おばあちゃんになったね
楽園を追われたアダムとイブが,夕日の沈む荒野をとぼとぼと歩く.
こんなイメージを頭に思い浮かべるとき,私は勝手に,イブの後ろに子犬と子猫がトコトコとついて行く姿を付け加える.まことに犬と猫は,労働と出産の苦しみを背負って人生を生きていかねばならなくなった人間に,神から贈られた餞だからである.
ね,なんかそういう気がしませんか.
ところで世の中は大変な猫ブームである.
つい昨年だったか,日本ではトレンド的に,やがて猫の数が犬を追い抜くだろうと言われていたと記憶しているが,最近ではもう犬より猫のほうが多いということらしい.
私は犬の飼い主であるが,これはたまたまそうなったのである.
私は元々がアレルギー体質であるため猫を飼うのは無理であったのだが,トイプードルはほとんど毛が抜けない犬種であり,飼っても室内環境を清潔にすることが容易であることを知って,トイプーを飼うことにしたのだ.そういうわけで実は猫も,もし飼えるものなら飼いたいくらいに好きである.爺さんでも気軽に入れる猫カフェがどっかにないものだろうか.
さてテレビCMに犬猫が登場することは昔から珍しくない.
犬のCMで,かつて名作と言われた作品に,サントリーが昭和五十六年(1981年) に制作した「雨と子犬」がある.
この「雨と子犬」に登場している子犬は,保健所で殺処分になるはずだったところをCM制作関係者が引き取って,起用したものだそうである.
という背景が今は知れ渡っているからいいけれど,「雨と子犬」そのものは雨の中を放浪する捨てられた子犬の映像だけであり,子犬をこれから待ち受けている悲しい運命「殺処分」についてのメッセージは何一つ感じ取れない.
「雨と子犬」が放映された昭和六十年当時,全国で毎年百万頭近い犬が殺処分されていたのであるが,平成二十六年には実に五千三百頭 (残念ながら猫は未だその二倍の数が殺処分されている) にまで減っている.
これは,長年のあいだ殺処分問題に取り組んできた人々や保健所などの自治体関係者の努力で,この問題が国民に広く認識されてきたことが大きな要因であるだろう.
「雨と子犬」の終わりに流れる《色んな命が生きているんだなあ》という能天気なナレーションは,サントリーという会社が当時,犬と猫の殺処分問題について何の見識も持っていなかったことを示している.本当は,あの頃の日本では「色んな命が生きられなかった」のである.
けれども,現在の価値観で過去を断罪するのは,もちろん正しくない.今現在,サントリーが犬の登場するCMを作ったとすれば,さすがに「雨と子犬」みたいな社会性のない映像作品を作ったりはしないだろう.
サントリーは数々の名作CMを制作放映してきた会社である.現代版の「雨と子犬」を作ってくれたらいいなあと思う.
CMと犬の話をもう一つ.
犬や猫を飼っている人なら誰でも思うのは,彼らの悲しいくらいに短い命のことである.
大抵の場合,犬も猫も十数年で年老いて,飼い主と死別することになる.
だから例えば仮に,捨てられた子犬を拾うことがあったなら,その子犬が年老いて命を全うするまでの短い年月,ずっと大切にしてあげたいと,多くの犬好きな人たちは思うだろう.
そういう犬好きな私たちの琴線に触れるテレビCM映像↓が最近よく放送されている.
積水ハウス の犬のCM 「また、ここで・・・」篇 永野芽郁
私はこういう心温まるメッセージが好きだ.
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