会津の旅 (二十一)
前回の《会津の旅 (二十) 》からの続き.
旅の二日目.
御宿東鳳のツインベッドルームで目を覚まし,窓の外を見ると雪が降っていたので驚いた.
昨日は晴れていたのに.
朝食会場は昨日の夕食と同じバイキングレストランなのだが,あそこは窓がすごく大きかったはず.どんな景色なのだろうと,レストランに行ってみた.
テーブルに案内されて《幅15mのパノラマウィンドウからの四季を感じる眺望》 (ホテル公式サイトから) に目を見張った.外は弱い風が吹いており,大きな,というか巨大な窓の外に雪が流れるように舞っていたのである.
美しい光景だった.昨夜《窓は大きかったですね.以上.》などと思ってまことに済まぬ.
で,腹ごしらえ.朝食の献立はどんなものか.
レストランに入り,ありきたりの朝飯が並んでいるテーブルに沿って歩いていくと,女性スタッフがおむすびを拵えていた.
炊き立てのご飯で,具はねぎ味噌とおかかその他.
いやもう,このねぎ味噌おむすびの旨かったこと!
ねぎ味噌おむすびはコンビニにもあるけれど,それとは食べ物としてのレベルが全く違うのだ.
会津の米が旨いのか,地元産のねぎが香り高いのか,あるいはこの土地の味噌の功績であるのか,朝飯はこれだけで他に何もいらぬと思った.
許されるものなら五個とか六個を食べてみたかったが,朝っぱらからその暴食は人としていかがなものか.今日は色々と食う予定があり,二つで諦めざるを得なかったのが,無念であった.
昨夜《大した料理がないので》などと思ってまことに済まぬ.夕食の不満は,このねぎ味噌おむすびで全部帳消しにする.
というわけだが,この降雪は八時過ぎには止み,なんとまあ,きれいに晴れ上がったのである.
よかったよかったと出発する前に,ホテル内の土産物屋を覗いてみたら,こんなポップが.
これは「ネスレ キットカット ミニ 日本酒」というチョコレートのようで,おいしい!どこで売ってるの?と大評判らしい.
大評判のことを炎上と書いたのは年輩の店員さんだろう.微笑ましい.
さてホテルから会津若松駅へのバスに乗り,それから周遊バスで鶴ヶ城へ向かう.昨日は時間がなくて入れなかったアドリア北出丸カフェに行くのだ.
開店早々にカフェに入る.誰もいない.
一人で窓際の席に着いてメニューを眺めていたら,サアッと空が暗くなり,雪が激しく降り始めた.
そして十分ほど経つと,突然に青空が現れた.
どういうことなんだろう.
風花は,一般的には空が晴れているのに雪がちらちらと風に舞うように降ることだ.
私の郷里の北関東辺りでは,日本海側に強い寒気が押し寄せて降雪している際,雪雲の一部が上越の山を越えて飛ばされてきたときに見られる現象だ.雪が下に降って来たときにはもう雪雲は消えているので,晴れているのに雪がちらちら飛ぶというわけである.
類推だが,この妙な降雪は,風花の盛大なやつだろうか.
それはそれとして,メニューだ.
ケーキはシフォンケーキ,チーズケーキ,ガトーショコラがある.ガトーショコラを食べてみよう.
ケーキを食べている最中にも何度か盛大な風花が舞った.何か不思議なものを見たような気分であった.
あまりゆっくりもしていられないので,コーヒーを飲み終えて店を出た.ごちそうさま.おいしいケーキでした.
バス停は北出丸カフェのすぐ近く.「あかべぇ」に乗ってJR只見線七日町駅で降りた.この駅は七日町通りという観光コースの起点である.
この↓駅舎,歴女や鉄子ではない普通の娘さんたちが喜びそうな外観で,中に喫茶室がある.
この七日町通りの観光ガイドサイトによると,コンセプトは「大正浪漫」であるらしい.(街中に散見される案内板には「七日町面影ろまん」とあるが,これは全然浸透していないようだ ^^;)
七日町駅から近い阿弥陀寺の境内にある案内板.
阿弥陀寺には,会津軍側戦死者が葬られている.
といっても会津若松に大正時代の文化芸術,あるいは思潮が花開いた歴史があるかというとそんなことはない.ただ単に街並みが,明治,大正,昭和をひっくるめてレトロであるということらしい.
でも,かつて栄えたことのある古い地方都市の街並みを,大正浪漫という言葉で代表させるのは悪くないと私は思う.
例えば大正浪漫の通りに面して昭和レトロがあっても構わないだろう.
これ↓どうですか.元は何かの商店だった建屋を改造したものだろう.ジャズ喫茶としては破天荒な店構えがとてもいい.
拡大 (下の画像) してもわかりにくいが,このジャズ喫茶店の主人は真空管アンプを製作販売しているようで,ショーウインドウには大型古典三極管や戦後のビーム出力管を使用した管球アンプが陳列してある.
ただ,どう見ても大正浪漫に見えないせいか,観光ガイドサイトに取り上げられていないのがかわいそうだ.時間があれば入ってみたかったが,それは次の機会に.
上の画像のジャズ喫茶店は,キリン生ビール一番搾りの幟はない方がいいが,レトロ感はでていると思う.
ところが「レトロっぽい建物で町おこし」的に失敗している店がいくつもあって,例えばこれ↓みたいなのはいかがなものか.レトロでも浪漫でもない,ただのチープだ.
上にいささか侘しい例を挙げたが,しかし表通りを折れると,偽物ではない,趣のある建物がある.
下は旅番組に時々登場する末廣酒造嘉永蔵の入口だ.
入口を入るとすぐ右に,会津出身の映画カメラマン高羽哲夫の資料館 (というか資料室;松竹映画ファン必見) があり,その奥の玄関を入ると左手にカフェ「杏」,さらに進むと展示室などがあって,この建屋全体が観光スポットとなっている.
下はレトロモダン調のカフェ,杏の店の中.ここで暫し休憩した.
さて末廣酒造の次は,味噌田楽を食べさせる満田屋へ行く.
この満田屋も,七日町通りからは外れている.外観はさほど歴史的建造物には見えないが,店内は落ち着いた昭和レトロである.こことか末廣酒造などが七日町通りに面していれば観光振興策的にはもっといいのだろうが,それは無理というものだろう.
満田屋にやってきたのは,味噌田楽は会津だけの食い物ではないが会津の名物ではある,という話なので,私も食べてみたいと思ったからである.
カウンターの中に腰程の高さに作られた囲炉裏があり,そこで田楽を焼く.昼飯を食っていないので,コースを頼んで一通り焼いてもらう.
焼く係は三人の若い娘さんたちである.
彼女らの会話を聞いていると,今朝は猪苗代は吹雪だったよなんてことを言っている.なるほど.私が今朝目にした会津盆地の風花は,標高の高い猪苗代では吹雪になるということだろうか.
味噌田楽のコースは,こんにゃく,厚揚げ,餅,身欠き鰊,さといも,郷土料理「しんごろう」の順に出てきた.いずれも,想像していたよりも,かなりネットリと甘い味噌ダレであった.
そのため味噌田楽を食べ終えた頃には,私の唇は甘い味噌でぶ厚くコーティングされてしまっていた.
舌で何度も舐めるのだが,唇の感覚が元にもどらない.冬眠に入る前の熊が,掌に厚く蜂蜜を塗るというが,そういう状態である.
ちなみに,有名な中国のフルコース料理である満漢全席では熊の掌の料理が供されるが,それには熊の右の掌だけを使う.
なぜ左の掌は料理に使わないかというと,冬眠中の熊は,トイレに行くのがめんどくさいので,左手で尻の穴を春が来るまでずっと押さえているからである.
Wikipedia にはこのことが書かれていない.私も残念ながら出典を忘れてしまった.
さて満田屋を出て,甘い唇を舐めながら東に歩く.
七日町通りが終わり,突き当たって南に少し下ると,野口英世に所縁の会津壹番館がある.元は野口英世が手の手術を受けた医院であった建物で,現在は一階が喫茶店で,二階が野口英世の資料館になっている.
思うに,野口英世という人物は,世間に流布している虚像と実像のギャップが大きすぎる.人間性に問題があったことは問わないとしても,医学者としての業績に見るべきものがあまりないのは (全くないわけではない) 困ったことで,小さい子に英世がなぜ紙幣に肖像が描かれているかを説明するのは難しい.樋口一葉が日本の近代文学史に残したあまりにも大きな業績と,野口英世のそれとを比較するのは,一葉に失礼ではないかという気がするほどである.
というわけで,私の七日町散策はここで終わり.
会津若松の観光スポットで,戊辰戦争関係は飯盛山以外はあまり訪問できなかったが,まァいずれ再訪することもあるだろう.今回の旅はここまでとして,帰路につくことにした.
(了)
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