会津の旅 補遺 (一)
《会津の旅》を (二十一) まで書き終えた.
これは飯盛山のことを書きたくて始めた旅行記だったから,省略したことがいくつかある.
それらを順不同に書いてみたい.
1.『堂々日本史3』のこと
私は,コラムニストが週刊誌に書くテレビ番組批評を読んで,NHK大河ドラマで何をやっているかぐらいは承知しているが,大河ドラマそのものは観ない.
あの大河ドラマというのは,ほんとによくない番組だと思う.いくらテレビ好きの人でも,水戸黄門とか遠山の金さんのチャンバラ時代劇を史実とは思うまいが,大河ドラマに描かれていることは事実だったと思い込みやすいからだ.シナリオライターが勝手に話を盛り,時代考証は無きに等しい野放し状態なのに.
大河ドラマでもそうだから,NHK取材班とやら (つまり専門家ではない) が制作する日本史に関する娯楽番組,例えば過去の作品「歴史への招待」「その時歴史が動いた」「堂々日本史」などは,中身は娯楽番組なのに日本史を描いたノンフィクションのように視聴者は見てしまう.
私は《会津の旅》を書く過程で入手した会津戦争関係のある文献を読み,その文献中に参考文献として挙げられているものを辿っていったところ,娯楽番組を活字化したに過ぎない書籍『堂々日本史3』が堂々と論拠になっていて大変驚いた.実はこの文献を論拠にして書かれた文献もあって,そこにはもっともらしいことが書かれているが,なんとまあ大元はテレビの娯楽番組なのだった.
『堂々日本史3』は,取り上げられた歴史的事件ごとに,作家と番組制作担当者の対談で構成されている.
この本に書かれている歴史事件の一番最後は白虎隊の自刃で,タイトルは「白虎隊、生死を分けた二日間」である.
この「白虎隊、生死を分けた二日間」では作家の立松和平が対談ゲストであるが,なぜ立松和平が堂々と日本史を語れるのか,説明できる視聴者はいないのではなかろうか.そもそも歴史家でも,歴史小説家でもない作家をゲストに呼んでくるところが,『堂々日本史』が娯楽番組たる所以であるが.
案の定,立松は,会津戦争を会津藩の武士の観点からしか見ていない.
「複眼」という比喩の言葉があるが,私のような日本史の門外漢でも,ある一つの歴史的事件を観る際には,いろんな観点から (つまり比喩として昆虫の複眼のように) 眺めてみるくらいのことはする.
しかしこの対談を読む限り立松は,考えることの初歩ともいえる複眼的な思考ができないようで,会津藩の圧政に苦しめられた百姓たちの視点などは,一切念頭にないと見える.たぶん立松は,会津藩降伏後に百姓たちが起こした一揆のことなど全く知らないのではないか.
立松は歴史小説の作家ではないから仕方ないと言えぬこともないが,それにしても物事を知らぬこと甚だしい.対談の中で,こんなことを発言している.
《特にこの戊辰戦争なんかは、勝った側・西軍のほうの歴史しか語り伝えられていない。でも、負けたほうにだって真実はあるんですから。》
この人は何を言ってるのだろう.一般読書人が容易に入手できる出版物で,会津側の歴史を書いたものはいくつもあるということを知らないのか.
一般人より知識レベルの点で一周遅れの立松は知らないだろうが,問題はそれらの本が,「負けたほうの真実」を書かんがために,事実に基づかない似非「真実」を書いていることである.
そして「負けたほうの真実」は,東日本大震災の時に義捐金を贈ってくれた萩市民に対する会津若松市長の無礼な発言に繋がっているし,会津人の「三春 (町) から嫁をもらうな」という浅はかな蔑視感情を,現在も煽り続けているのである.
次回は三春町のことを書く.
(続く)
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