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2016年8月 4日 (木)

幕末大豆 (二)

 前稿で,北米に大豆が伝播したのは十九世紀であるが,農業として (研究レベルではないとの意味) 栽培が始まったのは二十世紀の初めであると述べた.
 すなわち米国で豆料理といえば,十六世紀の欧州に起源を持ち,それが北米に伝えられて現在のような料理となったベイクドビーンズと,十九世紀のテキサス州が発祥の地であると一般に考えられているチリコンカーンであるが,いずれもインゲンマメの料理である.大豆の料理ではない.北米では二十世紀になってようやく大豆の農業栽培が始まり,しかも家畜飼料または油脂原料として生産された.その大豆を,十九世紀西部開拓時代のカウボーイたちが料理に使うはずがない.まるで時代が違うのである.

 

 さて,上に《北米に大豆が伝播したのは十九世紀である》と書いたそのことに触れておく.
 これについてウェブ上の資料として最初に現れたのは,植物油製造会社で研究開発のトップをしておられた加藤昇氏が十数年前に個人サイトに掲載した《大豆の話 》である.
 このサイトのコンテンツ《海を渡った大豆》の記述は,当ブログ筆者の知るところと同じであり信用に値する.
 これに対して Wikipedia【ダイズ】は問題のある記述がなされている.その部分を以下に引用する.

 

世界への伝播
ヨーロッパやアメリカに伝わったのは意外にも新しく、ヨーロッパには18世紀、アメリカには19世紀のことである。ヨーロッパにダイズの存在を伝えたのはエンゲルベルト・ケンペルだといわれており、彼が長崎から帰国した後、1712年に出版した『廻国奇観』において、ダイズ種子を醬油の原料として紹介した。ヨーロッパでは1739年にフランスでの試作、アメリカでは1804年にペンシルベニア州での試作が最初の栽培とされている。ベンジャミン・フランクリンの手紙の中に、1770年にイギリスにダイズ種子を送る旨が記してある。ヨーロッパでそれ以前にダイズの存在を知られていなかった理由として、既に他の豆類が栽培されていたことや、土壌が合わなかったこと、根粒菌が土壌にない場合があったことなどが挙げられている。

 

 この記述は全く支離滅裂である.
 まず,ケンペルの『廻国奇観』は《ダイズ種子を醬油の原料として紹介した》のであり,そのことと大豆の伝播とは無関係である.
 次に唐突に《ベンジャミン・フランクリンの手紙の中に、1770年にイギリスにダイズ種子を送る旨が記してある》と書かれているが,前後の文章との関係が不明だ.
 また《ヨーロッパでは1739年にフランスでの試作、アメリカでは1804年にペンシルベニア州での試作が最初の栽培とされている》とあるが,出典が不明である.

 Wikipedia【ダイズ】の記載は何が言いたいのかよくわからない文章だが,実は,米国に最初に大豆種子を持ち込んだのは日本人であることが知られているのだ.
(続く)
[この連載記事は以下の通り]
幕末大豆 (一)
幕末大豆 (二)
幕末大豆 (三)
幕末大豆 (四)
幕末大豆 (五)
幕末大豆 (六)
幕末大豆 (七) (了)



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