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2016年4月27日 (水)

なしのつぶて その二

 少し前の記事《源氏山から~♪》に次のように書いた.(当ブログの通常の引用表記にすると《》が二重になって見にくいので,色を赤に変えることで引用表記に代える)

 葛原岡神社は,葛原岡のこの地で日野俊基が処刑されたことに因んで明治二十年(?)に創建された神社で,鎌倉ではかなり新しいものであるが,ハイキングの途中で一休みするのにちょうどいい場所にある.上の石碑画像には「明治21年に創建された」と書かれているが,葛原岡神社のサイトの《葛原岡神社について 》では

明治17年勅旨をもって従三位を追贈され、同20年にご最期の地であるここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省よりの下賜金をもって御社殿を造営、鎮座祭が執り行われました。

とあり,創建は明治二十年だとしている.この神社の関係者は誰一人この矛盾に気が付いていないのだろうか.

 この件,放置しても別段構わぬことだろうが,神社にある石碑に書かれている神社創建の年が,ウェブサイトにある神社創建の年と食い違っていることを封書で指摘してみた.
 宛先は,神社のウェブサイト管理者である俊基卿遺蹟保存会の常務理事である今田正廣氏と長岡仁志氏である.
 手紙の本文は以下の通りで,これに石碑を写した画像と,ウェブサイトのプリントを添付した.(この記事の末尾に,添付資料のそのまた一部を貼り付けておく)

拝啓
 桜花の候、貴会益々御清栄のこととお慶び申し上げます。
さて先日、私は葛原岡神社に参拝致しましたが、その折に疑問に思ったことがございます。
 そのことについて一つ御教示頂ければ幸いと思い、失礼とは存じながら突然にお手紙を差し上げる次第でございます。

 まず添付資料の一枚目は,葛原岡神社の鳥居の傍にある石碑の文面を撮影した画像であります。
 次に同二枚目は,葛原岡神社のホームページ中、「葛原岡神社について」を印刷したものであります。

 これらを見ますに、石碑では葛原岡神社の創建は明治21年であるとし、ホームページの記述では、創建は明治20年であるとしています。
 いずれが正しいのか、お差し支えなければ教えて頂きたく、お願い申し上げます。

 末筆ながら貴会の御発展をお祈り申し上げます。

平成28年4月10日
□□□□□□□□□□□□□□ 
(←このブログ筆者の実住所と氏名)

 この手紙を投函してから二週間余りになるが,返事はない.
 例えば企業なら,会社概要のパンフレットとウェブサイトの記載とが食い違っていたら大問題になる.正確な企業情報の提供は,企業の社会的責任の一つだからである.

 まして俊基卿遺蹟保存会はパブリックな性格の団体であろう.それが外部からの問い合わせを完全無視というのは,何か心得違いをしているとしか思えぬ.

 私は手紙に《お差し支えなければ教えて頂きたく》と書いたが,俊基卿遺蹟保存会は世間に知られたくない「お差し支え」があるので無視を決め込んだのかも知れない.どんな「お差し支え」があるのだろう.

 あるいはひょっとしたら,この俊基卿遺蹟保存会は,何らかの目的で作られた葛原岡神社のダミーであり,実態がないのかも知れない.それなら私の手紙は,読まれずにごみ箱へ直行したのだろう.
 その場合,宗教法人がダミーを作る目的とは何か.興味があるなあ.

[石碑の画像の一部;明治二十一年に創建されたと彫られている]
Sekihi_no_echibu

[葛原岡神社サイトの一部をハードコピー;明治二十年に創建されたと書いてある]
Website_no_echibu

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