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2016年7月

2016年7月31日 (日)

藤沢 ながつか

 一昨日,辻堂の 109シネマズで『シン ゴジラ』を観たあと,昼飯をどうしようかと考えた.

20160731a

 テラスモール湘南の中のレストランは,店の見てくれはいいのだが,昼飯時には入口で待たされるのに,肝心の料理はイマイチだ.イマイチどころか,世間水準以下の店もいくつかある.
 さりとて,大フードコートは無難だが雰囲気がざわざわと落ち着かないし,ここは藤沢駅に戻って蕎麦を食うことにしようと決めた.

 藤沢駅の近くで蕎麦屋といえば「すい庵」が私は気に入っていたのだが,少し前のある日の昼過ぎに入ったときに不愉快な思いをした.
 少し酒を飲んでから盛り蕎麦を注文したのだが,出された蕎麦が酷かったのだ.
 長いもので一本が五センチくらい,短いのは三センチしかなかった.これが蒸籠に盛ってあるのだ.まるで蕎麦の体をなしていない.ショートパスタかお前は.
 明らかに,打ちそこないの蕎麦を茹でて水で洗ったら全部千切れたのだと思われるが,よくそんなものを捨てずに蒸籠に盛りつけるものだと呆れた.
 酒を飲んで店とケンカするのは,いい歳をした者として情けない (素面ならクレームつけたと思う) ので,そのまま蕎麦を残して代金を払い,店を出た.
 厨房に一体何が起きたのか知らないが,客を馬鹿にするのもいい加減にするがよい.それ以来私は「すい庵」に行っていない.

 で,今回私が選んだのは,駅の周辺では古い店の一つである蕎麦屋の「ながつか」である.

20160731b

 この蕎麦屋「ながつか」は,町中のごく普通の蕎麦屋である.品書きに「カツ丼セット」なんかが書いてある蕎麦屋だといえば,どんな蕎麦屋かわかってもらえると思う.じゃあまずい蕎麦かというと,そんなこともない.平均的な町の大衆的蕎麦屋さんなのだ.

 さてその日,入口を入ると店員さんが「お好きな席にどうぞ~」というので,四人掛けテーブルに一人で腰かけた.
 注文したのは,会津ほまれ (300mlガラス瓶入り冷酒) を一本と,板わさ,蛸刺である.板わさには粉わさびの他にわさび漬がたっぷり付けてある.醤油は付けないで,わさび漬で蒲鉾を平らげた.
 『シン ゴジラ』のストーリーや伏線を反芻しながらゆっくり昼酒を楽しんだあと,蒸籠を一枚.
 蕎麦の到着を待つあいだ,ふと目を転じると近くのテーブルで,私と同年輩と思われる老人が孫と思しき少年に,蕎麦の食い方をレクチャーしていた.
 いわく,箸の先で,一口に啜り込めるだけの蕎麦を取り,左手で持った蕎麦猪口のつゆに,ちよっと蕎麦の下の方をつけて,ツッと啜るんだよ.ずるずる何度もすすっちゃいけないよと.
 その通り.
 いいおじいさんである.孫を相手の蕎麦の食い方指南は微笑ましい光景だった.

 そしてその老人が背を向けている後ろの席を見ると,やはり私と同じくらいの爺さんが一人,蒸籠蕎麦を食べていた.
 しかしこの爺さんは,蕎麦猪口を手に持たず,テーブルに置いたままであり,しかも蒸籠と蕎麦猪口と口を,蕎麦が連結していた.どういう状態かというと,図示すれば早いのだが,蕎麦猪口に口を寄せて,犬食いで蕎麦をもぐもぐと口に箸で運ぶと,食べた分を蒸籠から引きずり出して蕎麦猪口に入れていくのである.こうすると常に蒸籠と蕎麦猪口と口に,蕎麦の橋がかかったような有様になる.
 蕎麦をどういう風に食おうと,その人の勝手ではあるのだけれど,このやり方はちょっとなあ.(笑)
 確か昭和中頃の昔々,田舎のおばあさんが上に書いた爺さんのような仕方で蕎麦を食べる様子を,痴楽という落語家がマクラに使っていたのを思い出した.小さかった私が蕎麦の食い方 (「たぐる」という言い方は大嫌いなのでこう書く) を覚えたのは,噺家の所作を見て倣ったのであった.
 

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2016年7月30日 (土)

真・ゴジラ

 私たちが子供の頃から何度聴いただろう,あの伊福部昭の曲が鳴り渡る中,スクリーンを下から上に流れる長いエンドロールの最後に「終」の文字が現れたとき,客席のそこかしこに,ふーっというため息の音が聞こえた.

 昭和二十九年 (1954年) に公開された本多猪四郎監督作品の第一作『ゴジラ』以降,常に子供向け娯楽作品へ傾こうとする東宝の『ゴジラ』シリーズは,何度か娯楽作品化傾向をリセットして原点への揺り戻しを試みた.
 その必ずしも成功しなかったゴジラの原点回帰は,遂に庵野秀明総監督 (脚本) と樋口真嗣監督 (特技監督) の手によって,第一作から六十余年後に,第一作への最大のリスペクトをもって成し遂げられた.
 また今作『シン ゴジラ』において,庵野秀明監督の脚本が東日本大震災における福島第一原子力発電所事故を踏まえて書かれたものであることは明白である.
 国の危機において,私たち日本と日本人はどう行動するだろうか.その問いに対する庵野秀明の答えがこれだ.
 作中,矢口内閣官房副長官が対ゴジラ作戦に従事する自衛隊員に決死の訓示を行う.そしてその隊員たちの乗る特殊作業車がゴジラの一撃で粉砕され,「全滅」との報告を聞いて矢口副長官が一瞬目を閉じる.この短いシーンで私は思わず胸に熱いものを覚えたことを告白しておく.

 圧倒的なリアリティと畳みかけるようなストーリー展開に,私は三十分ドラマほどの時間経過しか感じなかった.
 少年時代の始まりに観た映画の復活を人生の終わり頃に目撃できるとは,私は思ってもいなかった.いい映画をみせてもらった.庵野総監督と樋口監督に感謝する.

[蛇足]
 出演俳優陣中,花森防衛大臣を演じた余貴美子の存在感が際立っていた.
 東内閣官房長官役の柄本明の好演は言うまでもない.
 大河内総理大臣の不慮の死後,他の政治家たちから火中の栗を押し付けられるようにして首相となった里見農林水産大臣 (平泉成) は,かの鈴木貫太郎を彷彿とさせた.もちろんそれは庵野脚本に織り込まれていたはずである.
 パタースン米国大統領特使役の石原さとみだけが,キャストとしてどうなんだろうと思われたが,こういう意味不明な美女が登場するのも,過去の東宝ゴジラ映画に対するオマージュだと受け取っておきたい.
 あとで気がついたが,前田敦子も出ていた.天賦の才に恵まれているわけではないのだから,こういう雑巾掛けから女優への道を進むのは彼女にとってよいことだろう.ネット上には,『シン ゴジラ』を前田敦子主演 (避難民) と書いているコンテンツがあるが,まあ気にしないで精進してほしい.(大爆)

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2016年7月29日 (金)

幽霊退治屋 第三作

 週刊文春の看板コラム (先週号) ,小林信彦『本音を申せば』にこうあった.

ぼくは昔の「ゴーストバスターズ」が好きで、今度は〈お化け退治屋〉が女四人ときいたが、それはそれで面白いと思った。

ゴーストバスターズ」は実は私も好きな映画である.傑作だと思う.
 ただ,残念なのは,ひとに「好きな映画はどんなのですか?」と訊かれてこれを挙げにくいことだ.(笑)

 この作品は,どんなラスボスが登場するのかと観客が固唾を呑んで待っていると登場する破壊の神ゴーザの,ちゃちなキャラ感がとても素晴らしい.こんなやつかよオイオイという.
 そして破壊神ゴーザが召喚したのがかの有名なマシュマロマンで, これは当時の日本人にはなじみがなかったアメリカのキャラだが,ミシュランのビバンダムそっくりなキャラメイクで,報復絶倒だった.
 この第一作の成功に続いて作られた第二作があったが,残念ながら興行的にはコケたためにシリーズ化は立ち消えになった.

 そして時が流れて第三作制作の話が持ち上がったら,残念なことにイゴン・スペングラー博士を演じたハロルド・ライミスが亡くなってしまった.

 そこで構想されたのが同名のリブート作品「ゴーストバスターズ」で,冒頭の小林信彦のコメントは,この映画のことである.
 しかしこの第三作の撮影が始まった頃,シナリオ自体が,信用できる映画評論家の町山智浩にあまりよく評価されなかったという記憶がある.
 それで,上映されたら観に行こうかどうしようかなーと思っていたのだが,小林信彦は試写を観て次のような感想を書いている.

ひとことで言えば「ゴーストバスターズ」は特撮に金をかけた、ばからしい映画ともいえるが、ぼくは以前の二本が好きだし、レイ・パーカー・ジュニアの音楽にも浮かれてしまうので、これにケイト・マッキノンという美女が出て二挺拳銃をぶっ放したりすれば、もう満足してしまう。

 こう高く評価して頂ければ迷うことはない.八月の公開が待ちどおしい.

 ついでに,今日は「シン・ゴジラ」を観に行く.どんな作品に仕上がっているか,これも楽しみだ.
 前に書いた記事《幼児退行してきました》に私は次のように書いた.

さて『新・のび太の日本誕生』が上映されるシアター6に入ると,観客は私だけだった.
 午後になると,半日授業を終えた小学校低学年の子供が来るかも知れないが,さすがに朝一番ではそんなことはないのだ.
 と思ったら,三歳児くらいの小さな子を連れたママさんが入って来た.そして私が購入したシートから一つ間をあけて座った.
 ガランとしたシアター6の観客は私を入れて三人しかいないのに,私,空席,三歳児の女の子,ママさん,という横並び状態なのである.
 そのママさんは,こんなにたくさんあるシートの中で,どうしてその席を買ったのか!
 もしかして私に好意を持っているのか!
 違うような気がするが!

 で,今回はその時のような居心地の悪さを避けるために,エグゼクティブシートを予約してある.さあ,いくぞー.

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2016年7月28日 (木)

濁点

 MSN Japan のトップページに,@nifty ニュースからの次のような小さな見出しの記事が掲載された.(@nifty ニュースの記事は日刊スポーツの転載)

NMB48薮下柊ノーバン始球式、ブルマ特訓実った

 ふむふむ,NMB48所属のアイドル薮下柊ちゃんが始球式をすることになって,ブルマを着用して投球練習に励み,本番の試合ではブルマを脱ぎ捨てて臨んだ結果,見事に役目を果たした,という記事である.よかったよかった.

と思ったのだが,拡大した見出しの字をよく見たら,ノーパンではなくノーバンであった.
 最近,視力の衰えが激しい.眼科を受診してみようと思う.て,そういう問題か.すみません.でもそう誤解した人は多くないですか.少ないですか.はあ.

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2016年7月27日 (水)

大人の時間旅行

 各種のマニアあるいはオタクの中で,平気で他人に迷惑をかけるという点で群を抜いているのは鉄道マニアである.
 いや,鉄道マニアという言い方は不適切だろう.内田百閒に始まり,阿川弘之や宮脇俊三を経て現在に至る鉄道の正統的なファンを鉄道マニアと呼ぶとすれば,テレビの報道を時折騒がす愚か者たちのことは鉄ちゃん (←蔑称) というべきだろう.
 この鉄ちゃんには,何やら細かい分類がある (どうせみんな分類を越えてオーバーラップしているのだろうが) らしく,その中では撮り鉄と呼ばれる連中が最低最悪であることは善良な市民のよく知るところである.
 例えば三年前,長野県の「しなの鉄道」信濃追分から御代田までのカーブ区間の沿線 (しなの鉄道社用地) に植樹されていた桜の木が何者かに伐採された.
 この事件は撮り鉄の行為と推測されている上に,この伐採者にネット上で抗議した同社に対して,鉄ちゃんどもから「撮影の邪魔になるような位置に桜を植えたやつが悪い」旨の罵倒が行われたことでも知られる.
 これに類する器物損壊事件 (鉄道保安設備なども破壊する) はあちこちで起きているし,撮影のために線路内に立ち入って電車の運行を妨害するなどは日常茶飯事だ.
 パソオタとかアニオタという名称には何となくかわいらしさが感じられるが,鉄ちゃんは反社会的存在だからかわいくも何ともない.単なる嫌われ者であり,場合によっては犯罪者である.

 さて話は代わって,文芸評論家の関川夏央はローカル線の電車旅が好きなようで,旅行記を時折書いている.
 それをまとめた『寝台急行「昭和」行』(NHK出版,2009年7月刊) の文庫版 (中公文庫,2015年12月刊) を読んでみた.
 ローカル線の電車旅が好きといっても,関川は鉄ちゃんではない.それどころか他の著作でもこの本でも,関川は自分がアンチ鉄ちゃんであることを繰り返して書いている.
 戦後昭和生まれの年寄りたちは,自動車時代が到来する前に生まれた.
 近いところへならどこへでも自転車で行き,遠くへならば汽車電車に乗るしかなかった時代に育った.
 だから関川夏央や私たち団塊世代は鉄道が好きである.郷愁を覚える.
 私も関川も,過ぎ去った時代に対する郷愁故に,ただ単に電車に乗って旅するのが好きなだけである.電車の型式はよく知らない.系統路線名にも詳しくはない.
 私たちより上の世代も同様で,東海林さだおもローカル線の電車に乗ってあちこち出かけたエッセイを書いているが,これまた細かい路線系統名称なんか我関せずとばかりに,乗車すれば缶ビールをぷしゅーと開け,駅弁を食べるのを楽しみにしているだけである.
 私なんか,仕事をリタイアしたあと平成二十七年に東海道線の電車が「上野東京ライン」になり,既に通勤しなくなっていたのでそれを知らずに久しぶりに東海道線藤沢駅のホームに立っていると「小金井行」の電車がたくさん来るのだが,これを中央線快速電車の武蔵小金井駅だと暫く勘違いしていた.ところが小金井は東北本線の駅だったので,世の中に置いて行かれた気がして大いに狼狽したくらいであった.

 このような事情であるから,『寝台急行「昭和」行』にはいくつかの間違いがある.
 同書第Ⅰ部「ローカル列車」に入れられた「徒労旅同行志願 小海線と北関東一周、東北地方東半部周回」の中に次のような箇所がある.(中公文庫版 p.75)

そのあとは昔の信越線の名残で高崎へ。高崎からは両毛線で関東平野の北のへりを半周、小山から湘南ライナーで新宿へ帰って来るという一日の計画である。

 ここで《湘南ライナー》とあるのは,「湘南新宿ライン」の誤りである.
 さあ,アマゾンのカスタマーレビューでこれに噛みついたのが,バルタンという筆名の鉄ちゃんである.
 このバルタンはレビュー《つまらない、間違いが多い、鉄道の本を書く資格なし 》で次のように関川を罵倒している.

こういう鉄道本で一儲けをたくらむ輩に限って大した知識もなく、誤記を連発するくせに鉄道ファンをバカにした書き方をするのはどういうつもりなのか。
「湘南新宿ライン」のことを「湘南ライナー」と記載⇒よくこんなレベルで本が書けるな。恥を知れ。
全般的にはいったいぜんたい著者が何を言いたいのかがさっぱりわからない。
支離滅裂とはこのことであろう。
本当に金を返してほしいと思った本は久しぶりだ。もちろん途中まで読んで捨てたので今はもうない。

 頭がからっぽな鉄ちゃん少年が吠えているのは無視すればよいのかも知れないが,アマゾンのカスタマーレビューはパブリックな場所である.しかるに,そもそも『寝台急行「昭和」行』は《鉄道の本》ではないのに,何を激昂しているのかと呆れてしまった.
 このバルタン君は,関川の別の著書『鉄道旅へ行ってきます』でも《関川や原がらみの本は鉄道本ではないし、まったく面白くない 》と書いている.つまりバルタン少年にとって「本」とは,車両の型式や運行ダイヤのことが書かれている「鉄道本」のことであるらしいのだ.
 ところが,同書中公文庫版の帯に書かれた惹句に《もう還らないあの時代へ 昭和の記憶を辿る、大人の時間旅行》とあるように,この本は「鉄道本」ではない.
 バルタン君は,自分で勝手に関川の著書を「鉄道本」だと思い込んだのだが,読んでみたら鉄道のことが書いてあるのではなかったので,激怒しているのである.世の中には「鉄道本」以外の本もあると知らぬのであろう.どういう頭の構造をしているのか,この少年は.(バルタン君を少年と決めつけているのは,この的外れな攻撃性をみるに二十歳前の少年であると思われるからだ.おとなになると普通はこのような幼稚な攻撃的的文章は書かなくなる.おとなはもっと知的な攻撃性を示すものなのである)

 それにしても《鉄道本で一儲けをたくらむ輩》とは恐れ入った.近代日本文学を論ずる批評家を代表する一人である関川夏央を「輩」呼ばわりである.関川の名を知らぬということは,きっと漱石や一葉の名も知らぬのであろう.もしかすると,小説家は西村京太郎しか知らないのかも知れない.《恥を知れ》とはバルタン君,君のことだ.
 《鉄道ファンをバカにした書き方をするのはどういうつもりなのか》は,読解力がなさすぎである.関川は鉄道ファンを馬鹿にしてはいない.鉄道ファンを愛している.そうではなくて,他人に迷惑をかけて憚ることない鉄ちゃんという連中の卑しさを蔑んでいるのである.
 《全般的にはいったいぜんたい著者が何を言いたいのかがさっぱりわからない》は,バルタン君が「鉄道本」しか読まないために日本文学について無知だからである.
 そこで『寝台急行「昭和」行』から,バルタン君には理解不能な箇所の例を挙げよう.

(以下『寝台急行「昭和」行』中公文庫版 p.15 から引用)
昭和八年 (一九三三)、晩秋である。
 文芸評論家の小林秀雄は、朝の上野駅のプラットホーム上で、作家の坂口安吾とばったり会った。小林秀雄は旧制新潟高校へ講演に出向こうとしていた。坂口安吾も新潟へ行くという。彼らは午前九時ちょうど発、上越線に一本しかない急行に乗った。ふたりとも若い。秀雄は三十一歳、安吾は二十七歳だった。
 …… (中略) ……
 急行は満席だった。ふたりは食堂車に行き、朝から飲みはじめた。清水トンネル通過にそなえて、水上で蒸機を電機につけかえたときも飲んでいた。
 上越線は昭和六年に全通した。ループ二回で山を登り降りる清水トンネルは、越後の「奥座敷」であった越後湯沢を「玄関口」にかえた。トンネル通過の前とあと、その風景の圧倒的な違いに「異界」を連想した川端康成が、いわば美しい死者たちの物語『雪国』を書きはじめるのは、秀雄と安吾の旅の翌年のことである。
 午後一時二〇分、列車は石打に着いた。電機を蒸機に戻すこの駅で、安吾は降りた。
 安吾は、おそらく松之山温泉へ行ったのである。湯治ではない。松之山の村山家には安吾の叔母と姉が嫁いでいて、坂口家と二重の縁で結ばれていたし、安吾は、利発で顔立ちのよい、しかし病弱な姪、十五歳の村山喜久を好んでいた。
 小林秀雄は安吾の死後、昭和三十一年にこう書いた。
〈彼は羊羹色のモーニングに、裾の切れた縞ズボン、茶色の靴をはき、それに何をしこたま詰め込んだか、大きな茶色のトランクを下げていた。人影もないこの山間の小駅の、砂利の敷かれたフォームに下り立ったのは彼一人であった。晩秋であった。この「風博士」の如き異様な人物の背景は、全山の紅葉であった〉
 安吾は去る列車に千切れるほど手を振った。

 どや.バルタン君.
 大人というものは,日本近代文学の一風景を切り取ったこのような文章に,過ぎ去った昭和の思い出に,胸打たれるのである.
 昭和八年の晩秋,偶然同じ列車に乗りあわせ,意気投合した小林秀雄と坂口安吾.まだ若かった二人の目に映った上越国境の全山紅葉は,いかばかりに美しかったであろうかと.
 バルタン君のように「鉄道本」しか読まぬ,小林秀雄も坂口安吾の名も知らぬであろう鉄ちゃんには,死ぬまでわからないであろう.

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2016年7月26日 (火)

蒲原夜之雪

 テレビ番組の話が続く.
 前に何度かこのブログに書いたが,私は現役会社員時代は,ほとんどテレビ番組を観なかった.仕事が忙しかったし,テレビなんてくだらないと思っていた.

 ところが仕事から引退してみたら,テレビを観る時間が毎日たっぷりある.
 一日に二時間から酷い時は三時間も録画して,その翌日にCMを飛ばして観ているが,そんな私のお気に入り番組はテレビ東京のものが多い.
 番組タイトルを挙げると「YOUは何しに日本へ?」「世界!ニッポン行きたい人応援団」「和風総本家」の三つだ.

 三番組とも娯楽番組としては同じジャンルといえるかも知れないが,他局のくだらぬドラマなんかよりも,観ていて余程楽しい.
 中でも,私がこの番組を観るようになってから以降の「和風総本家」はハードディスクに保存してあり,一度観たあとにまた観ることもある.良心的な番組だと思う.海外の番組のように「和風総本家シーズン○○」などと題してBDボックスを発売してくれないかと思うくらいだ.

 それはさておき,昨日放送された「YOUは何しに日本へ?」のこと.
 以前の放送から,京都から東京まで広重の浮世絵画集を手にして東海道五十三次を歩いて旅している外国人女性を密着取材 (撮影スタッフがいくつかの区間を同行) してきたが,昨日の放送でこのシリーズが終った.
 今回のスタートは駿河の由比蒲原付近からであったが,周知のように広重の「東海道五拾三次」の中でも有名な「蒲原夜之雪」に描かれた蒲原宿は雪の降る情景である.
 旅人とスタッフが「蒲原夜之雪」に描かれた場所はどこであろうかと探して,通りがかりのおばさんに訊ねたら,この辺りは雪なんて降らないから別の所じゃないですかとか言うし,撮影しているところに近くに住む老婦人がやってきて,「蒲原夜之雪」は越後の蒲原を描いたものだなどという.(広重の絵にはちゃんと東海道と書いてあるにもかかわらず!)
 それで旅人とテレビ局スタッフは「蒲原夜之雪」は実際にはあり得ない風景を広重が遊び心で描いたものだということをすっかり信じてしまった.
 まことにおせっかいな嘘つき女共である.

 駿河湾の奥に位置する静岡県中部は今でこそ暖かくて降雪がないが,それでも気象条件によっては希に積雪することがあるのである.
 現在の静岡市清水区,昔の蒲原宿の辺りに住む知人の経験談によれば,戦後の昭和に二度積雪があったそうだ.そのうちの一度は私も記憶している.
 ましてや遠い昔の江戸時代である.蒲原に雪が降っても何もおかしくない.
 実際これもテレビ東京の大和田獏が出演した旅番組 (いつの放送だったかよく覚えていないが,たぶん今年だと思う) で,蒲原の旧家の土蔵を調べたら,江戸期に蒲原宿で大雪が降ったと言う記録を記した古文書が出てきて番組で紹介していた.蒲原に雪が降るのはあり得ないことではないのである.

 駿河は昔から雪の少ない地方ではあるが,広重の「蒲原夜之雪」は滅多にない雪降る蒲原の情景を画家の想像力で描いたものだと理解するのが,「蒲原夜之雪」は越後の蒲原だなんて突拍子もないことを言うよりもよっぽどまともである.
 繰り返すが,迷惑な嘘つき女どもがいたものである.嘘を吐く小癪なその唇を右斜め上四十五度方向につねりあげてやりたい.
 せっかく海外から東海道五十三次を歩き通す旅をしにきてくれた外国人女性なのに,広重の浮世絵が事実と異なるものだとがっかりさせてしまってかわいそうだった.

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2016年7月23日 (土)

大輪の花 大輪の花火

 先日の木曜日のテレビ番組,毎日放送『プレバト』を観たら,この番組にほとんどレギュラー講師として出演されている俳人夏井いつき先生の「俳句の才能査定コーナー」のお題は「花火大会」であった.
 ほかの芸能人の句は省略するが,査定される出演者の一人,ミッツ・マングローブの作品は

大輪の轟き 焼けて 夏が散る

だった.
 この句の「大輪」について,夏井いつき先生は繰り返し「だいりん」と発音した.
 言うまでもなくミッツ・マングローブは,打ち上げ花火の「菊」や「牡丹」を,生花に見立てて「大輪」と表現したのである.
 であるとすればその読みは「たいりん」の一択である.
 しかるに夏井先生はこれを敢えて「だいりん」と読んだ.

 周知のように「大」は,続く語が何かで読みが変わる.
 大英帝国や大宇宙のように呉音が続く場合は「だい」と読むのが普通である.
 また大安や大気汚染のように漢音が接続されていると「たい」と読むことが多い.
 上のことは,「一般的に」の話であり,そう読まねばいけないというルールがあるわけではない.
 しかも「輪」は呉音も漢音も「りん」だから,「大輪」は「たいりん」でも「だいりん」と読んでも構わないことになる.
 にもかかわらず私たちが「大輪の花」を「たいりんのはな」としか読まないのは,それが習慣だからである.(「だいりんのはな」との読みを挙げている小型国語辞典がないわけではないが)

 では夏井先生が,花火を表現した「大輪」を敢えて「だいりん」と読んだのはなぜだろうかと考えてみた.
 そうしたら,夏の夜空に打ち上げられて大きなどーんという音と共に開いた雄々しい菊花火や牡丹花火は,「だいりん」と呼ぶのが相応しいかもしれないなあと思えてきた.
 ミッツ・マングローブの一句,夏井先生による添削は

轟きの大輪 焼けて 夏が散る

であった.
 とどろきのだいりん やけて なつがちる.
 すなわち「轟き」という大きく強いニュアンスの語から続く場合の読みは「だいりん」がよろしかろうというのが,夏井先生の感性と思われたのである.

 しかし,菊や牡丹の花火の星が轟き開いて数秒後に,ちりちりと焼ける音と共にはかなく火球が消えていく情景こそが,ミッツ・マングローブが「夏が散る」とした句意と思われ,それ故に私は,ここは花火をやはり生花にたとえて「たいりんのとどろき」と言いたい気もするのである.
 「大輪」をどう読むかということ.娯楽番組とはいえ,なかなか面白いことであるなあと思ったことだった.

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2016年7月22日 (金)

暴力的にヘタな歌

 先程,何気なくラジオを聴いていたら,番組のゲストが越野アンナという名前の「歌手」だという触れ込みで,突然生で歌を歌い始めた.
 それがあまりにもヘタクソで,もうほとんどオンチの小学生 (声を精一杯張り上げるが歌になっていないという意味) のようだったので驚き呆れ,なんだなんだと放送に耳を傾けたら,anderlust とかいう二人組の「いつかの自分」という「歌」だった.

 よくこんな暴力的なまでにヘタな「歌」を公共の電波を使って放送するものだと思ったのだが,番組司会の女子アナは「かっこいい!」と褒めちぎった.
 つまりこの局アナもオンチのようだった.

 怒りにブチ切れてネットを検索したら,これだった.
 ところがこのデモ音源は,どういう修正を施したのか,ラジオで放送された生の歌唱と全く違うので,またまた驚いた.修正版は,そこら辺の道端で歌っているストリート系と同じくらいのレベルになっている.驚くべき編集技術!
 この番組で越野アンナ自身が「生で歌うのは緊張しました」と言った.生で歌って音程が外れるようなやつは他人に歌を聴かせないでくれ.

 ユーミンや中島みゆきさんたちは天才的なソングライターであるが,歌唱はいわゆるヘタウマである .漫画でいえば西原理恵子である.
 しかしこの「いつかの自分」の anderlust とやらはヘタヘタである.漫画でいえば蛭子能収だ.
 しかるにアマゾンに書かれているCDの商品説明は,越野アンナの「歌」を,

内容紹介
芯がありそれでいて清涼な歌声は聴く者の心をとらえて離さない。

だとさ.
 この濁った声のどこが《清涼な歌声》だというのだ.
 久々にゆったりとバーボンのグラスを傾けていた夕刻の満ち足りた時間が台無しにされた.うー許さぬ.

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2016年7月21日 (木)

差し水

 昨日放送のテレビ東京『ソレダメ! ~あなたの常識は非常識!?~』を観た.
 この番組は,この種の雑学情報番組の中では程度が低いのだが,レギュラー出演者 (オードリーの二人,小籔千豊) のコメントが面白いのでよく観ている.

 さて昨日の「新常識」(?) に「素麺の差し水」の話が出た.
 素麺を茹でるときに差し水はしないのが良いという内容である.
 それを聞いた司会の高橋真麻さんらが「えーっ 差し水しないのー?」と驚いていたが,素麺を茹でるときに差し水するなんて一体いつの時代の話なんだよと,逆に私は驚いてしまった.

 年寄りには,といっても多少の料理の心得がある者には,の場合であるが,素麺に差し水はしないのが常識である.「新常識」でも何でもない.
 高橋真麻さんは御結婚の予定がおありになるようだが,大丈夫か.

 調理に用いる加熱機器が,古くはかまどに鍋を置いて薪で炊いた時代,あるいはぐんと下って七輪に炭とか練炭を熾した時代,あるいは戦後の一時期に使われた石油コンロであった時代,昭和の後半まで使用されていたガスコンロ (ガス量の調節を,器具とガス管との接続部分に取り付けられているやや堅めのコックを左右に開閉して行う超レトロなものや,卓上ガスコンロのようにダイヤルを回転させて行うレトロなもの) の時代には,火加減の調節が瞬時に適切にできなかった.
 煮物をコトコト煮くなんてときは,これらの熱源でよろしいのであるが,素麺を茹でるのは短い時間であるから,とても間に合わない.
 それで重宝した大昔からの生活の知恵が差し水だった.
 具体的には,沸いた湯に素麺を投入し,一旦は沸騰が止むが,すぐに再沸騰する.ここで鍋の湯が吹きこぼれそうになったら,少量の水を,沸騰が止まない程度に加える.
 加える水の量は,鍋の大きさ (湯の量) と相談で,入れ過ぎてはいけない.
 慣れていれば,一度か,あるいは多くて二度の差し水で,素麺が茹で上がる.
 ここで大切なことは,鍋に多量の水を投入して,沸騰を完全に止めてしまってはいけないことである.
 差し水を別名「びっくり水」と呼ぶが,これは,沸騰が一瞬止まってすぐにまた沸くのを人がびっくり驚いた様子にたとえたものであり,言い得て妙である.
 なぜなら水を投入してから十秒も二十秒も再沸騰しないのは,「びっくり」ではなく「沈静」だからである.www

 ともあれ,現代の家庭用調理熱源として最も一般的なガステーブルは,火力の調節を,調節レバーを左右に動かして行う.(一例をあげる)
 これであると,大変微妙かつ安定した火加減が瞬時に可能である.このガス器具が普及して,素麺の差し水は意味を失ったのであった.
 このような普及型ガステーブルでの火力調節には,小手先の器用さとか特別なことは何もいらない.普通に生活するのに必要な頭があればよい.
 自分ちのガステーブルと鍋やフライパンで,麺類を茹でるとき,煮物を拵えるとき,卵を焼くとき,それぞれどのようにレバーを動かして火力調節するかは実に簡単至極であり,そして誰でもできることだ.差し水なんかせずに素麺は茹でられるのである.(ただし野外での調理は除く.キャンプ場で素麺を食いたいやつがいればの話だが)

 番組では,三輪そうめん山本 (奈良県桜井市箸中) の山本太治社長が画面に登場して,差し水せずに茹でたほうがおいしく茹でられると断言して,こういう愚かな人の書いた《【素麺の茹で方】差し水のあるなしで味が変わるのかを検証してみた》に引導を渡してくれたのはよかった.

 で,ここまでが長い前フリ.
 三輪そうめん山本の社長の顔を見て,私は自分が昔書いた記事を思い出した.
 以下に再掲載する.

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2002年7月30日
三輪素麺

  この7月にいわゆるJAS法が改正された.骨子を抜粋すると,次のようなことである.  

農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律
の一部を改正する法律について
                      平成14年6月 農林水産省
Ⅰ 趣旨
 農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(以下
 「JAS法」という)については、最近の食品の偽装表示の
 多発を踏まえ、消費者への情報提供及び実効性確保の観点か
 ら、公表の弾力化及び罰則の強化の措置を講じることとする。
Ⅱ 概要
1 公表の弾力化
 消費者への迅速な情報提供を図る観点から、必要なときに公
 表することを可能とするようにする。(現行の「指示に従わ
 ない」場合の公表の規定を削除)
 ※現在のJAS法では、指示以前の時点では、相手方の同意
 がない限り公表できない。
2 罰則の強化
 指示を遵守すべき旨の命令に違反した場合の罰則を、次の
 とおり大幅に強化する。
  ①懲役なし→1年
  ②罰金個人50万円→100万円
     法人50万円→1億円

 この全文は農水省のサイトで閲覧できる.一連の食品表示の偽装事件によって失われた消費者の信頼を取り戻すべくとられた措置である.内閣府が今年の5~6月,全国の国民生活モニター2300人に実施し,29日に発表した意識調査(回答率97.8%)の結果によると,偽装事件の頻発で「食品に対する購買行動が変わった」と回答した消費者が76.8%に達している.

 『談話室』でも少し触れたが,読売新聞《Yomiuri Online 7/24 19:19》が『三輪そうめん』の偽装表示事件を伝えた.
 農水省は24日,デパートやスーパーなどで三輪素麺の販売を全国展開している奈良県桜井市の製麺業3社に対し,長崎県などで製造された素麺を『三輪そうめん』と表示する販売を20年以上にわたり常態化させてきたとして改善を指示し,同時に業者名を公表した.
 公表されたのは大手の「池利」「三輪そうめん山本」「森井食品」の3社であるが,この他にも表示を偽っていた業者があり,読売の続報によると全部で14社が昨年,奈良県三輪素麺工業協同組合(117業者)から自主脱退したり,除名処分を受けたりしたという.上の骨子にある「消費者への迅速な情報提供を図る観点から、必要なときに公表することを可能とするようにする」というのは,公表しない限り事態が改善されないと判断される相手の時には公表するということである.実際には,悪質な3社以外の業者名は公表されていないが,これは上記の改正JAS(日本農林規格)法の初適用であり,これまでとは違うぞという農水省の意気が感じられた事件である.

 ところが,である.驚天動地の事態が起きている.奈良県農政課は残る製麺業者の調査を始めたが,他の中小業者に同様の違反が見つかっても「改善が第1の目的。それが達成できれば、改正JAS法の適用や業者名の公表は必要ない。県には行政の裁量権がある」《Yomiuri Online 7/29 14:56 》として公表しないことを決めたのである.農水省品質課は奈良県に足並みをそろえるよう求めたが,県は拒否したという.県の農林部長である増井勲・奈良県副知事は「家内工業のような零細な業者もおり、改正JAS法をすぐに適用すると影響が大きい。適用前の啓発が大切ではないか」《Yomiuri Online 7/29 14:56》と説明した.
 高飛車に「適用前の啓発が大切ではないか」とは聞いてあきれる.啓発してこなかったからこそこうなったのではないのか.恥も外聞もなく奈良県が農水省に抵抗する理由は何か.偽装表示は他の業者も常態として行っていると告白したも同然である.これでデパート等の進物売場から三輪素麺は姿を消すことになるだろう.奈良県は業界保護のつもりだろうが,県内の伝統ある素麺製造業を結果的につぶすことになる.農水省もここで引いては困る.断固として他の業者についての調査結果を公表し,もし中小業者で偽装表示に手を染めていない社があるなら,県に楯突いて潔白宣言をするがよい.
 悪質業者を市場から退場させ,自社のシェアを拡大する千載一遇の大チャンスだ.会社の規模が小さくて生産量が少ないなら,希少という付加価値がつく.私が経営者ならそうする.
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 上の文で私は《これでデパート等の進物売場から三輪素麺は姿を消すことになるだろう》と書いたが,これは消費者の正義感を買い被っていたのであった.
 なんのことはない,三輪そうめん山本他の三輪素麺大手は,この産地偽装事件発覚後もずっと中元商品定番の地位を確保したままであったのだ.
 まあ,消費者なんてほんとは品質の良し悪しとか産地偽装なんかどうでもいいのである.贈答品として欲しいのは「三輪」というブランド産地名なのだ.中身が長崎島原産の素麺を「島原」と正直に産地表示されたら,困るのは消費者なのだ.
 しかしそうであっても,そうであるならばせめて私は,悪徳業者三輪そうめん山本の素麺は今後一切購入すまいと決めた.
 しかしそうはいっても,親しいかたから夏の季節に頂戴したものを正義感で捨ててしまうのは人として如何なものかと思い,来るものは拒まずおいしく頂いております.こらこら.

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2016年7月19日 (火)

ラソチョソミート

 スーパーで買ってきたランチョンミート (缶詰) のラベルを下に引用する.

20160719a

 これは韓国産で,ラベル画像の権利は誰が持っているか不明 (製造者不明) なので明記できないが,おそらく輸入者である株式会社J.F.C (東京都墨田区両国4-32-13) という会社だと思われる.

 この日本向け製品のラベルは,J.F.C社が原稿を書いて韓国で作成されたものと思われるが,韓国人デザイナーが「ン」と「ソ」を間違ったのだろう.輸入食品には,たまにこういうラベルがある.

 左下の「[ランチョンミートおむすび(調理例)]」は間違っていないが,これはコピペだからでしょう.
 微笑ましいのでスキャンしてみた.

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2016年7月17日 (日)

性愛作家渡辺淳一

 一昨日の記事に《下司作家が日経に連載した『失楽園』も仕事のように読んだ》と書いた.もちろん《下司作家》とは渡辺淳一のことだ.

 文章を書く,物語を紡ぐ,そういった分野の才能に恵まれた人というのはすごいもので,新人賞をとったばかりの人の新刊でも,最初のほんの少しを読んだだけで「お,これは“買い”だ」と思わせることが多い.宮部みゆきさんなんかがそうだった.

 その逆に,週刊誌連載小説やエッセイ,コラムの第一回を読んだだけで「だめだこりゃ」と思わされることがある.
 何がだめかというと,人品の卑しさが文章の行間からにおってくるようなやつだ.
 お前の頭の中には,そんなことしか詰まってないのか,と言いたくなるようなやつで,渡辺淳一とか林真理子がこれだ.

 一昨日の記事をアップしてからベッドに寝ころび,読みかけの佐野洋子『がんばりません』(新潮文庫) を開いたら,まるでシンクロニシティのように,次のようにあった.

この間『ひとひらの雪』って小説読んで腹よじって笑ってしまった。主人公の男が女を初めて車で夜送る時「つまらない車ですが」と云うのである。彼は国産車を恥じたのである。なんだあの男は。
 あれだけであの小説はユーモア小説である。

 言うまでもなく《なんだあの男は》は,小説の主人公と同時に作家渡辺淳一のことを腹よじって笑ったのである.
 直木賞受賞作家にして,直木賞,吉川英治文学賞,中央公論文芸賞等々の選考委員に名を連ねた渡辺淳一を「あの男」呼ばわりした人は他にいるだろうか.さすがは佐野洋子と感服するしかない.だめなものはだめと,世評に迎合せぬ根性の座っている点で,村上春樹の作品を駄作と批評して憚らない中村うさぎと双璧である.

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2016年7月15日 (金)

君にいいわけしたね (二)

 前々回の記事に書いたように,団塊世代のほとんどは,長髪ではなかったし,就職に際して髪を短くしたわけではなかった.
 この世代の「変わり身」は,そんな外見のことではなかったのだ.

 私が大学に入った昭和四十三年.この年は都内の多くの大学で自治会や全学共闘会議によるストライキやキャンパス封鎖が行われた.典型的なのは日大と東大の民主化闘争であったが,他の大学においても運動は高揚し,そしてそれら大学の学生運動を覆うように,三里塚闘争やベトナム反戦運動があった.
 あの頃,デモがあれば数千人の学生が御茶ノ水の学生街や新宿にあふれたものだ.今の若い諸君には一笑に付されるかも知れないが,1968年6月21日,駿河台の中央大学や明治大学の辺りに学生数千人が集まってバリケードを作り,これをフランスの五月革命になぞらえて,その一帯を神田カルチェ・ラタンと呼んだりしたのである.
 私を含め,あの時代の東京の騒然とした状況に身を置いた青年たちは,ここで何か歴史的なことが起きているのではないかと思った.
 しかしそれはただの錯覚に過ぎなかった.
 潮目が変わるというのか,飽きるというのか.ともかく翌年には,昭和四十三年の学生運動の盛り上がりなどなかったことのように,各大学のストライキは終結し封鎖は解除され,多くの学生たちは日常生活に戻っていった.

 今思えば,団塊の世代に少し遅れてやってきた荒井由美が歌詞に《就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君に言い訳した》と書いたのは,団塊世代の変節を揶揄したのではなく,むしろ美化したのだった.
 本当は,時々学生集会に出かける程度の一般学生たちの多くは,日常に回帰するときに「もう若くはないのだから」と自分に言い訳しなければいけないほどの傷つきかたすらしなかったのだ.

 学内に以前と同じような毎日が戻ってきたとき,全学共闘会議のノンセクト活動家たちは吊るし上げられた.
 誰に.
 大学当局や先生たちに,ではない.民青同盟員でもない.
 時々は集会に来て一緒に反戦のシュプレヒコールをしていたはずの一般学生たちに,「おまえはー,封鎖解除に反対だったんだろー,そういうやつは授業に出んじゃないよ」と,大学を追われたのだった.

 私自身はどうかというと,自治会の代議員程度のことはしていたが活動家というほどアクティブではなかったのでそんな目には遭わずに済んだが,大学を去って行った活動家諸君のことを思うと今も悲しい.
 後に聞いたところでは,中退した活動家の幾人かは別の大学に入り直して,学生運動歴のロンダリングをしたという.

 大学の民主化もベトナム反戦も,褪せたTシャツのようにして脱ぎ捨てた学生たちは,会社に入り,毎朝駅のキヨスクで日経新聞を買って電車の中で読み終わり,上司に「今朝の日経のあの記事についてどう思うか」と言われたときに備えた.
 「日経を読むのは仕事」という日経のCMがあったくらいで,下司作家が日経に連載した『失楽園』も仕事のように読んだ.
 今のようにネットで色々なメディアの記事が読めたわけではないから,みんな新聞は日経しか読まなくなった.そして戦争のことも平和のことも関心を失っていった.
 そのかわりに皆が皆,揃って司馬遼太郎を読んだ.司馬史観とやらが,会社では一番安全な思想だったからだ.これは司馬遼太郎を貶めて言うのではない.アフターファイブなどでは,今現在のことではなく幕末,明治のことを論じるのが会社員にとって保身上の安全策だったという意味だ.

 荒井由美の歌詞で青年が《就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君に言い訳した》のは,心に傷を負ったからだ.
 しかし「この世代の多数派の特徴はおよそこんなところではなかろうかと言うにやぶさかではない」程度のことを言っていいなら,団塊世代の多数派はもっと軽く何の悪気もなく変節していったのだった.

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2016年7月14日 (木)

メイ英国新首相

 今朝の六時台のNHKニュースを観ていたら,英メイ首相の就任演説の様子が報道された.
 英国メディアが「氷の女王」と呼んでいるらしいメイ首相のパートナーは,気の弱い会社員の役をやらせたらピタリという感じの俳優風の男性 (もちろん実際は正反対であるに違いないだろう) で,その夫を伴ってダウニング街10番地の首相官邸前に登場したメイ首相は実に堂々たる女性政治家の雰囲気を漂わせていた.

 そのNHKニュースは,彼女の就任演説を《イギリスを特権階級だけでなく、すべての人が恩恵を受けられる国にする》とのテロップ付きで報道した.
 これは,英国が階級社会であることは周知のこととはいえ,いささか正直にすぎるのではないかと私には感じられた.

 同演説について朝日新聞は《演説では、英社会の不公正の是正を公約。「一部の特権階級ではなく、あなたたちのための政府を率いる」と宣言。》と書いている.
 このように,上に引用したNHKニュースと朝日新聞とでは,少しニュアンスが異なっている.前者では「上から目線」であるが,後者では下層階級寄りのように感じられる.
 実際の演説はどうだったのだろう.
 “メイ英首相 就任演説英語全文”でグーグルを検索したら,オバマ大統領と蔡英文総統のことばかりヒットした.
 そこでさらに“メイ英首相 就任演説英語全文 -オバマ -蔡英文”でグーグル検索したが,メイ英首相の演説全文は得られなかった.(今日の午前中の段階)

 ということは,今朝の六時台のNHKニュースが放送された時点では,メイ英首相の演説英文は日本語サイトにはなかったと思われる.
 これ以上は欧米のニュースサイトを調べることになるが,私がそれでメイ英首相の施政方針を正確に知ったところであまり意味はないので,まあいいやと思ってやめにした.

 余談だが,この時間帯のNHKニュースで男性アナウンサーが読んだ原稿の中に「まぎゃく」という文言があった.
 NHKニュースは正しい日本語を用いるはずではなかったのか.この馬鹿アナめが.

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2016年7月13日 (水)

君にいいわけしたね (一)

 一昨日の記事に

少し前に元の会社の同僚たち数人と沖縄旅行をした.
 全員が何度か沖縄旅行の経験があるにもかかわらず,これまでに摩文仁の平和の礎や,ひめゆりの塔などの沖縄戦跡を訪問したことがあるのは,驚くべきことに私ただ一人であった.もちろん沖縄戦に関する知識を彼らは持ち合わせていなかった.
 旅行中,移動中でも宿でも,彼らの話題は株価の上がり下がりだけであった.いくら儲かった,いくら損したということだけが彼らの「老後」なのであるらしかった.
 おそらく団塊の世代の人間で,戦争と平和について自分の信念を持っているのは,二,三割ほどの少数派だ.これは私が今まで生きてきた人生で得た実感である.
 人として国としての理想のことではなく,金のことしか念頭にない老人どもが「アベノミクス」とやらと引き換えに,平和憲法を捨ててしまうのは当然の成り行きであったかも知れぬ.呆然として声もない.

と書いた.
 そう書いて我ながら情けなく思うが,本当に団塊の世代の人間は若い人たちからの評判が悪い.

 「若い人たち」といっても,今の二十代の若者たちはもちろんだが,三十代の人たちもひょっとすると,団塊の世代とは職業生活でも日常生活でも団塊の世代にあまり接触したことがないと思われ,だから彼らは団塊の世代以上を十把一絡げに「年寄り」と思っているだろう.
 その一方で,私見だが,現在の四十代や五十代の働き盛りの皆さんは,団塊の世代が会社の上司だったりしたおかげで,嫌な思いをしたのではないか.

 世代論というのはかなり大ざっぱな議論である.同じ世代の人間でも個々の人物性格は千差万別なのであるから「この世代はこうだ」というレッテル貼りは乱暴である.
 しかしその乱暴を承知の上で,「この世代の多数派の特徴はおよそこんなところではなかろうかと言うにやぶさかではない」程度のことは言えるように思う.
 その言い方でいうと,団塊の世代の多数派の特徴はその「変わり身」である.

 かつて荒井由美が歌詞に書いたように,私たちは就職が決まると長くしていた髪を切り,もう若くはないさと恋人に言い訳をした,と思われている.
 しかし実は,当時の学生たちの中でも長髪はごく少数派であり,大部分はきちんと髪を短く清潔にしていたのが実際のところである.私の友人や同級生の範囲で,長髪は私一人であった.

20160714a
三十代前半のブログ筆者 (右;米国で行われた学会に出張した折に会場の庭で)
首の後ろを覆うくらいの長髪であった.あの頃,金はないが髪は豊かであった.
それから三十余年の今,金がないのは同じだが頭髪も貧しくなった.


 私自身は無精なこともあって髪を伸ばしていたのだが,髪を切ることなく就職試験を受けて会社に入り,やがて頭髪の本数が激減して長髪を維持できなくなった四十歳くらいまで (落武者のようになったので仕方なく) そのままのヘアスタイルであった.
 昭和中頃の当時は,著名な学者文化人,芸術家などに長髪の人々が多く,その影響だと思うが,会社の人事部も今ほどには学生の外見にあれこれ注文を付けなかったのであった.だから就職試験に際して髪を切らなければいけないなんて私は思いもしなかった.
(続く)

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2016年7月11日 (月)

戦争できる国への一歩

 戦後の保守政治家でタカ派と呼ばれた人は多いが,好戦的な人間が政権を担ったことはなかった.
 あの大勲位でも,タカ派的言動は一種のポーズであり,心底には平和志向があったと私は理解している.
 また言うまでもなく,保守党にも根っからの平和主義者はタカ派と同じくらいいた.タカ派もハト派も,彼らの願うところが国民生活の安定と向上であったのは,その世代が戦争体験を有していたことによると思われる.
 彼らは自らの体験に基づいて,二度と戦争指揮をとらずに済むように戦後日本を運営してきたのであった.

 ところが,戦争体験がなく,しかも戦争に関する想像力を持たず,好戦的な性向を有する総理大臣が登場して,遂に国民の信任を得たのが昨日の参院選であった.

 安倍晋三は,この参院選では改憲について口をつぐんできた.
 安倍の周辺で利益供与にあずかろうとする宣伝塔の評論家どもが,「安倍さんは今は改憲を考えていない」「今は改憲をできる状況にない」とマスコミで安倍の改憲意欲を隠蔽する発言を垂れ流した.
 そして今回の選挙が改憲勢力の勝利に終わったとたん,安倍は改憲への意欲を口にした.卑劣な男である.

 しかし,私たちが平和憲法を失う過程の第一歩である今回の事態に,一体誰が責任を持たねばならぬかといえば,それは安倍に勝利をプレゼントした国民たちである.
 翻ってみれば,本当に日本人というのは好戦的な国民であった.明治以来,戦争ばかりやってきた.
 ある時は,政府が戦争回避に動いているときに,国民と「社会の木鐸」である新聞社が政府を叱咤して戦争の旗を振ったことすらあった.
 戦争好きな国民が好戦的政府を支持するのは理の当然かも知れぬ.

 さらに言うなら,改憲にゴーサインを出した国民の中でも,私の同世代の者たちを含む高齢者層が非難されるべきである.
 若い世代の人たちのことはよくわからないが,「戦争を知らない子供たち」として生まれたいわゆる団塊の世代が平和主義かというと,実はそんなことはないのだ.
 少し前に元の会社の同僚たち数人と沖縄旅行をした.
 全員が何度か沖縄旅行の経験があるにもかかわらず,これまでに摩文仁の平和の礎や,ひめゆりの塔などの沖縄戦跡を訪問したことがあるのは,驚くべきことに私ただ一人であった.もちろん沖縄戦に関する知識を彼らは持ち合わせていなかった.
 旅行中,移動中でも宿でも,彼らの話題は株価の上がり下がりだけであった.いくら儲かった,いくら損したということだけが彼らの「老後」なのであるらしかった.
 おそらく団塊の世代の人間で,戦争と平和について自分の信念を持っているのは,二,三割ほどの少数派だ.これは私が今まで生きてきた人生で得た実感である.
 人として国としての理想のことではなく,金のことしか念頭にない老人どもが「アベノミクス」とやらと引き換えに,平和憲法を捨ててしまうのは当然の成り行きであったかも知れぬ.呆然として声もない.

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2016年7月10日 (日)

ソウルフード (九)

豆助、今日は今が旬のあれを使った小鉢よ 》 という決め台詞 (テレビ東京系『和風総本家』) があって,「」はその料理や食材に感じられる季節感の謂である.
 「旬」は一般には Wikipediaの解説の通り,《季節を先取りするはしりと呼ばれるもの》《収穫量がピークに当たる時期》《素材がもっとも美味しい時期》としてよく,それはつまりその食材が内包する季節感である.
 しかし一年中作り,また味わうことのできる食べ物なのに季節感がある,ということは確かにあって,その季節感は魚介や野菜などが元々持っているものではなく,私たちの生活文化の中で醸成されてきたものだ.
 前回の記事に書いた粽の季節感は,そういうものである.

 少し前に,私は新潟市にある森林 (もりばやし) 農園という業者から粽と笹団子を取り寄せた.その梱包には手書きした紙のコピーが入れてあり,その一部を下に引用する.

私共の所では、田植が終る五月下旬より六月にかけてどこの農家でも、家族全員で笹だんご・ちまきづくりが行なわれます。子供達は、その笹団子の束を肩にかけて遊びに行きます。田んぼのあぜ道で、クローバーの緑のじゅうたんに寝ころび、笹だんごをほうばると、ほのかな若草の香りと笹だんごの味がなんとも言えない幸福感を感じさせました。

20160710a

 上に書かれているように越後の笹団子は,粽と同じ季節感の食べ物である.
 今の農家の子供たちも《笹団子の束を肩にかけて遊びに》行くかどうかは知らないけれど,田んぼのあぜ道で緑のじゅうたんに寝ころんだ農園主の思い出は,私にも思い出されるものだ.

 先月,私はこの農園主の拵えた粽と笹団子を通販で購入し,届いたその日にいくつか食い,あとは冷凍しておいて,時折小腹の空いた時に食べ,画像のものが最後である.

20160710b

 食品製造の技術は昔よりもずっと巧みになっていて,例えば笹団子には冷凍耐性を向上させる酵素製剤を加えれば長期の冷凍保存に耐えるようにすることができる.
 あるいは笹に離型油を塗れば,餅や団子が笹とくっついて離れないということもなくなる.
 ただ,それらは確かに品質の向上であるだろうし,実際にそのように製造している業者もあるけれど,しかしそのことで失われるものもある.
 笹の葉と中身の離型性をよくすれば,それは私たちがかつて親しんだ粽や笹団子ではなくなる.私たちの思い出から,遠ざかる.
 農園主が,笹にべたべたとくっつく粽を今も昔と同じように作り続けていることが,私はうれしい.
 私は群馬の生まれ育ちではあるけれど,隣国越後の粽と笹団子が私のソウルフードなのである.

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2016年7月 9日 (土)

ソウルフード (八)

 前回の記事に

上に初夏と書いたのは,六月頃に笹の葉が新しくなるからである.これを採ってきて笹団子と粽を拵えるのが,越後の農家の慣わしなのであった.

と書いた.
 その粽 (ちまき) は,Wikipedia【ちまき】

もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササ(中国語: 粽葉; ピン音: zòngye)などの葉で包み、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したり茹でて加熱し、葉を剥いて食べる。もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった。

と書かれているように,遠い昔から親しまれてきた庶民的な食べ物である.
 ただし,そこら辺の和菓子屋で売られている粽,代表的なものは京都の道喜粽と呼ばれるものであるが,これは本来の粽とは異なる和菓子であり,私がここでいう伝統食の粽とは異なるものである.

 粽は,歴史的には,保存性を高めるために拵える際に灰汁を用いた (Wikipedia収載の画像) ものだが,風味に独特のものがあるため,現在では灰汁を使わないほうが一般的であると思われる.私が子供の頃,新潟に住む親戚から送られてきた粽 (ちまき) も灰汁は使わないで作ったものだった.(Wikipedia収載の画像;キャプションに新潟の粽とは書かれていないが,画像を見た限りでは新潟の粽である)

 現在の日本で古式の粽が伝統料理として残っている地方がいくつあるか私は知らないので断定はしないが,たぶん日本の粽はすべて,中国料理店で供される中国粽 (中身は「中華おこわ」だ.料理好きな人は自分で作るだろう〈典型的レシピ〉) とは異なり,笹で巻いた中身の餅は味付けをしない.
 ではどうやって食べるかというと,砂糖を少し混ぜて仄かに甘くした黄な粉をふりかけて食べる.黄な粉は粽にどっさりとかけた方が香ばしくおいしく,それがために砂糖は極力控えめにするのがよろしい.
 現在の私たちの食生活では,正月に食べる黄な粉餅を別とすれば,黄な粉を口にすることはあまり多くない.それだけに,黄な粉には懐かしい昔ながらの鄙びた御馳走感がある.ことさらに白玉団子を自分で作るには及ばない.和菓子屋で買ってきた変哲もない草餅でも黄な粉をかけて食うと一味違うことで,私たちはそのことを思い出す.
 黄な粉には,それだけで元は大豆だとは思えぬ滋味がある.それを郷愁とよんでもいい.しかるに,どこの和菓子だと言わぬが,黄な粉には決して馴染まぬ黒蜜という余分なものを付け加えて,ままごとの如き風呂敷を模したビニールで包んだ桔梗信 (以下略).
(続く)

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2016年7月 7日 (木)

ソウルフード (七)

 前回の記事で,越後の郷土料理 (菓子なども含めた広い意味で) である笹寿司と笹飴を紹介した.
 その越後は中蒲原郡の農家に生まれた私の父親は,若くして家を出て海軍に入った.
 戦前の日本の農家では,耕作地も家屋も資産も何もかも,すべて長男が独占相続した.
 従って次男三男以下の男たちは,生家で使用人として飼い殺しになるのを肯んじなければ,家を出て自活の途を探るしかなかった.
 農家相続に農業経営の才能なんぞは無関係で,次男三男はどんなに優秀でも長兄に代わって実家を相続することは許されなかった.
 理不尽だが,これは天皇制の縮図なのであった.長兄がどれほど無能であっても,継承順位は逆転できないのである.
 私の父親の場合は,生きるために,丁稚小僧でも大工でもなく海軍の水兵になったのである.
 そして《米を量る 》に書いたように,父は戦争末期には結核で海軍病院に入院していたが,終戦後に退院し,いきさつは知らないがとにかく刑務所看守の職を得て,群馬県に住むことになった.
 ちなみに最後の階級は兵曹長だったと自称していたが,正確な階級名はよくわからない.残っていた写真の服装から,成績優秀であったらしく准士官に昇っていたことは確かだと思われた.
(Wikipedia【准士官】には《1920年(大正9年)4月1日以降:1897年9月16日以降の海軍上等兵曹等の官名を改め、海軍兵曹長又は海軍(機関・軍楽・船匠・看護・主計)兵曹長とする。
海軍廃止時には海軍兵曹長のほか、海軍(飛行・整備・機関・工作・軍楽・衛生・主計・技術・法務)兵曹長が置かれていた。
》とある)

 そんな事情であったので,兄弟一番に頭脳優秀であったが結局は最下級の公務員にしかなれなかった私の父は,自然に実家の裕福な長兄とは疎遠になった.私が知る限り,父が郷里の中蒲原郡に出かけたのは,親の葬式があったときにまだ就学前の小さかった私を伴って帰省したときだけである.
 ただ,生家とは縁が切れた父には姉が一人いて,この伯母が初夏に時折,父宛にミカン箱ほどの荷物を送って寄こした.
 なかに入っていたのは米と,笹飴が少しと,あとは笹団子と粽であった.
 笹団子はかさばるものなので箱に入っていた個数は大したことはなかったと思うが,それでも伯母のような農家 (嫁ぎ先も農家であった) に比べれば困窮家庭と言っていい我が家にとっては,大変な御馳走であった.
 甘いものは明治の板チョコひとかけらも,森永のキャラメルひと粒も,中学生になって初めて食べた私にとって,小学生のときに口にした笹飴と笹団子は,天上の美味といっていいほどのものであった.

 上に初夏と書いたのは,六月頃に笹の葉が新しくなるからである.これを採ってきて笹団子と粽を拵えるのが,越後の農家の慣わしなのであった.
(続く)

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2016年7月 5日 (火)

ソウルフード (六)

 Wikipedia【ソウルフード】に次のようにある.
1.アフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称。本項で詳述する。
 2.その地域に特有の料理。その地域で親しまれている郷土料理。

 ソウルフードの語義は,もちろん正しくは上に《アフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称》とある通りだが,これが転じて日本語化し,郷土料理一般の意に使われるようになったものである.

 前々回の《ソウルフード (四) 》に下のように書いた.

いわゆるB級グルメブームは,日経の特別編集委員であった野瀬泰申氏らが仕掛けたもので,何の観光資源もないと思われていた地方の町でも,他のところにはない「食べ物」があれば,それで町おこしができることを示したものであった.
「食べ物」を観光資源にするということは,例えばただの焼きそばに「○○焼きそば」(○○は地名) と名前を付けるところから始まる.
 その成功例 (参照;Wikipedia【B-1グランプリ】) は数多いが,ブームに便乗しただけの偽物もまた多い.

 つまり私たちが「郷土料理」と呼ぶべきものは,「食べ物の観光資源化」とはかなりの距離があるものだ.有名な「富士宮やきそば」でも,たかだか十数年の歴史しかないB級グルメであって,郷土料理の範疇に入らないものである.
 その観点からすれば,Wikipedia【農山漁村の郷土料理百選】に記載されている郷土料理は,一部に首を傾げたくなるものが入っているが,概ね皆に納得されるものではなかろうか.

 私の郷里の群馬県のように郷土料理と呼ぶべきものがない地方 (先に述べたように,群馬には煮込みうどんの「おっきりこみ」があるが,これはいずれ観光料理として元々の姿を失っていくだろうし,同じく煮込みうどんとして食べられてきた桐生の「ひもかわ」は既に別物に変わり果ててしまった) もあれば,その反対に,郷土料理が多いために百選から漏れてしまったもののある地方も多い.

 その一つが新潟である.越後は私の両親の生まれ育った土地だ.
 その越後の人々は,笹の葉を食生活に取り入れることがうまかった.
 代表例が郷土料理百選に入っている「笹寿司」である.これは実に素朴な食べ物であって,昔ながらの形のものが今でも北信越地方の家庭で作られている.拵え方は簡単で,特に大仰な準備はいらない.飯を炊いて酢飯を作れば,あとは山菜を煮たものとか佃煮,紅しょうがなどの常備菜を,酢飯と一緒に笹の葉の上に盛ればできあがりだ.
 (ただし北陸にも「笹寿司」という料理があるが,こちらは押し寿司で,越後信濃の家庭料理よりも御馳走感のあるもので,通販でも販売されている)

 もう一つ,有名な越後の「笹飴」は,笹寿司よりも由緒起源がはっきりしていて,寛永二年 (1625年) に越後高田 (現在の新潟県上越市) の人,初代高橋孫左衛門が製法を考案した「粟飴」を笹の葉にはさんだ飴菓子である.
 越後の笹飴が広く知られたのは,漱石の『坊ちゃん』に,清の好物として描かれたことによる.

それを思うと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊い。今まではあんなに世話になってべつだんありがたいとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、はじめてあの親切がわかる。越後の笹飴が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値はじゅうぶんある。

 などと数ヶ所にあり,また実際に漱石は新潟県人である知人の医師から毎年笹飴を送ってもらっていたことが知られている.
(続く)

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2016年7月 3日 (日)

虹の橋

 昨日は所用で一日中外出していた.
 昼間,先月放送されたが見逃していた「プレバト!!」(6月9日放送分) の再放送があったので,録画しておいて今朝見てみた.

 この番組で一番放送回数が多いのは俳人夏井いつき先生が登場して芸能人の句を採点する「俳句の才能ランキング」だ.

 この日の御題は,東京駅の上空に架かった虹の写真であったが,ランキング三位で凡人査定されたのは西郷輝彦の次の句.

 父母兄も渡ってゆきし虹の橋

 この句に夏井先生は《虹は橋の形をしているのだから,それをさらに「虹の橋」とするのはくどい表現だ》とし,さらに「も」は,他の誰か「も」という意味になるからこのような使い方は不適当であるとして,次のように添削した.

 虹わたりゆきし父母 そして兄

 俳句としては,添削後の句のほうがいいのは納得できる.
 ただし,《虹は橋の形をしているのだから,それをさらに「虹の橋」とするのはくどい表現だ》という論評はいかがなものか.
 これは常識とまではいえないことだが,「虹の橋」は「虹」を橋に見立てた言葉ではない.「虹の橋」は成句なのだ.西郷輝彦が作句に際して考えだした表現ではない.

「虹の橋」は,《亡くなったペットの魂が、虹の橋のたもとにある一面に緑の草原が広がる楽園に行き、そこで元の飼い主を待っている》 (Wikipedia【虹の橋】) という意味であるが,西郷輝彦の句はそれからの連想で,自分が愛した両親と兄の魂「も」虹の橋を渡り,その橋の袂で,老境に達した私 (西郷輝彦) を待ってくれている,との思いを込めたものと思われる.
 しかるに「虹の橋」を単に「虹」としたのでは,西郷がまだ若い頃に世を去った両親と兄への愛情と追憶がばっさりと切り捨てられてしまっている.
 夏井先生は,西郷が句に込めた思いを大事に残して添削することはできなかったのであろうか.残念である.
 もしかすると夏井先生は「虹の橋」の詩を御存知ないのかも知れないと思ったことである.

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2016年7月 1日 (金)

ソウルフード (五)

 信濃の国は古くから蕎麦が旨い土地として全国に知られて来た.
 私の知人で,大学に受かって東京に出てきて,初めてうどんを食べたという男がいる.それくらい圧倒的に,長野県人はうどんよりも蕎麦を好むのであるらしい.
 一方,信濃の隣国である上州は,県の北部は蕎麦の産地であるから,県央県南の地域でも蕎麦も食わないことはないが,日常食べるのはうどんの方が多い.うどんは,関東地方全体の食文化の一つであるとしていいだろう.
 ところで群馬県の前橋市から桐生市にかけての一帯では,全国的には珍しいといっていい,平打ちのうどんを昔から食べてきた.これがいつ頃からあるものかは定かでないが,そのうどんを「ひもかわ」という.
 Wikipedia【ひもかわ】から下に引用する.

ひもかわまたはひもかわうどんとは、幅が広く薄い日本の麺、ならびにその麺であり、群馬県桐生地域の郷土料理である。一般的なうどんとは形が異なり平たい形状ために平打ちうどん (ひらうちうどん) とも呼ばれる。麺の幅は5.0mmから15cmを超えるものまで様々なものが存在する。日本農林規格 (JAS) 上ではうどんの一種とされ、干麺に関しては後述のとおり、特別に「ひもかわ」と記述してもよいとされている。平たいうどんは日本に数か所存在し、各所で名称が異なるものが存在しており、代表的な例として愛知県の「きしめん」や岡山県の「しのうどん」などがある。

 この「ひもかわ」は,愛知の「きしめん」よりもう少し幅広で,かつ厚みが薄いのが特徴である.食べ方としては,元々は「おっきりこみ」に入れて煮込んで食べたものである.
 Wikipedia【ひもかわ】には《うどんと比較してコシは非常に弱い》と書かれているが,加水量と塩の加減で,「きしめん」のようにコシの弱いものにもできるし,コシを強くもできる.
 これが「ひもかわ」のざっとした説明である.見た目はこれを御覧頂きたい.

 さて,どこにも奇を衒う人はいるもので,この「ひもかわ」という郷土食が,現在はこんな妙なものに変えられてしまったのである.
 関東のうどんの歴史からすれば,創業わずか四十年とかいう新参の「ふる川」という桐生市にある店が,元来は幅が15mmくらいだった「ひもかわ」を,十倍ほど広い幅の麺帯にしてしまった上に,これも「ひもかわ」であると勝手に称して商うようにしたのである.
 またこの食べにくい妙な食い物を,もてはやす軽薄な者が群馬には多く,今では「ひもかわ」というと,この馬鹿みたいなものが有名になってしまったのである.

 県観光行政が「おっきりこみ」を売り出し,焼きまんじゅうを笹の葉に盛りつけて商売するやつが現れ,桐生あたりの愚劣な商魂の店が「ひもかわ」を全く別物に歪めてしまった.群馬県人としては県民性の愚かさを嘆くしかない.
(続く)

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