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2016年4月 5日 (火)

会津の旅 (十)

 飯盛山にあるドイツ碑の話をもう少し続ける.

 既に平成十年(1998年) に福島大学名誉教授の九頭見和夫氏が総説《「ドイツ記念碑」と日新館の教育》を執筆し,ドイツ碑に関して種々の事実を明らかにしたにもかかわらず,未だに Wikipedia【観光史学】と【白虎隊】には誤った情報が記載されているということを,一昨日の記事で述べた.
(Wikipedia 日本語版誕生後のかなりの間,芸能人情報以外の項目に関しては,周知のように信頼性の極めて低い情報源であったわけだが,しかし現在では改善著しく,まず Wikipedia の内部の関連項目を参照して矛盾がないかを確認し,「ノート」タグを閲覧し,さらに本分中に引用されている出典にもできるだけあたることを行えば,極めて有用な百科事典である.私がこのブログで Wikipedia を多用するのはそういう理由である)

 さて九頭見和夫氏の総説《「ドイツ記念碑」と日新館の教育》を読んで驚いたことの一つは,旧財団法人・会津弔霊義会すなわち現在の公益財団法人・会津弔霊義会の手によってドイツ碑の案内板に書かれた説明文にまつわる,いわゆる黒歴史である.

 ドイツ碑の横には会津弔霊義会が設置した案内板が立っている.案内板に書かれた説明文の変遷を,時代順に以下に記す (太字部分).
 下記の (1) と (2) の出典は九頭見和夫氏の総説《「ドイツ記念碑」と日新館の教育》である.宮崎十三八『会津地名・人名散歩』の p.191 にも (2) の写真画像が掲載されているので,それも参照した.
 また (3) は現在飯盛山に存在する案内板に書かれている説明文であるが,九頭見和夫氏の総説には改行位置の間違いがあるので,案内板の写真画像から転記したものである.

(1) (縦書き)
ドイツの武士より会津の少年武士
に贈る
ハッソフォンエッツドルフ

(2) (横書き)
フォンエッツドルフ氏寄贈の碑
昭和10年6月ドイツ大使館付武官
HASSO von ETZDOR 大佐が白虎隊精神を
讃美して贈られた碑文と十字章で
  碑文訳「会津の若き少年武士に贈る」 一ドイツ人
第二次世界大戦後占領軍の手によって碑面を削り撤去された
ものを,昭和28年再刻のうえ復元されたものである。

(3) (横書き)
フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑
昭和10年6月ドイツ国 (現ドイツ連邦共和国) 大使館
政治担当外交官Hasso von Etzdorf 氏が白虎隊精神
を讃美して贈られた碑文と十字章である。
  碑文訳「会津の若き少年武士に贈る」
第2次世界大戦後進駐軍の手によって碑面
を削り撤去されたものを昭和28年再刻のうえ復
元されたものである。

 これまでに飯盛山のドイツ碑案内板に書かれたことのある説明文で判明しているのは,現時点で上の三つである.さてこの三つの説明文からドイツ碑の謎を追ってみる.
(続く)

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