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2016年6月

2016年6月30日 (木)

続・アシナガバチ

 昨日,アシナガバチの駆除をお願いした便利屋さんのサイトの画像を見ると,ハチの巣に薬剤を噴射する道具は長さ50cmほどの細長いパイプである.このパイプはチューブで薬剤タンクに接続されていて,ちょうど畑で農薬を散布するのと同じような噴霧器であった.

 ところが,朝一で来てくれた便利屋さんが取り出したのは,昨日私がアマゾンに注文したアース製薬ハチアブ マグナムジェット550mL
なのであった.
 そして彼は「ホームセンターでこれを買っておけば,自分でできますよ」と言い,実地に使い方の手ほどきをしてくれた.
 彼の解説によると,ハチアブマグナムジェットが優れている点は,あたかもピストルで撃つかのように,射撃の目的物に正確に噴霧できることだという.
 それから実際に,我が家に作られてしまったアシナガバチの巣の駆除作業を見学し,なるほどと納得した.
 ハチアブマグナムジェットから噴出した薬剤は,10m 届くと製品容器に書かれている.無風状態では薬剤の効果は 10m 先まで届くようだが,肉眼で見える霧状の噴出物の到達距離は 3m ほどである.しかし巣から 3m 離れたところから狙えるなら,怖がりの女性でも恐怖心なしにできるのではなかろうか.ていうか,小心者の私にもできると思われる.

 今朝,ハチが活動を開始して巣から離れたときに巣を取り除いたから,無益な殺生は最低限で済んだと思われる.しばらくするとアシナガバチたちが帰ってきて,巣のあったところの辺りをブンブンとうろついていた.やがてどこかに行ってしまったが,どうか次は人家でないところに巣を作るように彼らのために祈った.

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2016年6月29日 (水)

アシナガバチ

 今日,インターホンのチャイムが鳴ったので応答したところ,東京電力の検針係の女性であった.
 用向きを訊ねると,一階の軒先にアシナガバチが巣を作っているのを御存知ですかと言う.早めに駆除されたほうが良いと思ってお知らせしましたというのである.
 全然気づいていなかったので大変に驚き,検針係のかたに礼を言ってその巣を見にいってみたら,もう拳ほどの大きさになった巣ができていた.見たところ五,六匹のアシナガバチが,せっせと巣の面倒をみているではないか.

 私はミツバチを除いて,集団で営巣するハチが嫌いである.スズメバチが近くに飛んで来たら,そのまま硬直してしまう.
 アシナガバチは見ても硬直はしないが,近くに寄りたくはない.
 しかし行政に頼んでも,スズメバチの駆除はやってくれるが,アシナガバチはやってくれないことになっている.
 そこでネットで近辺の便利屋さんを調べたところ,アシナガバチの駆除をやってくれる業者があった.ありがたやと電話したら,明日の朝に来てくれるという.
 ハチの退治は,巣に戻っている夜間にやるのではないですかと素人質問をしたら,ハチが巣を出て活動しているときに巣を除去すれば,アシナガバチ連中は戻ってきてもどこかに行ってしまうから,朝で大丈夫ですとのことであった.

 まあ今回はその業者さんにおまかせするとして,今はハチが巣作りをする季節なので,念のためにハチ駆除剤を購入しておくことにした.
 で,アマゾンで大好評なのが,コレである.
アース製薬 ハチアブ マグナムジェット 550mL

 実際の使用者のレビューによると,バズーカ砲のような大層な威力らしい.これがあれば心強い.ような気がする.よかったよかった.

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2016年6月28日 (火)

ソウルフード (四)

 いわゆるB級グルメブームは,日経の特別編集委員であった野瀬泰申氏らが仕掛けたもので,何の観光資源もないと思われていた地方の町でも,他のところにはない「食べ物」があれば,それで町おこしができることを示したものであった.

「食べ物」を観光資源にするということは,例えばただの焼きそばに「○○焼きそば」(○○は地名) と名前を付けるところから始まる.
 その成功例 (参照;Wikipedia【B-1グランプリ】) は数多いが,ブームに便乗しただけの偽物もまた多い.

 私の郷里の群馬には「太田焼きそば」という太田市の地名を冠にした焼きそばがある.
 その公式サイトには次のような文言が書かれている.

「伝統の味」「秘伝ソース」同じものは二つとしてない。太田焼きそばのれん会
太田焼そばの特徴は、店により、味付け、麺、トッピング等がそれぞれ違うことです。

 店により,味付け,麺,トッピング等がそれぞれ違うのであれば,太田焼きそばには,他の例えば富士宮焼きそばと同じような意味での,「こういうものを太田焼きそばと呼ぶ」という特徴がないことになる.すなわち太田焼きそばの特徴は「特徴がないということ」になり,日本語として意味不明だ.
 この文章を書いた人間は頭がおかしいのかも知れないが,それでは身も蓋もないから好意的に解釈すれば,つまりそれは太田市内には焼きそばを食わせる食堂がたくさんあるということだけのことであり,それ以外の意味はない.なんだそれは.つまらん.ほんとーにつまらん.(← ちなみに,ここんとこの台詞は,是非とも故大滝秀治の口調でお願いしたい)

 市内に焼きそば屋が多いのは,まったくもって飲食店側の事情であって,食べる側のあずかり知らぬことである.公式サイトに《太田に焼そばが広まったのは戦後》とあるように,別に伝統的な郷土料理でもなんでもない.だから要するに私たちが欲しいのは「どこの店の焼きそばがうまいか」という単純な情報なのだ.全店みんなバラバラの味だという点に何か付加価値でもあるかのように宣伝する太田焼きそばのれん会は,何かを勘違いしているとしか思えぬ.
(続く)

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2016年6月27日 (月)

ソウルフード (三)

 ココログのネットワーク障害がようやく復旧したので,焼きまんじゅうについて続ける.

 昔,山口瞳が月刊文芸誌に連載していたエッセイ (たぶん新潮文庫『草競馬流浪記』に入っているだろう) で焼きまんじゅうのことを書いたことがある.
 山口が群馬県にでかけた折に,焼きまんじゅうを土地の人が勧めたのだそうだ.
 ところが山口瞳は,焼きまんじゅうというものが群馬名物だというが,群馬にはこんなものしかないのかと誌上で酷評したのである.
 山口は世間知らずのお山の大将的人間を,田舎者と呼んで嫌った.たとえ東京の生まれ育ちでもそういうタイプの男を田舎者と呼んだ.田舎者というのは地方人とは違うとも明言していた.
 おそらく山口瞳に焼きまんじゅうを食べさせた男は「どうですか,おいしいでしょう,群馬の名物ですよ」などと自慢したのだと思われる.
 それがそれなりの歴史のある郷土料理であればともかく,縁日屋台の食い物のようなものだったので,山口はカチンときたのである.
 客人に焼きまんじゅうを勧めるときに,私なら「こんなものしかありませんがどうぞ」と言うが,大抵の群馬の人間は井の中の蛙だから,大いばりで焼きまんじゅうを客に出したのだろう.どうです東京にはこういうものはないでしょう,おいしいでしょう,というわけだ.
 この画像を見て頂きたい.焼きまんじゅうの通販サイトから Wikipedia【焼きまんじゅう】に転載されたものである.
 料理研究家の土井善晴先生はテレビ番組で繰り返し「笹は清浄感がありますから,これに料理を盛るというのは,特別なお料理であるという演出になります」と言っておられる.
 その意味で,本来手軽な軽食である焼きまんじゅうを笹の葉に載せてしまう神経が群馬県人のだめなところである.小腹がすいた時に口にする軽食は,畢竟おもてなし料理にはならない.そういう考え違いが山口瞳を怒らせたのである.
 これは先日の記事《ソウルフード (一)》に書いたことだが,群馬県の観光行政が

本県には「県外から来た人にアピールできる『名物料理』がない」との指摘があったことから、伝統食である「おっきりこみ」を再評価し、「おっきりこみ」を本県の名物料理として県民運動で県外に発信し、本県ブランドの創出につなげるため、平成25年4月1日にプロジェクトを立ち上げました。

などと《プロジェクトを立ち上げ》てしまうセンスに通じる.
 無理やり《「おっきりこみ」を本県の名物料理と》するために,似て非なるものに変えてしまうのは,昔の粗末な家庭料理であった「おっきりこみ」を知っている人間からすると,郷土の伝統的食文化を歪曲するものだ.
 笹の葉に焼きまんじゅう盛り付けてしまうのも,これと同じである.

 さて私は昔,藤沢から平塚まで少し電車に乗って,有名な平塚七夕祭を見物に出かけたことがある.
 七夕祭というのは,仙台も平塚も,七夕という庶民の風習を商店街のイベントにしたもので,どこが「祭」なのか得体の知れないものであるが,それはさておき,平塚市内の目抜き通りでは露天商が様々な食い物を商っていた.
 そのひとつに,私は焼きまんじゅうの屋台を見つけた.
 懐かしく思って一串を買い求めて食べてみたら,少年時代に通学路で買い食いしたことや,前橋市内にある敷島公園 (現在は美しく整備されて市民の憩いの場になっているが,昔は何もない松林の中に萩原朔太郎の詩碑が建てられているだけの公園だった) にあった寂れた茶店で食べた思い出やらが記憶の底から浮かんできた.
 かくも焼きまんじゅうは,群馬県外に出た者にとっては「ふるさとの訛り懐かし」のようなものなのである.
 そしてそのような思い入れがなければ,おいしくもなんともないものだ.
 群馬県人は,どうか他県の人に「どうだ焼きまんじゅうはうまいだろう」などと自慢しないで欲しい.他県の人は群馬県人に「なんだこの田舎臭い味噌田楽まんじゅうは」と貶さないで欲しい.きっと喧嘩になるだろう.

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2016年6月25日 (土)

ソウルフード (二)

 焼きまんじゅうとは何か.
 言葉で説明するほどのものではない.画像一覧を見ればどんな食い物か,一目瞭然とはこのことだ.
 小豆餡の入っていない酒饅頭「のようなもの」四個を串に刺して焼き,これに濃厚な味噌ダレを塗ったものである.
「のようなもの」とは,普通の酒饅頭はふんわりとしたものであるが,焼きまんじゅうに用いる酒饅頭は,かなりもっちりとしている.これについて Wikipedia【焼きまんじゅう】には次のようにある.

焼きたての温かいうちは軟らかいため食べやすいが、冷めると水分が抜けてしまい、噛みちぎれないほど固くなる。このため、焼きたてで冷め切っていないものが珍重され、お土産用等も、焼く前のモノに別にパッケージしたタレを添えて、自宅で焼く事を前提とした形で販売している。

 確かに冷めると「噛みちぎれないほど固くなる」といって差し支えないが,そもそも焼きまんじゅうは,昭和三十年代から四十年代にかけて前橋市や高崎市などローカルな都市部全域に存在した「焼きまんじゅう屋」(人気コミック「孤独のグルメ」に登場することは以前書いた) の店に入り,焼きたてを食べるものだったのである.従って冷めたらどんな食感になるかなんぞは最初から考えてなんかいないのである.
 ちなみに,「焼きまんじゅう屋」は食堂ではない.この点を「孤独のグルメ」作者は誤解しているようだ.
「焼きまんじゅう屋」で商うものは他に,申し訳程度のキャベツしか入っていない焼きそばや菓子パン,ラムネ,夏にはかき氷などであった.子供が集まる駄菓子屋で婆さんが焼いて食わせていることもあった.
 従って上の引用に《焼きたてで冷め切っていないものが珍重され》とあるのは大嘘である.焼きたてを食べるのが大前提の食い物であり,焼きたてでなければとても食えた代物ではないのであり,つまり焼きたてが当たり前であるからして,「珍重」とはまた何をたわけたことを書いているのか.この箇所の筆者は群馬県人ではないか,あるいは日本語を知らぬか,どちらかである.
お土産用等も、焼く前のモノに別にパッケージしたタレを添えて、自宅で焼く事を前提とした形で販売》とあるが,昭和四十年代の前橋か高崎に知恵者がいて,焼きまんじゅうを化粧箱に入れてきれいに包装した土産物を,前橋市の繁華街にあったデパートで売り出したのである.
 私が大学生時代に帰省した折,前橋在住の姉から土産用焼きまんじゅう発売の話を聞き,あんなものを土産にしてどうするのかと驚いた記憶がある.
 どうやらこの頃から,焼きまんじゅうは,群馬のソウルフード化の途を歩み始めたようなのである.

 随分前のことになるが,大阪出身の推理作家高村薫さん (昭和二十八年生まれ) が新聞紙上のエッセイで,たこ焼きが大阪の食べ物の代表格のように言われるがそんなことはないと書いていた.ごく普通の家庭に育ったらしい高村さんは,たこ焼きなんか買い食いしてはいけないと親に躾けられ,実際に子供の頃は食べたことがなかったそうである.
 そんなマイナーな怪しい食い物がいつの間にか大阪のソウルフードになってしまった.

 東京の「もんじゃ」もそうである.私は実見していないが,東京人の知人が言うには,小汚い「もんじゃ屋」あるいは駄菓子屋の店内に置かれた,油が黒く焼きついた鉄板で,子供たちがわいわい遊びながら食ったものであるという.それがいつの間にか小奇麗な「もんじゃ屋」が月島あたりに立ち並んで,テレビのグルメ番組に取り上げられて観光客がやってくるようになってしまった.
 たこ焼きや「もんじゃ」のように全国区ではないが,焼きまんじゅうもいつの間にか群馬ローカルのソウルフードに成り上がったのであった.
(続く)

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2016年6月24日 (金)

ソウルフード (一)

 私の郷里の群馬県というところは,正直なところ,昔からあまり大した食い物がない.
郷土料理に「おっきりこみ」と呼ばれる煮込みうどんがあるが,県庁サイトが自ら

本県には「県外から来た人にアピールできる『名物料理』がない」との指摘があったことから、伝統食である「おっきりこみ」を再評価し、「おっきりこみ」を本県の名物料理として県民運動で県外に発信し、本県ブランドの創出につなげるため、平成25年4月1日にプロジェクトを立ち上げました。
これまでの取り組みにより、「群馬といえばおっきりこみ」が着実に定着しつつあります。引き続き、ぐんまの「おっきりこみ」を応援してください。

などと,わざわざ「群馬県おっきりこみプロジェクト」を立ち上げなければならない程度のものに過ぎない.
「おっきりこみ」は基本的に,うどんを自分の家で打って食う習慣のある農村家庭の料理であり,見た目からしてあまりに旨いようにも見えない垢抜けないものであったから,都市部住民は「あんなもの」と馬鹿にして食べなかったものだ.
 他県の人に食べさせたら,普通の煮込みうどんのほうが余程おいしいと言うだろう.
 そもそもなぜ,打ったうどんを打粉がついたまま煮込んで,どろどろにしてしまうのか.
 何か理由があるのか.
 ただの手抜きじゃないのか.正直に言いなさい.
 でも,ご苦労さまです.プロジェクトの成功を祈ります.

 これに比べると,伊香保町水沢観音門前町の名物である水沢うどんは,讃岐うどんや稲庭うどんと並ぶ有名なうどんである.一般に日本三大うどんの一つとされる.世界三大うどんだと言う人もいる.誰が言っているかというと私だ.
 ただし,讃岐うどんが香川全県下で作られ食べられている,いわば郷土食であることに比較すると,稲庭うどんと水沢うどんは毛色が異なる.

 秋田の稲庭うどんは,寛文五年に稲庭吉左エ門が製法を考案し,文政十二年に佐竹藩江戸家老疋田松塘より御朱印を拝領し,以後は稲庭吉左エ門以外に稲庭干饂飩の名称使用が禁じられたという由緒正しい高級うどんである.
 その正統を継ぐ現在の佐藤養助商店の製品は中元歳暮贈答品の大定番であるが,それ故これは秋田県民にとっては,讃岐うどんのような県民食とは言いがたい.土曜日のお昼に「冷蔵庫に何もないよー,仕方ないから稲庭うどんでも茹でて食うかー」というようなものではないと聞く.

 水沢うどんは確かにうまい.うまいが,昔からこれは水沢観音にお参りした善男善女が,門前町の店で,古里への土産話に食べて帰ったものであり,稲庭うどんとは別の意味でこれまた県民食とは言いがたいものだ.
 ではあるが,というかそれだけに,稲庭うどんと水沢うどんは.小麦粉と水と塩で打つという基本が現在もきちんと守られている.
 讃岐うどんの場合は,どの店あの店と名指しは避けるが,小麦粉以外に,「タピオカでんぷん」やらそれを原料にして製造される「加工でんぷん」(解説資料はここ) が使われることがあり,それに比べれば稲庭と水沢のうどんは,少数の製造業者が守ってきた昔ながらのうどんではある.なんでもかんでも郷土食,県民食がエライというわけではない.

 話が横に逸れた.群馬には焼きまんじゅうと焼きそばもある.
(続く)

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2016年6月23日 (木)

慰霊の日

 太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に,七十一年目の夏がまたやってきた.
 沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」の今日,「沖縄全戦没者追悼式」が糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた.
 翁長雄志沖縄県知事の平和宣言全文を新聞各紙が掲載したが,その宣言に以下の文言がある.

日米安全保障体制と日米地位協定の狭間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。

 翁長知事だけでなくこれまでの全沖縄県知事が,日本国憲法が国民に保障する自由・平等・人権・民主主義を沖縄県民にも保障せよと要求してきた.
 しかし安倍晋三首相は,今日の沖縄全戦没者追悼式では日本国憲法には触れず,基地負担のことだけを述べた.

 今年の沖縄全戦没者追悼式のあとには,参院選が行われる.
 最近,ニッポン放送などの一部マスメディアには,安倍政権による憲法改正は今回の参院選の争点ではないとする評論家が出演して見解を述べている.争点は経済政策だというわけだ.こういうコメントを放送するということは,このメディアがそういう見解を持っていることを意味している.
 だがそうだろうか.
 安倍晋三が首相である限り,国政選挙は常に憲法改正が争点である.
 その点で,この参院選の争点には,憲法改正の国会発議に必要な三分の二の議席をめぐる攻防が焦点であるとする朝日新聞と毎日新聞の参院選報道は的確であると私は考える.

 今度の参院選で初めて投票に行く若い人たちには,憲法論議は身近なことでないことだろう.一向に明るくならない景気のことに関心が高いかも知れないが,しかしまずは日本国憲法が大切だ.

 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 沖縄県民に対する特別の配慮とは,琉球征服から沖縄戦に至るまで,常に本土のための存在として位置づけられてきた沖縄の県民にも日本国憲法を保障すること.それがこの国が戦後一貫して目を背けてきた課題である.

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2016年6月22日 (水)

さらに麦飯

 麦飯について,さらに書く.

 Wikipedia【麦飯】に次の記述がある.

かつては、精麦が不十分だったため炊きあがった麦飯は独特の臭いを持っていたことから、刑務所に収監されることを「臭い飯を食う」と言う表現ができたという説がある(ただしこれは「臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる」という意味であって、麦飯そのものは臭くはなかったとする体験談も多く聞かれる)。

 上の引用にあるように,「臭い飯」は,一般的には《臭い房内の中で食べるため、飯まで臭く感じる》が語源であると理解してよいだろう.
 私は小さな子供の頃に麦四割というものすごい麦飯を食ったことがあるが,その経験からして,《麦飯そのものは臭くはなかった》との見解に賛成である.

 房内が臭いのは,汲み取り式便所が各房の中にあったからだ.
 ただ,それだけかというと私は少し疑問を持っている.「臭い飯」という言葉ができたのは,押し麦を入れた麦飯が臭いのではなく,昔の刑務所が懲役囚の食事用に調達した米も臭かったのではないか,というのがその疑問である.

 本気で物事の歴史を調べようとするなら,やはり国会図書館にでも出かけて,紙に印刷された書籍や雑誌として出版された文献 (最近はそのデジタルデータが利用できる) にあたる必要があるだろう.
 しかし私は「臭い飯」など,私の人生にあまり有益でないことを調べに国会図書館に行く気はないので,ブログの記事は主にネット上の資料を調査して書く.
 ただし,ネット上の資料は文献になりにくい.ネット記事が史料として決定的にダメな点は,サイト管理者が死ぬと消滅することにある.
 例えば,インターネット上に個人サイトが爆発的に開設されたネットの黎明期,昭和の庶民生活史に関する多くの記事が書かれた.
 戦後の食生活,中でも学校給食についての記事に貴重なものがあったのだが,それらは現在すべて消滅している.コピーをとっておかなかったのが本当に悔やまれる.

 同じように今はもう閲覧できなくなった個人サイトで,米の研究者が開設したものがあった.
 記憶だけで書くが,戦前に北陸から東北北海道にかけて栽培されていた米の品種で,いくら精米しても炊くと臭いものがあったと,そのサイトの筆者は書いていた.
 その品種は米作に適さない悪条件の土地でも滅法強靭で,とにかく実った.
 実ったはいいが,臭くてとても食べられない.
 こういう市場価値ゼロの米を,明治以来の近代監獄は買い上げて懲役囚の食事に供したというのである.もしかするとそれは,困窮農民救済のためであったかも知れない.

 今の私たちは,炊き立ての御飯の匂いをかぐと「あ~日本人でよかった」〈(C)テレビ東京「和風総本家」〉と思うのであるが,これほど食味の優れた米が品種改良によって生まれ,全国各地で栽培されるようになったのは,戦後である.つい最近のことなのである.
 明治大正の頃のことは知らず,戦後もいわゆる配給米がまずかった記憶を高齢者はお持ちであろう.
 生産者直販の超高級米でなく,今の私たちがスーパーで手軽に買える程度の米でも,昔の配給米に比べると天と地ほどの違いがある.
 ともかく押し麦の名誉のために言うが,「臭い飯を食う」という言葉ができたのには,刑務所が調達していた米にも責任の一端があったと私は思うのである.

 それにしても,昭和三十年頃に比べて,私の食卓はなんと良い匂いが満ちているのだろう.
 炊き立ての白い御飯.あるいは香ばしいバゲット.
 何が炭水化物ダイエットだ.パンをおかずに白い御飯を食べようと私は言いたい.
 大阪にはタコ焼きをおかずに御飯を食べる人が一部にいると聞くが,フランスパンをおかずに御飯を食べるのはそれより優雅であると私は思う.行ったことのないパリの街の匂いがする.トレビアン.
 なに言ってんのか自分でもわからぬが,そういうことだ.おいおい.

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2016年6月21日 (火)

また麦飯

 麦飯について,もう少し書く.

 Wikipedia【麦飯】に次の記述がある.

エピソード
日本の刑務所では、近代の懲役刑の導入とともに麦飯が導入されており、米:麦=7:3の比率のものが主食とされている。

 この書きぶりでは,懲役刑が導入されて以来,懲役囚の主食は麦三割の麦飯であったかのような印象を与える.そこで以下,懲役囚の食事における麦飯の米麦比について書く.

 今もそうだと思われるが,私の父親など大抵の刑務官たちは,かつて公益財団法人矯正協会 (法改正前は「財団法人」だった) が発行している月刊誌「刑政」を購読していた.この雑誌には刑務行政に係る論文やその他の記事が掲載されており,刑務官の機関紙的な役割を果たしていたからである.

 私が高校生になっていた頃だから昭和四十年過ぎと思われるが,ある日何気なく家にあった「刑政」を読んでみたところ,懲役囚の食事に関する総説が掲載されていた.
 その総説に書かれていた内容のあらかたは忘却したが,懲役囚の主食について,一般社会の状況に合わせて改善していく必要があるとしていたことを,なぜだか記憶している.

 私が小学生低学年の頃は,我が家の麦飯は米:麦=6:4 であった.麦すなわち押し麦の存在感はすごいもので,これだけ麦が多いと,もう麦だけを炊いて食べているようなものである.
 しかし,高度経済成長期が始まるとどんどん麦の比率が減っていき,中学生になった頃には遂に白い御飯を食べることができるようになったのである.
 従って昭和三十年頃の懲役囚が食べていた麦飯は,米:麦=6:4 か,あるいはそれよりも麦が多いものであったはずである.塀の外の貧乏人よりも,懲役囚のほうがいい飯を食わせてもらえるわけがないからだ.

 で,昭和三十年代後半には国民一般は白飯を主食とするようになったのであるが,懲役囚の麦飯が米:麦=7:3 で頭打ちに固定されてそのまま現在に至るのは,コストも理由の一つだが,やはり麦飯が健康上優れた主食であるということが大きいと思われる.といっても,主菜や副菜が充実していれば,とくに主食が麦飯でなければいけない理由はないのではあるが.(笑)

 ま,そんな記憶が頭にあったので,刑務所の麦飯を Wikipedia【麦飯】は《米:麦=7:3の比率のものが主食とされている》と記述しているが,これは間違いで,昔からそうだったのではないと書いておく.

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2016年6月20日 (月)

麦飯

 昨日の記事《米を量る》の中で,

《(米を飯に炊く際の水加減に関して) 農家は米の飯を食っていただろうが,庶民すなわち俸給生活者たちは麦飯を食っていたから,経験則のほうが手っ取り早かったのかも知れない

と書いたが,以下はその補遺.
 Wikipedia【麦飯】に次のようにある.

調理
麦飯は米飯とは異なる独特の香りと、やや固めで粘りけの少ない食感をもつ。調理に際しては米との比率を好みによって調製する。麦を多くするほど米に由来する飯の粘り気が少なくなり、固い食感となる。麦は炊き上げるのに米よりも多くの水が必要なため、麦の量が増えるにしたがって米のみの場合よりも水を多めにする。

 昨今の家庭で,日頃の健康のために,あるいは麦とろ飯を食う際に,麦飯を炊くことがある.
 確かに麦飯を常食すると2型糖尿病患者の血糖値が著明に改善されるようであるし,麦とろ飯の場合は明らかに白飯より麦飯のほうがサラサラとして食味がよろしい.
 ただし麦飯を炊くときは,上の引用にあるように米と麦の比率によって水加減が異なってくるので,一度炊いてみた結果に従って,水加減を調節する必要があることは周知の通り.そのことを,米と麦の割合に従って水加減を理屈で覚えるよりも《経験則のほうが手っ取り早かった》と書いた.
 ただし,料理初心者向けの本に,白飯を炊くのに「いったん水に浸した米 (研いだ米) と水の比」が書かれていることがあるが,これは炊飯器とちがって便利な目盛りがついていない鍋などで炊く際の知識で,初心者向けというより,災害時に役に立つことかも知れない.

 Wikipedia【麦飯】にはさらに次のようにある.

健康食として
江戸時代に江戸や大坂では精白された白米が普及し、ビタミン不足から脚気が大流行したのは有名な話だが、白米の食味の良さを喜んだ民衆の偏食とともに、大都市の燃料問題も理由として挙げられる。薪が周辺の山野で簡単に手に入る農村や山村と異なり、都市では薪も金を出して買わなくてはならない。庶民が燃料費を節約するために、煮えにくい玄米や丸麦を避け、主食を白米のみに依存した結果、脚気の流行を招いたともいえる。

 これは半分正しいが,しかし大事なことが抜け落ちている.

 そのことについて話を遡るが,かつて吉川英治が嘆いたように,昔の庶民が日々何を食い,何を着て暮していたのかを教えてくれる書物はあまりない.
 もちろん学者は研究しているのだろうが,出版しても大して売れるとは思われないから,一般向けの本が書かれることはほとんどない.
 それでテレビの大河ドラマの脚本家がテキトーなことを書いて放送すると,私たちはそれを本当のことだと信じてしまいやすい.(一番の大嘘は女性の化粧で,女優さんに時代考証的に正しい化粧をさせるのは困難である)

 そういうわけだが,なかには非常に参考になる書物もあって,次の三冊は一読をお勧めしたい.
『近世庶民の日常食 百姓は米を食べられなかったか』有薗正一郎著,海青社,2007年初版第一刷
『百姓たちの幕末維新』渡辺尚志著,草志社,2012年初版第一刷
『百姓たちの江戸時代』渡辺尚志著,ちくまプリマー新書,2009年初版第一刷

 このうちの『近世庶民の日常食 百姓は米を食べられなかったか』から受け売りすると,江戸の庶民は Wikipedia の記述にあるように《燃料費を節約するために、煮えにくい玄米や丸麦を避け、主食を白米のみに依存した》だけではないのだ.
 もっと重要なことは,米は一度炊けば食べられるのに対して,大麦 (丸麦) は一度炊いたあと冷ましてから洗ってヌメリを取り除き,それからまた再度炊かなければ食えない穀物であるため,住居が木と紙でできていた江戸時代においては,麦を食べるということは,米よりも火災の危険度が高かったということなのである.
 江戸の庶民は,火災予防のために朝に一度だけ炊事をするのが決まり事であった.麦を食べるために前夜に煮炊きをするのはもっての他のことであったし,さりとて朝,まず麦を炊き,それを冷まして洗って,それから米と合わせて麦飯を炊くという具合に二度も炊飯するのは,忙しい朝だというのに時間がかかってしょうがない.そういう事情で必然的に,一般町民たちは麦は食べることができなかったのである.

 では飯は自分で炊くとして,飯のおかずはどうしたかというと,町内にある煮売屋 (惣菜屋) から買って食べた.その煮売屋も,防災のために夜間の営業は禁じられていた.店は朝早くから煮炊きしたおかずを売り,夕方にはかまどの火を落として営業終了にしたのである.
 この点を Wikipedia【麦飯】はなぜか触れていないが,宮部みゆきの江戸物小説に,ここら辺のことが江戸の町民の暮しとして度々描かれているのは,愛読者にとって周知のことである.

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2016年6月19日 (日)

米を量る

 私の生まれ育った家では,電気炊飯器を購入したのが昭和何年であったか,記憶が定かでない.

 以下は昔話である.
 群馬県には前橋市に刑務所があり,私の父親は刑務官であった.
 父親は新潟の長岡からずっと山に入った土地の農家に生まれ,先の戦争が終結した時には新潟の海軍病院で療養していたが,敗戦と同時に病院を出て,佐渡出身で海軍病院の見習い看護婦をしていた女を連れて,郷里の新潟県から土地勘のない群馬県に移住し,そこで二人は所帯を持った.
 戦地からの復員者に比べれば,生きるか死ぬかの苦労はしなかったであろうが,手に持てるだけの荷物を持ち,軍用毛布 (今の私たちが毛布と呼ぶものとは全く異なるもので,固くずっしりと重いものであった) を背負っての移住であったという.その二人,つまり私の両親は,終戦直後の暮しについて,あまり詳しいことを子供たちに語らなかったが,食うものにも事欠く「赤貧洗うが如し」そのものであったらしい.母親は栄養失調で失明しかかったと,後に聞いた.

 前橋市の南西郊外,昭和三十年代の旧町名で宗甫分町 (そうほぶんまち) にあった我が家は,炭住つまり炭鉱の住宅よりもさらにみすぼらしい板壁四軒長屋の公務員官舎であった.
 ちなみに吉永南央さんの人気推理小説『紅雲町珈琲屋こよみ』シリーズに登場する群馬県高崎市の紅雲町は,前橋市にかつて実在した紅雲町から町名をとったと思われるが,その紅雲町の隣町が宗甫分町であった.
 五人家族が住むその長屋は,一家族分が六畳と三畳と台所でできていた.三畳間には押入れが一つあり,その下の段に米櫃が置いてあった.
 私の一番古い記憶では,その米櫃は一斗缶半分の大きさのブリキ箱で,蓋が付いていた.いわゆる天切缶である.
 父親の給料がでると,この米櫃に配給米 (参照;Wikipedia【米穀配給通帳】) を少し買ってきて入れる.そして食いおわったらまた米屋に行く.
 この頃の我が家の米櫃の中には,飯茶碗が一つ入っていた.米の計量は,この茶碗で行うのである.台所には「かまど」があり,炊飯は羽釜と薪で行った.米の量も水加減も,経験則に則って行う,かなりテキトーな計量だったと思われる.
 羽釜の中に手を入れ,沈んでいる米の上の面に掌をついて水加減をする昔風のやりかたを,覚えているかたもいるだろう.当時の飯炊き担当である主婦たちは,自分の掌では,新米の場合はここまで水を入れる,というやり方で水を加減した.米と水の比率という考え方をしなかったのは,なぜなのかよくわからない.農家は米の飯を食っていただろうが,庶民すなわち俸給生活者たちは麦飯を食っていたから,経験則のほうが手っ取り早かったのかも知れない.
 余談だが,料理の本には飯炊きのやり方が書いてあったのだろうけれど,学歴尋常小学校卒の,難しい字を読めない貧しい女たちは本など読まなかった.読めなかった.大橋鎭子という女性の功績は,そんな時代の女の暮しを少しでも変えようとしたことであったろう.

 やがて昭和三十年代後半に入ると,さすがの最下層公務員の家庭でも暮らし向きは安定し,米櫃の大きさは二倍になった.米と混ぜる押し麦を入れていた袋は不必要になった.
 その頃,近所に木工の腕の立つ器用な人がいて,一合と五合の升を作ってくれた.一合升は日々の炊飯の際に米を量るのに用いた.五合升は,よく覚えていないが,豆などを計量するのに使用したものではなかったか.
 おそらく私の両親は,大きな米櫃を新調し,これに一合升を入れたとき,感無量だったと想像される.毎日少しずつ暮らしがよくなっていった日々.私は,そのときの両親の様子をうっすらと記憶している.

 だが,その一合升はすぐに無用のものとなった.
 我が家に東芝の炊飯器がやってきたのである.
 東芝炊飯器には,米の計量カップが付いていた.
 これを使用して米を量れば,子供でも飯が炊ける時代がやってきたのである.
 そして,いつの間にか一合升は私の家から姿を消した.あれはどこへ行ったのだろう.無洗米専用の計量カップのことを新聞で読んだとき,そんなことを思い出した.

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2016年6月18日 (土)

炊飯ジャーの付属計量カップ

 二週間ほど前,朝日新聞DIGITAL に《無洗米は、本当に洗わなくても大丈夫?》という記事が掲載された.
 記事によると,「無洗米でも洗ったほうがいいか」という問題提起に対する回答はケースバイケースということなので,そりゃそうでしょうねというのが読んだ感想であるが,記事の本題でないところで大いに驚いたことがあった.
 最近の炊飯ジャーには,普通の精米用の計量カップの他に,無洗米用の計量カップがついてくるというのである.
 記事から引用する.

最近の炊飯器には、“無洗米専用カップ”が付属しています。普通の白米のカップとの違いは何でしょうか。
・白米用 1合 180ml 150g
・無洗米専用カップ 1合 171ml 147g 
 ※メーカーによって量に多少の違いがあります

 私の使用している炊飯ジャーは古いものなので,上の事実は全く知らなかった.
 ただ,水加減が異なるということは知っていたので,無洗米の時はテキトーに水加減を変えて (多めにする) 炊いていたのである.
 しかし,いつでも炊飯ジャーの目盛り通りにしたいというユーザーニーズは当然あるだろうなあと思う.
 でも,炊飯ジャーって故障しないのだよね.特別の計量カップは便利だろうけれど,なくても困るほどのことはないから,炊飯ジャーを買い替える気にはなれない.
 私は今使っているやつを死ぬまで使うことになりそうだ.

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2016年6月17日 (金)

白玉の

 私より少し若い草刈正雄さんがミスドの新製品発表会で「年取ると甘いものが好きになってきて困ってしまうんですよね」と嘆いたと,どこかに書いてあった.
 同感同感.
 
 私が二十代のときはほぼ毎日,仕事が終われば見るからに安っぽい赤提灯に直行し,真夜中まで酒を飲んでいた.毎月の給料は本代と酒代に消えて,工場勤務ということもあって見た目は着た切り雀という体たらくだった.
 それほどの酒飲みだったのだが,五十代になったら飲む回数も飲む量も明らかに下り坂で,還暦を過ぎたら晩酌もしない日が続き,気がついたら二週間も飲酒していないことがある.これつまり,心の欲する所に従えども矩を踰えずという心境に達したのである.孔子よりも枯れるのが十年早いわけで,まことにめでたい.
 そうなると反作用で草刈正雄さんと同様に甘いものが好きになり,とうとう白玉と聞けば白玉団子を食いたくなる始末とは相なったのである.
 しかし若い時はそうではなかった.白玉と聞いて思うのは,次の若山牧水の短歌に決まっていた.
 
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
 
 おもしろいことにこの一首は,人により解釈が色々ある.
 問題は「白玉」だ.
 真珠を古くは白玉と呼んだことから,上の牧水の歌を
 
「白玉の歯」にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
 
として,「白玉の歯=真珠のような歯」にしみとおる……と解釈する人が,少数派であるが,いる.
 しかし誰でもすぐに思うだろうが,これがそんな気持ちの悪いナルシストの歌であるわけがない.
 ここで酒を飲んでいるのは牧水その人であり,牧水が自分の歯を「真珠のような」と形容するはずがないのである.これはもう日本人の美意識の問題であって,こんな解釈をする人はあっちに行きなさい.
 
 多数派はどうかというと,「白玉」は歯の形容ではなく,「白玉」が「歯にしみとほる」のだとする.
 では「白玉」は何かというと,酒のことだという.別に根拠や出典があるわけではなく,「しみとほる」のは液体だろうから酒に違いないという程度のことである.
 まあ,そのように意味をとれなくもない.
 とれなくもないが,仮にそうだとすると,この何とも言えぬ違和感をどうしよう.
 すなわち,「白玉の」を「酒が」に置き換えてみれば,その違和感の正体がわかる.
 
 酒が歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
 
 一つの文の中に「酒」が無意味に二度繰り返されている.これは短形詩としては致命的な冗長さである.ならば例えば
 
 白玉の歯にしみとほる秋の夜は 静かに飲むべかりけり
 

とすれば,歌の調べは滑らかではないが,無駄な語は切り落とされている.
 
 しかし牧水はそうしなかった.となると「白玉」は,牧水が一人静かに飲んでいる酒を指してはいるが,酒そのものではないと考えるしかない.それならば散文的な繰り返しではないからだ.
 ああしかし,うだうだと分析的な言いようは面倒くさいからやめよう.私は,「白玉」は盃なりコップなりに注いだ酒が反射するきらめきだと思うのだ.
 煌くのは当然,秋の夜の月光である.
 太陽の光は輝き照らす光だが,月光は透過する光だ.
 盃を口元に持っていくと,月に照らされた酒がきらきらと輝き,その光が歯をも透過するようだというのである.
 
 秋も深い夜のこと.雨戸も障子も開け放ち,濡れ縁に胡坐をかいて座る.
 右に置いた盆には,酒を満たした白い碗が置かれている.
 夏の盛りに生い茂り,今は枯れた叢には,竜胆やら名を知らぬ花が群れ咲いていて,それを満月に近い月光が煌々と照らしている.
 椀を口元に運ぶと,酒が月光を反射してきらきらと光る.
 その酒を口に含むと,今しがた煌いていた月の光が口中で歯にしみとおるようだ.
 こんな夜,私は一人静かに酒を飲む.
 
 私が牧水の最もよく知られた歌から想起するのは,上のごとき情景である.いかがであろうか.
 
 余談であるが,世の中に奇抜な発想をする人はいるもので,「白玉の歯にしみとほる」は歯の痛みを表しているという.そのブログから下に引用する.(茶色の字は原文のママ)
 
僕は、長らく「歯にしみとほる」という表現の意味するところがわからなかった。 「歯にしみとほる」ほど「うまい」「美味しい」というのが、感覚的にわからなかったのだ。
この歌の入った歌集「路上」を読んでいたら、 この歌は、実は悠長な酒飲みの、ひとり酒の楽しみを歌ったものではないということに気づく。
そしてやっとわかった。 なぜ「歯にしみとほる」のか、 これは「うまい酒」「美味しい酒」ではなく、「痛い酒」なのだ。 歯、ひいては心に沁みてくるような、痛い、つらい酒なのだ。
「路上」の中にはこういう歌もある。
 なほ耐ふる われの身体をつらにくみ 骨もとけよと 酒をむさぼる
失恋のつらさを忘れる為に、 体を酒で苛め抜き、骨も溶けてしまえとばかりにむさぼる酒。 そんな酒だから 「歯にしみとほる」なのだと。
誰かほかに言及している人はないかと思ってネットで探したら あった。
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
酒を飲まない私でも秋の夜長に飲んでみたくなるような歌だが、 牧水は失恋から立ち直れずにいた。
苦しさのあまり酒にたよるしかなかったという。
「白玉の・・・・」は、世上言われる酒に親しむのどかな歌ではなく、 耐え切れぬ孤独をかみしめる青年が、 酒を唯一の慰めの友として手にし得た姿だったのではないか。
「酒は1人に限る」という寂寥はあまりにふかいのである。 と山口俊郎(宮日記者)は書いている。
(『若山牧水』宮崎日日新聞社編より)

 
 この珍説を聞いて驚け.どこの世界に,失恋した孤独な心の苦しみを歯痛にたとえる詩人がいるか.恋の苦しみはどんなに心に痛くあろうとも,突き詰めれば甘やかなのである.不愉快極まる歯痛であるはずがない.こういうことを言う人は,頭の中を一度歯医者に見てもらいなさい.
 なんとなれば,牧水自身が次のように書いているからである.(歌集『樹木とその葉』の跋文から引用)
 
私は獨りして飮むことを愛する。
 かの宴會などといふ場合は多くたゞ酒は利用せられてゐるのみで、酒そのものを味はひ樂しむといふことは出來難い。
 白玉の齒にしみとほる秋の夜の酒は靜かに飮むべかりけり

 …… 》
 
 すなわちこの「白玉の歯にしみとほる…」は,しみじみと《獨りして》《酒そのものを味はひ樂しむ》歌として,牧水が自選した一首なのである.痛みがどうのこうのとたわけたことを言うでない.

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2016年6月16日 (木)

白玉団子

 テレビ番組批評をやっていればブログ記事のネタに不自由しないなあと思っているくらいテレビ漬けの私である.
 普通は一日に二時間ほどだが,特番があったりすると三時間も観てしまうので,天上から故大宅壮一の「一億総白痴化」という声が聞こえたりもする.

 というわけで,昨晩放送のテレビ東京「ソレダメ!〜あなたの常識は非常識!?〜」を録画しておいて今朝観たら,「白玉団子は,白玉粉に水を加えて作るのではなく,白玉粉を同量の絹ごし豆腐で練ると,時間が経っても固くならないのでよい」との「新常識」が披露され,雛壇芸人さんたちに高く評価されていた.

 和菓子屋とか甘いもの屋ならいざしらず,家庭で白玉団子を拵えたら,固くなるまで放置したりせずにすぐ食べてしまいなさい,という古い考えは通用しないのだなあと,しみじみ思ったが,それはともかく,一つ「ん?」と思ったことがある.
 それは白玉団子の形のことである.

 番組中の画像では,白玉団子は球状であったが,私が小さい頃の昭和三十年代に食べたものは,丸めた団子を指で平らにつぶした形状であった.指でつぶすから,硝子でできたオハジキのように扁平なのではなく,中の方が窪んでいた.

 一つ「ん?」と思ったのは,白玉団子の形としてはどっちがメジャーなのかということである.
 こういうときに役に立つのがネットの画像一覧だ.それがここ. 

 この画像一覧を見る限り,大方の白玉団子は球状 (あるいは熱の通りをよくするために少し圧した形) である.だが指でつぶした形のものも,あることはある.
 これはもしかすると地域差なのであろうか.私の郷里は群馬県なのだが,帰郷した折にでも甘味喫茶に入って白玉団子を食べてみよう.若い男が白玉団子のような子供の食い物を口にするのはいささか憚られるが,爺さんならかえって似合うかも知れぬ.似合わないですか.そうですか.残念です.

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2016年6月15日 (水)

消費者をナメている彼ら

 昨夜放送されたテレビ東京「ガイアの夜明け」(6/14放送 第720回) は,《オンリーワン商品で"本場"に挑む!》と題して,長野県にあるビール製造会社「ヤッホー・ブルーイング」を取り上げた.

 同社は,Wikipedia【ヤッホー・ブルーイング】には次のように書かれている.

会社概要
1996年5月に設立された、エールビール専門のクラフトビール製造メーカー (ブルワリー) 。リアルエールとバーレーワイン (長期熟成エールビール) をはじめとしたバラエティ豊かなクラフトビールを製造・販売している。 地ビールメーカーとしては業界最大手 (ビール業界全体では大手5社に次ぐ第6位) 。


 これだけではよくわからないかも知れないが,スーパーやコンビニでビールを買う人はたぶん目にしているはずの「水曜日のネコ」のメーカーである.

 

 さて飲食料品の嗜好については,人により様々であるとしか言えない.
 例えば紅茶.私はどちらかというと保守的嗜好の持ち主であり,強い果実香や花の香りを付与したフレーバード・ティーを好まない.しかしアップル・ティーを好きだという人がいるのは事実であり,それはまがい物だと否定する気は,私には全くない.

 

 ビールにも同じことがいえる.
 よく知られているように,ドイツには「ビール純粋令」という法律がある.
 Wikipedia【ビール純粋令】から抜粋引用すると以下の通り.

16世紀当時のビールは、麦芽、水、ホップの主要な原料の他、香草、香辛料、果実が用いられていた。時には毒草さえ混じる粗悪なものや、そもそもビールとすら呼べないものさえ横行していた。

 

 そのため、にバイエルン公ヴィルヘルム四世はビールの品質向上を目的として,「ビールは麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする」旨の法律を制定した (1516年4月23日).現在でも有効な食品関連法は,これが世界最古とされている.

 もう一度Wikipedia【ビール純粋令】から引用する.

現在でもドイツ国内の醸造所の多くは、ビール純粋令の内容によりドイツビールの品質が支えられ、市場競争力を得ているものと考えており、これを指針としてビール作りを続けている。例えば、バイエルンの醸造業者は、1993年の法制化にて上面発酵ビールでは使用を認められている砂糖も使うことなく、従来のビール純粋令に従って醸造している。理由は、ビール純粋令に従って醸造したビールは消費者から支持を受け、ブランドを守ることができるからである。

 

 私たち日本人のビール観は,副原料にデンプン類の使用は許容するが,概ねドイツのビール観の影響下にある.
 ところがヤッホー・ブルーイング社は,このドイツ流のビール観から全く自由だ.色々な副原料を用いて着香するのを得意としているのである.
(上に紅茶の例で述べたように,ビールに副原料でフレーバーをつけることには何の問題もない.消費者の嗜好の範囲内のことである)

 しかし同社のビールは,斬新な缶のデザインとおしゃれなネーミング (例えば「水曜日のネコ」など) が,ビールのライトユーザーである女性たちの支持を集めてはいるが,キリンビールやアサヒビールの製品が市場を圧倒的に制している我が国では,スキマ商品以外の何物でもない.
 そこでヤッホー・ブルーイング社は,同社製品と同じ類のビールが消費者に人気がある米国での販売に乗り出した.そのために同社が新たに開発したのは,柚子で着香したビールと,鰹節で旨味を付与したビールの二製品である.
 番組によると米国での試験販売は上々の滑り出しであったという.ヤッホー・ブルーイング社の,まだ四十八歳という若い経営者は,番組のインタビューに対して次のように語った.

 

「我々みたいなビールが,埋もれないで,知恵を出して,アイデアを出して,目立って,ウケる.そこを本場のアメリカでできたら,たぶんどこでも,できると思う.そういう意味でいい挑戦だった」

 

 以上が,「ガイアの夜明け 第720回」/《オンリーワン商品で"本場"に挑む!》の概要である.
 おそらく番組制作者は,日本の小さな会社の若い経営者と若い社員たちが「知恵を武器に米国市場に挑戦する」といった勇気の物語を意図していたのであろう.
 しかし,放送された映像は,その意図を全く裏切るものであった.
 この映像を見た同業のビール会社の社員は,ヤッホー・ブルーイング社醸造所 (長野県佐久市) の製造現場の,あまりの不衛生,あまりのデタラメぶりに愕然としたのではないだろうか.

 

 まず,同社醸造所の社員たちは,ジーンズにTシャツなどの通勤服のまま,着替えすることなく製造現場に入っている.
 製造担当者たちは,ヘアネットから後ろ髪を露出したまま作業している.特に画面に写ったロングヘアの女性は髪を後ろに垂らしたまま作業していた.信じがたい.
 ヒゲを伸ばした作業者がマスクをしていない.
 靴は汚れたスニーカーである.
 醸造タンクに手づかみで鰹節を投入している.
 衛生区と非衛生区が遮断されていない.
 ……,などなど.

 

 私は現役会社員時代に,たくさんの食品会社を見学してきたが,このヤッホー・ブルーイング社ほど不まじめで,衛生観念皆無の食品工場はない.
 この会社の連中は,自分たちの作っている製品が,消費者の口に入る飲料だとは思っていないのだろう.
 製造ラインには細かい網のフィルターが設置されているはずだが,そこに引っかかって除去される異物を見てみたいものだ.同業他社の製造担当者が見たら卒倒するのではなかろうか.
 要するに彼らは,ビールを飲料ではなく,ビジネスの道具だとしか考えていないのだ.
 ヤッホー・ブルーイング社の社長も社員も,飲食料品の製造をナメている.消費者をナメている.
 彼らにとってビールの品質なんかは実はどうでもいいことなのだ.

 録画しておいたこの番組を見終わった後で,もう一度社長の発言「目立って,ウケる」を聞き直してみた.すると,彼らがやっているのは「モノづくり」ではなく,「ウケ狙い」だということがよくわかった.「水曜日のネコ」というネーミングは,おしゃれというより,この経営者の軽薄さの象徴なのである.

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2016年6月14日 (火)

目薬試用

 かなり前からのことだが,朝起床すると,目に違和感がある.
 眼瞼が眼球に張り付く感じがして不愉快である.
 これがドライアイなのであろうが,花粉の季節には痒みも加わるので,何かよい目薬はないかと少し試してみた.症状があまり激しくないから,市販の目薬を使うのである.

20160614a

上の画像の説明;

 (左) ロート製薬「新ロート ドライエイドEX
第3類医薬品
成分・分量 (以下は製品説明ページから引用)
 コンドロイチン硫酸エステルナトリウム (角膜保護成分) 0.5%
 ヒドロキシエチルセルロース (HEC) 0.6%
 塩化カリウム 0.02%
 塩化ナトリウム 0.44%

 (中) 千寿製薬「マイティア アルピタットEXα
第2類医薬品
成分・分量 (以下は製品説明ページから引用)
 クロモグリク酸ナトリウム 10mg【抗アレルギー成分】
 クロルフェニラミンマレイン酸塩 0.3mg【抗ヒスタミン成分】
 プラノプロフェン 0.5mg【抗炎症成分】
 コンドロイチン硫酸エステルナトリウム 5mg 【角膜保護成分】

 (右) 参天製薬「サンテ40 ゴールド
第3類医薬品
成分・分量 (以下は製品説明ページから引用)
 ネオスチグミンメチル硫酸塩 0.005%
 天然型ビタミンE(酢酸d-α-トコフェロール) 0.05%
 タウリン 0.5%
 パンテノール 0.05%栄養 (ビタミン)
 コンドロイチン硫酸エステルナトリウム 0.5%
 クロルフェニラミンマレイン酸塩 0.03%

 目薬の選びかたについて書かれているサイトを読んだところ,連用する可能性があって目の充血が症状ではない場合,充血除去成分 (血管収縮剤) である塩酸テトラヒドロゾリンやナファゾリン塩酸塩,塩酸フェニレフリンは含まれていないものがよいとあった.
 なるほどね,と納得して選んだのが上記の三種である.

 まずドライアイを訴求ポイントにしている「新ロート ドライエイドEX」の試用結果だが,食品にも使用される増粘剤であるヒドロキシエチルセルロースの効果で,目に差すとネットリ感があり,まばたきするのに抵抗感が生じる.
 目の前に厚い膜がかかったような印象である.
 涙が少なくなったドライアイの不快感の代わりに,ネットリの不快感が新たに生じたわけで,これは連用する気にもなれずにテスト中止.

 私の目の花粉症はそれほど酷くないからか,アレルギー用目薬「マイティア アルピタットEXα」はよく効いた.花粉が飛ぶ季節にはドライアイ対策としてもこれでいこうと思う.
 ただし,この目薬は成分濃度が高いらしく,容器のキャップのネジ部分に成分が結晶して付着する.そのため,使用したあとは口を清潔なティッシュなどで拭いてからキャップをするのがよいと思われる.

「サンテ40 ゴールド」は,とにかく安くてよろしい.成分内容的にも涙不足対策に気軽に使えると思われ,普段はこれでいくことにする.

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2016年6月13日 (月)

J‐POP感

 以前このブログで出版第一作『ひとりぐらしもプロの域』を紹介した新進漫画家のカマタミワさん.
 御本人の気持ちとしてはイラストレーターが本職であるが,四コマ漫画の才能が半端ではない.
 まずは次の三連作をみていただきたい.

だっこしてるのにだっこして漫画

抱っこされてるのに抱っこして!の続き

そして母の反応

 連作の最後にある《心まで抱きしめてえええ J‐POP感がすごい》で大爆笑である.

 「それは言わぬがお約束」という.
 皆がそう思っているけれど,言うと逆ギレされるから言わないほうがよいことがある.カマタミワさんが指摘するところの《J‐POP感》はその一つだ.
 アレもそうですな.シャアの名言とかいうやつ.

認めたくないものだな…自分自身の…若さ故の過ちというものを…

 これも,聞くと恥ずかしさで悶絶するくらいの《J‐POP感》だが,ガンダムファンに向かって,臭い台詞だとか言ったらきっと殴り飛ばされる.

 このようにあれこれ探していくと,

われわれは明日、羽田を発(た)たんとしている。われわれは如何なる闘争の前にも、これほどまでに自信と勇気と確信が内から湧き上がってきた事を知らない。……最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである》 (Wikipedia【よど号ハイジャック事件】から引用)

に辿り着いてしまう.
 《われわれは明日のジョーである》は,私たちの世代の言葉がどれほど幼稚だったかを示している.J‐POP感がすごい.おまけに《明日の》は「あしたの」の引用間違いだし.
 私は彼らの仲間ではないけれど,彼らと同じ程度に馬鹿だった同世代者としては,身をよじりたいくらい恥ずかしい.飛行機の搭乗の手順を知らなくて犯行に遅刻するって,どれほど間抜けなんだと世間は嘲笑し,私もしらばくれて笑ったが,実は私も飛行機の乗り方を知らなかった. orz
 今の高齢者たちがエラソーなことを言ったら,若い人は「われわれは明日のジョーである…か」とつぶやくとよい.年寄りたちはきっと言葉少なに俯くであろう.(笑)

 余談だが,Wikipedia【よど号ハイジャック事件】に,こんなことが書いてある.

当時東京大学の学生であった舛添要一は、郷里の福岡に帰るため当該便の搭乗券を購入していたが、前日の夜に仲間と酒を飲んだ影響で搭乗することができず、難を逃れている。

 ハイジャック犯も間抜けだったが,飲みつぶれて搭乗便に遅刻した舛添要一は,若い時から危機管理ができていなかったのである.だからどうということもないが,ものはついでなので.

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2016年6月12日 (日)

藤沢 煌蘭

 娘からメールがあり,六月は父の日だからお昼御飯を一緒に食べようという.
 三月の私の誕生日に,お祝いにちょっとお高めのランチを御馳走してもらったから,父の日は「父の(おごりの)日」でいいよ,今度は父がお返しすると返信した.

 その三月のときには,彼女があらかじめ藤沢の三ツ星超人気店「幸庵」に予約を入れてくれたのだが,今回は時間がないから,そこら辺の普通のお店にする.
 昼飯時に長居しても店側にとって迷惑ではなく,つまりそれは,こちら側はゆっくり食事できるということであるが,そんなお店の心当たりはそれほどないので,藤沢駅北口にある「さいか屋」デパートのレストランフロアにある煌蘭に決めた.
 ただし日曜日ということもあり,ランチタイムは混むかも知れないから早めに入ろうというわけで,十一時の現地集合にした.私の朝飯は朝五時なので,実は普通の人の「早め」が私にはちょうどいいのである.

20160612a

 店の入り口に献立を書いたものが置かれていて,それを見たら,どういうわけか店の公式サイトに掲載されている昼のコース料理がなく,それとは違う千円安いコースが書かれていた.
 しかも席に案内されたあと,かなり御年配のウェイトレスが持ってきたメニューには,上記のものとはまた別の献立が「本日のおすすめ」になっていた.
 ここら辺がまあ,デパートの食堂レベルの店の垢抜けないところである.マネジャーがあまりしっかりしていないと思われる.
 それで,どうなっているんですかと色々問い質すのも面倒であるからそれはスルーして,お昼のサービスランチを基本にし,それに定番の単品料理を追加することにした.

 サービスランチは千円とお安くて,三種類あった.
 その中から,豆腐を白湯で煮込んで少しとろみをつけたものと,もう一つ油琳鶏を選んで,この二つをシェアする.
 煌蘭のグランメニューはサイズが指定できて,ss (一人前),小 (二,三人前) と大 (四,五人前) があった.
 そこで追加料理には,前菜三種盛り (ss),海老チリ (ss) と,鮑と青菜の炒め (小) を頼んだのだが,結果的にこれは失敗だった.
 どういうことかというと,海老チリは上出来だったのだが,鮑と青菜の炒めは間の抜けたような味で,あまり感心しないものであったからである.サイズを逆にすればよかったと軽く後悔した.

 さて,飲み物のことで言いたい文句が一つある.
 あまり酒を好まない娘はお茶でいいといったが,私はグラスビールを注文した.
 ところが,私たちの席の係である件の年輩ウェイトレスは,盆の運び方が不安定らしく,グラスの縁からビールの泡があふれ,外側がびしょびしょに濡れたグラスを「申し訳ありません,こぼれてしまいました」と言いながら,そのまま私の前に置いて行ってしまった.
 一体どんな注ぎかたと運びかたをしたものか,そのあとビールの泡はさらにあふれ続け,私の前はビールでかなり汚れてしまったので,他の店員を呼んで拭いてもらった.
 こういう店員教育もマネジャーの仕事なんだが…

 そういうわけで煌蘭の料理とサービスはがっかりであったが,私が最近でかけた会津旅行やら沖縄の話をして,娘の近況を聞いているうちに一時間半はすぐに経ってしまった.彼女も今月,休暇をとって沖縄に行くという.今度は夏休みにでも土産話を聞きたいものだ.

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2016年6月11日 (土)

「あたたかさ」という企業イメージ

 今では余り耳にしなくなったけれど,かつて「優しさ」という流行語があった.
 この「優しさ」が一体何を意味しているのか,流行の最中でも曖昧なままであった (だからただの流行語だったのだ) のであるが,例えば「ただ,あなたの優しさが怖かった」(南こうせつ「神田川」) のように,とりあえず「優しさ」と言っておけば中身のない歌が一つできてしまうというところがあり,商業主義的ソングライターが愛用したものだ.

 

 「優しさ」ほどのはやり言葉ではないが,「泣ける」というのも「優しさ」と意味的に近いところにある.
 ネット上を散策していて最近目にしたことに,「泣けるCM」がある.
 何のことかというと,味噌の大手であるマルコメが暫く前から放映しているアニメCMである.
 同社のCMでは「料亭の味 カップみそ汁 夜食篇」が評判を呼んだが,今放送中の新作「料亭の味 液みそ 上京篇」が泣けるCMとして大変に好評のようである.(これまでの同社CM作品はここで閲覧できる)

 

 それらが本当に「泣ける」かどうかというと,それらのCMのストーリーがありがちな話であることもあって,まあそれほどでもない.
 しかし,CM制作にあたってのコンセプトが実に明快であることは確かだ.

 

 同社のサイトから「料亭の味 カップみそ汁 夜食篇」のキャプションを以下に引いてみる.
みそ汁は、“あたたかさ”という情緒的な価値を持っていることを、娘を思う父の姿を通して表現しているアニメーション作品です。

 

 同じく「料亭の味 液みそ 上京篇」はこうだ.
これまでのCM同様、みそ汁の持っている“あたたかさ”という情緒的な価値を、息子と母の姿を通じて表現したアニメーション作品です。

 

 つまりここでマルコメ株式会社は,個別商品の宣伝広告を通じて,同社の企業イメージは「あたたかさ」であると言っているのである.
 そしてそれはきちんと成功していると思われる.天野祐吉が存命なら高く評価したのではなかろうか.

 

 商品CMの総体が企業イメージであることは論を待たない.
 であるからして,マルコメと同じ業界の永谷園が自ら消費者に訴える企業イメージは「汚らしさ」である.
 このCM↓をみれば,この会社の経営者がどれだけ下品な音に鈍感であるか,一目瞭然である.
 生みそタイプみそ汁あさげ「あさげ時々めし」篇
 飯を空気と一緒に吸い込んで口に入れ,すぐに味噌汁をズブズブと汚らしい音を立てて啜り込み,咀嚼して油ぎったオヤジのように「あー」と声を上げる.
 そんな豚の如き食い方をするのなら,最初から味噌汁ぶっかけ飯にしろ,飯食ってるときに「あーっ」て言うなっ,この下司野郎っ.はあはあ.

 

 味噌汁を汚らしく啜り込んだ挙句に「あーっ」と言うことを良しとする点では,味の素株式会社も永谷園といい勝負である.
 《小栗旬 ほんだしCM

 

 そもそも味の素という会社は,食品業界のトップ企業でありながら,これまでロクなCMを遺してこなかった.
 たった一つの秀作が,後に美空ひばりの代表曲を生むきっかけとなった《味の素CM87年 愛燦燦(あいさんさん)》であるが,今ではこんなCMを企画できる人材は同社にいないだろう.

 

 余談であるが,味の素の元社員と飲んでいたら,「ほんだし」のCMには
♪かつお風味のふんどし~
という替え歌があったそうである.
 褌が鰹風味なのである.どんな褌だ.風呂に入れと私は言いたい.

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2016年6月10日 (金)

亜細亜鶏飯

 私は炊き込み御飯が好きだ.

 私の友人で,炊いた飯は白飯しか食べないという男がいる.彼は飯茶碗に盛るのは銀舎利と決めていて,しかもその真っ白な飯がおかずと混ざるのも嫌だと言う.
 私は普通の関東人なので,納豆は飯の上に載せて食う.塩辛の類も同じように,茶碗の上の飯に箸で一つまみのイカの塩辛を載せ,それから飯と塩辛を一緒に口に運ぶ.
 しかし件の白飯原理主義者は,食事が済んだときに茶碗に納豆のネバネバとか塩辛の汁が付着して残っているなんてのは生理的に許せないと言うのである.
 納豆の場合は,まあその気持ちはわからぬでもないが,それが高じて炊き込み御飯もパエリアも炒飯も一切口にしないというところまで行くと,かなり偏屈だなあと思わざるを得ない.

 さて炊き込み御飯だが,山下清画伯に倣って兵隊の位でいうと,大将は筍飯だと思う.
 飯粒と筍とが見た目に半々くらいに炊くと,筍というものは筍飯のためにあるのだと思われるほどだ.
 これに比べると松茸御飯は,例えれば東の正横綱であるが,松茸のお値段がお値段なので筍飯のような乱暴ができないから,作るときに爽快感があまりない.食べればおいしいけどね.

 炊き込み大将や炊き込み横綱が登場したが,気品の点でこの二者を圧倒するのが茶飯である.
 ここでいう茶飯は,おでん屋で食べさせる安直な醤油味の飯のことではない.
 静岡県内の一部地域で薫風薫る五月に食べる煎茶の炊き込み御飯のことだ.
 クックパッドでレシピを探してみたが,クックパッドの投稿者たちは基本的に「簡単」志向なので,御飯を炊くときに炊飯ジャーの釜に煎茶をパラパラと加える程度のことしかやっていないが,茶処の茶飯はもう一手間かかる.
 予め煎茶を淹れて,これで炊飯するのである.
 このときに昆布を入れたりすると茶の香りが損なわれるので,余分なことはしない.削り節はもってのほか.某煎茶製造業者のサイトに,油揚を入れたレシピが掲載されているが,そういうことは焙じ茶でやりなさいと言いたい.
 で,炊きあがった茶飯は,仄かな灰緑色で,ほんのりと茶の香りが立つ.
 これが炊き込み御飯界の女王であると私は断言する.ちょっとお高いものにつくが,この季節だけの贅沢であると思って,ぜひにとお勧めしたい.

 前置きが長くなった.
 今日の本題は「CookDo おかずごはん」で作るアジアン鶏飯である.最近テレビでCMをしているやつだ.
 製造者の歌い文句は
コクのある鶏だしと醤油をベースに、しょうがの風味を利かせ、隠し味にナンプラーをほんの少し加えた香ばしい味わいのソースです
である.おいしいか否か.早速作ってみた.作り方はここ. 
 私は東南アジアの料理に疎いので,この商品の詳しいレビューは遠慮しておく.
 ただし,炊いた直後は旨いと思ったが,一度に三,四人前もできてしまうので,翌日の朝に冷えたのをレンチンして食ったが,鶏油と生姜まみれの飯は,もういいですという感想を持った.話のネタに一度食べてみるのはいいかも知れない.ではまた.あー本文が短すぎ.

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2016年6月 9日 (木)

死語「愚妻」

 かつて「愚妻」という言葉があった.
 戦前生まれの,私の父親たちは「愚妻」を使っていたし,昭和二十年代から三十年代に制作された東宝あたりの喜劇映画を観ていると,たまにヒラ会社員が上司に「愚妻が言うには…」などという台詞があったりする.
 しかし私と同年代の,いわゆる団塊の世代の人間は,「愚妻」を言葉として知ってはいても,実生活の中で自分の妻を愚妻と呼ぶことはなかった.戦前の,古色蒼然たる言葉なので,戦後生まれの私たちの感性に合わなかったのが理由だろう.
「愚」は「私」をへり下って言うときに用いる言葉 (実際に「愚か」だという意味ではなく,へり下っているのを「愚」という語で表しているに過ぎない) である.すなわち「愚妻」は「私の妻」の意である.
 しかし戦後生まれの私たちの世代は,生まれながらの身分や貧富にかかわらず,自分のことは堂々と「私」と呼びましょう,自分に誇りを持ちましょうとする教育を受けた.それは戦後民主主義の一つ形だったのである.

 その結果,もう「愚妻」なんて言葉を使う者がいなくなって何十年も経つのだから,「愚妻」は死語といっていい.
 そして死語化した「愚妻」は,いつの間にか若い人たちには元々の意味がわからなくなり,使い方も誤用されるに至った.

 読売新聞ニュースサイトのコンテンツ『発言小町』に《愚妻って言うな!》というトピが数日前に立てられた.
(以前から読売新聞社は記事にリンクを張ったり URL を示すことを不当な引用であるとしているため,URL を示せない.Google とは引用に関する契約が締結されていると思われるので,御興味ある向きは「愚妻って言うな!」で Google を検索していただきたい)

 さて,このトピ,若いと思われるトピ主が《夫がよく外で、「うちの愚妻が」って言います》と書きだしているところからして「釣り」くさい.今時の男で,愚妻なんて言うやつがいるとは思えぬが,それはいいとして,そもそも《うちの愚妻が》が誤用なのである.「愚妻」を「私の妻」に直してみれば一目瞭然だ.
 ここで「うちの」は「私の」という意味だから,「私の私の妻」になってしまう.トピ主の教養レベルが知れてしまう.(笑)

 この無知無教養トピ主に賛成も反対も色々なレスが付いているが,「愚妻は〈愚かな私〉の妻のことだ」とか,甚だしきは「愚妻は〈愚かな妻〉のことだ」など,悉く無知無教養をさらけだして,ワイワイ騒いでおる.
 今の高校の教科についてはよく知らないが,私たちの高校生時代は「国語」教科は「現代国語」と「古典」に分かれていた.
 昔はその「古典」の授業で,「愚」「拙」「小」などの一人称の意味と用法を学習したが,現在は「古典」は必修科目ではないようである.
愚妻って言うな!》トピで騒いでいる若い連中が「愚妻」の意味も用法も知らないのは,高校で「古典」を学ばなかった結果であるかも知れない.

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2016年6月 8日 (水)

阿蘇復興支援セット

 四月十四日の熊本地震から二ヶ月が経過しようとしている.
 被災した人々は,今も生活の再建のために大変な苦労をしているだろうと心痛む.

 そんな状況の中,昨日のテレビ東京『ガイアの夜明け』は「第719回 熊本に生きる!」を放送した.
 番組に登場したのは,以前にも『ガイアの夜明け』で取り上げた生産者の方々であるという.

 熊本地震の後,受注が激減して苦境に立たされた熊本の縫製工場に,国際的に高い評価を受けている新興ブランドの服飾デザイナーが仕事を発注した.そのデザイナーは,番組スタッフのインタビューに,気負ったところのない静かな口調で「支援になればと…」と言う.
 そしてその技術的に難しい注文に見事に応えた縫製会社の職人の腕に私は感動した.

 番組は,阿蘇の地場産品統一ブランド「然」を構成する酪農牧場やパン工房を取材し,観光客激減による危機を乗り越えようとする苦闘を報告した.
 私は学校を出てから定年退職までずっと食品会社にいたから,彼ら農と食の生産者,ものを作る人々の心中を思いやるに,全く他人事ではなく画面に見入った.
 そのパン工房主人が,実りを迎えようとする麦畑に立ち,今年の麦はすごくいいんですと言いながら満面に浮かべた笑顔がすばらしかった.
 
 熊本の生産者たちが,「阿蘇復興支援セット」の通信販売に踏み出したところで番組は終わったが,私も今朝早速,購入を申し込んだ.

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2016年6月 7日 (火)

情けないぞ 郡司和夫

 私のブログは,例のペテン師郡司和夫が,トンデモ系サイト「Business Journal (ビジネスジャーナル)」に大嘘を書くと,とたんにページビューが増大する.昨年掲載した記事《ペテン師郡司和夫 》にアクセスされるかたが増えるためである.

 

 昨日もそういう状態になったので Business Journal を覗いてみたら案の定,
ペットボトル茶は危険!発がん性の合成ビタミン大量含有、粗悪な中国製添加物も
が載っていた.

 

 いくら額に汗せずに舌先三寸で食っていくためとはいえ,多くの人々を騙すのは,人として恥ずかしくはないか,郡司和夫.
 しかもその大嘘が,幼稚にして粗雑すぎる.
 例えば今回の《ペットボトル茶は危険!発がん性の合成ビタミン大量含有、粗悪な中国製添加物も》では,こんなことを書いている.

 

金沢工業大学研究グループの調査によると、市販されている主な緑茶飲料500ミリリットル当たりのビタミンC含有量は平均で100ミリグラムである。
 厚生労働省が定めているビタミンCの摂取推奨量は1日100ミリグラム。ペットボトル緑茶1本飲めば、この量に到達する。しかも、合成ビタミンCである。

 

 郡司の書いていることは,《緑茶飲料500ミリリットル》を飲むと,《厚生労働省が定めているビタミンCの摂取推奨量は1日100ミリグラム。ペットボトル緑茶1本飲めば、この量に到達》してしまうから,市販緑茶飲料は危険なんですよ,というわけだ.
 しかし少しでも食べ物の栄養に関心のあるかたなら,ここで「ん?」と思うだろう.
 そう,郡司は,「日本人の食事摂取基準」に記載されている「摂取推奨量」とは何かを知らないのである.「摂取推奨量」を摂取上限のことだと思い込んでいるのである.
「食事摂取基準」は,健康の維持・増進のために摂取が推奨される最低基準であり,これを下回ると各種欠乏症状が現れる可能性があるという基礎的知識であって,このことを知らないというのでは,もう頭の中身がお話にならないものであることを示している.

 

 さらに郡司の嘘は続く.

 

たとえば、がん細胞をつくる原因になる活性酸素を、ミカンなどに含まれる天然のビタミンCはほとんど発生させないが、人工的に作られた合成ビタミンC (L-アスコルビン酸) は大量に発生させる。

 

 上はもはや何を書いているのか,自分でもわかっていないであろうと思われる.

 

天然のビタミンCには活性酸素の発生を抑える酵素が含まれているからだ。

 

 ここで郡司が書いている《天然のビタミンC》は,柑橘類などの食品のことを言いたいのだろうが,知りもしないことについて迂闊にこんなことを書くから,郡司は食品と栄養素の区別もできないという情けない事実が暴露されてしまった.

 

酵素は分子構造式 (いわゆる亀の甲) には現れない。

 

 なんだそりゃ.高校の化学からやり直せ,ペテン師郡司和夫.

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2016年6月 6日 (月)

おばあちゃんになったね

 楽園を追われたアダムとイブが,夕日の沈む荒野をとぼとぼと歩く.
 こんなイメージを頭に思い浮かべるとき,私は勝手に,イブの後ろに子犬と子猫がトコトコとついて行く姿を付け加える.まことに犬と猫は,労働と出産の苦しみを背負って人生を生きていかねばならなくなった人間に,神から贈られた餞だからである.
 ね,なんかそういう気がしませんか.

 

 ところで世の中は大変な猫ブームである.
 つい昨年だったか,日本ではトレンド的に,やがて猫の数が犬を追い抜くだろうと言われていたと記憶しているが,最近ではもう犬より猫のほうが多いということらしい.
 私は犬の飼い主であるが,これはたまたまそうなったのである.
 私は元々がアレルギー体質であるため猫を飼うのは無理であったのだが,トイプードルはほとんど毛が抜けない犬種であり,飼っても室内環境を清潔にすることが容易であることを知って,トイプーを飼うことにしたのだ.そういうわけで実は猫も,もし飼えるものなら飼いたいくらいに好きである.爺さんでも気軽に入れる猫カフェがどっかにないものだろうか.

 

 さてテレビCMに犬猫が登場することは昔から珍しくない.
 犬のCMで,かつて名作と言われた作品に,サントリーが昭和五十六年(1981年) に制作した「雨と子犬」がある.
 この「雨と子犬」に登場している子犬は,保健所で殺処分になるはずだったところをCM制作関係者が引き取って,起用したものだそうである.
 という背景が今は知れ渡っているからいいけれど,「雨と子犬」そのものは雨の中を放浪する捨てられた子犬の映像だけであり,子犬をこれから待ち受けている悲しい運命「殺処分」についてのメッセージは何一つ感じ取れない.
 「雨と子犬」が放映された昭和六十年当時,全国で毎年百万頭近い犬が殺処分されていたのであるが,平成二十六年には実に五千三百頭 (残念ながら猫は未だその二倍の数が殺処分されている) にまで減っている.
 これは,長年のあいだ殺処分問題に取り組んできた人々や保健所などの自治体関係者の努力で,この問題が国民に広く認識されてきたことが大きな要因であるだろう.

 

 「雨と子犬」の終わりに流れる《色んな命が生きているんだなあ》という能天気なナレーションは,サントリーという会社が当時,犬と猫の殺処分問題について何の見識も持っていなかったことを示している.本当は,あの頃の日本では「色んな命が生きられなかった」のである.
 けれども,現在の価値観で過去を断罪するのは,もちろん正しくない.今現在,サントリーが犬の登場するCMを作ったとすれば,さすがに「雨と子犬」みたいな社会性のない映像作品を作ったりはしないだろう.
 サントリーは数々の名作CMを制作放映してきた会社である.現代版の「雨と子犬」を作ってくれたらいいなあと思う.

 

 CMと犬の話をもう一つ.
 犬や猫を飼っている人なら誰でも思うのは,彼らの悲しいくらいに短い命のことである.
 大抵の場合,犬も猫も十数年で年老いて,飼い主と死別することになる.
 だから例えば仮に,捨てられた子犬を拾うことがあったなら,その子犬が年老いて命を全うするまでの短い年月,ずっと大切にしてあげたいと,多くの犬好きな人たちは思うだろう. 
 そういう犬好きな私たちの琴線に触れるテレビCM映像↓が最近よく放送されている.
 
積水ハウス の犬のCM  「また、ここで・・・」篇 永野芽郁
 
 私はこういう心温まるメッセージが好きだ.

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2016年6月 5日 (日)

単独峰

 今年の,少し前のことだ.
 たしかNHKの「団塊スタイル」であったか,東日本大震災特別番組だったかを観ようとテレビをオンにしたときだったと思う.
 達者な絵本風イラストの動画にかぶせて,女声の朗読が流れた.
 観ようとした番組の少し前の一,二分の短い朗読なのであるが,その文章は,他の誰でもない人の文体だからすぐにわかった.佐野洋子である.
 あとで調べたら,その番組は二年前に制作された「ヨーコさんの“言葉”」の再放送であった.

 『100万回生きたねこ』(講談社) の出版が昭和五十二年(1977年) だから,当時二十七歳の私が絵本を読むはずもなく,私が佐野洋子という人の名を知ったのは『私はそうは思わない』(筑摩書房, 1987年) が最初だった.
 その当時,佐野洋子は五十歳,私はまだ四十前だったから,随分と風格のある文章を書くかなり年上の女性のように思ったのだが,今になってよく考えてみると,彼女は私よりほんの一世代上だけなのである.
 佐野洋子は昭和十三年生まれで平成二十二年没.享年七十二.
 あと何年かで,私も七十の歳を越す.まことに時間の過ぎるのは早い.

 女性作家でエッセイをたくさん書く人のうち,内容が下品で文章がヘタの最右翼を林真理子とすれば,対極に群ようこや平松洋子がいることに異論のある人は少ないだろう.
 群よう子や平松洋子は随筆の名手であるが,佐野洋子は全くの別格だ.ふさわしい呼びかたを探せば「単独峰」だろうか.

 昨日から,佐野洋子の『がんばりません』を引っ張り出して寝床で読んでいる.
 それにしても,エッセイを能くする女性は,なぜ皆「ようこ」なのだろう.

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2016年6月 4日 (土)

藤沢 萬福楼新館

 東日本大震災が発生した頃は,私にはまだ毎日飲まなければいけない薬というものがなかった.
 ところが二年前に心臓バイパス手術を受けて,それからは何種類かの薬を毎日きちんと服用しなければいけなくなった.

 それで熊本地震が起きてすぐ思ったのは,もし手持ちの常用薬が少なくなっているときに被災すると,ちょっと困った事態になるということだった.
 防災対策の水や食料については自分で準備できるが,薬はそうはいかないから,少なくとも二週間くらいは,そのような事態に耐えられるようにしたい.
 そう思って,かかりつけの医師に相談したら,そう希望する患者さんは多いです,ということだった.それで毎日服用する薬の手持ちに,一ヶ月分の余裕を持つことにした.

 五月初めにその医院で二ヶ月分の処方箋を書いてもらったのだが,一ヶ月経った昨日もその医院に行って,また二ヶ月分の処方箋を出してもらった.
 都合,これで服用する薬の手持ち在庫に一ヶ月分の余裕ができたことになる.一安心である.

 いつも利用している調剤薬局は,藤沢駅の北口商店街にある大き目の大島薬局である.
 窓口に処方箋とお薬手帳を出し,椅子に腰かけて待っていたら,目の前に貼ってあるこんな↓ポスターに気が付いた.

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 ふーん,調剤薬局に処方箋を出す際に,お薬手帳を持ってこないと支払いが高くなるように四月から調剤報酬が改訂されたのか.知らなかったな.
 以前,むしろお薬手帳を使うと薬代が少し高くなるように改訂されたはずである.
 調べてみたら,ネット上で,その改訂を非難し,お薬手帳の利用を止めようとの呼びかけが行われたのだそうである.
 これではお薬手帳の利用推進に困るので,その対策として厚労省はこの四月からの制度改正をしたようである.
 しかし私は以前から,お薬手帳の必要性を重々承知していたので,この制度改正で何か変化があるわけではない.厚労省の猫の目行政は気に入らぬが.

 それはともかく,薬局に貼られていたポスターに私の注意が向いたのは,そのことではなく,お薬手帳のスマートフォン化のことだ.
 私はガラケー使用者なので,またこれで自分のデジタルデバイド化が進行するなーと思ったのである.

 そこでこの件を帰宅してから少し調べてみたら,上のポスターではお薬手帳のスマホ化を謳っているが,実は「電子化」というのが現状では正確な認識のようである.
 というのは,現在てんでんばらばらな規格で電子化お薬手帳の試みがなされていて,端末としてスマホ以外にICカードも検討されているらしい.
 いずれは国の主導で規格統一されるだろうが,実現可能性としては,これだけスマホが普及しているのでスマホになりそうな気もする.しかし調剤薬局に行く機会の多い高齢者は,スマホよりもガラケーの保有率が高いとも聞く.
 しかも例のマイナンバーカードが「電子処方箋」を取り込む予定らしいので,それとの絡みでは,お薬手帳もICカードシステムになる可能性が高いような気がしないでもない.
 果たしてどうなるのか.もう私もスマホに乗り換えたほうがいいのだろうか.

 そう考えたのは帰宅してからのことであるが,薬の代金を払い,薬局のドアを出たら急に空腹を覚えた.もうすぐ一時になる頃合いであった.
 すると薬局のすぐ前に,萬福楼新館が見えたので,ここで昼飯にしようと思った.
 一昨日,昨日に続いていかにも「孤独のグルメ」っぽいわざとらしい展開である.はは.

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 この萬福楼新館という店は,店構えは中国料理店のように見えるが,中に入ると内装がかなり古びた大衆的な店なのである.古くても新館とはこれ如何に.わしは笑点か.
 献立は,ほとんど大衆中華である.上の写真には「四川料理」と書いた幟が写っているが,萬福楼新館は四川料理の店というわけではない.ちゃんと焼き餃子がメニューに載っているといういい加減さであり,それが街中の大衆食堂のいいところであるのだろう.この店に中国料理を期待してはいけないのである.

 店に入ると私は奥の丸テーブルにどうぞと指示された.一人で四人掛けのテーブル席を占領してはいけないのだ.
 この日のランチメニューの中から,私はおかずに豚肉野菜炒めをチョイスした.おかずには半ライスがついてくるのだが,ランチメニューでは,さらにこれにハーフサイズの麺類がプラスされる.
 麺は二種類から選ぶのだが,昨日は担々麺と上海焼きそばであった.いつもその二種かは知らないが,この店の担々麺は「汁あり担々麺」であり,Wikipedia【担々麺】によれば,これは元々が日本で考案されたものであるという.もう一つは「上海」焼きそばだが,これも本当に上海料理かどうかはかなり怪しい.
 ま,大衆食堂というものは,腹を満たすのが第一なのであり,料理云々を言うならもう少し上級の店に行けばいいのだ.
 接客も大衆食堂だから云々してはいけない.昨日は丸テーブルに腰掛けた私の隣の席で,店員の若い女性が赤ちゃんに離乳食を食べさせ,中国語でなにやら赤ちゃんをあやしていた.ま,萬福楼新館はそういう店である.お会計は八百五十円.ごちそうさまでした.
 

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2016年6月 3日 (金)

辻堂 ダブルレインボウ

 テラスモール湘南 (辻堂駅隣接) に入っている家電量販店「ノジマ」の中に Y!mobile のショップがあり,そこに出かけてポケット WiFi の解約をしたと,昨日の記事に書いた.
 解約手続きは,契約のときと同様に三十分近くかかったのであるが,電器店というのは暇つぶしに適していて,あれこれ新製品を見ているとすぐに時間が過ぎて行く.
 その日,待ち時間に私はエアコンのコーナーに行った.

 私は,本社勤務の会社員時代はほぼ一日中,空調されたオフィスで仕事をしていたが,帰宅すると六畳の書斎兼寝室に引きこもり,冬は小さな温風セラミックヒーター,夏は扇風機で過ごしてきた.
 ただし,うちの飼い犬のプー子 (トイプードル) は体温調節がへたな犬種であるため,家の中で彼女の行動範囲はエアコンで適温に調節してある.

 ところが昨年の夏は,暑さがかなり身にこたえた.いよいよ老いて体力の衰えを自覚したのかも知れない.
 それで,死ぬなら老衰で眠るように逝きたいものであり,熱中症で西方浄土に行くのは嫌だから,書斎にエアコンを設置することに決めた.

 さてそういうわけで,ノジマでエアコンを眺めていると,側にいた店員が「何か御質問がありましたらどうぞ」と言う.
 そこで「この 69,000 円のやつが一番安いですか?」と訊いてみた.
 すると答えは
「そうですけど,もう少し上の,この 86,000 円の機種が大変お買い得です」
であった.
 その機種は自動フィルター掃除機能付きの富士通ゼネラル AS-R22Fだった.価格は標準工事費込みである.
 店員が言うには,ノジマ店頭価格が最も安い 69,000 円の機種でもフィルター掃除を週二回きちんとやれば問題はないが,掃除を怠ると効率が落ちてエコでないとのこと.
 その点で自動フィルター掃除機能付き機種は年一回の手入れで済むし,自動掃除機能がないスタンダード機種で掃除が行き届かない場合と比較すると,少しくらいの価格差はランニングコスト差で回収できてしまいます,というのが彼の説明だった.
 確かにフィルターの掃除は面倒であるので自動フィルター掃除機能付き機種がいいと思われるが,上位機種になると,パナソニック製などは一気に 120,000 円台になるので,富士通ゼネラル AS-R22F は第一候補だなあと思った.

 エアコンについて検討したあと,Y!mobile のショップでポケット WiFi の解約を済ませ,藤沢に戻って駅の北口にあるビックカメラに行った.
 ビックカメラのエアコンコーナーに行ったら,一番安い自動フィルター掃除機能付き機種は 120,000 円台のものだった.
 店員が近寄ってきたので,「辻堂のノジマでは 86,000 円のがあったけど,ビックカメラは 120,000 円台が最安値ですか」と訊いてみた.
 するとその店員は
「あ,その 80,000 円台ってのは去年の型落ち機種ですよ」と言う.
「ノジマさんは,去年の在庫を抱えて大変らしいです.型落ちでなかったらそんな安くはできませんよ.うちはおかげさまで2015年モデルは完売したので,そこまで安いのはないんです.すみませんねー」
と,聞きもしないことをペラペラとしゃべった.

 念のため帰宅して調べてみたら,富士通ゼネラル AS-R22F は2016年モデルだった.
 あのビックカメラの店員 (メーカーの派遣スタッフかも知れないけど) は,テキトーな嘘で他店を攻撃するとはふてえヤローだと思った.誰がお前んとこから買うか.

 それが一昨日のこと.
 昨日は昼前に再び辻堂のノジマに行き,富士通ゼネラル AS-R22F を購入した.
 工事日とか保証とか色々決めて,ノジマを出たら飯時だったので,テラスモールの四階レストラン街で昼飯を食うことにした.
 これは一昨日と同じ展開で,イントロと無関係に唐突に食い物話が始まるあたりが,なんかこう「孤独のグルメ」っぽくて,いいんじゃないでしょうか.

 で,ざっと各店のランチメニューを比較検討した結果,RRainbowという店に入った.ダブルレインボウと読むらしい.ハワイアンな料理の店である.

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 ハワイの料理ってのは,例のロコモコ丼にしてもそうだが,ジャンクフードが多いのではあるまいか.
 窓際の席に着き,丼ものなどのジャンクメニューを見たが,食欲をあまりそそられないので,あたりさわりのないカレーがいいだろうと思って,シュリンプカレーをウエイトレスさんに注文した.
 そのウエイトレスさんは,どちらかというと厚化粧方面のかたで,しかしちょっと魅力的な微笑みを浮かべつつ,二百円プラスでソフトドリンクはどうですかと勧めてきた.
 私はカエルと同じく水を飲みながら飯を食える人間なので,ソフトドリンクはいらないですと断った.
 するとその厚化粧方面のウエイトレスさんは,ハワイアンな店なのに白いTシャツと花柄の長いパレオというタヒチアンな衣装を着ていて,少し勘違いしているのかなあと思ったのだが,そんな疑問はどうでもよくなる魅力的な微笑みを浮かべながら,二百三十円プラスでトッピングはいかがですかと勧めてきた.シュリンプカレーならチーズがおいしいですと言う.
 ぐいぐい感の強い店だなとは思ったが,チーズカレーは食べたことがないので,物は試しと思ってチーズを追加した.

 この店はテラス席がある.下の画像は店外の通路からテラスを撮ったものだ.
 晴れて爽やかな日は,ここに席をとるのがいいかも知れない.

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 窓の外のテラス席をぼんやり眺めているとシュリンプカレーがやってきた.
 想像していたのは,カレーライスの上に溶けたチーズがたっぷりと載っているものであったが,実際の一品はカレーソースの中にモッツァレラチーズが少し混ぜてあるものだった.
 チーズの量は,普通のピザトーストに使う量の半分くらいと言えばいいだろうか.ほんのちょっとであり,これで二百三十円プラスはボッタクリじゃないですかと文句言いたいくらいのトッピングだった.

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 しかもモッツァレラだから,味も香りもカレーに完全に負けてしまって,やたら糸を引く以外のチーズ感はないのである.
 そして,チーズのボッタクリトッピング二百三十円をつけてしまったのは私に想像力が足りなかったせいだと諦めるが,問題はベースのシュリンプカレーだった.
 ひょっとしてこれは業務用カレーソースにエビを入れただけじゃないのか?
 どうにも安食堂にありがちな味なのである.スパイシーさが全然なくて,糊みたいで,あからさまに申し上げれば,かなりまずい.

 こんなカレーソースなら,藤沢駅の改札を入った正面にある「カレーステーション」のステーションカレー四百六十円のほうが旨い.
 ついでに自慢するが,私の作るカレー,例えばこれのほうが遥かに旨い.

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 RRainbow のシュリンプカレーは,シュリンプ分の付加価値を考慮しても,カレーソース自体が安っぽいので,せいぜい八百円がいいとこじゃないだろうか.
 RRainbow の料理人さんは,もう少し真摯に料理に取り組んだほうがいいと思う.あと,ウェイトレスさんはタヒチアンなパレオスカートじゃなくて,ハワイアンなムームーを着てください.ただし,ショートパレオなら,カレーがどんな味でも,また食べに行きたいと思いますので,そこんとこの南国ムードについてはよろしくお願いします.ごちそうさまでした.
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2016年6月 2日 (木)

辻堂 大戸屋

 一昨年の六月に大手術を受けるために都立医療センターに入院する時,病室に LAN がないのでイー・モバイル (*) のポケット WiFi を契約して持っていった.

(*) この年の六月から八月にかけて,イー・アクセスやらウィルコムやらヤフーやらソフトバンクなどが離合集散,入り乱れてわけがわからぬ状態になったが,結局のところ企業としてはソフトバンクに統合され,事業の名称は Y!mobile になったようだ.よくわからんが.

 病室ではポケット WiFi とA4ノートPCを便利に使用していたのだが,その後に退院してみると,寄る年波で重いA4ノートを持ち歩くのは難儀であることに気が付いた.
 また最近は気分的にも世間の動きについて行くのが面倒くさくなって,私はモバイル環境に関心を失いつつあったのだが,つい最近,沖縄旅行に出かけた際に,同行者であるかつての同僚 (この男はPCをあまり使えない) がタブレット+格安SIM を存分に使いこなしているのを見て,急にタブレットが欲しくなった.バスに乗り遅れた気分なのである.

 それで,ちょうどこの六月でポケット WiFi の契約が二年経過し,ペナルティなしで解約できるようになったので,解約することにした.
 上に書いたように,この二年間に契約の相手会社が二転三転していることもあり,現在は解約手続きがどのようになっているか,調べてみた.
 そうしたら,おもしろいことがわかった.

 二年前のイー・モバイル (イー・アクセス) 時代は,ある家電量販店で端末を買った場合,ポケット WiFi の契約は,端末購入者と量販店店舗の間の契約であった.そのため解約は,イー・アクセスのカスタマーセンターに電話するか,端末を購入した量販店の,その店舗でしかできなかった.
 ややこしいけれど,例えば端末をビックカメラA店で買うと,ヨドバシカメラはもちろん,ビックカメラB店でもできないのであった.

 量販店の店舗での解約手続きは簡単だが,転居したなどで店に行けないとき (私の場合がこれに該当する) は,イー・アクセスのカスタマーセンターに電話する方法があった.これは手続き書類を郵送してもらい,それに必要事項を記入して送り返して解約するというもの.
 ところが私は,東京から神奈川に引っ越したとき,イー・アクセスへ住所変更を届出していなかった.郵便局の転送期間も,もう過ぎてしまっている.ということは,まず住所変更手続きをして,それから解約手続きをするという面倒くさい二重手間をやらなければいけない.
 それで,どうしたらいいか,端末を買った家電量販のサポートに電話してみた.
 サポートの,とてもかわいらしい声の女性が丁寧に教えてくれたところによると,現在は端末を購入した家電店でも解約手続きをできなくなったのだが,しかしその代わりに前と違ってあちこちに旧イー・アクセス (現 Y!mobile) のショップがあり,最寄りの Y!mobile に行って手続きすればいいのであるらしい.以前より便利になったといえる.
 ついでに教えたもらったのだが,私の住処に一番近くの Y!mobile ショップは,すぐ近くの辻堂駅に隣接したテラスモール湘南に入っている中堅家電量販店「ノジマ」の中にあるとのことだった.

 というわけで昨日,ノジマのテラスモール湘南店に行き,無事にポケット WiFi の解約をしてきた.
 手続きを終えたら昼飯時だったので,テラスモールの四階レストラン街で食べることにした.
 ざっと各店のランチメニューを比較検討した結果,大戸屋の「一本釣り鰹丼と稲庭風うどん」セットに決めた.

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 鰹丼は,鰹が五切れか八切れかを選択する.
 御飯は,白飯か五穀飯かを選び,さらに大盛り,普通盛り,少な目,を指定する.

 下の画像がその鰹丼セットである.手前の鰹丼は遠近法的に大きく写っているが,実はとても小振りである.この献立のメインは,うどんであり,「一本釣り鰹丼と稲庭風うどん」というよりも,「稲庭風うどん (小さな一本釣り鰹丼付き)」なのであった.
 しかも,「稲庭うどん風うどん」だと稲庭うどんに似ていなければいけないが,「稲庭風うどん」とすると稲庭に似ているうどんという意味不明な名称になるのであり,どこが稲庭なんだばかやろう全然似てねえよ風うどんなのであった.稲庭には二羽鶏がいます.なんだそれはばかやろう.
 さらに言うと,世の中が炭水化物ダイエットで盛り上がっているというのに,私はこの↓炭水化物ランチ (税込み 898円) を食ってしまったのである.

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 感想は,何というか,あー旨いものを食べたという感動がなかった.インパクトがない.せめて鰹を八切れにすれば,まだましだったかも.
 もっといえば,豚生姜焼き定食あたりにするべきだったと,しみじみ思った.でも,それは大戸屋が悪いのではなくて私の選択ミスだ.他人を責めるより己の未熟をこそ省みるべきである.暗いと不平を言うよりも,すすんであかりをつけましょう.ちょっと違うような気もするが,顔を洗って出直します.ごちそうさまでした.

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2016年6月 1日 (水)

Win10 にアップグレード

 ネット上に「知らないうちに Windows10 にアップグレードされた」という不満の声がたくさんある.
 そういう人たちが,どうしたらOSを勝手にアップグードされてしまったのか状況がよくわからないのだが,私の場合は「アップグレードを開始します」というメッセージ窓が開いたら,その度に拒否していて,それでどうという支障はなかった.

 ところがつい最近,MSは私みたいな優柔不断ユーザーに業を煮やしたか,メッセージが変化した.「いつアップグレードしてくれるのかスケジュールをはっきりしてよ」との趣旨の文言になったのである.あー,結婚を迫る女性のような口調にしてみたが,モテたいとかの他意はありません.
 スケジュールをはっきりしろと言われても,朝起きてから一日の予定を考えるグータラな毎日であるし,「そろそろいいか」と思ってはいたので,常時稼働している四台のPCを一気に Windows10 にアップグレードすることにした.

 四台のうちの三台は Windows7 で一台は Windows8.1 である.
 三台の Windows7 機のうち,二台にはゲームソフトがあれこれ入っていて,もう一台にはお絵かきとかレタッチとか,画像分野のフリーソフトがたくさん入れてあった.
 画像関係フリーソフトの Windows10 対応状況を調べてみたら,使い勝手がよくて使用頻度の高いものはすべて動作確認がとれていたので,こちらは問題なし.
 問題は古いゲームだったのだが,動かなけりゃそれでもいいやと, Windows10 アップグードに踏み切った.

 結果はどうだったかというと,驚いたことに,Windows7 上では WindowsXP互換モードで動いていた古典ゲームの Diablo2 (patch 1.13) が,特に手を加えずに動いたのである.しかも,そのままバトルネットに接続すれば最新の patch 1.14 が当たり,Windows10 対応になる.十五年も前にリリースされたゲームのサポートをいまだに続けているブリザード社に感心する.
 ただし, Windows10 にアップグレードした直後はグラボの設定がデフォに戻っているので,アスペクト比を Diablo2 用に自動変更するよう設定 (GeForce なら NVIDIA コントロールパネルで) すればOKだ.暫くほったらかしにしていたが,またこれで遊んでみようかな.

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http://us.blizzard.com/en-us/games/d2/

 最近のネトゲクライアントは問題なく動くので,あとは昔懐かしザナドゥNext が動けばいいんだけれど,さてどうだろう.

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