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2016年4月 1日 (金)

会津の旅 (八)

 昨日,記事をアップしたあとで,注文しておいた中村彰彦『増補決定版 白虎隊』(PHP研究所,2016年1月19日第1版第1刷) が届いた.たぶん白虎隊関連の書籍では今一番新しいものだ.
 中村彰彦という小説家の書いたものを私は初めて読んだ.Wikipedia【中村彰彦】には

自身ではいずれのジャンルに属するかは拘らないが、飽くなき史実第一主義者を自称しており、従来の順逆史観排除の姿勢を採っている。
自身の検証による新説を次々と打ち立てているが、都合のいい資料だけを選出して批判的な資料を無視する傾向があり「史実ではなく小説」と批判されることも多い。
会津に対して並々ならぬ思いを寄せており、会津関係の著作が多く、星亮一とともに会津観光史学の一翼を担っている。

と書かれている.
 私が『増補決定版 白虎隊』を購入したのは,中村が《飽くなき史実第一主義者を自称》しているのならば『増補決定版 白虎隊』には,白虎隊士中二番隊のうち自刃者十九人の遺骸埋葬に関する最新情報が書かれているのではないかと期待したからである.
 ところが,同書の《吉田伊惣次の活躍》と見出しを立てた節 (p.228~232) に書かれていることは自刃白虎隊士の埋葬人数も埋葬場所も時期も全く支離滅裂で,まるでお話にならぬ有様なのであった.
 さらに,会津若松市史(* 末尾註) が「新政府軍側によって会津軍側遺骸の埋葬禁止が命令された事実はない」と指摘しているにもかかわらず,これを無視して埋葬が禁止されたと書いているのである.
 この中村彰彦という作家は実証性,論理性の欠如が甚だしい.Wikipedia【中村彰彦】に《都合のいい資料だけを選出して批判的な資料を無視する傾向》《史実ではなく小説》《会津観光史学の一翼》と書かれてしまうだけのことはあるなあ.少額の八百円とはいえ,つまらぬ本を買ってしまった.

 さて昨日の記事では,自刃白虎隊士の墓,会津藩殉難烈婦碑,郡上藩凌霜隊之碑,篤志碑 (吉田伊惣次) について書いた.
 これらの碑と,墓前広場から少し離れた隊士自刃の地記念碑および飯沼貞吉の墓を合わせれば,飯盛山史跡は「白虎隊士中二番隊の殉難」というコンセプトでまとめられる.
 ところがこの広場には「なぜこんなものが?」と唐突感あふれる記念碑が二つ存在する.《会津の旅 (二)》で,

山上には石碑の類がたくさん建っているのだが,この中に,昭和三年にムソリーニから寄贈された「ローマ碑」と,昭和十年にドイツ大使館書記官から贈られた「ドイツ碑」と呼ばれる二つの石碑がある.
 ローマ碑はかなり大きい石柱状のモニュメントだが,ドイツ碑は普通の大きさのものだ.
 この二つの石碑の由緒については
ここに書かれている.それはそれでよいのだが,ドイツ碑には鉄十字章彫刻されているので,ちょっとびっくりした.しかしよく見ると鉄十字の中心に鉤十字が刻まれていないので,これはナチスドイツの鉄十字章ではなく,現在も使われている伝統的なドイツの鉄十字章であることがわかる.
 しかるに,ところが,である.

と書いた「ローマ碑」と「ドイツ碑」だ.以下は《しかるに,ところが,である》の続きである.

 まず「ローマ碑」から.

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(出典;Wikipedia【白虎隊】)

 白虎隊士中二番隊の墓前広場を管理する会津弔霊義会は,事業内容を紹介するコンテンツ中で
霊域にはイタリア・ローマ市寄贈の石柱碑など数多くの記念碑も寄せられています。
と書いているが,それ以上は触れていない.

 これに対して,観光客レベルの人が記した個人サイト《飯盛山のローマ碑などでは,

ムッソリーニはイタリアの東洋語学教授で、詩人でもあるダヌンチョと親交があった下位春吉を通じて日本武士道、白虎隊士の忠勇物語を聞く機会を得、ますます感銘を深くし、白虎隊の為に記念碑を贈ってもよいとの意向をもらし、下位春吉が帰国後の講演会で、この話しをしたそうです。
ただ、その後この話しは具体的な進捗がなく、年月が流れ関係者が焦慮していたところ、山川健次郎がこの話しを聞き、郷土会津の誇り白虎隊の墓所にイタリア記念碑が建てられるのは、この上ない名誉であり、日伊両国親善のきづなになると喜び、イタリア大使館を訪れ、促進の申し入れをしました。

と書かれていることが多い.というか,ネット上ではこのように記述されていることがほとんどである.
 しかしここに登場する下位春吉という男は誇大広告的言説を弄する怪人物のようで,

Wikipedia【下位春吉】 
Wikipedia【白虎隊】 
福家崇洋『日本ファシズム論争 ---大戦前夜の思想家たち』 ( 河出書房新社,2012/6/9)

など,多くの資料によると,飯盛山のローマ碑は,下位春吉の嘘言が発端となって瓢箪から駒が出たような経緯で実現してしまったものとされる.
 公益財団法人会津弔霊義会の公式サイトが《霊域にはイタリア・ローマ市寄贈の石柱碑など数多くの記念碑も寄せられています》とわずか一行で片付けているのは,そのせいだろう.この石碑が,恥ずべき経緯でここに建てられ,しかもファシストからの贈物とあっては,これは白虎隊を軍国主義的に祀り上げるものであり,泉下の白虎隊士たちの顔に泥を塗るものと言わざるを得ないのだ.

 しかも実は現在の飯盛山ローマ碑は,戦後すぐに連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の命令により碑文の一部を削って消した上で横倒しにさせられたものを,碑文を彫刻し直して立て直したものだ.立て直したのはともかく,復刻とはまた非常識なことをしたもので,つまりその歴史資料としての価値は大きく損なわれてレプリカ化してしまったのである.

 昔の財団法人は,天下り官僚の隠れ蓑だったり実体のない脱法幽霊団体だったりが紛れ込んでいる「何でもあり」状態だった (当ブログの筆者は所属企業からその種の財団法人に出向した経験を持つ) のであるが,関連法案が改正されて,旧い財団法人は公益財団法人と一般財団法人に分離された.一般財団法人は普通の会社と同じと考えてよい.しかし公益財団法人は,運営上の優遇措置があるが,その一方で総務省の監督下に置かれる.財団の「公益性」に問題があれば行政指導が行われ,改善ができなければ最悪は解散の憂き目にあうこともあり得る.

 実は私は会社を定年退職したあと公益財団法人にいたことがあり,その経験からすると,日本軍国主義の残滓,しかもレプリカに過ぎないものを維持し続けることの公益性を総務省から問われたら,会津弔霊義会はかなり苦しい弁明を強いられると思われる.
 さて次は「ドイツ碑」だ.

(* 末尾註) 会津若松市は市史を刊行頒布している.現在注文中のため未読.

(続く)

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