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2016年7月27日 (水)

大人の時間旅行

 各種のマニアあるいはオタクの中で,平気で他人に迷惑をかけるという点で群を抜いているのは鉄道マニアである.
 いや,鉄道マニアという言い方は不適切だろう.内田百閒に始まり,阿川弘之や宮脇俊三を経て現在に至る鉄道の正統的なファンを鉄道マニアと呼ぶとすれば,テレビの報道を時折騒がす愚か者たちのことは鉄ちゃん (←蔑称) というべきだろう.
 この鉄ちゃんには,何やら細かい分類がある (どうせみんな分類を越えてオーバーラップしているのだろうが) らしく,その中では撮り鉄と呼ばれる連中が最低最悪であることは善良な市民のよく知るところである.
 例えば三年前,長野県の「しなの鉄道」信濃追分から御代田までのカーブ区間の沿線 (しなの鉄道社用地) に植樹されていた桜の木が何者かに伐採された.
 この事件は撮り鉄の行為と推測されている上に,この伐採者にネット上で抗議した同社に対して,鉄ちゃんどもから「撮影の邪魔になるような位置に桜を植えたやつが悪い」旨の罵倒が行われたことでも知られる.
 これに類する器物損壊事件 (鉄道保安設備なども破壊する) はあちこちで起きているし,撮影のために線路内に立ち入って電車の運行を妨害するなどは日常茶飯事だ.
 パソオタとかアニオタという名称には何となくかわいらしさが感じられるが,鉄ちゃんは反社会的存在だからかわいくも何ともない.単なる嫌われ者であり,場合によっては犯罪者である.

 さて話は代わって,文芸評論家の関川夏央はローカル線の電車旅が好きなようで,旅行記を時折書いている.
 それをまとめた『寝台急行「昭和」行』(NHK出版,2009年7月刊) の文庫版 (中公文庫,2015年12月刊) を読んでみた.
 ローカル線の電車旅が好きといっても,関川は鉄ちゃんではない.それどころか他の著作でもこの本でも,関川は自分がアンチ鉄ちゃんであることを繰り返して書いている.
 戦後昭和生まれの年寄りたちは,自動車時代が到来する前に生まれた.
 近いところへならどこへでも自転車で行き,遠くへならば汽車電車に乗るしかなかった時代に育った.
 だから関川夏央や私たち団塊世代は鉄道が好きである.郷愁を覚える.
 私も関川も,過ぎ去った時代に対する郷愁故に,ただ単に電車に乗って旅するのが好きなだけである.電車の型式はよく知らない.系統路線名にも詳しくはない.
 私たちより上の世代も同様で,東海林さだおもローカル線の電車に乗ってあちこち出かけたエッセイを書いているが,これまた細かい路線系統名称なんか我関せずとばかりに,乗車すれば缶ビールをぷしゅーと開け,駅弁を食べるのを楽しみにしているだけである.
 私なんか,仕事をリタイアしたあと平成二十七年に東海道線の電車が「上野東京ライン」になり,既に通勤しなくなっていたのでそれを知らずに久しぶりに東海道線藤沢駅のホームに立っていると「小金井行」の電車がたくさん来るのだが,これを中央線快速電車の武蔵小金井駅だと暫く勘違いしていた.ところが小金井は東北本線の駅だったので,世の中に置いて行かれた気がして大いに狼狽したくらいであった.

 このような事情であるから,『寝台急行「昭和」行』にはいくつかの間違いがある.
 同書第Ⅰ部「ローカル列車」に入れられた「徒労旅同行志願 小海線と北関東一周、東北地方東半部周回」の中に次のような箇所がある.(中公文庫版 p.75)

そのあとは昔の信越線の名残で高崎へ。高崎からは両毛線で関東平野の北のへりを半周、小山から湘南ライナーで新宿へ帰って来るという一日の計画である。

 ここで《湘南ライナー》とあるのは,「湘南新宿ライン」の誤りである.
 さあ,アマゾンのカスタマーレビューでこれに噛みついたのが,バルタンという筆名の鉄ちゃんである.
 このバルタンはレビュー《つまらない、間違いが多い、鉄道の本を書く資格なし 》で次のように関川を罵倒している.

こういう鉄道本で一儲けをたくらむ輩に限って大した知識もなく、誤記を連発するくせに鉄道ファンをバカにした書き方をするのはどういうつもりなのか。
「湘南新宿ライン」のことを「湘南ライナー」と記載⇒よくこんなレベルで本が書けるな。恥を知れ。
全般的にはいったいぜんたい著者が何を言いたいのかがさっぱりわからない。
支離滅裂とはこのことであろう。
本当に金を返してほしいと思った本は久しぶりだ。もちろん途中まで読んで捨てたので今はもうない。

 頭がからっぽな鉄ちゃん少年が吠えているのは無視すればよいのかも知れないが,アマゾンのカスタマーレビューはパブリックな場所である.しかるに,そもそも『寝台急行「昭和」行』は《鉄道の本》ではないのに,何を激昂しているのかと呆れてしまった.
 このバルタン君は,関川の別の著書『鉄道旅へ行ってきます』でも《関川や原がらみの本は鉄道本ではないし、まったく面白くない 》と書いている.つまりバルタン少年にとって「本」とは,車両の型式や運行ダイヤのことが書かれている「鉄道本」のことであるらしいのだ.
 ところが,同書中公文庫版の帯に書かれた惹句に《もう還らないあの時代へ 昭和の記憶を辿る、大人の時間旅行》とあるように,この本は「鉄道本」ではない.
 バルタン君は,自分で勝手に関川の著書を「鉄道本」だと思い込んだのだが,読んでみたら鉄道のことが書いてあるのではなかったので,激怒しているのである.世の中には「鉄道本」以外の本もあると知らぬのであろう.どういう頭の構造をしているのか,この少年は.(バルタン君を少年と決めつけているのは,この的外れな攻撃性をみるに二十歳前の少年であると思われるからだ.おとなになると普通はこのような幼稚な攻撃的的文章は書かなくなる.おとなはもっと知的な攻撃性を示すものなのである)

 それにしても《鉄道本で一儲けをたくらむ輩》とは恐れ入った.近代日本文学を論ずる批評家を代表する一人である関川夏央を「輩」呼ばわりである.関川の名を知らぬということは,きっと漱石や一葉の名も知らぬのであろう.もしかすると,小説家は西村京太郎しか知らないのかも知れない.《恥を知れ》とはバルタン君,君のことだ.
 《鉄道ファンをバカにした書き方をするのはどういうつもりなのか》は,読解力がなさすぎである.関川は鉄道ファンを馬鹿にしてはいない.鉄道ファンを愛している.そうではなくて,他人に迷惑をかけて憚ることない鉄ちゃんという連中の卑しさを蔑んでいるのである.
 《全般的にはいったいぜんたい著者が何を言いたいのかがさっぱりわからない》は,バルタン君が「鉄道本」しか読まないために日本文学について無知だからである.
 そこで『寝台急行「昭和」行』から,バルタン君には理解不能な箇所の例を挙げよう.

(以下『寝台急行「昭和」行』中公文庫版 p.15 から引用)
昭和八年 (一九三三)、晩秋である。
 文芸評論家の小林秀雄は、朝の上野駅のプラットホーム上で、作家の坂口安吾とばったり会った。小林秀雄は旧制新潟高校へ講演に出向こうとしていた。坂口安吾も新潟へ行くという。彼らは午前九時ちょうど発、上越線に一本しかない急行に乗った。ふたりとも若い。秀雄は三十一歳、安吾は二十七歳だった。
 …… (中略) ……
 急行は満席だった。ふたりは食堂車に行き、朝から飲みはじめた。清水トンネル通過にそなえて、水上で蒸機を電機につけかえたときも飲んでいた。
 上越線は昭和六年に全通した。ループ二回で山を登り降りる清水トンネルは、越後の「奥座敷」であった越後湯沢を「玄関口」にかえた。トンネル通過の前とあと、その風景の圧倒的な違いに「異界」を連想した川端康成が、いわば美しい死者たちの物語『雪国』を書きはじめるのは、秀雄と安吾の旅の翌年のことである。
 午後一時二〇分、列車は石打に着いた。電機を蒸機に戻すこの駅で、安吾は降りた。
 安吾は、おそらく松之山温泉へ行ったのである。湯治ではない。松之山の村山家には安吾の叔母と姉が嫁いでいて、坂口家と二重の縁で結ばれていたし、安吾は、利発で顔立ちのよい、しかし病弱な姪、十五歳の村山喜久を好んでいた。
 小林秀雄は安吾の死後、昭和三十一年にこう書いた。
〈彼は羊羹色のモーニングに、裾の切れた縞ズボン、茶色の靴をはき、それに何をしこたま詰め込んだか、大きな茶色のトランクを下げていた。人影もないこの山間の小駅の、砂利の敷かれたフォームに下り立ったのは彼一人であった。晩秋であった。この「風博士」の如き異様な人物の背景は、全山の紅葉であった〉
 安吾は去る列車に千切れるほど手を振った。

 どや.バルタン君.
 大人というものは,日本近代文学の一風景を切り取ったこのような文章に,過ぎ去った昭和の思い出に,胸打たれるのである.
 昭和八年の晩秋,偶然同じ列車に乗りあわせ,意気投合した小林秀雄と坂口安吾.まだ若かった二人の目に映った上越国境の全山紅葉は,いかばかりに美しかったであろうかと.
 バルタン君のように「鉄道本」しか読まぬ,小林秀雄も坂口安吾の名も知らぬであろう鉄ちゃんには,死ぬまでわからないであろう.

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