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2016年6月 9日 (木)

死語「愚妻」

 かつて「愚妻」という言葉があった.
 戦前生まれの,私の父親たちは「愚妻」を使っていたし,昭和二十年代から三十年代に制作された東宝あたりの喜劇映画を観ていると,たまにヒラ会社員が上司に「愚妻が言うには…」などという台詞があったりする.
 しかし私と同年代の,いわゆる団塊の世代の人間は,「愚妻」を言葉として知ってはいても,実生活の中で自分の妻を愚妻と呼ぶことはなかった.戦前の,古色蒼然たる言葉なので,戦後生まれの私たちの感性に合わなかったのが理由だろう.
「愚」は「私」をへり下って言うときに用いる言葉 (実際に「愚か」だという意味ではなく,へり下っているのを「愚」という語で表しているに過ぎない) である.すなわち「愚妻」は「私の妻」の意である.
 しかし戦後生まれの私たちの世代は,生まれながらの身分や貧富にかかわらず,自分のことは堂々と「私」と呼びましょう,自分に誇りを持ちましょうとする教育を受けた.それは戦後民主主義の一つ形だったのである.

 その結果,もう「愚妻」なんて言葉を使う者がいなくなって何十年も経つのだから,「愚妻」は死語といっていい.
 そして死語化した「愚妻」は,いつの間にか若い人たちには元々の意味がわからなくなり,使い方も誤用されるに至った.

 読売新聞ニュースサイトのコンテンツ『発言小町』に《愚妻って言うな!》というトピが数日前に立てられた.
(以前から読売新聞社は記事にリンクを張ったり URL を示すことを不当な引用であるとしているため,URL を示せない.Google とは引用に関する契約が締結されていると思われるので,御興味ある向きは「愚妻って言うな!」で Google を検索していただきたい)

 さて,このトピ,若いと思われるトピ主が《夫がよく外で、「うちの愚妻が」って言います》と書きだしているところからして「釣り」くさい.今時の男で,愚妻なんて言うやつがいるとは思えぬが,それはいいとして,そもそも《うちの愚妻が》が誤用なのである.「愚妻」を「私の妻」に直してみれば一目瞭然だ.
 ここで「うちの」は「私の」という意味だから,「私の私の妻」になってしまう.トピ主の教養レベルが知れてしまう.(笑)

 この無知無教養トピ主に賛成も反対も色々なレスが付いているが,「愚妻は〈愚かな私〉の妻のことだ」とか,甚だしきは「愚妻は〈愚かな妻〉のことだ」など,悉く無知無教養をさらけだして,ワイワイ騒いでおる.
 今の高校の教科についてはよく知らないが,私たちの高校生時代は「国語」教科は「現代国語」と「古典」に分かれていた.
 昔はその「古典」の授業で,「愚」「拙」「小」などの一人称の意味と用法を学習したが,現在は「古典」は必修科目ではないようである.
愚妻って言うな!》トピで騒いでいる若い連中が「愚妻」の意味も用法も知らないのは,高校で「古典」を学ばなかった結果であるかも知れない.

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