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2016年7月 3日 (日)

虹の橋

 昨日は所用で一日中外出していた.
 昼間,先月放送されたが見逃していた「プレバト!!」(6月9日放送分) の再放送があったので,録画しておいて今朝見てみた.

 この番組で一番放送回数が多いのは俳人夏井いつき先生が登場して芸能人の句を採点する「俳句の才能ランキング」だ.

 この日の御題は,東京駅の上空に架かった虹の写真であったが,ランキング三位で凡人査定されたのは西郷輝彦の次の句.

 父母兄も渡ってゆきし虹の橋

 この句に夏井先生は《虹は橋の形をしているのだから,それをさらに「虹の橋」とするのはくどい表現だ》とし,さらに「も」は,他の誰か「も」という意味になるからこのような使い方は不適当であるとして,次のように添削した.

 虹わたりゆきし父母 そして兄

 俳句としては,添削後の句のほうがいいのは納得できる.
 ただし,《虹は橋の形をしているのだから,それをさらに「虹の橋」とするのはくどい表現だ》という論評はいかがなものか.
 これは常識とまではいえないことだが,「虹の橋」は「虹」を橋に見立てた言葉ではない.「虹の橋」は成句なのだ.西郷輝彦が作句に際して考えだした表現ではない.

「虹の橋」は,《亡くなったペットの魂が、虹の橋のたもとにある一面に緑の草原が広がる楽園に行き、そこで元の飼い主を待っている》 (Wikipedia【虹の橋】) という意味であるが,西郷輝彦の句はそれからの連想で,自分が愛した両親と兄の魂「も」虹の橋を渡り,その橋の袂で,老境に達した私 (西郷輝彦) を待ってくれている,との思いを込めたものと思われる.
 しかるに「虹の橋」を単に「虹」としたのでは,西郷がまだ若い頃に世を去った両親と兄への愛情と追憶がばっさりと切り捨てられてしまっている.
 夏井先生は,西郷が句に込めた思いを大事に残して添削することはできなかったのであろうか.残念である.
 もしかすると夏井先生は「虹の橋」の詩を御存知ないのかも知れないと思ったことである.

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