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2016年5月25日 (水)

沖縄の旅 戦争(3)

20160522c
「平和の礎」建設趣旨の石碑


沖縄の旅 戦争(2) 》中に,牛島満の最後の命令を次のように記載した.

全将兵の三ヶ月にわたる勇戦敢闘により遺憾なく軍の任務を遂行し得たるは、同慶の至りなり。然れども、今や刀折れ矢尽き、軍の命旦夕に迫る。すでに部隊間の連絡途絶せんとし、軍司令官の指揮困難となれり。爾後各部隊は局地における生存者の上級者これを指揮し最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし》 (《沖縄戦を考える 》から引用)

 上に記した引用元のウェブページ《沖縄戦を考える》は,おそらく東北大学大学院の柳原敏昭教授が書かれたものである.

 しかし,牛島の最後の命令が作成された際に,その場にいた陸軍大佐八原博通高級参謀〈明治三十五年 (1902年) 10月2日 - 昭和五十六年 (1981年) 5月7日〉が,戦後かなりあとになって出版した『沖縄決戦 高級参謀の手記』(1972年8月刊) には,上記のものとは全く別の文章が「牛島満の最後の命令」として記載されている.
(ちなみに読売新聞社は昭和四十二年一月一日から昭和五十年までの長期にわたり『昭和史の天皇』を連載し,これは同社から全三十巻にまとめて刊行された.この連載において読売新聞社は八原博通元高級参謀にインタビューを行ったが,その時既に八原博通は沖縄戦に関する手記を執筆していた.この時のインタビューが縁で,後に八原は昭和四十七年に読売新聞社から『沖縄決戦 高級参謀の手記』を出版することになった.この単行本は絶版であるが,昨年五月に中公文庫の一冊として復刊された.私は読売の単行本を持っていないが,中公文庫のKindle版は所有している)

 ともかく『沖縄決戦 高級参謀の手記』によれば,「牛島満の最後の命令」の場面は次のようである.

軍司令官は麾下各部隊に下すべき最後の命令の起案を命ぜられた。
 作戦命令の数は戦闘開始以来、積もり積もって二大冊となった。長野がわが子を愛撫するように命令綴を抱擁し、「高級参謀殿、これが最後の軍命令です! 参謀殿自ら起案して下さい」と言う。その声は鎮痛で感動に震えている。私は「従来命令の相当部分は貴官に起案してもらった。この最後の命令も貴官に頼むよ」と彼になかば押し付けた。
「親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘実に三か月、すでにその任務を完遂せり。諸子の忠誠勇武は燦として後世を照らさん。
 今や戦線錯綜し、通信もまた途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々その陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらばこの命令が最後なり」
 右命令案を見られた参謀長は例の如く筆に赤インクを浸し、墨痕淋漓次の如く加筆された。
「……最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし……」
 軍司令官はいつものように、完全に終始一貫され、黙って署名された。最後の軍命令を下達し終わると、私は一切の重責から解放された安易さに、無限の深谷に落ちて行くような恍惚の快感に領せられてしまった。

 以上の八原の記述をまとめると,下記の二点になる.
(1) 「牛島満の最後の命令」は次の通りである.

親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘実に三か月、すでにその任務を完遂せり。諸子の忠誠勇武は燦として後世を照らさん。
 今や戦線錯綜し、通信もまた途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々その陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし


(2) この命令作成に関与したのは,起案した長野参謀,加筆した長参謀長,署名して承認した牛島満の三人であり,私 (八原博通) は関与していない.

 ここで一つ問題が持ち上がる.
 現在ネット上に流布している「牛島満の最後の命令」は,細かい言い回しの違いを含めると筆者により様々な文章があるが,言い回しの違いを無視すれば二種類になる.
 両者の違いは「生きて虜囚の辱めを受くることなく」の有無である.これがあるとないでは意味が全く違ってしまうのだ.
 「生きて虜囚の辱めを受くることなく」がなければ降伏禁止の命令だが,「生きて虜囚の辱めを受くることなく」が挿入されると,捕虜になるくらいならその前に自殺せよとの命令になる.
 私が十三年前に書いた沖縄旅行記では,「生きて虜囚の辱めを受くることなく」の文言がない「牛島満の最後の命令」を採用したが,本当はどちらなのか私にはわからないので,今回の旅行記では八原バージョンの「牛島満の最後の命令」も,ここに併記しておく.

 ただし,八原高級参謀の『沖縄決戦 高級参謀の手記』は,あまり信頼性のないものであると私は考える.
 というのは,書かれた内容に整合性がないのだ.(後述する)
 この本は,牛島司令官と長参謀長が自決したあと司令部の洞窟を脱出して逃亡したために旧軍関係者から「沖縄を見捨てた卑怯者」(*) 呼ばわりされた八原の釈明の書なのである.そのため,戦後世代の私ですらも「これはヘンだ,嘘ではないか」と思う箇所がある.従って八原と同時代の元軍人たちからすれば,全く信用できない内容のものだったのではないか.
 八原博通は昭和四十七年に『沖縄決戦 高級参謀の手記』を出版して釈明に努めたが,昭和五十六年に没するまで,元軍人たちの視点からは遂に「沖縄を見捨てた卑怯者」のままであった.その事実が,『沖縄決戦 高級参謀の手記』の信頼性を物語っていると私は思うのである.

(*) Wikipedia【八原博通】 から引用.

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「平和の礎」に刻まれた牛島満

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