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2016年5月 1日 (日)

アダムのヘソ

『怖い絵』シリーズで知られる中野京子先生の文庫最新刊『名画の謎 旧約・新約聖書篇』(文春文庫2016年3月刊;単行本は2012年12月刊) を読んでいる.
 私のような美術素人が「あっ」と驚くような中野先生の名画鑑賞の方法,知的な文章,そして美貌.いつもただただ恐れ入り平伏して先生の御著作を拝読しているのであるが,しかし,私は遂に先生の弱点を『名画の謎 旧約・新約聖書篇』に発見した.
 それは,ギャグが古いことである.

『名画の謎 旧約・新約聖書篇』の最初の節「鼻はやめて指に」は,ミケランジェロ『アダムの創造』の解説である.
『アダムの創造』に限らず,アダムとイヴを描いたほとんどの絵において,描かれた二人に臍が描き込まれているという.臍は母の胎内にいたことを示すのだから,神が作り給うた人間であるアダムとイヴに臍があるのは明らかにおかしい.しかしこれは神学上で未解決な難問なのだという.
 それでは臍を描かなければ問題解決かというと,そうではない.中野先生は次のように書いている.

それで改めて気づくのは、もし人間の長い胴体に臍という凹状の丸 (ときに凸状) が無ければ、決定的にアクセントに欠け、間が抜けて見えるということ。どのヌード画も――ボッティチェリのヴィーナスでもゴヤのマハでも――臍を隠せば、カエルの腹のようになってしまう (「おまえ、ヘソねえじゃねえか!」)。

 古すぎてすべってしまったのは「おまえ、ヘソねえじゃねえか!」である.
おまえ、ヘソねえじゃねえか!」は昭和三十九年に放映されたコルゲンコーワのテレビCMのコピーである.これを記憶しているのは,たぶんみんなもう還暦過ぎの老人である.先生御自身も小学校にあがったばかりの頃ではないだろうか.これはいつの時代のものか確かめずにうっかり書いてしまったものと思われるが,今後はもう十年位あとのCMの話を持ち出されるようお勧めしたい.

 ちなみに「おまえ、ヘソねえじゃねえか!」の時代は,まだテレビ広告の黎明期.表現としてのテレビCMが私たちの関心を集めるようになるのは,もっとあとのことだ.
 その黎明期に,テレビ広告の可能性を見抜けなかった若い政治家がいた.森喜朗である.テレビ広告の規制を意図する国会参考人質問で,参考人の発言を聞いても相手の言うことを理解できず,とうとう参考人を怒らせた森の質問がこれ

 もう一つ余談.トーキー時代に『マダムとイボ』というタイトルの映画があったと書いているエッセイを読んだ記憶がある.私が中学の頃に読んだ本だが,誰が書いた話か思い出せない.思い出したところで大した意味はないが.

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