戦争できる国への一歩
戦後の保守政治家でタカ派と呼ばれた人は多いが,好戦的な人間が政権を担ったことはなかった.
あの大勲位でも,タカ派的言動は一種のポーズであり,心底には平和志向があったと私は理解している.
また言うまでもなく,保守党にも根っからの平和主義者はタカ派と同じくらいいた.タカ派もハト派も,彼らの願うところが国民生活の安定と向上であったのは,その世代が戦争体験を有していたことによると思われる.
彼らは自らの体験に基づいて,二度と戦争指揮をとらずに済むように戦後日本を運営してきたのであった.
ところが,戦争体験がなく,しかも戦争に関する想像力を持たず,好戦的な性向を有する総理大臣が登場して,遂に国民の信任を得たのが昨日の参院選であった.
安倍晋三は,この参院選では改憲について口をつぐんできた.
安倍の周辺で利益供与にあずかろうとする宣伝塔の評論家どもが,「安倍さんは今は改憲を考えていない」「今は改憲をできる状況にない」とマスコミで安倍の改憲意欲を隠蔽する発言を垂れ流した.
そして今回の選挙が改憲勢力の勝利に終わったとたん,安倍は改憲への意欲を口にした.卑劣な男である.
しかし,私たちが平和憲法を失う過程の第一歩である今回の事態に,一体誰が責任を持たねばならぬかといえば,それは安倍に勝利をプレゼントした国民たちである.
翻ってみれば,本当に日本人というのは好戦的な国民であった.明治以来,戦争ばかりやってきた.
ある時は,政府が戦争回避に動いているときに,国民と「社会の木鐸」である新聞社が政府を叱咤して戦争の旗を振ったことすらあった.
戦争好きな国民が好戦的政府を支持するのは理の当然かも知れぬ.
さらに言うなら,改憲にゴーサインを出した国民の中でも,私の同世代の者たちを含む高齢者層が非難されるべきである.
若い世代の人たちのことはよくわからないが,「戦争を知らない子供たち」として生まれたいわゆる団塊の世代が平和主義かというと,実はそんなことはないのだ.
少し前に元の会社の同僚たち数人と沖縄旅行をした.
全員が何度か沖縄旅行の経験があるにもかかわらず,これまでに摩文仁の平和の礎や,ひめゆりの塔などの沖縄戦跡を訪問したことがあるのは,驚くべきことに私ただ一人であった.もちろん沖縄戦に関する知識を彼らは持ち合わせていなかった.
旅行中,移動中でも宿でも,彼らの話題は株価の上がり下がりだけであった.いくら儲かった,いくら損したということだけが彼らの「老後」なのであるらしかった.
おそらく団塊の世代の人間で,戦争と平和について自分の信念を持っているのは,二,三割ほどの少数派だ.これは私が今まで生きてきた人生で得た実感である.
人として国としての理想のことではなく,金のことしか念頭にない老人どもが「アベノミクス」とやらと引き換えに,平和憲法を捨ててしまうのは当然の成り行きであったかも知れぬ.呆然として声もない.
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