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2016年7月13日 (水)

君にいいわけしたね (一)

 一昨日の記事に

少し前に元の会社の同僚たち数人と沖縄旅行をした.
 全員が何度か沖縄旅行の経験があるにもかかわらず,これまでに摩文仁の平和の礎や,ひめゆりの塔などの沖縄戦跡を訪問したことがあるのは,驚くべきことに私ただ一人であった.もちろん沖縄戦に関する知識を彼らは持ち合わせていなかった.
 旅行中,移動中でも宿でも,彼らの話題は株価の上がり下がりだけであった.いくら儲かった,いくら損したということだけが彼らの「老後」なのであるらしかった.
 おそらく団塊の世代の人間で,戦争と平和について自分の信念を持っているのは,二,三割ほどの少数派だ.これは私が今まで生きてきた人生で得た実感である.
 人として国としての理想のことではなく,金のことしか念頭にない老人どもが「アベノミクス」とやらと引き換えに,平和憲法を捨ててしまうのは当然の成り行きであったかも知れぬ.呆然として声もない.

と書いた.
 そう書いて我ながら情けなく思うが,本当に団塊の世代の人間は若い人たちからの評判が悪い.

 「若い人たち」といっても,今の二十代の若者たちはもちろんだが,三十代の人たちもひょっとすると,団塊の世代とは職業生活でも日常生活でも団塊の世代にあまり接触したことがないと思われ,だから彼らは団塊の世代以上を十把一絡げに「年寄り」と思っているだろう.
 その一方で,私見だが,現在の四十代や五十代の働き盛りの皆さんは,団塊の世代が会社の上司だったりしたおかげで,嫌な思いをしたのではないか.

 世代論というのはかなり大ざっぱな議論である.同じ世代の人間でも個々の人物性格は千差万別なのであるから「この世代はこうだ」というレッテル貼りは乱暴である.
 しかしその乱暴を承知の上で,「この世代の多数派の特徴はおよそこんなところではなかろうかと言うにやぶさかではない」程度のことは言えるように思う.
 その言い方でいうと,団塊の世代の多数派の特徴はその「変わり身」である.

 かつて荒井由美が歌詞に書いたように,私たちは就職が決まると長くしていた髪を切り,もう若くはないさと恋人に言い訳をした,と思われている.
 しかし実は,当時の学生たちの中でも長髪はごく少数派であり,大部分はきちんと髪を短く清潔にしていたのが実際のところである.私の友人や同級生の範囲で,長髪は私一人であった.

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三十代前半のブログ筆者 (右;米国で行われた学会に出張した折に会場の庭で)
首の後ろを覆うくらいの長髪であった.あの頃,金はないが髪は豊かであった.
それから三十余年の今,金がないのは同じだが頭髪も貧しくなった.


 私自身は無精なこともあって髪を伸ばしていたのだが,髪を切ることなく就職試験を受けて会社に入り,やがて頭髪の本数が激減して長髪を維持できなくなった四十歳くらいまで (落武者のようになったので仕方なく) そのままのヘアスタイルであった.
 昭和中頃の当時は,著名な学者文化人,芸術家などに長髪の人々が多く,その影響だと思うが,会社の人事部も今ほどには学生の外見にあれこれ注文を付けなかったのであった.だから就職試験に際して髪を切らなければいけないなんて私は思いもしなかった.
(続く)

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