さらに麦飯
麦飯について,さらに書く.
Wikipedia【麦飯】に次の記述がある.
《かつては、精麦が不十分だったため炊きあがった麦飯は独特の臭いを持っていたことから、刑務所に収監されることを「臭い飯を食う」と言う表現ができたという説がある(ただしこれは「臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる」という意味であって、麦飯そのものは臭くはなかったとする体験談も多く聞かれる)。》
上の引用にあるように,「臭い飯」は,一般的には《臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる》が語源であると理解してよいだろう.
私は小さな子供の頃に麦四割というものすごい麦飯を食ったことがあるが,その経験からして,《麦飯そのものは臭くはなかった》との見解に賛成である.
房内が臭いのは,汲み取り式便所が各房の中にあったからだ.
ただ,それだけかというと私は少し疑問を持っている.「臭い飯」という言葉ができたのは,押し麦を入れた麦飯が臭いのではなく,昔の刑務所が懲役囚の食事用に調達した米も臭かったのではないか,というのがその疑問である.
本気で物事の歴史を調べようとするなら,やはり国会図書館にでも出かけて,紙に印刷された書籍や雑誌として出版された文献 (最近はそのデジタルデータが利用できる) にあたる必要があるだろう.
しかし私は「臭い飯」など,私の人生にあまり有益でないことを調べに国会図書館に行く気はないので,ブログの記事は主にネット上の資料を調査して書く.
ただし,ネット上の資料は文献になりにくい.ネット記事が史料として決定的にダメな点は,サイト管理者が死ぬと消滅することにある.
例えば,インターネット上に個人サイトが爆発的に開設されたネットの黎明期,昭和の庶民生活史に関する多くの記事が書かれた.
戦後の食生活,中でも学校給食についての記事に貴重なものがあったのだが,それらは現在すべて消滅している.コピーをとっておかなかったのが本当に悔やまれる.
同じように今はもう閲覧できなくなった個人サイトで,米の研究者が開設したものがあった.
記憶だけで書くが,戦前に北陸から東北北海道にかけて栽培されていた米の品種で,いくら精米しても炊くと臭いものがあったと,そのサイトの筆者は書いていた.
その品種は米作に適さない悪条件の土地でも滅法強靭で,とにかく実った.
実ったはいいが,臭くてとても食べられない.
こういう市場価値ゼロの米を,明治以来の近代監獄は買い上げて懲役囚の食事に供したというのである.もしかするとそれは,困窮農民救済のためであったかも知れない.
今の私たちは,炊き立ての御飯の匂いをかぐと「あ~日本人でよかった」〈(C)テレビ東京「和風総本家」〉と思うのであるが,これほど食味の優れた米が品種改良によって生まれ,全国各地で栽培されるようになったのは,戦後である.つい最近のことなのである.
明治大正の頃のことは知らず,戦後もいわゆる配給米がまずかった記憶を高齢者はお持ちであろう.
生産者直販の超高級米でなく,今の私たちがスーパーで手軽に買える程度の米でも,昔の配給米に比べると天と地ほどの違いがある.
ともかく押し麦の名誉のために言うが,「臭い飯を食う」という言葉ができたのには,刑務所が調達していた米にも責任の一端があったと私は思うのである.
それにしても,昭和三十年頃に比べて,私の食卓はなんと良い匂いが満ちているのだろう.
炊き立ての白い御飯.あるいは香ばしいバゲット.
何が炭水化物ダイエットだ.パンをおかずに白い御飯を食べようと私は言いたい.
大阪にはタコ焼きをおかずに御飯を食べる人が一部にいると聞くが,フランスパンをおかずに御飯を食べるのはそれより優雅であると私は思う.行ったことのないパリの街の匂いがする.トレビアン.
なに言ってんのか自分でもわからぬが,そういうことだ.おいおい.
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