幕末大豆 (五)
前稿末に《さて上記のエドワード医師がイリノイ州に伝えた大豆とは別のルートで,北米に大豆種子が伝播したことも知られている.
その別ルートとは,あの「黒船」のマシュー・ペリーなのである.》
と書いた.
つい最近のことだが,農林水産省ウェブサイトの報道・広報コンテンツ《 aff 2016年6月号 特集1 大豆(1) 》に以下の記事が掲載された.
《日本は中国から伝わった大豆を自国の食文化に取り込み、根づかせました。
その大豆を日本から母国のアメリカに持ち帰ったのが、19世紀、「黒船」で日本を訪れた東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーです。以来、アメリカでは搾油(さくゆ)用や飼料用として需要が高まり、やがて一大生産国となります。》
この記事の末尾に《取材・文/下境敏弘》とある.プロフィルの記載がないところから判断すると農水省の職員と思われるが,調査が杜撰すぎる.
一般財団法人日本植物油協会は,農水省お膝元の大きな業界団体の一つではないか.何はともあれ,そこに取材に行かなくてどうする.お役所仕事よろしく省内の適当な部署で話を聞いて,そのまま書いてしまったのであろう.
日本植物油協会へ取材に行けば,ペリー艦隊来航に先立つこと三年,難破船栄力丸の乗組員からエドワード医師を経由して,既に米国に日本産大豆が渡っていたことを教示されたであろうに.
もしも下境某が手抜き取材をせずにきちんと調査をしたならば,ここは正しく
「その大豆を日本から母国のアメリカに伝えた一人に,19世紀,「黒船」で日本を訪れた東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーがいました」
と書けたであろうに,中央官庁が誤情報を流布するという情けない事態が起きてしまった.
実際には,日本植物油協会の《植物油 INFORMATION 第87号「アメリカ大豆搾油業の黎明」》 (掲載日 2013年10月18日) に書かれているように,日本産大豆伝播の「黒船」ルートは,二つあった経路の一つであったのだ.
前稿で,加藤昇氏の《大豆の話》も,日本植物油協会の《植物油 INFORMATION 第87号「アメリカ大豆搾油業の黎明」》も,根拠文献が示されておらず,総説というものの書き方を知らないと指摘した.
しかし自然科学の素養があるかたの書くものはさすがに違う.
このブログ記事《ペリー艦隊が下田で手に入れた二つの「大豆」2012-12-25 09:15:10 | 伊豆だより<歴史を彩る人々>》を御覧頂きたい.
書き出しからして,下に引用するように,資料の提示なのである.
《アメリカ農学会(American Society of Agronomy)が1973年に出版した専門書シリーズ16巻「大豆」の中に,次のような一文がある。
「… Brone (1854) wrote that two varieties of Soja bean, one “white”- and the other “red”-seeded, were procured by the Japan Expedition (Perry Expedition, 1853-1854), and both were used by the Japanese for making soy. …」(A.H. Probst and R.W. Judo “Origin, U.S. history and development, and world distribution”, Soybeans, American Society Agronomy, 1973 )》
これで読者は,American Society of Agronomy が 1973年に出版した専門書に,幕末の日本から米国に伝播した大豆に関する記載があるよと教えてもらったことになる.
しかも文末に次のような謝辞が述べられている.ひょっとしたら大学などで教鞭を取っておられたかたかも知れない.おそらく私と同世代のかたではないかと思われるが,感服した.
《去る12月の或る日下田市立図書館を訪れ,係の方から図書閲覧の便宜と情報提供を賜った。御礼申し上げる。》
こうしてその専門書が下田市立図書館に所蔵されていることを読者は知るが,これは伊豆の下田が「黒船」来航の地であるからと思われる.
当該専門書は,大学の農学部図書館にはあるとしても,一般市民が利用できる普通の公立図書館にあるという種類の書籍ではないからである.
ともあれ,総説的なブログ記事のお手本がこれである.日本植物油協会の記事はともかくとして,農水省の広報担当官は自らの社会的責任というものを自覚して欲しいものである.
(続く)
[この連載記事は以下の通り]
幕末大豆 (一)
幕末大豆 (二)
幕末大豆 (三)
幕末大豆 (四)
幕末大豆 (五)
幕末大豆 (六)
幕末大豆 (七) (了)
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