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2016年4月11日 (月)

思考の柔軟性

 読売新聞の「発言小町」に《彼がやかんを拒否する》というトピが立っている.
 たぶん若いと思われる女性からの相談トピだ.
 彼の部屋に行ったら鍋はあるけれどヤカンがない.そこでヤカンを買おうと提案したら彼に「無駄だ」と拒否されたという.この彼はケチなんでしょうか,という内容である.
 相談の結果は実にかわいそうなもので,トピ主はボロボロに叩かれた.「鍋があればヤカンがなくても何の不都合もないのだから,彼にそんな無駄を強制するなら別れろ」とか,「結婚前なのに男の部屋に入るのはフシダラだ」とまで言われた.
 これを見て,ああまたやってるな,と思った.
 これは例えば,「彼の部屋に行ったらヤカンはあるけれど鍋がない」という相談でも同じことで,別れろとかフシダラだと罵られてトピ主は叩かれるのである.
 なぜかというと「発言小町」の編集者は,トピ主に対して攻撃的なレスだけを掲載して炎上状態にするのが大好きなのである.
 私は以前,これを確認するために,友人たちを募ってトピの流れと逆のレスを投稿したのだが,一つも掲載されなかった.それで,「発言小町」は編集者によって情報操作されていると確信した.

 ということは以前にも書いたから横に置いて,実際のところ,独身者がヤカンと鍋のどっちか一つだけ選べと言われたら,どっちがいいのだろう.

 もう四十年以上昔の学生時代,東京は中央線高円寺駅の南口から少し歩いたところにあった木造ボロアパートで私は暮らしていた.
 当時の私の持っていたものは,東芝製電気釜,アルミ片手鍋,ナショナル製電気ポット (ここにたくさん並んでいる昭和レトロの電気製品だ),ポケットラジオ,電気炬燵,布団,小さな本箱一つとポリバケツであった.下着のパンツとか一張羅のジーパンなどは別とすれば,電気釜や片手鍋などが私の全財産だった.つまり私は,いわば歩く赤貧だった.所持金が心細くなるとバイト代が入るまで部屋に閉じこもるから,歩かない赤貧になった.
 ちなみに,昔の言葉で「赤貧洗うが如し」というが,本当に金がなくなると銭湯にも行かなくなるから,「赤貧洗わぬが如し」というのが正しい.(違)

 冷蔵庫や洗濯機は言うまでもないが,白黒テレビでも持っている友人は一人もおらず,世の中ではカラーテレビ,クーラー,自動車が「新・三種の神器」として喧伝されたが,私の部屋には昭和三十年頃の旧・三種の神器である白黒テレビ,洗濯機,冷蔵庫すらなかった.

 しかし,そんなに貧乏な私でも,鍋とヤカン (電気ポット) は両方とも所有していた.鍋は明星チャルメラを作る時に,電気ポットはネスカフェインスタントコーヒーを飲む時に,と使い分けていたのだ.さらには,米の飯は鍋でも炊けるのに電気釜を使っていた.
 なぜだろう.固定観念に囚われて思考の柔軟性に欠けていたのだろうか.今となってはよくわからない.

 その頃の友人のN君は,電気ポットでチキンラーメンを作って食べていた.電気ポットでお湯を沸かし,その中にチキンラーメンを割って入れるのだ.これは確かに柔らかな発想だと思う.だから彼が私よりも思考の柔軟性を有していたということには同意するが,ただし「電気ポットでラーメン」は,スープを飲むとき,電気ポットのフチに唇が貼りついて火傷するのが難点で,思考が柔軟ならよいというわけでもなさそうだった.

 私が高校性だった頃,生物のK先生に聞いた話.先生は,今はない東京教育大学 (昭和五十三年にその輝かしい伝統を閉じた) の学生寮にいた頃,ブリキの洗面器しか持っていなかった.
 ブリキの洗面器は万能で,朝の洗面はもちろん,風呂でも使うし,洗濯にも使う.洗濯に使うというのは,洗面器に水を入れて石油コンロで湯を沸かし,洗濯石鹸を削って溶かし入れ,そこにじっくりと履きこんで熟成したパンツを漬けて煮ることにより殺菌洗浄したという話であった.
 それだけならいいが,K先生および先生と同室の学生たちは,腹が減ると先生の万能洗面器で素麺を茹でて食べていたという.思考が柔軟すぎるのは如何なものかと思う.

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