、"Japanese Fodder"、"Japan Bean"などと表現されていたことは既に書いたとおりです。
 
 上に《農業委員会》とあるのは当時のイリノイ州政府に農業委員会があったのか,あるいは米国義会上院の農業委員会のことなのか,あるいは合衆国政府の機関なのかよくわからないのだが,私はこれに関する知見を持っていない.
 この加藤氏のサイトの調査は,一昔も前に書かれた大豆関係情報としては最も詳しいものだが,文献リストが記載されていないのが残念である.
 そして一般財団法人日本植物油協会の公式サイトにある《植物油 INFORMATION 第87号「アメリカ大豆搾油業の黎明」》も根拠文献が書かれていない.
 これでは読者は,この二説のいずれが妥当か調査 (=根拠資料の批判的検討) のしようがない.
 加藤氏も《植物油 INFORMATION》の筆者も,実は私は存じ上げているのだが,マネージャーであって研究者ではない.それで総説の書き方におけるトレーサビリティの重要性をご存じないものと思われる.残念だが,書き直して欲しいと言うほど親しくはないので仕方ない.
 
 さて上記のエドワード医師がイリノイ州に伝えた大豆とは別のルートで,北米に大豆種子が伝播したことも知られている.
 その別ルートとは,あの黒船のマシュー・ペリーなのである.
(続く)
[この連載記事は以下の通り]
幕末大豆 (一)
幕末大豆 (二)
幕末大豆 (三)
幕末大豆 (四)
幕末大豆 (五)
幕末大豆 (六)
幕末大豆 (七) (了)

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