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2016年6月17日 (金)

白玉の

 私より少し若い草刈正雄さんがミスドの新製品発表会で「年取ると甘いものが好きになってきて困ってしまうんですよね」と嘆いたと,どこかに書いてあった.
 同感同感.

 私が二十代のときはほぼ毎日,仕事が終われば見るからに安っぽい赤提灯に直行し,真夜中まで酒を飲んでいた.毎月の給料は本代と酒代に消えて,工場勤務ということもあって見た目は着た切り雀という体たらくだった.
 それほどの酒飲みだったのだが,五十代になったら飲む回数も飲む量も明らかに下り坂で,還暦を過ぎたら晩酌もしない日が続き,気が付いたら二週間も飲酒していないことがある.これつまり,心の欲する所に従えども矩を踰えずという心境に達したのである.孔子よりも枯れるのが十年早いわけで,まことにめでたい.

 そうなると反作用で草刈正雄さんと同様に甘いものが好きになり,とうとう白玉と聞けば白玉団子を食いたくなる始末とは相なったのである.
 しかし若い時はそうではなかった.白玉と聞いて思うのは,次の若山牧水の短歌に決まっていた.

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

 おもしろいことにこの一首は,人により解釈が色々ある.
 問題は「白玉」だ.

 真珠を古くは白玉と呼んだことから,上の牧水の歌を

「白玉の歯」にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

として,「白玉の歯=真珠のような歯」にしみとおる……と解釈する人が,少数派であるが,いる.
 しかし誰でもすぐに思うだろうが,これがそんな気持ちの悪いナルシストの歌であるわけがない.
 ここで酒を飲んでいるのは牧水その人であり,牧水が自分の歯を「真珠のような」と形容するはずがないのである.これはもう日本人の美意識の問題であって,こんな解釈をする人はあっちに行きなさい.

 多数派はどうかというと,「白玉」は歯の形容ではなく,「白玉」が「歯にしみとほる」のだとする.
 では「白玉」は何かというと,酒のことだという.別に根拠や出典があるわけではなく,「しみとほる」のは液体だろうから酒に違いないという程度のことである.
 まあ,そのように意味をとれなくもない.
 とれなくもないが,仮にそうだとすると,この何とも言えぬ違和感をどうしよう.
 すなわち,「白玉の」を「酒が」に置き換えてみれば,その違和感の正体がわかる.

 酒が歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

 一つの文の中に「酒」が無意味に二度繰り返されている.これは短形詩としては致命的な冗長さである.ならば例えば

 白玉の歯にしみとほる秋の夜は 静かに飲むべかりけり

とすれば,歌の調べは滑らかではないが,無駄な語は切り落とされている.

 しかし牧水はそうしなかった.となると「白玉」は,牧水が一人静かに飲んでいる酒を指してはいるが,酒そのものではないと考えるしかない.それならば散文的な繰り返しではないからだ.

 ああしかし,うだうだと分析的な言いようは面倒くさいからやめよう.私は,「白玉」は盃なりコップなりに注いだ酒が反射するきらめきだと思うのだ.
 煌くのは当然,秋の夜の月光である.
 太陽の光は輝き照らす光だが,月光は透過する光だ.
 盃を口元に持っていくと,月に照らされた酒がきらきらと輝き,その光が歯をも透過するようだというのである.

 秋も深い夜のこと.雨戸も障子も開け放ち,濡れ縁に胡坐をかいて座る.
 右に置いた盆には,酒を満たした白い碗が置かれている.
 夏の盛りに生い茂り,今は枯れた叢には,竜胆やら名を知らぬ花が群れ咲いていて,それを満月に近い月光が煌々と照らしている.
 椀を口元に運ぶと,酒が月光を反射してきらきらと光る.
 その酒を口に含むと,今しがた煌いていた月の光が口中で歯にしみとおるようだ.
 こんな夜,私は一人静かに酒を飲む.

 私が牧水の最もよく知られた歌から想起するのは,上のごとき情景である.いかがであろうか.

 余談であるが,世の中に奇抜な発想をする人はいるもので,「白玉の歯にしみとほる」は歯の痛みを表しているという.そのブログから下に引用する.(茶色の字は原文のママ)

僕は、長らく「歯にしみとほる」という表現の意味するところがわからなかった。 「歯にしみとほる」ほど「うまい」「美味しい」というのが、感覚的にわからなかったのだ。
この歌の入った歌集「路上」を読んでいたら、 この歌は、実は悠長な酒飲みの、ひとり酒の楽しみを歌ったものではないということに気づく。
そしてやっとわかった。 なぜ「歯にしみとほる」のか、 これは「うまい酒」「美味しい酒」ではなく、「痛い酒」なのだ。 歯、ひいては心に沁みてくるような、痛い、つらい酒なのだ。
「路上」の中にはこういう歌もある。
 なほ耐ふる われの身体をつらにくみ 骨もとけよと 酒をむさぼる
失恋のつらさを忘れる為に、 体を酒で苛め抜き、骨も溶けてしまえとばかりにむさぼる酒。 そんな酒だから 「歯にしみとほる」なのだと。
誰かほかに言及している人はないかと思ってネットで探したら あった。
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
酒を飲まない私でも秋の夜長に飲んでみたくなるような歌だが、 牧水は失恋から立ち直れずにいた。
苦しさのあまり酒にたよるしかなかったという。
「白玉の・・・・」は、世上言われる酒に親しむのどかな歌ではなく、 耐え切れぬ孤独をかみしめる青年が、 酒を唯一の慰めの友として手にし得た姿だったのではないか。
「酒は1人に限る」という寂寥はあまりにふかいのである。 と山口俊郎(宮日記者)は書いている。
(『若山牧水』宮崎日日新聞社編より)

 この珍説を聞いて驚け.どこの世界に,失恋した孤独な心の苦しみを歯痛にたとえる詩人がいるか.恋の苦しみはどんなに心に痛くあろうとも,突き詰めれば甘やかなのである.不愉快極まる歯痛であるはずがない.こういうことを言う人は,頭の中を一度歯医者に見てもらいなさい.
 なんとなれば,牧水自身が次のように書いているからである.(歌集『樹木とその葉』の跋文から引用)

私は獨りして飮むことを愛する。
 かの宴會などといふ場合は多くたゞ酒は利用せられてゐるのみで、酒そのものを味はひ樂しむといふことは出來難い。
 白玉の齒にしみとほる秋の夜の酒は靜かに飮むべかりけり

 …… 》

 すなわちこの「白玉の歯にしみとほる…」は,しみじみと《獨りして》《酒そのものを味はひ樂しむ》歌として,牧水が自選した一首なのである.痛みがどうのこうのとたわけたことを言うでない.

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