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2016年7月15日 (金)

君にいいわけしたね (二)

 前々回の記事に書いたように,団塊世代のほとんどは,長髪ではなかったし,就職に際して髪を短くしたわけではなかった.
 この世代の「変わり身」は,そんな外見のことではなかったのだ.

 私が大学に入った昭和四十三年.この年は都内の多くの大学で自治会や全学共闘会議によるストライキやキャンパス封鎖が行われた.典型的なのは日大と東大の民主化闘争であったが,他の大学においても運動は高揚し,そしてそれら大学の学生運動を覆うように,三里塚闘争やベトナム反戦運動があった.
 あの頃,デモがあれば数千人の学生が御茶ノ水の学生街や新宿にあふれたものだ.今の若い諸君には一笑に付されるかも知れないが,1968年6月21日,駿河台の中央大学や明治大学の辺りに学生数千人が集まってバリケードを作り,これをフランスの五月革命になぞらえて,その一帯を神田カルチェ・ラタンと呼んだりしたのである.
 私を含め,あの時代の東京の騒然とした状況に身を置いた青年たちは,ここで何か歴史的なことが起きているのではないかと思った.
 しかしそれはただの錯覚に過ぎなかった.
 潮目が変わるというのか,飽きるというのか.ともかく翌年には,昭和四十三年の学生運動の盛り上がりなどなかったことのように,各大学のストライキは終結し封鎖は解除され,多くの学生たちは日常生活に戻っていった.

 今思えば,団塊の世代に少し遅れてやってきた荒井由美が歌詞に《就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君に言い訳した》と書いたのは,団塊世代の変節を揶揄したのではなく,むしろ美化したのだった.
 本当は,時々学生集会に出かける程度の一般学生たちの多くは,日常に回帰するときに「もう若くはないのだから」と自分に言い訳しなければいけないほどの傷つきかたすらしなかったのだ.

 学内に以前と同じような毎日が戻ってきたとき,全学共闘会議のノンセクト活動家たちは吊るし上げられた.
 誰に.
 大学当局や先生たちに,ではない.民青同盟員でもない.
 時々は集会に来て一緒に反戦のシュプレヒコールをしていたはずの一般学生たちに,「おまえはー,封鎖解除に反対だったんだろー,そういうやつは授業に出んじゃないよ」と,大学を追われたのだった.

 私自身はどうかというと,自治会の代議員程度のことはしていたが活動家というほどアクティブではなかったのでそんな目には遭わずに済んだが,大学を去って行った活動家諸君のことを思うと今も悲しい.
 後に聞いたところでは,中退した活動家の幾人かは別の大学に入り直して,学生運動歴のロンダリングをしたという.

 大学の民主化もベトナム反戦も,褪せたTシャツのようにして脱ぎ捨てた学生たちは,会社に入り,毎朝駅のキヨスクで日経新聞を買って電車の中で読み終わり,上司に「今朝の日経のあの記事についてどう思うか」と言われたときに備えた.
 「日経を読むのは仕事」という日経のCMがあったくらいで,下司作家が日経に連載した『失楽園』も仕事のように読んだ.
 今のようにネットで色々なメディアの記事が読めたわけではないから,みんな新聞は日経しか読まなくなった.そして戦争のことも平和のことも関心を失っていった.
 そのかわりに皆が皆,揃って司馬遼太郎を読んだ.司馬史観とやらが,会社では一番安全な思想だったからだ.これは司馬遼太郎を貶めて言うのではない.アフターファイブなどでは,今現在のことではなく幕末,明治のことを論じるのが会社員にとって保身上の安全策だったという意味だ.

 荒井由美の歌詞で青年が《就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君に言い訳した》のは,心に傷を負ったからだ.
 しかし「この世代の多数派の特徴はおよそこんなところではなかろうかと言うにやぶさかではない」程度のことを言っていいなら,団塊世代の多数派はもっと軽く何の悪気もなく変節していったのだった.

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