« 幕末大豆 (二) | トップページ | 経木の材料はアカマツ材だ »

2016年8月 5日 (金)

幕末大豆 (三)

 食品会社に勤めていると,食べることや料理,それから日本の食文化に興味関心を持つようになる人が多い.
 日本の食文化について勉強すると,日本伝統食品の重要な素材である大豆について詳しくなる.そんな人たちのあいだで,常識というほどではないけれども比較的よく知られているのは,1850年12月に米国商船オークランド号 (Auckland) がサンフランシスコに帰還する航海途中で,日本の樽廻船「栄力丸」が難破漂流 (現在の南鳥島付近) しているのを発見して救助した歴史的事件である.そしてこれが北米に大豆種子が持ち込まれる契機となったのである.

 この遭難救助事件が有名であるのは,乗客の一人に,幕末に活躍した通訳にして貿易商であった濱田彦藏がいたためである.
 濱田彦藏についてはまた別の機会に書くかもしれないが,ここでは Wikipedia【浜田彦蔵】から《翌元治元年6月28日 (1864年7月31日)、岸田吟香の協力を受けて英字新聞を日本語訳した「海外新聞」を発刊。これが日本で最初の日本語の新聞と言われる》とあることを引用するにとどめる.

 さてオークランド号は,救助した栄力丸の乗組員十七名をサンフランシスコに連れて帰国した.
 当時の日本の状況はというと,日米和親条約締結が嘉永七年 (1854年) であるから,明治以降「鎖国」と呼ばれるようになった状態に我が国はあり,そのためオークランド号は日本の港に寄港して栄力丸乗組員を送り届けることができなかったのである.
 ここからあとの詳しいことは Wikipedia【浜田彦蔵】には記載がないが,オークランド号がサンフランシスコに到着しても,当然ながら検疫的見地から,直ちには栄力丸乗組員たちは上陸を許可されなかった.しかしその後,医師 Benjamin Franklin Edwards が乗組員の診察を行い,健康であると判断されたので彼らは晴れてサンフランシスコの地を踏んだ.
 この時,栄力丸乗組員からエドワード医師に,診察の謝礼として舟に積んであった大豆が贈られた.この大豆こそが,後に米国における大豆栽培農業に実際に用いられることになった最初の大豆種子なのである.
(続く)

|

« 幕末大豆 (二) | トップページ | 経木の材料はアカマツ材だ »

食品の話題」カテゴリの記事

コメント

万作さ~~~んん
お久しぶりです!!

時々 覗いてた時は全然 更新が無くて、、どうしておられるのかなぁ。。と気になっていました。
お元気そうで何よりです!

私 一昨年より 夫の赴任で ベトナムのホーチミンに居ります。一応、、 元気にしております(^-^;
 

投稿: ももたろう | 2016年8月 6日 (土) 00時33分

いやーほんとにお久しぶりです.
お元気で何よりです.
ホーチミンには若い時に行ったことがありますが,ずいぶん発展して変わったでしょうね.
もう一度行ってみたいと,時折懐かしく思うところの一つです.もう太平洋の向こうに行く気力はありませんが,東南アジアならまた行ってみたいです.お一人様ツアーでも探してみようかな.
このところ,わりと更新してるんですよ.よろしく閲覧ください.m(__)m

投稿: 江分利万作 | 2016年8月 7日 (日) 01時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/505081/64015730

この記事へのトラックバック一覧です: 幕末大豆 (三):

« 幕末大豆 (二) | トップページ | 経木の材料はアカマツ材だ »