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2016年4月10日 (日)

源氏山から~♪

 菜種梅雨と呼ばれる天気予報が当たらない季節である.
 週間天気予報で「〇日は曇り一時晴れ」とあるので出かける算段をしていると,当日の朝に予報士のお嬢さんが何食わぬ顔で「今日は一日中雨です」などと言う.まことにけしからんが,でもかわいいから許す.

 そういうわけで,運よく晴れあがった先日の六日,水曜日の朝に思い立って源氏山に花見にでかけた.
 鎌倉の源氏山というところは基本的にはハイキングに行くところであるから,公共交通機関が現地まで通っているわけではない.近くまで行ってそこから源氏山公園まで歩くのだ.
 源氏山公園 (葛原岡神社や頼朝像がある一帯) に行く道は次のようにいくつもある.
(1)北鎌倉駅→浄智寺→源氏山公園
(2)建長寺→亀谷坂切通し→化粧坂→源氏山公園
(3)鎌倉駅→寿福寺→源氏山公園
(4)鎌倉駅→佐助稲荷→銭洗弁天→源氏山公園
(5)長谷大仏→源氏山公園
(6)バス停「源氏山入口」→源氏山公園
 これをどういう組み合せで歩いてもいいので,鎌倉の自然を楽しみたいとか,あるいは女の子とデートしたいとかの目的に応じた道を選べばいい.

 ここで注意しなければいけないのは (1) の道で,デートの時についでだからと東慶寺に立ち寄るのは,それダメ!NGである.
 さだまさし がグレープ時代の最後にリリースしたアルバム『コミュニケーション』(1975年) に収録された「縁切寺」は,今の若い人たちにも知られているんじゃなかろうか.
 「縁切寺」がヒットした頃,鎌倉は押し寄せた若い男女でごった返した.みんな列を作るようにして源氏山 (今は縁結びで有名になった葛原岡神社) から北鎌倉へ歩いた.そして東慶寺で一枚だけ写真を撮り,三年後に別れたのである.二十五歳の私も例外ではなかった.あの頃の私を叱ってやりたい.

 さて今回の花見では,私は大船駅までJRに乗り,大船の駅ビルから出るとすぐ近くのバスターミナルから,11:30 発の京浜急行バス ([船50]系統/桔梗山行き,マイクロバス) に乗った.「源氏山入口」バス停で降りるとすぐ葛原岡神社へ行く坂道の入口がある.葛原岡神社へは,この道が最短だ.
 坂を上ると,こんな案内板と小さな公園がある.
 案内板の右下の道に「×」がついているが,私はその道から来たのだ.なぜバツなのかわからない.

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 公園のすぐ先にある分岐点を左に行くと地図板がある.

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 地図を見て葛原岡神社方向に歩くと,桜の木と鳥居が見えてきた.

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 葛原岡神社は,葛原岡のこの地で日野俊基が処刑されたことに因んで明治二十年(?)に創建された神社で,鎌倉ではかなり新しいものであるが,ハイキングの途中で一休みするのにちょうどいい場所にある.上の石碑画像には「明治21年に創建された」と書かれているが,葛原岡神社のサイトの《葛原岡神社について 》では

明治17年勅旨をもって従三位を追贈され、同20年にご最期の地であるここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省よりの下賜金をもって御社殿を造営、鎮座祭が執り行われました。

とあり,創建は明治二十年だとしている.この神社の関係者は誰一人この矛盾に気が付いていないのだろうか.ちなみに会津飯盛山の白虎隊墓前広場に立てられている「ドイツ碑」も,管理者自ら嘘デタラメを広めて恥じるところがない.情けないことである.

 鳥居の周辺はベンチがたくさんある広場になっていて,ベンチに腰かけて弁当を使っている数人のグループや,シートを広げて楽しそうに昼ごはんを食べている子供連れの家族がいた.

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 鳥居に向かって左側に置いてあるのは「恋みくじ」の箱である.

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 ウェブをちょっと探すと「葛原岡神社は恋のパワースポット」なんて書いてあるが,いつからパワースポットになったのだろう.
 昔は「恋みくじ」なんてなかったしなあ.

 もう四十年近く前のことになるが,私は,結婚してくれたらいいなと思う女性を連れてこの神社に詣でたことがある.今でも記憶が鮮明なのだが,その時はこの「恋みくじ」の場所に,今の私と同じ歳ほどの爺さんが,イスと台だけの小さな小さな露店を出していた.

 爺さんは低い丸イスに腰掛け,横にプロパンガスのボンベ,狭い台の上にガスコンロを置いて,フライパンで山形名産玉こんにゃくを調理して売っていた.葛原岡名物と書かれた小さな看板も立てていた.
 調理といっても簡単なことで,まずフライパンに玉こんにゃくを入れて醤油で炒める.醤油が焦げそうになったら油を回し入れて,さらにジリジリと炒める.こうすると,煮詰まった醤油がからまって,鍋で煮たのでは時間がかかるこんにゃくの味付けが簡単にできるのであった.

 当時の私は,玉こんにゃくが山形県の名産品だとは知らなかったので,葛原岡神社の由緒に関係ある食べ物かと思って,その爺さんに訊ねた.
「葛原岡名物ってことは,これは何か葛原岡神社と縁があるものですか.日野俊基と何か関係が?」
 すると爺さんは短く答えた.
「なんにも関係ないよ」
 聞けばこの爺さんは定年で勤めをやめたあと,小遣い稼ぎに玉こんにゃく売りを思いついたのだそうで,たばこ代くらいにはなるよと言った.そういう事情の葛原岡名物なのであった.

 まだ若かった日の恋を偲びつつ鳥居をくぐると,すぐ左に「縁結び石」があった.葛原岡神社のサイトには

良縁を望まれた方々の願いを広く叶えるため、平成二十二年冬、改めて 御霊を「男石」「女石」にお迎えして ご参拝の皆様に良きご縁を結ぶ「縁結び石」としてお祀り致しました

とあるから「縁結び石」は平成二十二年に設置したもののようだが,二つの石はどこから持ってきたものだろうか.もとからこの辺りにあった石をもっともらしく祀ったものかも知れない.

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 向かって右の石が男石で,左が女石だ.そのあいだから見えるのは「縁結び石」の祭神である大黒様である.その両側にたくさんぶら下がっているものは,ハート型の絵馬である.女子中学生あたりが恋のお願いを書いたりするのだろうが,大黒様ってのはちょっと子宝系秘宝館方面なので,清純乙女が拝むのはなんだかなあと思う.女子が守護神にしたくなるような神様はいないのかと思って検索してみると,《恋の状態別オススメパワースポット》に,赤坂氷川神社などの奇稲田姫 (クシナダヒメ) とか,センスよさそうな神様がおられると書いてある.奇稲田姫を祀る氷川神社はあちこちにあるし,奇稲田姫は倭撫子 (ヤマトナデシコ) の語源だとも言うし,いいことばっかりなので私はそちらをお勧めしたい.なんなら萌系もある.

 それはそれとして,「縁結び石」からさらに先に行くと,本殿などがある.

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 案内板↓には
俊基卿御終焉之地
鎌倉幕府に捕らわれた日野俊基卿は
元弘二年 (一三三二) 六月三日
この地で悲しい最後を遂げられる。

とある.

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 葛原岡神社の祭神である日野俊基という人は,後醍醐天皇の廷臣ではあるが,後醍醐天皇による鎌倉幕府討幕運動の中ではかなり影が薄い.元弘の乱は,御本人の稀代の怪物後醍醐天皇を除けば,何といっても楠木正成や足利高氏,新田義貞ら武士の物語なのである.
 日野俊基の辞世の歌は
    秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん
である.このように恨みを残して死んだ人は,祟りを恐れた後世の人が神様に祀り上げてくれるのであるが,日野俊基は菅原道真ほどの大物ではないから,祟りも実際にあったかどうか私は知らない.

 葛原岡神社から歩いて数分のところに源頼朝の像が建てられている.頼朝の人相は,昔は神護寺三像の一つ「伝源頼朝像」とされていたものだが,今は伝源頼朝像は別人だとする説が定着しつつある.従って下の像の容貌もテキトーである.

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 さて盛りの桜を満喫したので,銭洗弁天への道を辿って鎌倉駅に行く.弁天様の境内はかなりの人出であった.

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 朝飯のあとは何も食べていないので,この茶店でソフトクリームを買って昼飯代わりにした.三百円でお安いが,それなりのお味.

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 銭洗弁天から,佐助一丁目の交差点に出て,御成隧道から鎌倉駅西口まで歩いた.

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 この日の鎌倉駅周辺には,高校の入学式でもあったのだろうか,きちんとスーツでおめかしした母と,その子の姿が目立った.どこかの店で二人仲良く食事をするのだろうか.いいですなあ.桜四月,がんばれ青少年.

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